読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アニメについて考えるブログ

旧作から最新作まで気になったアニメを紹介するブログです

若者に触発されて記事を書いたら、結局おっちゃんの政治の愚痴になってしまった。恥ずかしい記事。

政治

f:id:ka_rinchaco01:20151227134428j:plain

今日はアニメの話題を外れて(いっつも外れてるじゃん)、ちょっと真面目なことを考えたい。

それは、昨日この記事を見たから。
www.ituore.com

結局僕は自分のことしか考えられないし、それが正しいんだと思っている。 そんな自分の正しさをいつまでも忘れないでいたい。 こう考えた時、僕は自分自身に言い聞かせるように呟いていた。 「世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな」 弱くてちっぽけな僕が、自分を見失わないために。

世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな - いつから俺ができないと錯覚していた?

結構考えさせられるエントリーで、読んでブコメした後も私の心の中に深く深く刺さってる。

特に" 弱くてちっぽけな僕が、自分を見失わないために。"っていうフレーズが一生懸命あがいている様子が伝わってきて。

それぐらい印象に残ったエントリーだった。おっちゃんは、涙ちょちょぎれるところだったよ。


だけどね、やっぱり大人になると無関係な他人のことも考えなきゃならなくなるのよ。

「お前にとって大切な1人と、お前とは全くの関係のない100人、どちらかだけ助けられるならどちらを助ける?」

世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな - いつから俺ができないと錯覚していた?

大切な1人と、100人の他人どっちを助けるかっていうのは、フィクションだと王道の質問だよね。

でも、事態はそんなに簡単なことじゃない。

魔王が「大切な1人と、100人の他人。どちらかを助けてやる」って言ったとしても、まず、魔王の言葉が嘘じゃないっていう保証がないし、本当にどちらかしか救えないのか?。と疑ってかかることも必要だ。

今度は、医師が大規模なテロに巻き込まれた人々を救助する際「自分の家族と、無関係な人たち。どっちを優先的に助けるか?」っていう命題を与えられたら、怪我の程度にもよるけど必ずしも自分の家族を優先に助けるとは言えないと思う。これは、私は医師じゃないからわからないけど、どうしても家族優先ってことはないんじゃないかと思う。

つまり、ケースバイケースってことじゃないのかな?って思う。



ただ、人間社会が複雑なのは、自分や自分が近しい者の身を守ることは、時に、他人に不利益を与えかねないということ。

そこでどうしても、いさかいが起きてしまう。

国家間で起きれば戦争だし、近所で起きればご近所トラブルってやつですよ。

例えば記憶に新しいこのニュース
www.sankei.com

発端は犬のフンが自宅前におかれていたことだそうですが、自分とその家族が不快に思うことから身を守るために、道をふさいで大多数の無関係な人の道を通るという権利を侵害したわけ。

結局は、お二人は警察に逮捕されてしまったが、それは法律や条例などのルールでお二人の利益を一部制限した結果で、要は公共の福利を優先したに過ぎない。

他にも、煙草を吸いたい人と煙草が嫌いな人。萌えアニメが好きな人と、萌えアニメは海外からも変な目で見られるし子供の教育によくないから滅べばいいのにって思っている人。・・・。

いろいろ、対立することがありますよね。それを調整するのが、公共の福祉という憲法上の考え方。

でも、自分で詳しく説明するの大変だから、このサイトでも見てちょ。

「公共の福祉」の意味
kenpou-jp.norio-de.com


その、公共の福祉の考え方のもとに、実際の法律を作っていくのが選挙で選ばれた国会議員の先生のお仕事なわけです。

すなわち、国会議員の先生方には否応なしに、無関係な他人のことを考えてもらわなくてはならない。そのために、できるだけ多くの人に支持された人が国会議員になるべきで、だからこそ、選挙という制度で議員が選ばれている。これが、民主主義ってものですよ。

ただ、残念なことに国会議員の先生方が全力で無関係な他人のことを考えているかというと、そこはチョット違うと思うんですよ。

国会議員の先生の中には地元の交通インフラの誘致には積極的だけど、安全保障政策には明るくないっていう人が案外少なくないと思いますよ。

だって、安全保障政策で顔が売れるぐらいの政治家になれば別ですけど、そうじゃなかったら票のために少しでも地元に貢献して、地元の発展を願うというは、その地方から選出された国会議員として当たり前の発想だと思うのです。

これには、根強い反対論があって、こないだバイキングでえなり君が、「地域から選ぶんじゃなくて、もっと全国規模の選挙区で投票したらいい」みたいなことをちらっと言ってたような気がしたんだけど、それはそれで万能じゃない。

全国区で当選するのは、TVタレントなどのものすごい知名度がある人か、もしくは全国規模の団体の支援を受けた人じゃないとほぼ不可能。一般人が素晴らしい理想論を演説したところで聞いてもらえない。

実際、当選している人は、タレント並みの知名度がある人じゃなかったら、労働組合だったり、医師会や農業・工業などの業界団体だったり、宗教法人だったりから支援を受けている人ばっかり。

本来、無関係な他人のことを考えるべき政治家だって、結局、自分とその周囲にいる人に支持されているわけだから、無関係な他人に思いを馳せるということは、なかなか難しいよね。

でも、実はそれは決して悪いことではないのかもしれない。

だって、いろんなバックボーンを持った人が集まって議論することで、公共の福祉っていうのは成り立っていると思うから。



けれども、今の日本の政治にはそれをゆがめている一つの制度がある。

それは、党議拘束という。

日本では、政党ごとに政策があって、それぞれの議員はその方針に従って法案に賛成したり反対したりする。

今年の安保法制だって、民主党の中には安保法制の整備は必要だと思っている人がいたとしても、党の方針は与党の安保法制は意見だから反対。と言われれば反対しなくてはならない。
もし、賛成すれば、それは党の方針に反したとして処分されて、場合によっては党を追い出されてしまう。

小泉政権の時の郵政民営化関連法案では、野田聖子さんたちが追い出されて、その直後の解散総選挙では刺客を立てられたし、野田政権時の消費税増税法案の時は、その前の総選挙で国民に”消費税を増税しないと”約束したことを守った、小沢一郎さんが追い出された。

www.nikkei.com


結局は、選挙の時の国民との公約よりも、民主党という党の方針が重要視されたわけですねw。(ゲス顔


確かに、政党は近い考えの人たちの集まりだと言われているが、実際はそんなきれいごとばかりではない。

色々な人との縁だったり、好き嫌いだったり、この党に所属していたほうが選挙に当選しやすいとか、人間的な感情もあるだろうし、ロジカルにいえば、党の方針の○○には賛成だけど、△△はチョット考え方が違うんだよなぁってことは山のようにあるはず。

それを画一的に、自民党だから、民主党だから絶対党の方針に従わなければならないって、おかしくねぇか?。って話。

だから、その党がその党たらしめる政策以外の法案。党内でも賛否が大きく分かれる法案などは、党議拘束をかけずに自由に議員個人個人の考えを反映させてもらえないモノかね。




・・・あれ?

だんだん、話がずれてきてしまった?


そうそう、世界のどこかで死んでいる他人のことなんか考えるな。っていうテーマだったね。

結論としては、自分のことを満足にできるまではそれでいいと思う。でも、少し周りが見えるようになったら、無関係な他人のことも考えてほしいな。っていうのがおっちゃんの意見。


なんか、スゲーまとまりのない記事になってしまった。

こんなクズみたいなエントリーになってしまって恥ずかしいけど、結構な時間をかけて思いを馳せたので悔しいから、掲載しますww。