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11月18日(水)00時
この間のことは絶対忘れたらアカン、反省や。
反省といえば坊主やし、おっさんも、髪の毛を全て剃刀でツルツルにしたった。
初心に戻って気を引きしめるねん。
ツルツルヘッドなって初めて近所のスーパーに買物にいく。
なんか店内でカメラ構えたお兄ちゃんが、商品を指差してポージングしてる人を撮影してる。
「ハイOK!」とか言うてるし、広告の撮影かなあ。
とりあえずおっさんは、カットキャベツと豆乳を買うて、お菓子コナーへGO。
お菓子コーナーへ向かう途中、婦警さんが、おばちゃんと話してるのを目撃。
なんか事件やろか?
ちょっと気になったけど、それよりお菓子買わんとな!
おっさんは、ドカッっと大人買いや。
「このおっさんすっげー!」みたいな感じ、ちびっこの眼差しが熱いで。
夕方で結構混んでるレジ通してちゃちゃっと1枚5円の袋にしまう。
店、出たら、さっきの撮影してた人達に婦警さんとオバチャンも一緒になって出会う。
おっさんと同年代と思うオジサンが、道端に転がった格好でポージングしだした。
え!君はなんで地面に寝転がったんや?
おっさんが不思議がってると、さっきのオバチャンが、寝転がったオジサンの手をねじり上げてポージング!
なんかわかった!
万引きの、現場検証してるんや。
おばちゃんはドヤ顔で、その状況を説明しだした。
テンションがアゲアゲ、終始ニコニコして話してはる。
対照的にオジサンは、なんとも冴えん表情。。。
公衆がぎょうさんおる中で、間抜けなポージングして、うなだれてはる。
そこに颯爽と勝ち誇ったオバチャンが仁王立ち。
そやけど終始ニコニコして得意気なオバチャンみてるとチョット。。。
ボロい身なりからも万引きせなアカンほど切迫してるのが分かるオジサン。
万引きはアカンけども、公衆の面前でここまでする必要あるんかいな。
オジサンの腕をネジリあげて、笑ってポーズとってるオバチャン。
オバチャンも、なんか困って立ちいかんようになったら、人様に迷惑かけることもあると思うで。
そやし、そんな得意気に笑ってオジサンを蔑むような態度はやめとき。
コイツは犯罪者やねんから、そんな配慮いらんとばかりの警官の態度も気にいらんわ。
おっさんは、以前、警察から家宅捜査されて家中ひっくり返された。
しょうむないポージングさせよって写真ぎょうさん撮られて、警察署では指紋、足紋、DNA採取もされた。
おっさんが無実であっても、警察は犯罪者のように扱ってくる。
拒否なんか許されへん。
ほんま個人に向かう権力って恐ろしい。
身をもって体験したわ。
ま、警察のことは、置いといて、
このオバチャンは、良いことしたはずやのに、
なんだかおっさんは、悲しくなって胸がキュっと痛んだわ。
11月18日(水)00時12分|日々の活動
|コメント32
|Λ
多くの言葉であらためてコメントする必要おまへんな。
正義の話と、同苦の話は、時として別室でせなあかんときがあります。
痛みを知っている人はそれができまんな。
ええかっこした言葉で飾らんでええんですわ。
ええ記事、おおきに。
髪の毛を全て剃刀でツルツルになったからって
五老僧にならんといて~って バカボンパパが言ってたよ~
大阪事件のときの、山本伸一と同じような難を、おっさん様は受けていたのですね。すごいです。
あいつ(ら)は、○○だから、どれだけひどい目に合わせてもいい。
こういう差別意識的なことは、見かけてあまりいい気分はしませんね。
最近、ふと考えることがあります、数十年後の将来、元イスラム国兵士の人は、まともに就職出来るのかな。と心配になります。
まあ、多分、石投げられたりするでしょうね。
こんばんわです。
おっさんと捕まったオジサンに、大した違いなんかないと思う。
あっても紙切れ一枚くらい、ほんま微々たるもん。
捕まえたオバチャンも同じやわ。
おっさんに、もうちょっと生命力があったら、一声かけられたと思う。
そしたらこんな悲しい思いはせんでよかった。
ほんま反省。
悔やんでてもしゃーないし、また明日から頑張りま!
いっつも、おおきにです!
こんばんわ!
おっさんが五老僧にみえるんやね。
そんなん、言うのも辛いやろう。
堪忍してや。
こんばんわ!
滅相もないです。
それは大きな誤解してはります!
相手のあることなんで公の場で言えませんが、おっさんのは、あくまで私事で恨みを買って起こったことやし、弘教したが故におこる難とは、全く質が違うんです。
誤解させるような書き方ですいません。
そやけど、永遠の凡夫はんは凄いでんな。
遠い海外の人にまで思いを馳せて同苦しはるんやから。
おっさんなんか、自身の周囲くらいまでしか、なかなか思いをよせられまへん。
心が薄いんやろうな。
もっともっとアチアチな心になるよう頑張ります!
いっつもおおきにです!
※おっさんが無実であっても、警察は犯罪者のように扱ってくる
--
永遠の凡夫さんは、この書き込みでおっちゃんが「冤罪」を受けたと
おもいこんだのではないでしょうか。
こんばんはです。
永遠の凡夫さんにもそうですけど、
おっさんの文書能力が稚拙で誤解させること多々あると思います。
けど堪忍してくださいだす。
ほんでねー、少し言いますと。
虚偽の刑事告訴をろくに審査もせんと警察の要請のままに令状だす裁判所もどうかと思います。
被疑者にされてしまった段階で、人権なんてものは全く考慮されてないと感じますわ。
ほんでこの問題を弁護士に依頼しても無実を証明する手段がないから「無理」って言うてね、受けてくれないし。
そやし冤罪を覚悟したけど、ありえへん偶然が重なって無実が証明できてん。
功徳やろ~。大感謝やねん。
この偶然がなかったら冤罪確定やった。
ほんと権力に対する個の人権なんてゴミでしかないです。
抵抗する手段がなければ、強制的に支配され服従させられるってことを思い知らされました。
てことで、
法の網から落っこちると
無責任な感じのする対応しか出来ない役所、警察、裁判所ってことが分かって勉強なりました。
そんな感じです。
いっつもおおきに!
十分、山本伸一の大阪事件みたいな体験じゃないですか。
功徳で不可能な無実が証明されたんですよね。すごいです。
(負担かけたらあかんよって、時間に無理重ねて返事いりまへんで)
それぞれ皆はんがこの記事読まはって、(まいどでっけど)
「記事のどこに」注目するかが
その人なりをあらわしていて興味深いでんな。
※余談でっせ。
ワシ、最近あんまし創価スレ読んでまへんけど、おっさんさんとこは好きですよってに、読ませてもらってまっさ。
ほんで、「キャラ変えたんかいな」と思わはる人いるかもしれまへんけど、
こういう一面もワシだす。
関西以外に「解読」でけん表現使いまっけど、ええんです。
関西人のおっさんと会話しとるんやさかい、おっさんさんだけにわかればええんだす。
たまに寄らせてもらいまっさ。関西のよしみだす。
相手しとくれやす(笑)
あ、そうそう。
電車の痴漢(これ自体は卑劣でっせ)も、冤罪が多いっちゅー記事読みましたで。
いろんな意味で、警察ちゅーのは検挙率の数字もあるんは確かでんのや。
親告罪の類いであっても、認めさす方向にもってゆくことが多いでんな。
これは被疑者の社会的損失が多すぎて、面倒な手続き自体を避けて、さっさと認めたほうが楽やて、回避する傾向があるらしいんですわ。
拘留の48時間、さらには7日間の凄まじさは相当なもんで、
何もわからん人はそれだけで滅入ってしまはります。
取調べの可視化も進んでまっけど、そう簡単に解決しまへん。
交通違反の類も、否認したくても面倒な簡裁行き回避するのが殆どでっしゃろ?
この国は係争(裁判)自体にネガティブな印象があって、ほんで時間もかかりすぎまんな。
閑話休題----
記事中のおばはんのドヤ顔、気分わるいでんな。
おばはん自体、なんも悪いことしてへんの分かりまっけど。
せやけど… ですわ。
ワシにはできまへん。
冤罪の問題と混同したらあかんのやけど、これかてほんまのところはワシらにはわかりまへん。ああだこうだと評論してもしやぁない話でっけど、
記事読んで言える事は、
「おばはん、もう そこらへんにしとけ」
…ですわ。
ワシの言うてることは、ワシだけの意見だす。誰に賛同も要りまへん。
正しいとも思てまへん。
ほな、また。
※ほんと権力に対する個の人権なんてゴミでしかないです。
抵抗する手段がなければ、強制的に支配され服従させられるって
ことを思い知らされました。
---
民事とちがって、警察は告訴(相手からの訴え)を受理すれば、捜査を
しなくてはいけないことになっています。
おっちゃんが言うように「相手」があって、不実の罪をかぶせられたの
であれば、警察に対して恨み言を書くのは少々的外れではないでしょうか。
別件での「万引き」の実況見分を見て、その当時の嫌な思いがふつふつと
涌いたのは解りますが、もしおっちゃんが警察官で同じ状況になったのなら
同じように仕事をされるでしょう(笑い)
永遠の凡夫さんのコメントを御覧になれば、なんとなく解るとおもいますけれど
「権力の横暴に勝った」というニュアンスをもたせると、おっちゃんを「ヒーロー」
にしたがる興味深い人が時々現れます。
そういった人からすれば、「池田先生とほとんど同じ」というような、いささか
おっちゃんにとって重荷となる付加価値をつけられて祭り上げられてしまいます。
当のおっちゃんは、
「弘教したが故におこる難とは、全く質が違うんです」と明言されていますよね。
さすが関西の方です。
大阪事件の本質は、国民として保障された「政治運動」の最中に、一会員が(それも応援で入ってきた人)起こした不祥事を、検察(≠警察)が拡大解釈し無実の罪を池田室長(に
かぶせたものだといえるでしょう。
>おっちゃんが言うように「相手」があって
>不実の罪をかぶせられたのであれば
>警察に対して恨み言を書くのは少々的外れではないでしょうか。
「“的外れ”・・ではない」と思いますよ
誰とは書きませんが とあるジャーナリストさんだって
民事訴訟(しかも本人が被告だ)において 最高裁で負けた途端
(裁判官が)身内をかばっているだの
(裁判官が)証拠を取り違えただの・・・と
民事と刑事の違いがあるとはいえ 状況としては
関西のおっちゃんと変わらない内容を web上で つい書いてしまうんですから・・・
あべひさんへ
〉民事とちがって、警察は(略)
現状がこうだからしょうがない。黙って受け入れろ。
と言っているように聞こえるのですが、気のせいですか?
司法制度を改革しよう。という気概は無いのですか?
そういうのは、新人間革命とかに書いてある。池田先生の嫌いな考えですよね?
行政・立法・司法の三権分立も、結局は人間のやることだから、その根本の人間を作る教育を大事にしなければいけない。
と、最近先生は「教育」を加えて四権分立を訴え始めましたよね。
それでも、司法制度改革の教育を広めようとするのはおかしなことですか?
(そもそも池田大作は間違ってる。だから言ってることも間違ってる。という人ならしょうがないですが)
ecoさんへ
やっぱり、人を憎むのは良くありません。
制度を憎み、職業のルールを憎む場合は、法律を変えるなどして変革出来る訳です。
しかし、その職業の人、その国の人、その民族の人、そしてその宗教の人、と一括りにして、固定のイメージを持ち、憎むのは、それはただの差別です。やってはいけないことだと思います。
「悪い兵士なんてものはいない
悪い軍律があるだけだ」
の精神が大事な気がします
>>現状がこうだからしょうがない。黙って受け入れろ。
>>・・・と言っているように聞こえるのですが、気のせいですか?
>>司法制度を改革しよう。という気概は無いのですか?
そうですね~ 何のために 大学には 法学部が設けられているのでしょう
本来なら 現状打破や向上の為に 設けられていたシステムなのに
結局は 学んでも 学んでも 学んだ人が
支配や名聞名利や自己の保身の糧にしか 学問が発揮されていないのが現状で
いつまでたっても 進化しないわけですね (遠い目)
ちなみに公明党の党首 山口那津男さんは
東大の法学部を出たあと 最初は弁護士になったわけですが
弁護士を行っていく中に
「司法に頼ってよりよい環境を作る事」に限界を感じたらしく
それなら自ら立法の立場に立って改革し「よりよい環境を整えよう」
・・と言う決意で 国会議員になった・・と講演していましたけれどね~
2007年頃の話です。
>>「悪い兵士なんてものはいない 悪い軍律があるだけだ」
>>の精神が大事な気がします
そうですね その言葉は 新宿の組織では地区部長の役職について
中央では言論部長の役職についているライターさんにも当てはまりますね
彼のツィッターや web記事を読むと 早稲田の法学部を出ているくせに
丸正事件の判例を忘れて ロバートさんの杵柄に取り憑かれて
ひとつの型に強引にあて嵌めるような 人格攻撃ばかりやっていたり
相手を見下していたり いつまでたっても
愚痴や恨み言や中傷や抽象的な事ばかり並べた
ゼロサム的な 芸のない文章ばかり書いていたら こんな結果に
⇒http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1292818000/265-268
いやはや 東大の法学部出身の 山口那津男党首と比べても
境涯に対して 雲泥の差を感じる今日この頃です (お茶)
このコメントは管理人のみ閲覧できます
※そういうのは、新人間革命とかに書いてある。池田先生の嫌いな考えですよね?
--
たとえば、大阪事件の時の抄の、どこに「(取り調べた)警察官は感じが悪い」等々
書いているでしょうか。
ないですよね。
//
※気のせいですか?
--
貴方の境涯がそのように読んだのでしょう。
///
※司法制度を改革しよう。という気概は無いのですか
--
具体的にどうぞ。
おっちゃんと拙の対話の中に「司法制度をかえねば~」という話題でも
あったのなら話はちがってきますが、これでは全く意味が分かりません。
ちなみに(自称内部)アンチ学会、アンチ日蓮のecoちゃんが、久遠の凡夫さんと
意思疎通を図りたがっているようなのでご注意ください。
>>たとえば、大阪事件の時の抄の、どこに
>>「(取り調べた)警察官は感じが悪い」等々 書いているでしょうか。
たしかに 大阪の章では 一会員が起こした問題も書かれていたり
トップに立つ発言による「言葉の捉え方等々」の問題など言及されていましたが
同時に話の構成では 牢獄にぶち込められた 本人と携わった 一会員の心理状態などから話が始まり
次に 大本教の事件 及び 国家が起こした その背景
さらに牧口先生が取り調べた状況 及び 警察官の心理性へと文章が構成されていて
そいういった意味では 警察官に対する
「恨み言」をしっかりと書いているようにも読めますよ(棒読み)
>>おっちゃんと拙の対話の中に「司法制度をかえねば~」という話題でも
>>あったのなら話はちがってきますが、これでは全く意味が分かりません。
あなた自身 前のコメントを読むと 現場の言い訳に終始し
司法側の誤審に対する責任は ひとつも書かれておらず
「不実の罪をかぶせられたのであれば、
警察に対して恨み言を書くのは少々的外れだ」等と居直り
関西のおじさんに対して 誤審をして何が悪い
黙って無実の罪を受け入れろ・・といわんばかりの 承認要求をしっかりと書いていますけれどね
警察の目は 常に正しいんですか?
あまりにも無責任なコメントです。(棒読み)
日蓮大聖人様だって 幕府の誤審によって女犯という汚名を着せられ
その汚名が消えないまま伊豆に流され
一般からは幕府と信平みたいな女性の意見を酔いしれて
「花和尚」
「エロ坊主」
「女性の敵」
「ハゲのセクハラオヤジ」 ・・・・等と低い目でみられ
一閻浮大の仇花となり
それ等が蓄積した愚痴等が
「四恩抄」や「千日尼等への恋文」にも残し・・・
アアアァァ( °∀°)ァァアアア そういえば
後に・・・ “ 新 田 郷 阿 闍 梨 日 目 上 人 ”が
「テロリストの汚名」を含む その「仇花」を見事に撃って それ等の汚名返上に努め
後の信者が 「お詫びばかりの人生」を歩まないような
ちゃんとした「貸し」を作っていましたっけ
そんな背景があったのにも関わらず 創価の幹部は恩を忘れて
御祈念から削除するうたを 信者にうたわせ
感謝の心を忘れさせようと誘導して どっちがアンチなんだか・・・(お茶)
そうだ 18番目のコメントで書いていた「一閻浮提」に関して・・・
(いつの間にか「一閻浮大」とか書いてしまったが
漢字のミスは勘弁してくれ)
ちよさんのお友達が 御観念文の変更に関して
「一閻浮提の解釈」を取り違えたままブログに書き おかしな賞賛をしていたので
この場を借りて反論と申しますか 質問をいたしますが
wikiにて「閻浮提」を調べてみると 閻浮提の意味自体が
「世界観における人間が住む大陸。」と書かれており
いわば教育を含む概念を指しているようにも捉えられるし
大聖人の言葉を借りれば「主師親の三徳」にも捉えることが可能なので
従って 「一往」は「令法久住」の意味も含まれますが
「再往」は「広宣流布」を指すんじゃないでしょうか?
間違っても「大石寺ばかりを指したものではない。」とは思いますが
皆様は「一閻浮提」を どのように捉えて解釈をしていたのでしょうか?
あえて、ecoさんも、あべひさんも、両方を敵に回すような、暴論じみたことを言うと、
他人の勤行に、とやかく文句つけると、場合によっては、謗法の罰あるんじゃないですか?
例えば、こんな人がいたとします。
俺は毎日一時間唱題してる。だからおまえも必ず一時間やれ。やらなかったら許さん。
俺はちゃんと読経も御祈念もやってる。おまえは仕事が忙しいとか言い訳して、唱題しかしてない。何が何でも絶対やれ。
これどう思います?
勤行って、自分がこうやってるからって、相手も事細かく同じにやれ。って強制するのは、大聖人の本意ですかね?
あと、一閻浮提に関してですが、ぶっとび過ぎて誰にも共感されず、
下手すれば、学会の教学部を、敵に回すかもしれませんが(笑)
「全宇宙の、人類や生命が暮らす星々」と捉えていました。
だから、この前ので、壮大で素晴らしい「一閻浮提広宣流布」が、狭く小さい「世界広布」に変わったときは、激しい憤りを感じました。
85年後までに、宇宙広布に書き換えてやりたい。と思いました。
(追伸です)
ということなので、私は、他の皆様が、御祈念の最後のときに、世界の平和と(略)と祈るのは、別に止めません(笑)
ただ、自分は、全一閻浮提の、全ての一切衆生(人類だけでなく、微生物など全生命)の平和と幸福のためを祈って、宇宙の彼方まで届け。の一念で三遍のお題目をしてます。
あと、最近、新・人間革命で「勝利島」がありましたが、実は、地球自体が離島だったんですね。
新・人間革命に書いてありました。
戸田先生は、よく『来世は、どこの星に生まれるのかな。大聖人から、あの星へ行って広宣流布をしなさいと言われたら、そこに生まれ、また、創価学会をつくる』と言われていた。同志と離れ離れになるのは寂しいでしょうが、所詮、地球という小さな星の、日本という小島でのことではないですか。
仏法の眼を開いて、戸田先生のような、大きな心、大きな境涯で進んでいくんです」
新・人間革命26巻「福光」の章より
「まァ、聞きなさい。人間誰でもいつか死ぬものだ。私は死んだら、大聖人のところへ還って御挨拶する。そこで、叱られるのか褒められるのかはわからんが、7日たてばまた戻ってくる。もっとも、宇宙には地球のような星がたくさんあるから、大聖人にどこかの星で広宣流布せよ、と言われれば、そこに生まれることになるだろう。ともかく7日間は、私の遺骸は焼かずに、そのままにしておきなさい。みんな、私の死相をよく見ておくのだ。ほんとうの成仏の相とはどういうものか教えておきたいのだよ」
人間革命12巻「寂光」の章より
既に宿坊板でも一回書いたのですが
⇒http://megalodon.jp/2015-1124-1629-36/6027.teacup.com/situation/bbs/34314
ここでも 絶版の書物に掲載されていた
戸田先生が講義した御祈念に関する内容を掲載します。
その内容をよぉ~~く読んでみてください
御観念文に関しては 特に 杓子定規的な規定がないことが解ります。
--------------------------------------------------------------------
『御観念文について(御観念とは)』
「観念」とは“ 自分の心に念じて御本尊に申し上げる事。”・・・であります。
「題目をあげながら、いろいろ考えが出てくるのですが、いいでしょうか?」・・と聞く人がいますが
「悪い」と言っても、出てくるものは仕様がない【しょうがない】でしょう。
また「止めろ!」というわけにもいかないでしょう。
しかし・・・
“ 御 観 念 文 を 行 う 時 は 気 を つ け な け れ ば な ら な い。”
・・のであります。
「彼はとんでもない人だ!」等と思いながら御観念をいたしますと
「とんでもない人だ」・・と言うことを(御本尊様に)御観念申し上げる事になってしまいます。
「あいつ!後でぶん殴ってやろう」等と思っていると・・・
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
ソレが(あなたが御本尊様に対して祈る)御観念文になってしまいます。
口では・・・
「本門寿量品の肝心 文底秘沈の大法・・」とやっていて、心の中では「別の事」を考えていれば
(注釈:1991年までのご祈念文)
その・・・
“( 心の中で別の事を )考 え て い る こ と の 方 が
御 観 念 文 に な っ て し ま う ”ので あります。
「口で言ってる方」が御観念文になるのではありません。
-和光社発行(昭和45年 第44版)講述者 戸田城聖「方便・寿量品講義」 P.180より
------------------------------------------------------------------
つまり、御祈念に関しては
「こうしなければならない」・・という杓子定規的な規定もないし
ご観念の文や仕方も自由だけれど
それでも 御観念の行為そのものが
自分の心に念じて御本尊に申し上げる事なので
従って 御祈念を設定する人にしても 祈る人にしても
(御本尊の前では)その人の悪い命やずる賢い姿勢やリテラシー等
嫌顔でもご本尊の前では すべてが裸の状態にされて、露呈してしまい
その祈りに応じて裁かれてしまう事が
遠まわしな形で述べられていることがわかりますね。
各々、この点に留意していただければ
何故?今回の変更に関して納得ができないのか? …が 解るかと思われます。
要は(改訂を推奨した人の)リテラシー(認識)や
アディチュード(姿勢)に対する温度差と
また権威ある人(上から)支持を 簡単に納得してしまう
学会員たちの認識に対する温度差や 空虚や惰性ぶりに 怒りを感じているですよ
もっとも こちらが怒っても あいつらは 罰が出て後悔するまで治らない様子だから
(下手したら「死んで」わかるのかもね)言ってもしょうがない一面もあるんだけれど
それでも 本音を示せば「罰が出てきてからでは 遅いんだよ!」・・という
そんなジレンマや焦り等もあるわけです。
ヘタをすれば(黙っていれば)「総罰」というトバチリを喰らって
あいつらの尻を拭わなければならなくなるわけですから・・・
尚、この点に関しては わたくしばかりではなく
あなたも あべひも みなさんも 総罰を食らう可能性もあるわけで
そのことは 一人のみならず 巻き込まれて 全員が阿鼻地獄へと
顕謗法抄にしっかりと書かれていませんでしたか?
【参考】⇒http://6027.teacup.com/situation/bbs/34308
(蓮盛抄は主に禅宗の破折をかいた内容ですが
禅の部分を創価の幹部に置き換えれば そっくりだと言うことが解ります。)
くどいようですが もう一度書きます
(御観念文に関する)杓子定規的な規定はありません。
ありませんが、御本尊の前では 御祈念に関して嘘はつけません。
>>一閻浮提に関してですが、ぶっとび過ぎて誰にも共感されず、
>>下手すれば、学会の教学部を、敵に回すかもしれませんが(笑)
>>「全宇宙の、人類や生命が暮らす星々」と捉えていました。
その考えでよろしいんじゃないでしょうか?
信心に対する同じようなリテラシー(認識)を家に対して求められても
「そうですね」としか言いようがありません。
但し それでも 下記リンクのブログの方のように
一閻浮提総与=大石寺と認識していて
信心のリテラシーそのものが低下している人もいます。
http://megalodon.jp/2015-1124-1635-18/sokafree.exblog.jp/25098630/
御祈念の仕方、順序、流れは必要不可欠です。
朝晩、各個人で独りで勤行・唱題を行っている
だけで、他の方と一緒に勤行をすることはない
と言われる方は、
(1)世界の平和と一切衆生の幸福を願う。
(2)自身が「南無妙法蓮華経」を知り、受持つことが
でききるようになったことへの感謝。
(3)「(1)、(2)」を今こうして出来ているのは誰のためか。
そのことへの報恩感謝。
が、ご祈念に含まれてさえいれば、
「自他ともの幸福」という菩薩行の肝心と、
「主師親の三徳への報恩」という、師弟の誓願に
連なることができるからです。
しかし、学会員は、健康上の理由や高齢による
活動の自粛等がない限り、様々な会合や集会で、
何人かの方たちと一緒に勤行・唱題の機会は
日常的に多いものです。
出来る限り朝晩の勤行は、家族揃って一緒に
行っているという方も多いことでしょう。
そういう時に、皆バラバラで統率されない勤行に
なってしまっては、お互いに気になって集中できない
ですね。
尚、仏教上の「世界」は、地球上に限られる
ものではありません。
同じく「一切衆生」は、全ての「人間」に限られる
ものでもありません。
世界広宣流布を推奨するにあたり
「一閻浮提総与」というコトバが、海外の言語に訳されるとどうなるか。
しっかり認識されているのかという問題があるように思います。
また御書には「一丈のほりをこえぬ・・」
「一丈の堀を越えざる者」(頼基陳情」という御金言にもあるように、
一閻浮提の語彙に「全宇宙」という意味合いがあったとしても、御祈念文の中で世界広布を創価学会員として祈っていくことは、なんら不具合があるとは感じられません。
福島の壮年さん
確かに、会合でみんなバラバラに勤行やったら、滅茶苦茶になってしまいますね(笑)
そこは(導師に)合わせないといけませんね
だけど今でも、四番目でしたっけ? 個人の御祈念のところで、長かったり短かったりで、間合いが合わなかったりします(笑)
あべひさん
そこは、ともすれば凡夫は、日本(自分の国)さえ良ければいい。と陥ってしまいがちだからこそ。
そうじゃないんだよ。世界なんだよ。という意味で言ってるんだと思います。
こういう話題でよく出てくる、立正安国論の四表の静謐ですが、
この四表は、地球だけではなく、ノーベル物理学賞とかで出てくるような、宇宙の何かのことなんじゃないか。と薄々思ってます。
ecoさん
「正しい怨嫉」だろうが、そうじゃなかろうが、「怨嫉」はやめたほうがいいですよ。功徳がなくなりますよ。
いつかみんなが総罰受けるとか、そんな悠長なことを言ってる間に、ecoさん自身が罰を受けてしまうのでは。と、それが心配になりました。
何があっても
「勉強させてくれてありがとう。鍛えさせてくれてありがとう」ですよ(笑)
>>福島の壮年さん
確かに、統一した指標はひつようだとは思われますが
但し 例の戸田先生の講義では 建前では綺麗事を並べても
御本尊の前では嘘がつけない・・と言うことを きちんと述べられていること・・と
例え 統一したテキストを作っても 御本尊と合意形成がなされていなければ
それこそ・・・
「船頭のはかり事わるければ 一同に船中諸人損じ
又、身つよき人も心かひなければ 多くの能も無用」と
この2点に関しては留意する必要があるかと思われます。
>>あべひさん
そういえば その一説 雨乞い対決の奴を描写した内容でしたっけ
確か 極楽寺の良観は どこかの幹部がやっている唱題会のように
力んで てんぱって 全身で7日間祈っても 日照り続きで効果が出ず
一方 大聖人様は?・・というと さほど力を入れたり 全身で祈らず
女子部のような さわやかな題目一発で雨が降って・・・
面白いものですね~
>>永遠の凡夫さん
相変わらず あべひちゃんの毒に染まっているような・・
それは ともかく 罰もなにも 世界中を見渡せば
既に 別罰・冥罰・顕罰が出始めているのが 現実の話であって
話を聞くたびに心痛む今日この頃で 心配されても
それこそ 開目抄(下)に書かれていた 下記の文なんですけれどね~
「妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん
多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか
仏道のために・はなれしか いつも同じわかれなるべし」
ecoさんへ
〉例え 統一したテキストを作っても 御本尊と合意形成がなされていなければ
「心こそ大切」ですからね
でしたら、勤行テキストに、日目上人やら一閻浮提の御本尊やら書いてあっても、本人がそう思ってなかったら、意味が無いですよね。
だったら、本人が「素直な信心」が出来るように、シンプルな勤行にまとめたほうが、いいと思いませんか?
ecoさんが、日目上人を偉大だと思うのなら、それを学会教学部への(あいつらがこうしてれば、の)愚痴とせず、
ecoさん自身が、目の前の一人一人に報恩感謝を語って言ってはいかがですか?
別に、御祈念の報恩感謝で、四条金吾や南条時光らへの報恩感謝はしてはいけないとかありませんし。
私が、逆風の中、宇宙広布を語るように
私は、聖教新聞に、宇宙広布って言え。とか言ったりしてませんよ(笑)
〉世界中を見渡せば
既に 別罰・冥罰・顕罰が出始めているのが 現実の話であって
ecoさんには火と見えるんですね
私には甘露に見えます
ecoさんには衆生見劫尽 大火所焼時と見えているのでしょうか
私には我此土安穏 衆生所遊楽に見えます
「大事には 小瑞(しょうずい)なし
大悪をこれば 大善きたる すでに大謗法 国にあり
大正法 必ずひろまるべし 各各 なにをか なげかせ給うべき
迦葉尊者に あらずとも まいをも まいぬべし
舎利弗に あらねども 立つてをどりぬべし
上行菩薩の 大地より いで給いしには
をどりてこそ いで給いしか」
(大悪大善御書1300ページ)
こんな瑞相が起こったら、世界広布は絶対弘まっちゃうじゃないですか。
こんな楽しいことありませんよ。
SGIメンバーみたいに、踊って歓迎しましょう
>>「心こそ大切」ですからね
>>でしたら、勤行テキストに、日目上人やら
>>一閻浮提の御本尊やら書いてあっても
>>本人がそう思ってなかったら、意味が無いですよね。
>>だったら、本人が「素直な信心」が出来るように
>>シンプルな勤行にまとめたほうが、いいと思いませんか?
思いません。 飛躍しすぎです。
また「まとめる」なぁ~んて発想自体 横着な命も読めますし
「一括り」にして同列に見ているのですから
「相手に対する軽率さ」も こちらとしては感じられますけれどね~
しかも 何故?日目上人を削除することが「素直な信心」へと結びつくのか?
そのプロセスが不明瞭で 理解ができません
また あなたが まとめるのが合理的で 素直な信心ができると考えるのなら
沖浦さんじゃないけれど
いっその事 日興上人の項目も削除したほうが合理的ですよ
何故?削除できなかったのでしょう
さらに 「心こそ大切」なら
尚更、日目上人への報恩感謝は必要だと思うのですが
あなたの認識だと日目上人の価値は
日蓮正宗の代々の法主と同レベルの価値にしか映っていないようですね
そのくせ 合理的に考えている筈で 日蓮大聖人以外は
ただの凡夫のくせに (厳密に言えば 日興上人を含め 三宝の三番目 僧です)
何故か 3代会長への報恩感謝は しっかりと残していて
報恩感謝を要求し「特別視」をしている点
こんな 偏向的な要素がある詭弁ばかり並べた御観念文で
果たして 他の信者が素直に受け止められるのか? 甚だ 疑問ですね
牧口・戸田・池田の会長への報恩感謝は忘恩になるから義務
日目は命懸けで池田先生と同じように 法を整備し
そして、途中で命尽きたものの 天皇に対し諌業しに京都へ出向き
また 同じ頃 親族が鎌倉幕府を滅ぼす偉業まで行ったのに
北条会長以下と同列扱い??
池田先生と日目上人と 如何違うのか 私は理解ができませんね
天秤にかけても 創価三代と同じことをやっていたのが
日目上人だと思えるのですが 如何 違うのか こちらこそ
その「違い」を伺いたいところです。
仮に あなた自身が日目上人の偉大さを存じていても(認識していても)
それは今だけの話だし あなただけの認識にしか過ぎないので
後世の子供たちの認識に関しては皆目見当もつかず
まして 日目上人に対する感謝を端折って 存在そのものを薄くしているわけですから
(焚書坑儒をしているわけですから)
従って 後世の子供たちは日目上人の偉業を認識どころか
下手したら「何故感謝しなければいけないのか?」
・・という疑問すら抱かなくなるわけで その無知につけこんで
歪曲した歴史情報を流された場合
もしかしたら日顕と日目を同列に考える子供が出てくるかもしれませんね~
日蓮大聖人様も「死魔」という形で 伝言ゲームの原理性や恐ろしさを説いているのですが
この点を見落としていませんか?
>ecoさんには衆生見劫尽 大火所焼時と見えているのでしょうか
>私には我此土安穏 衆生所遊楽に見えます
>-大悪大善御書は省略-
>こんな瑞相が起こったら、世界広布は絶対弘まっちゃうじゃないですか。
>こんな楽しいことありませんよ。
>SGIメンバーみたいに、踊って歓迎しましょう
なに?ラリった事を書いているんだよ
情弱の要素も否めないんだけれど
単なる現実逃避が混じった 希望的観測の混じった詭弁か
電波にしか聞こえないよ 酔っ払っているの?
もっとも 心理的に対照的な刺激を受けているので
大悪大善御書のようなものを読むと、
「溺れる者は藁をもつかんで、結局は溺れてしまう」
知覚コントラストによってトリップが発生しやすく ラリるようだけれどね~
それはともかく、その大善は何時来るのでしょうか?
また、そのプロセスは?
浅井の「小田原地震」と同じような 何時になるのかはっきりしない
不明瞭な事ばかりならべられても 無責任な発言にしか聞こえないし
あなたの話を聞いていたら
「主人咲み止めて曰く辛きことを蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る。」
・・の「あの言葉」を思い出してしまいますね
こちらが振った内容だったにせよ この論議
元々は 永遠の凡夫さんは 2015年11月23日(月)21時32分30秒のログにて
「他人の勤行に、とやかく文句つけると
場合によっては、謗法の罰あるんじゃないですか?」
・・と 抽象的な「脅し」を書いた処から始まっていますよね
だから 根拠となる資料を用いて 規定はないけれど
心こそ大切なれと言う趣旨で「謗法ではなく」
その認識を見誤る点こそ「謗法」じゃないのか?・・と言う趣旨を書いたわけですが
ところが その回答に対し噛み付いて 難癖というか
屁理屈をこねて 意味不明な文句を言って 干渉し
「神学論争」へ発展させているのが 永遠の凡夫さんで
結局は「他人の勤行」に対し いちゃもんをつけている状態なんじゃないのか?・・と
・・・ということは 永遠の凡夫さん自身 場合によっては
謗法の罰が出てくる可能性も否めないわけですが・・・汗
ま・・・ それでも あなた自身が「罰に怯えていない」のであれば
ホウボウを犯そうが どうだろうが そんなの関係がないわな(お茶)
ecoさんへ
良かったですね。おめでとうございます。
戸田先生が、汚れたホースに水を流すと、最初は汚い水が流れ出すの話みたいですね。
今までのecoさんの、悪い命が、縁に触れて吐き出され始めました。これでecoさんの命は徐々にきれいになっていくでしょうね。良かった良かった。
ecoさんには、私がどう見えているかわかりませんが、
もしかすると、精神がおかしい人か、自分を仏にでもなったつもりの、慢心の偽善者に見えているかもしれません。
不軽菩薩さんという人も、周囲のお坊さん達に、そう思われたそうです。大変ですね。
ただ、私にはecoさんは、胸中に仏性を持ち、自行化他の菩薩行をすることで成仏する人に見えますよ。
もし、ecoさんが、自分だけ良ければいいの、私利私欲の人だったら、こんな必死になって勤行のことで熱く叫んだりしないからです。
自分だけ良ければいい人なら、自分だけ正しいと思う勤行をやり。他人がどうなろうが知ったこと無いからです。
だから、ecoさんの仏性が叫んでいるのです。私はそれを感じます。
でしたら
現状の「誰かのせいで、私が不幸に。」の環境に流される命を卒業して
「私がみんなを幸せにする」に軸を置き換え
「まず目の前の一人を救う」を実行するといいです
(もし具体例をあげるならば
その目の前の、永遠の凡夫とかいう無明の凡夫の一人とかを、)
誰でもなく私が救う。やるからには必ず救ってみせる。という一念で
「祈り、考え、行動」してみてください
もしかすると、それで、相手が思い通りの結果にならない場合もあります。
それは相手の気根のせいなので、関係ありません。
「聞法下種」と「発心下種」は功徳が同じ。です。
結果がどうあれ、必死にがんばったなら、必ず御本尊様が喜びます。功徳があります
だから全力でがんばってみてください
私も、ecoさんやあべひさんや他の皆様に、目覚めて、幸せになって欲しいので、がんばります。
大聖人様は御書で、
「どんな人でも、幸せになれる」
「どんな世界でも、平和になる」
と、御指導なさっていませんでしたっけ?
私が知らないだけで、
「おまえは悪業ありすぎだから、今世で成仏なんて不可能。せいぜい来世で、まともな人生に生まれるんだな」とか
「祈って世界が変わる訳ねーだろ。世界の時流に合わせて、なんとなく無難に生きていくしか無いんだよ。せいぜいがんばれ」
とかの指導をなさったりしていたのでしょうか?
もし、そんなことは無いなら
「絶対幸せになる」
「絶対平和になる」
の一念で、御本尊様に向かわなければ、御本尊不信なのでは無いですか?
功徳福運が消えるどころか、下手すれば罰まで当たる謗法にすらなりませんか?
これは、とてもすごい御本尊様だ
絶対に幸せになる
絶対に平和になる
と心の奥から信じ切って、
仏と向かい合うからには、極力自身の生命を仏の命に近づけて、
お題目を唱えるのが正しい気がしますが、違うのでしょうか?
ecoさんには、
この疑問に、納得のいく回答を教示していただくか
もしくは、人間革命して、真の仏道に目覚めていただけると
嬉しいです
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