「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(原題: Charlie Wilson's War)は、2007年公開のアメリカの社会派コメディ&ドラマ映画です。2003年に発売されベストセラーとなったジョージ・クライルによる同名のノンフィクションを原作とし、マイク・ニコルズ監督、トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスらの出演で、テキサス州選出の下院議員チャールズ・ウィルソンが、1980年代にCIAの諜報員と共にソビエト連邦による侵攻の脅威からアフガニスタンを救う為に奮闘する様をユーモアを交えて描いています。第80回アカデミー賞で、フィリップ・シーモア・ホフマンが助演男優賞にノミネートされた作品です。
「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」のDVD(Amazon)
監督:マイク・ニコルズ
脚本:アーロン・ソーキン
原作:ジョージ・クライル
出演:トム・ハンクス(チャーリー・ウィルソン)
ジュリア・ロバーツ(ジョアン・ヘリング)
フィリップ・シーモア・ホフマン(ガスト・アヴラコトス)
エイミー・アダムス(ボニー・バック)
ネッド・ビーティ(ドク・ロング)
エミリー・ブラント(ジェイン・リドル)
ほか
【あらすじ】
アメリカとソ連の冷戦状態が続き、ソ連が隣国のアフガニスタンへ侵攻した翌年の1980年。テキサス州選出の美女とお酒をこよなく愛するお気楽な下院議員チャーリー・ウィルソン(トム・ハンクス)は、「チャーリーズ・エンジェル」と呼ばれるストリッパーたちとジョグジーを満喫していました。根が優しくおおらかな性格で周囲の人々から愛される彼は、アフガニスタン難民たちの悲惨な姿のニュース映像を目にして義憤にかられます。アフガニスタン支援に充てている国防委員会の義援金がわずか500万ドルと知ったチャーリーは、それを倍額にするよう指示します。そんなチャーリーに、反共産主義でテキサスの富豪であるジョアン(ジュリア・ロバーツ)が目をつけ、パキスタンに行くことを薦めます。ジョアンの指示で、パキスタンの大統領と面会したチャーリーは、ソ連と対抗するためにはアメリカ政府からの支援が不可欠なことを改めて認識します。CIAのはみだし局員であるガスト(フィリップ・シーモア・ホフマン)と接触したチャーリーは、大国ソ連を相手に二の足を踏む政府を横目に、パキスタン、イスラエル、エジプトといった近隣諸国も巻き込んで、アフガニスタンへの武器弾薬を密輸で調達するという前代未聞の計画を押し進めます・・・。
アメリカのアフガニスタン軍事支援におけるチャールズ・ウイルソン議員の活躍を、トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスという豪華キャストで、わかりやすく、ユーモアを交えて、楽しめるように描いた映画です。実在したチャールズ・ウイルソン議員は「グッドタイム・チャーリー」と呼ばれ、パーティー好きで陽気な人柄で、プレーボーイ的なイメージもありましたが、これをトム・ハンクスが好演しています。アメリカの好感度ナンバー1 俳優ですが、こうした憎めない役柄を演ずるのに彼の右に出る人はいません。軍事支援の是非にはついては議論の余地があるかもしれませんが、歴史をわかりやすく伝えるには巧みなアプローチではないかと思います。
アフガニスタンへの軍事支援により、ソ連経済の停滞、ソ連軍の撤退、ベルリンの壁崩壊、冷戦の終焉、ソ連の崩壊といった一連の歴史的変局点の契機を作ったことがチャールズ・ウイルソン議員の最大の功績でしょう。ソ連のアフニスタン撤退を決定づけた影の功労者として、CIAはそれまでCIA要員にしか贈ったことのなかった功労賞を、初めて文民の彼に授与しています。 一方、彼が支持し、CIAから何百万ドル単位の支援を受けたアフガニスタンの軍閥が、国際テロ組織アルカイダ等とのつながりをもつ危険なイスラム原理主義者となったことは、後に批判の対象になりました。この点に関して、映画は、結果は時が示すが、学校を作る等、アフガニスタンの経済復興を面倒みずに、軍事支援だけして去ってしまったことを悔いとして示しています。
ガスト:14歳の誕生日に少年は馬をもらった。村人達も喜んでくれたが、禅の師匠は「いずれ、わかる」と言った。2年後、少年は落馬して骨折、村人達は悲しんだ。師匠は「いずれ、わかる」と言った。やがて戦争、骨折した少年は徴兵を免除され、村人達は喜んだ。
チャーリー:師匠は「いずれ、わかる」と言った。
チャーリー:我々は理想と共に介入し、世界を変え、立ち去る。去ってしまうんだ。でも、ボールは弾み続ける。
出席者A:つまり?
チャーリー:止まらない。
議長:今は東欧諸国の再編が先だろう?
チャーリー:10億の予算を費やした。たった100万だ。学校を作ろう。
議長:パキスタンの学校など、無意味だ。
チャーリー:アフガニスタンだ。
These things happened. They ware glorious and they changed the world... and the we fxxked up the end game. Charlie WIlson
これは本当の物語だ。輝かしい成果で世界を変えた・・・。 でも最後でしくじってしまった。 チャーリー・ウィルソン
チャーリー・ウィルソンは、映画公開の三年後の2010年、テキサス州の病院で心不全のため、76歳で亡くなりました。
1979年、ソ連のブレジネフ政権が親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻させました。イスラム原理主義系のゲリラ組織がこれに激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化、失敗に終わりました。ソ連が侵攻した理由は、
- アフガニスタンのアミン軍事政権が独裁化し、ソ連系の共産主義者排除を図ったことへの危機感
- 隣国でイラン革命が勃発、イスラム民族運動が活発化し、アフガニスタンにイスラム政権が成立すると、他のソ連邦内のイスラム系諸民族にソ連からの離脱運動が強まるという危惧
とされています。
アフガニスタン侵攻の影響について
アメリカはソ連の武力侵攻を批判し、経済制裁を発動するとともにアフガニスタンの反政府勢力に武器を提供しました。また、西側諸国に対し1980年のモスクワ・オリンピックのボイコットを呼びかけました。レーガン政権はソ連を「悪の帝国」と呼び対決路線を復活させ、SDI構想を発表、70年代の緊張緩和(デタント)が終わって新冷戦と言われる対立に戻りました。これを機にソ連の権威が大きく揺らいで、ソ連崩壊の契機となりました。
1979年の侵攻以来、ソ連はアフガニスタンの事態の収拾に失敗、長期化した駐留は10年に及び、その間、イスラム勢力の激しい抵抗を受けると共に、国内の経済情勢の悪化をもたらしました。またイスラム原理主義ゲリラとの戦闘は犠牲者を増加させ、ソ連兵の死者は1万5000人、負傷者は4万人以上、ゲリラ側の死者は約60万と言われています。1985年にゴルバチョフ政権が誕生、翌86年にゴルバチョフはウラジオストックで演説、アフガンからの8000名の兵力撤退を表明しました。次いで88年に国連の仲介でジュネーブ和平協定の合意を得て完全撤退を決定し、翌89年までに全部隊を撤退させました。
アフガニスタン侵攻のもたらしたもの
ソ連のアフガニスタン侵攻の失敗は1991年のソ連が崩壊もたらしたのみならず、イスラム原理主義を精神的支柱にした新しい民族主義が台頭し、9・11同時多発テロにつながることになりました。アメリカが援助した武器で武装したイスラム勢力が、湾岸戦争後に反米闘争を展開することになるのはアメリカにとって皮肉な結果となりました。アフガニスタンにおいては、ソ連軍の撤退は平和をもたらすことはなく、部族対立が激化、アフガニスタン内戦が深刻化する中でイスラム原理主義のタリバンが急速に台頭、権力を掌握することになります。
トム・ハンクス(チャーリー・ウィルソン、右)
ジュリア・ロバーツ(ジョアン・ヘリング)
フィリップ・シーモア・ホフマン(ガスト・アヴラコトス)
エイミー・アダムス(ボニー・バック)
エミリー・ブラント(ジェイン・リドル、右)
チャーリーの側近はすべて女性(「チャーリーズ・エンジェル」のパロディ)
「チャーリーズ・エンジェル」とスキャンダル対策、CIAのガストとアフガニスタンへの軍事支援を交互に議論するシーン(チャーリーのキャラクターを端的に表している)
「アポロ13」(1995)
「プライベート・ライアン」(1998)
「グリーンマイル」(1999)
「キャスト・アウェイ」(2000)
「ロード・トゥ・パーディション」(2002)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)
「キャプテン・フィリップス」(2013)
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