2015年12月27日
よつばと!とオバQの共通点、ないし異邦人ものというジャンルについて
「よつばと!」は、構造的には「オバケのQ太郎」と相似していると思うんです。
いや、今更の話かも知れないんですけど。
漫画とか小説の中で、結構メジャーなジャンルとして「異邦人もの」「異人もの」というものがあります。ある社会に、「その社会の外の人」「その社会とは根本的に違う存在」が入ってきて、その存在と周囲との軋轢を中心に展開する諸々のお話をさす、と思います。
この「異邦人もの」にも色んな分類がありまして、例えば「行き先」が読者側かそうでないかとか、「異人」が文化ギャップに戸惑うのか異人を迎え入れる周囲が戸惑うのかとか、まあさくっと書くのは難しいくらい色々あるんですが。
漫画業界で「異邦人もの」の第一人者といえば、やはり何と言っても藤子F・Aの両先生だと思います。例えばオバケのQ太郎、ジャングル黒べえ、怪物くん、チンプイ、ウメ星デンカ、ポコニャン、モジャ公などなどなど、この辺ぜーんぶ「異なる文化・社会の人が、我々の社会にやってきて様々な事件が起こるコメディ」つまり異邦人ものです。プロゴルファー猿にもそういう側面はありますし、キテレツ大百科でいうとコロスケも「異邦人」でしたし、21エモンだって異邦人もの(この場合異人は21エモン)です。
例えば「うしおととら」。例えば「寄生獣」。例えば「うる星やつら」。例えば「鉄腕バーディ」。例えば「道士郎でござる」。「Dr.スランプ」とか「レベルE」辺りもそうかもですね。
新しくは、例えば「聖☆おにいさん」とか、「テルマエ・ロマエ」なんかも「異なる社会からの異邦人」がメインテーマになる物語ですよね。
まあ古今東西、「異人もの」というのは山のようにある訳です。
で。「異邦人もの」の骨子は、「文化や思想の違いと、それに振り回されるキャラクター」であることが多いです。ガラスの壁がなんなのかわかんなくて四苦八苦するとらとか、日本の経済理念が理解出来ないウメ星デンカに振り回される太郎とか、そういうのですね。
で、この「文化摩擦」には割とはっきりとした方向性が二種類あって、
「異邦人」に振り回される周囲が戸惑うのか、
周囲になかなかあわせられない、ないし周囲とのギャップに「異邦人」が戸惑うのか、
この二種類が明確な方向性として表現されることが多いです。つまり、「振り回される側はどちらなのか」というお話。
例えば、「鉄腕バーディ」において、「戸惑う」側はむしろ異邦人のバーディである場合が多いです。まあ、「つとむと一体化してしまっている上にそれを周囲に隠さないといけない」という事情が大きいんですけど、バーディが割と生真面目な性格なので、どちらかというと「我々の現代社会に未来人が合わせようとして戸惑う」という描写が大きかったと思います。
「聖☆おにいさん」や「テルマエ・ロマエ」なんかもこちらですよね。日本の文化や科学技術に驚愕するルシウスは、「周囲に振り回される異邦人」の代表格ではないかと(4巻以降の伊藤編では逆転しましたが)。意外なようですが、「うしおととら」におけるとらなんかも、どちらかというとこっち寄り(現代社会にとらが戸惑う)だったと思います。とら、結構科学技術に弱いんですよね。
一方、例えば「ウメ星デンカ」や「オバケのQ太郎」なんかでは、「異邦人」であるデンカやQ太郎が現代社会に戸惑うという描写は殆どなく、振り回されるのは周囲であることが殆どです。ウメ星デンカやQ太郎が「自分たちの常識」に基づいて行動する時、周囲は大騒ぎになります。こちらのジャンルでは、基本的には「異邦人」が周囲に戸惑うことは少なく、彼らを基準点とした周囲との軋轢がコメディ的に描かれることが多いです。
全体としては、多分こちらのジャンルに該当する作品の方が多いと思います。タルルートくんとか、魔界探偵ネウロなんかもこちらですよね。物語開始当初のドラゴンボールも、恐らくこちらを意識して描かれていたんじゃないかなあ、と思います。
「ドラえもん」はキャラ立てとしては異邦人ものなんですけれど、ちょっと特殊なのは「基本的にドラえもんと周囲の文化に軋轢が発生しない」ということだと思います。一巻の当初こそ若干の軋轢が発生しますが、それは殆ど一瞬で収束します。基本的にはドラえもんは現代社会に戸惑いませんし、周囲はドラえもんの異質性に振り回されず、「22世紀から来たネコ型ロボット」というドラえもんが、むしろ当然の存在のように周囲に許容されます。ドラえもんの異質性は、ほぼ「ひみつ道具」を通してしか出力されないのです。これについては、また項を改めて書いてみたいと思います。
で。
上のようなカテゴライズをした時、私は「よつばと!」も「異邦人もの」に該当すると考えるのですが、これについてお話する際、意外と意見が分かれます。つまり、よつばと!を異邦人ものとして認識する人と、違うんじゃないの?と考える人がいます。
多分この理由は、よつばが「異邦人」としての属性と、「幼児」としての属性、両方を持っているからじゃないかなー、と思います。
少なくとも「よつばと!」のシナリオの当初、よつばは「幼児としても変わった幼児」として描写されて、基本的には周囲がそれに振り回される、という構成だったと思います。よつばの髪は緑色ですし、よつばはありとあらゆることを楽しむことが出来る無敵の幼児ですし、よつばがはっきりと外国人として認識される描写もあります。そういう点では、「異邦人」が周囲を振り回す、異邦人ものの典型的な側面も「よつばと!」にはあると思うんですよ。
ただ、物語が進むにつれてこの異質性はどんどん吸収されていきまして、よつばはどちらかというと「異邦人」ではなく「元気な幼児」として、周囲に包容されていきます。よつばはやっぱりいろんな事件を引き起こすんですが、それが「異邦人が引き起こす事件」ではなく、「元気な幼児が引き起こす事件」になっていくんですね。そして、よつばと!世界の周囲の人たちは極めて包容力が高いので、その辺の事件をほぼ吸収しきってしまうという。そのため、「異邦人と周囲との軋轢」が目立たなくなっている側面はあるかも知れません。
そういう意味で、よつばの幼児としての側面にフォーカスした場合には、よつばと!は異邦人ものから外れるのかなあ、などと今は考えているわけなのですが。
いい感じでまとまりもなくなってきたので何となくまとめを書いておきます。
・異邦人ものには、大きく分けて「周囲を異邦人が振り回す」パターンと「周囲に異邦人が振り回される」パターンがあります
・よつばと!は前者の異邦人ものだと思ってたけど見方を変えるとちょっと違うかも知れない
・それはそうとウメ星デンカは面白かったと思います
・怪物くんを観たヤツは30代以上だ!ジャングル黒べえを観たヤツは良く訓練された30代以上だ!
・全然関係ありませんが、藤子A先生のしんざき的最高傑作は「マネーハンター・フータくん」だと思います
今日書きたいことはそれくらいです。皆さんまた明日。
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