与野党への注文 脱「決めすぎ政治」の勧め
これが私たちの求めていた政治の姿なのだろうか。
安倍晋三首相は再登板以来の在任期間がきょうで3年を迎える。第1次政権の1年を加えると、戦後では6番目に長くなった。菅義偉官房長官も今月で在職日数が歴代3位となっている。
第1次政権で安倍首相が退陣した2007年以降、衆参で多数派が異なるねじれ現象を背景に、首相の1年交代が続き「決められない政治」と厳しく批判された。それは民主党政権でも続いた。
デフレ経済、地方の疲弊、雇用の不安、少子高齢化、東アジア外交の停滞など、内外に漂う閉塞(へいそく)感の原因を決められない政治に押しつけるような空気が広がった。
確かに自民党も民主党も衆参ねじれ現象にうまく対応できなかった。ねじれの中で決める工夫と努力を怠ったのも事実だろう。
再登板後の安倍氏はことあるごとに「決められない政治から決められる政治に」と訴えた。2回の衆院選と1回の参院選は安倍氏に「1強」の安定を与えた。
しかし、決められる政治も行き過ぎれば民意の反映という点で問題が多いと指摘せざるを得ない。
▼選挙はゲームでない
安倍首相の決められる政治の実相を考えてみたい。
同盟国などが武力攻撃を受けた際に、自国への攻撃とみなして実力阻止する集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法は、衆参両院の強行的採決で成立した。憲法学者や歴代の内閣法制局長官経験者、全国の市民グループなどの反対を押し切る形になった。
首相は「今後も国民に誠実に粘り強く説明する」と語った。各種世論調査で「説明が不十分」「国会審議が尽くされていない」と指摘されたためだ。しかし、首相や政府がその後、丁寧な説明をしたという形跡はほとんどない。
異論や少数意見に耳を傾けず強引に決めるが、十分な説明責任は果たさない-。同じような出来事が以前にもあった。国民の「知る権利」を侵害する恐れがある特定秘密保護法の制定である。
首相の決める政治の源泉は選挙だ。選挙に勝てば何でもできると言わんばかりの「選挙至上主義」の風潮が、国政でも地方政治でも散見されるのが心配である。
安保関連法や特定秘密保護法など反発が強い問題を首相は争点にしない。主に掲げるのは景気回復や消費税10%引き上げの延期といった反論の出にくい課題だ。
作戦勝ちと言ってしまえばそれまでだが、選挙はゲームではない。争点隠しの「決めすぎ政治」と言われても仕方あるまい。
1979年に国民に不評の一般消費税(消費税の前身の案)導入を正面から掲げて衆院選を戦ったが、批判が収まらないとみるや撤回して敗北した故大平正芳首相の作法を見習うべきではないか。
▼多様な民意の尊重を
来年夏、参院選がある。自民党が衆院に続いて単独過半数を制するかどうかが焦点の一つだ。
衆院も解散して与党に有利な衆参同日選を断行するとの臆測もくすぶる。政界引退を言明しながら首相と会談するなど首相官邸と親密な橋下徹・前大阪市長は「自民、公明、おおさか維新で(憲法改正の国会発議に必要な)3分の2以上の議席を目指す」と語る。
改憲は首相の悲願だ。与党には反対論の強い9条ではなく、反発が起きにくい条項で改憲そのものへの国民の違和感を緩和しようとの声も聞かれる。もし首相が改憲を政治日程に載せるつもりなら、参院選で堂々と争点化すべきだ。掲げないなら、国論を二分する問題に取り組むべきではあるまい。
言うまでもないことだが、私たちには多様な考えがある。個人の価値観はもちろん、家族や地域、職業などさまざまな要素から多様性は生まれる。多様性が尊重されてこそ成り立つのが成熟した社会だが、時にその多様性が意見や利害の対立を招くこともある。それを一つ一つ丁寧に調整するのが民主主義における政治の役割だ。
政治的な決定に迅速性が求められる場合もあるだろうが、権力者による一方的な判断は許されない。異論や少数意見への配慮も求められる。首相に欠けているこの点を政治はどう改めるのか。野党だけでなく、与党にも問いたい。
脱「決めすぎ政治」で多様な民意を尊重したい。
=2015/12/26付 西日本新聞朝刊=