- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 剛力彩芽 ビートたけし 八代英輝 藤本隆宏 渡辺真理 水川あさみ あき竹城 ダレノガレ明美
| Twitterでつぶやく |
(オープニング)
オープニング
オープニング映像。衝撃事件の裏側を徹底検証する。
(オープニング)
オープニングトーク
スタジオにて剛力彩芽らが出演者挨拶。国鉄初の特急電車「こだま」や黒電話など、1950年代の日本の映像を紹介した。
- キーワード
- 三種の神器
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
コーナーオープニング
伝説の刑事・竹井正治が解決した難事件を紹介する。
- キーワード
- 竹井正治
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
伝説の刑事!布団包み殺人事件の真相
1957年5月2日、博多駅構内にある運送会社の倉庫で、引き取り手のない荷物から布団に包まれた腐乱死体が見つかった。
- キーワード
- 博多駅
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
伝説の刑事!布団包み殺人事件の真相
博多駅の倉庫で発見された布団にくるまれた遺体。頭部を殴られたことによる他殺死で死後2か月が経過。 男性だったが身元につながる所持品はなかった。警察は犯行現場を東京と断定し福岡、愛知の県警とも提携した。その中の1人が伝説の刑事・竹井正治だ。荷物は東京から前田一夫名義で名古屋駅止だった。駅で本人が受け取ると3時間後、別の男性が再びその荷物を運送会社に持ち込み福岡宛てに送った。発着にかかわった人物は同一と思われたが送り先は博多駅の東海レントゲン・神野良三宛て。翌日荷物は届いたが受取人が現れず長らく倉庫に保管されたままだったのだ。神野なる人物はのちに存在しないことが分かった。
竹井は遺留品であるビニール製の布団袋を担当。下町、蔵前の卸問屋に向かい袋についているチャックについて尋ねたところYKKではないとのこと。国内の90%以上がYKKでそれ以外のメーカーは製造元を探すのが困難だった。竹井は残り1割にかけ同じチャックを探しだそうと刑事魂に火がついた。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
竹井正治がチャックの収集マニアを訪ね、チャックのサンプルとの照合作業にあたっていた頃、愛知県警が”犯人は医療機関に関わる人物”というところまで突き止めた。一方竹井は、チャックはビニール専用チャックスライダーで犯人は用意したビニールの袋に専用にチャックを付け布団袋にしていたことを明らかにし、チャックの製造元が銀座界隈という情報を得た。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
竹井正治はチャックをめぐる捜査について上部から中止の命が出たものの、押し切って捜査を続行。銀座界隈で聞き込みした結果、チャックの製造元をついに突き止めた。竹井は、販売もしているという卸先を訪ねた。
- キーワード
- 竹井正治
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
スタジオトーク
ここまでの映像を振り返り、遺留品を調べる執念や、科学捜査がない時代における点だけを結ぶ捜査について出演陣が感歎した。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
ようやく突き止めたチャックの卸問屋。以前働いていたセールスマン、本田彰に2枚ほどチャックを分けていたことを聞き出した。本田は2万円相当の洋服生地を持ち逃げしていたため辞めたそうだ。本田の居所はつかめず社長は親しくしていた中野和雄に連絡、自宅を尋ねたがすでに引っ越していたそうだ。中野は2か月ほど前に引っ越ししていて、遺体が見つかった時期と一致していた。本田と中野があやしいとふんだ竹井は履歴書を見ると、発見された荷札に書かれた筆跡とそっくりだった。
- キーワード
- 竹井正治
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
本田の履歴書と荷札に書かれた文字の筆跡はそっくりだった。本田は背丈が165センチくらい、男前だったという。前田と名乗った男は本田であり、遺体は中野和雄であると確信したのだ。竹井はマスコミに知られるのを恐れ捜査本部には報告せず地道に捜査を進めた。すると中野の引っ越し作業には本人は現れず本田だけが全て引き取りにきたという。このときすでに本田は中野を殺害していたのではないかと推測。引っ越しを請け負った運送会社に確認すると、荷物の運び先は本田の下宿だったのだ。
- キーワード
- 竹井正治
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
運送業者に竹井正治が尋ねると、本田が中野の下宿先から中野の荷物を自分の部屋に運び出した翌日、新たな下宿先にさらに運んだことがわかった。運送業者は、新たな下宿先には最初の引っ越しにはなかった重い荷物があったと証言。遺体の入っていた箱の写真を見せると、業者はそれだと話した。本田の最初の下宿先で竹井が2人について尋ねると、本田が引っ越していく3日前に中野が訪問、しばらくして本田の部屋で言い争う声が聞こえ、その後静かになったという。2日後に本田は急に引っ越すとの申し出をし、壁を自費で塗り直すことを告げたという。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
布団袋チャックから犯人を追え
本田が住んでいた部屋で竹井刑事は1面だけが白く塗り替えられた壁。元の汚れは赤黒い点と判明しけべを削れば物証は得られると犯行を確信。その後、本田の新しい入居先より運送屋を使い箱を運び足したこと、搬送先を突き止めた。そして、遺体発見から19日後、本田彰は逃亡先の叔父宅で逮捕。竹井刑事の執念が福岡・愛知の両県警よりも先に犯人へとたどり着き、警視庁のメンツは保たれた。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
完全犯罪企てた男!戦慄の動機
犯人が逮捕されたが事件はまだ終わっていない。なぜ一見好青年が殺人を犯したのか。兄が”優しい弟が人を殺すはずがない、死刑だけは勘弁して”と言ったと伝えると全て自供。8歳の時終戦を迎え、その後両親を失った彼は兄とともに叔父夫婦に引き取られ孤児としての劣等感からか金品を盗むようになったことが始まり。裁判により、逮捕時20歳に満たず育った境遇にも原因がある反省もしているとの理由から死刑ではなく無期懲役の判決。執念の捜査によって事件は解決した。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
スタジオトーク
設楽は一緒に捜査をしている感じで見てしまった、藤本は被害者も加害者にとっても不幸な事件だったなどとコメントした。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
コーナーオープニング
今から約50年前はミニスカートが流行、ビートルズが来日して日本を沸かせた。銀座に歩行者天国ができ、マクドナルド1号店もオープン。 その一方で当時話題になっていたのが東大安田講堂事件、よど号ハイジャック事件を代表するように豊かさに対する反発だ。そんな中で誰もが過激派によるものと信じた事件がある。1970年に起きた日本初のシージャック事件だ。事件はテレビ中継のさなか衝撃の結末を迎えた。事件は一体何のために起きたのか。日本中を釘付けにした瀬戸内シージャック事件の全貌に迫る。
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
日本初!戦慄のシージャック!
1970年5月11日、山口県の国道で交通違反した車を警察官が取り締まった。車は盗難車であることが判明。3人はその場で逮捕され1人はパトカーに2人は盗難車に乗って護送されることになった。盗難車の男は警官を刺し男たちは逃走。逃亡した2人のうち1人がのちにシージャック事件を起こす杉山直人だ。逃亡犯の足取りは一向に掴めなかった警察だが男らは山口から広島へ移動。別の車を盗んで逃亡を繰り返していたのだ。警察が杉山を発見したものの、通りすがりの男性を人質に取り銃を捨てろと迫った。そのため警察はまたもや杉山を逃すことになる。杉山は他の男が捕まったことを知り広島港に向かう。このとき停泊していたのが定期客船ぷりんす号だった。
杉山は船を乗っ取った。船長の中向文人は支持に従いすぐに船を動かした。警察は湾の周りや上空に捜査網を張り巡らせた。それでも杉山の放ったライフル銃の弾丸は警備艇やセスナに命中するほどすさまじかったのだ。
- キーワード
- 中向文人
日本を震撼させた衝撃の事件スペシャル
日本初!戦慄のシージャック!
中向船長は努めて平静を装っていた。このとき乗組員は11人、乗客は33人が階下で事件の動向をうかがっていた。杉山は事件を起こした理由について聞かれ「もしものときは自殺する」と言い放った。犯人が不慣れであると分かった船長はわざと速度を落として航行。船より早く松山港に到着した捜査員はぷりんす号の到着を待ち構えた。船長は杉山に乗客乗員の開放を進言したが到着する直前に捜査員が待ち構えていることを知った杉山は松山港から離れるよう支持したのだ。
- 過去の放送
-
2015年1月8日(2:05)