猫「地下鉄にのって」@新宿
音楽・演劇…発信地へ、「あの頃はみんな」
昼も夜も人の流れが絶えない新宿駅周辺。気ぜわしげに、どこかクールに人々が流れていくこの街は、1960~70年代、カウンターカルチャーの発信地として独特の熱気に包まれていた。
紀伊国屋書店で大島渚が「新宿泥棒日記」のシーンを撮影し、花園神社では唐十郎の状況劇場に観客が殺到した。アートシアター新宿文化、ビレッジ・バンガード、フォーク・ビレッジ……。若者は時代の先端を求めて街を巡った。
常富喜雄さん(66)は、新宿3丁目で叔父が営んでいた名曲喫茶の草分け「風月堂」に幼い頃から出入りしていた。早稲田大に通い始めた頃には、店はヒッピーのたまり場となっていた。「影響されやすいからおまえは来るなって叔父に叱られた」と笑う。
常富さんが早大の音楽サークル仲間と結成した「猫」は72年、「地下鉄にのって」を発表する。デートの帰り、新宿に向かう丸ノ内線。もう少し恋人と一緒にいたいのに、言い出せないもどかしさを歌った。
「どの時代にも通じる男女の歌」と作詞した岡本おさみさん(72)は言う。「嫌でも降りる駅がくるでしょう。狭い車内、限られた時間。そこで起きる、ややこしい関係を表現したかったんです」
猫のメンバーは吉田拓郎らと、新宿2丁目に小さな音楽事務所「ユイ音楽工房」をつくり、拠点とした。「新宿は自分たちの場だった」と常富さん。音楽、演劇、文学。芸術家の卵が集まる「東京のグリニッチビレッジでした」。
しかし街の変化はいつの間にか若者たちを追い越し、グリニッチビレッジは高層ビルにのみ込まれた。常富さんは今も、コンサートの最後にこの曲を演奏する。歌いながら地下鉄の男女を思う。「あの頃はみんな新宿をめざしたんです」
(文・永井美帆、写真・上田頴人)
新宿駅東南口近くのジャズバー、サムライは老舗ライブハウス、新宿ピットイン併設の喫茶店が前身。1979年に現在地に移転した。オーナー宮崎二健さん(63)自慢のアナログレコードが流れる店内には招き猫が数千体。70年代のアングラな雰囲気を求めて通う常連客も多い。新宿区新宿3の35の5の5階(TEL03・3341・0383)。午後6時~翌午前1時。
「地下鉄にのって」は1972年にデビューした「猫」の3枚目のシングル=写真=で、「雪」とともに代表曲になった。岡本おさみの詞に、吉田拓郎が「ツアー先のホテルで、20分ほどでメロディーを付けて完成した」と常富さん。軽快なアコースティックサウンドにのせて、地下鉄車内の男女の何げない風景を歌う。現在は「猫5 FOR LIFE SPECIAL EDITION」などで聞ける。グループは75年に解散するが、2004年に再結成後、今も積極的にコンサート活動をしている。
(2014年12月5日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)
「これは亀戸張り子の絵でしょ、こっちは4丁目の小さな寺」。色鮮やかな浮世絵を次々とテーブルに並べてくれたのは、東京都江東区、亀戸天神近くのそば店「前野屋」の主人、永井宏幸さん(60)。