アラブ男児たるもの寛容であるべし
昔の日本映画やアニメを見ていると、理想とすべき「日本男児」がよく登場します。
寡黙でどっしりとしており、情に厚く、女に興味がない。
自分の仕事に誇りを持っており、邪魔されたりバカにされることを何よりも嫌う。
家族や部下を愛するが愛情表現は不器用。子どもや部下が粗相をすると烈火のごとく怒る。怖い。
巨人の星の星一徹とか、鉄道員(ぽっぽや)の佐藤乙松とか典型的な姿と言えるでしょうか。
このような「理想の男像」は日本人に限ったことではなく、世界の国・民族で「男たるものこうあるべし」という理想像が受け継がれてきました。
今回は「アラブ民族の理想の男像」をまとめていきたいと思います。
1. 遊牧民のアラブこそ純潔
Photo by Nickfraser
「アラブ」という言葉は「アラブ民族」全体を定義する言葉ですが、
厳密に言うと「アラブ」は2種類に分類されるそうです。
まずは「アラブの中のアラブ」というニュアンスを持つ「アアラーブ」。
「牧草や水を求めて遊牧する砂漠のアラブ」で、我々が言うところのベドウィンはアアラーブに当たります。
それに対立するのが「アジャム」で、「都市や村に定住するアラブ」という意味です。
アアラーブはアジャムを蔑んで一段下に見ており、自分たちアアラーブこそ「清廉純粋な砂漠と共に生きる高潔な存在」と見なす。
都市は展望も効かず、空気もよどんで汚い。外国の文化や言語が入ってきて「アラブらしさ」が失われている。人びとは富を蓄え美味いものをたらふく食って肥え太っている。
一方で砂漠はどこまでも遠く広く澄み渡っている。アラブらしさは古来のまま失われることなく、質素なテントと食事は都市で供されるどんな贅沢よりも素晴らしい。人びとは醜く肥えることなく健康的で、颯爽とラクダを乗りこなす。
このようにアアラーブはアジャムを「汚れた連中」と蔑む一方で、アジャムはアアラーブを「いつまでたっても文明化されない粗野で野蛮な連中」とバカにして、自分たちアジャムこそ「洗練された都市の雰囲気をまとい文化水準が高い存在」と見なす。
古くはこのような認識がなされましたが段々忘れさられつつあり、都市民が自分を「高潔なアラブ」と自称することもあるし、普段は都市に住み週末には砂漠に繰り出して「リフレッシュ」する人も多いようです。
2. アラブ男が持つべき「寛大さ」
2-1. アラブ民族の誇りとは
アラブ民族は誇り高いと言われます。
プライドが傷つくようなことがあれば、黙っていない。口喧嘩であれば何時間もまくしたて、殴り合いであれば倍返しにタコ殴りにする。
自分を屈服させ支配させようとする者にはあらゆる手を使って抵抗し、誇りと自由を守る。
ではその「誇り高さ」はどういう因子で成り立っているかと言うと、以下のとおり。
- 祖先や民族の偉業・人徳・遺物・家柄
- これまでの自分自身の富・偉業・人徳・勇敢さ・敬虔さ
- 将来的に己の誇りを高める可能性のあるあらゆる物・行為・徳の存在
「栄光ある家柄に生まれ、尊敬される人柄で、今後も研鑽されその威光をさらに広げていく」
というニュアンスがあるようです。
2-2. アラブ男の理想像
では、こういった「誇りの因子」はいかにして作られていくか。
アラブ流「ますらおぶり」を構成する要素は以下のとおり。
2-2-1. ハマーサ(勇気)
苦境に陥った際、自らそれを克服する気概。ピンチの仲間を助ける責任感。戦闘における勇猛果敢さ。
2-2-2. ワファーウ(誠実さ)
ウソをつかず、言行ともに信頼に足ること。
2-2-3. カラム(寛大さ)
どんな事態でも鷹揚で、偏見を持たず、困っている人には惜しみなく物を分け与えること。
これらの徳を積み重ねることでアラブ男は信頼され讃えられる存在になり、自ら誇り高い存在になると同時に、その栄光は子孫にも受け継がれるのです。
2-3. 「寛大さ」の構造
その中でももっとも重要な因子は「カラム(寛大さ)」であるとされます。
アラブは砂漠の遊牧民族であり貧しく生活は質素。基本的に水も食料も不足しがちで、同胞同士困ったときは助け合うというのが美徳であるとされました。
寛大さは「物惜しみせず分け与える様」「情け深い様」というニュアンスを持っており、「カラム」が高い人物は本人が尊敬されるのはもちろん、子々孫々にまでその栄光は受け継がれていきます。
寛大な人物こそ大人物であり、最終的には富がもたらされるのかもしれませんが、きっと本当に寛大な人物はその富すらまた分け与え、さらに人徳を広げていくのでしょう。
戦前に乃木将軍が「男の鑑」として尊敬されたように、アラブ世界にもアラブ男の美学を象徴する「理想の男」が存在します。
アラブ男の美徳をもっと理解するための事例として、カアブ・イブン・マーマ とハーティム・アッタイーの逸話を紹介します。
3. 物惜しみしない男、カアブ・イブン・マーマ
アラブ人が美徳とする「物惜しみしない」男で最も有名な人物が、カアブ・イブン・マーマ。
カアブはナージル(暑い夏の月)のある日、隊商の一団に加わって出かけていた。この一隊にはアル・ナミル・イブン・カーシトという男も加わっていた。
一行は道に迷ってしまい、あろうことか水が残り僅かになってしまった。手持ちの水をみんなで分けあって飲むことにした。木製のコップの中に測り石を入れ、その上に水が張るくらいについてそれぞれが飲むことにした。
順繰りに飲んでいき、カアブの番が来た。いざ飲もうとすると、横にいるアル・ナミルが物欲しそうな顔でカアブの顔をじっと見ている。
カアブはその水を飲むのを止め、アル・ナミルにあげてしまった。アル・ナミルはカアブのぶんも含めて2杯分の水を飲んだ。
翌朝、同じようにみんなで水を飲むとき、再びアル・ナミルは物欲しそうな顔でカアブを見てきたので、またカアブはアル・ナミルに水をあげてしまった。
そして出発の時間になった。最寄りの水場は近かったが、2日も水を飲んでいないカアブにもう力は残っておらず、立ち上がることさえできなかった。一行はしょうがなく彼を置いて出発し、カアブは渇死してしまった。
アラブ人の多くはこの話は実話だと思っているそうで、その偉大さを讃え、
寛大な人物がいれば「カアブよりも寛大な」と形容されるし、
自分を犠牲にして他人に尽くしたり、物を捧げたりするときは「あんたの兄弟アル・ナミルに飲ませよ」と言って意思表示をするのが今でも見られるそうです。
4. アラブ的寛大さの権化、ハーティム・アッタイー
カアブ・イブン・マーマと並び称され、アラブ人が「歴史上もっとも寛大な男」として名を挙げるのが、ハーティム・アッタイー。
ハーティムは幼い頃からもてなし好きで、食べ物をもらうと外に出てこの食べ物を誰か分かち合う人がいないか探しまわった。もし見つからないと、食べ物を食べずに捨ててしまったそうです。
ラクダを放牧させていても、誰か人に合うとすぐにラクダを殺して饗してもてなそうとする。ある日、隊商路を見張っていたハーティムの前に、ラクダに乗った一団が現れた。1人がハーティムに声をかける。
「お若い方、何かキラー(もてなし)となるものはないかな?」
そう言われると、ハーティムのもてなし心に火が付いた。
「あなた方が私のラクダを目の前にしているのに、どうして私にキラーができないことがありましょうか」
そう答えて、ハーティムは連れていたラクダを3頭も殺して3人を饗してもてなした。
このもてなしぶりに驚いた3人。
「おい、ちょっといくらなんでもやり過ぎだよ。ワシがキラーと言ったのはラクダの乳を指して言っただけなのに。もし是非にと言うなら、せめて1頭だけでも良かったのではないかね?」
「私もそうしようと思いました。ただあなた方の顔立ちや服装を見たところ、遠いお国の方だと分かりましたので。そこで私からもお願いがございます。あなた方がお国に帰った時、今ここで見たものを詩に歌ってほしいのです」
実はこの3人はいずれも高名な詩人。1人はサアド族の詩人アビード・イブン・アルアブラス。もう1人もサアド族の詩人ビシュル・イブン・アブー・ハジーム。3人目は宮廷詩人のナービガ・アッズブヤーニー。
3人はハーティムのもてなしぶりを褒め称えた詩を即興で作り献じた。
ハーティムは大いに喜び、
「何ということでしょう。私の方が大いなる恩を着せられてしまいました。私はすでにアッラーに誓いをたてました。私の持つラクダを全てあなた方に差し上げます」
そう言って、彼が所持するラクダ99頭を3人に渡してしまったのでした。
そのことを言伝で聞いたハーティムの父親は息子を詰問した。
「ハーティム、私たちのラクダはどうしたんだ?」
「お父さん、喜んでください。ラクダたちのおかげで、あなたの首に永遠の栄光と名声の輪を巻いて差し上げましたよ。私たちを褒め称えた詩は永遠に消え失せることはないでしょう」
父はこの返答を聞き激怒していった。
「お前は私のラクダをそんな風にしてなくてしまったのだな?なんということだ。アッラーに誓って金輪際、私はお前とは住まないことにする」
そうして父は家族を連れてキャンプ地を離れてしまい、一文無しになったハーティムは極貧生活をおくることになったが、その名声はアラブ世界全体に轟き、彼を偉人と褒め称える人びとが集まるようになった。
まとめ
自己を犠牲にして他人に尽くすことで称賛を得て名を残し、その栄光は子孫に受け継がれる。資産は使えば減るが、名声はなくなることはない。
それが真のアラブの男の生き方であり、美徳でありました。
頭では分かるけど、これを実践するのはなかなか難しいものです。
特にモノがありふれた現代ではなおさら。 モノに愛着が湧きすぎて、それを自ら放棄することに抵抗感が強くある。それに情報がありふれた時代では、ある人の高徳なんてすぐ忘れ去られてしまう。それに一旦高徳で有名になってしまったら、ずっとそうしなくちゃいけなくなるではないか。
個人的には、モノもカネも持ちすぎず、人からも適度に尊敬される、ほどほどの人生が良いなあと思うのですが、モテない生き方なんだろうなあ。
参考文献 砂漠の文化 アラブ遊牧民の世界 堀内勝 教育社歴史新書