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関内関外日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015ねん12がつ25にち

谷川俊太郎すげえな 『二十億光年の孤独』

 吉本隆明はこんなことを書いた。

わが国でプロフェッショナルと呼べる詩人は、田村隆一谷川俊太郎吉増剛造の三人ということになる。

 というようなことを吉増剛造のことについて書いたとき引用した。

 おれは田村隆一中学生くらいのころから好きであって、吉増については先に書いたとおりだ。残りは谷川俊太郎ということになる。

 しかし、谷川俊太郎となると、いったいどこから手を付けていいかわからぬ。グレートすぎる感じがする。同じような理由で、おれは日本文学メーンストリーム作家をほとんど読んではいないのだが、谷川俊太郎についても同じような印象がある。

 が、吉本隆明は次のようにも述べている。

谷川さんの本格的な詩、純粋詩の特徴は何かといえば、第一詩集『二十億光年孤独からそれほど変わっていないと思う。

 『二十億光年孤独』。これである。なんとなく聞いたことのあるタイトル。そして第一詩集。ここから入ってみるべきだ。いや、入るかどうかわからんが……。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

 というわけで、読んでみた。なんというか、打ちのめされるようだね。これが1952年作品で、作者21歳くらい。じつにみずみずしいが、なんともひょうひょうとして、スケールがでかくて、思わずくしゃみをしてしまいそうになるね。しかもなんだね、父親も東慶寺にお墓があるような哲学者だったのだね。で、俊太郎青年高校を出てブラブラしてて、その父に「お前どうすんの?」って言われて、時間稼ぎに「こんなん書いてます」ってノート三冊出して、父、こりゃすごいってなって、知り合いの三好達治にすぐに見せて、三好も大興奮、一気に詩人に、って具合らしい(解説から)。そりゃもう、そうだろうな。なんというか、本当に1952年のものだろうか、という気になる。いい部分、となると多いが、いくらメモする。

かわいらしい郊外電車沿線では

春以外は立入禁止である

「春」

えへん わたくしはあるいている

ノートをかかえ 二十世紀原始時代

とことこ てくてく あるいている

はみかみながら あるいている

「わたくしは」

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

「かなしみ」

地球あんまり荒れる日には

火星の赤さが温かいのだ

地球あんまり荒れる日には」

火星人は小さな球の上で

何をしているか 僕は知らない

(或はネリリし、キルルし、ハララしているか

「二十億光年孤独

君 この充実感はすごいなあ

夕立前」

……部分、部分をひいてきてどうなるものか。しかしなんだろうか……。二十億光年感覚火星感覚稲垣足穂? ちょっと違う、ずいぶん違う。谷川俊太郎には深入りしない感じがある。滑るように言葉が選ばれて、純粋な水みたいな、ああ、うまくいえないな。いえなくて当たり前だな。だっておれは詩人でもなければ批評家でもないのだから。とはいえ、充実感すごいなあ。まいるね。あまりにも作品が膨大だから腰が引けるところもあるが、じわじわ手にとっていこうか。なにせおれはセリーヌ全集読破したくらいの粘着力はあるのだ、ネリリング。

 ちなみに、上の文庫本英訳版がまるまる入っている。詩の英訳とはこういうものか、というのがなかなかに面白い。一読あれ。

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