サンパウロ=田村剛
2015年12月25日14時47分
南米ブラジルで、原爆の惨状を語り継ぐ人たちがいる。戦後、日本から移民として渡った被爆者たちだ。大きな戦争を直接経験したことのないブラジルでは、戦争の現実を子どもに伝えられる大人自体が貴重な存在だ。原爆投下から70年の今年、これまで以上に講演依頼が相次いでいる。
「暑い夏の朝だった。午前8時15分、突然、ピカッと光って、ドーンと大きな音がした」。サンパウロにある私立中学校の特別授業。ブラジル被爆者平和協会の森田隆会長(91)がポルトガル語で話し始めると、会場が静まり返った。生徒は約50人。被爆者から直接、体験を聞くのはこれが初めてだ。
「みんな全身にやけどを負って、水を求めながら死んでいった」。原爆投下直後の様子が生々しく語られると、生徒たちは目に涙を浮かべたり、悲しそうな表情をしたり。森田さんは「70年前の広島で本当に起きた出来事。二度と繰り返してほしくない。平和が一番です」と締めくくった。
授業の最後には生徒から質問も出た。「原爆を落とした米国に復讐(ふくしゅう)したいと思いませんか」――。森田さんはほほ笑みながらゆっくりと答えた。「悪いのは戦争。仕返しは考えない。また戦争が起きたら、世界が滅びてしまう」
戦時中、憲兵として広島市に赴任していた森田さんは、爆心地から1・5キロの場所で被爆。大やけどを負ったが助かり、終戦の11年後、移民としてブラジルに渡った。同国在住の被爆者に結束を呼びかけ、協会を立ち上げたのは1984年。在外被爆者への援助を日本政府に求める一方、中学校や高校で被爆体験を語る活動を続けてきた。
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朝日新聞国際報道部
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