先人たちの底力 知恵泉 すべてはチームのために▽大石内蔵助 討ち入りへの道 2015.12.22


封筒は張りのあるしっかりした素材が多いのでリユースしても見た目をきれいに仕上げる事ができますよ。
12月15日といえばそう日本人ならやっぱりあの忠義の物語ですよね。
上野介!始まりは言わずと知れた主君浅野内匠頭による…トップが起こした不祥事は御家取り潰しという藩の倒産を招きます。
その後始末を担う事になったのが筆頭家老の大石内蔵助。
内蔵助は藩の混乱を鎮めて城を明け渡し御家再興の望みをつなげます。
しかしそこからがまた苦難の連続。
遅々として進まない御家再興に一度は協力を誓った赤穂浪士たちの絆も崩壊。
他家に就職口を見つけ去っていく者や極貧生活に耐えかねて姿を消す者が続出。
更に内蔵助に対しリーダーの資格なしと公然と批判する部下も現れ上司としての立場は揺らぎ始めます。
そんな逆境の中内蔵助はいかにしてチームの信頼を取り戻し亡き主君のあだ討ちを成功させたのでしょうか。
今回大石内蔵助の知恵を読み解くのはJリーグ初代チェアマン川淵三郎さん。
川淵さんはもともと日本代表の名フォワード。
引退後はコーチや監督として多くの選手たちを育てました。
日本サッカー協会の会長となってからはジーコなど優れた監督たちを支える立場となりワールドカップ出場を実現してきました。
更に今年日本バスケットボール協会改革のリーダーにも就任。
国際試合に出場できなくなっていた選手のため分裂した国内リーグの統一に奔走。
オリンピック予選参加へと導きました。
常に選手の目線に立ち組織の改革運営に尽力してきた川淵さん。
個性的な部下たちをまとめ上げ主君のあだ討ちを成功させた大石内蔵助の知恵をどう読み説くのでしょうか?さあ今夜はいよいよですね討ち入りに向かう大石内蔵助の知恵を味わっていきます。
ここ一応居酒屋なので…。
ちゃんとした居酒屋ですよ。
すみませんちゃんとした居酒屋なのでまずは赤穂ならではのものを召し上がってもらおうとこんなものを用意しました。
こちら。
ん?これは何ですか?師匠赤穂といえば?これは…。
塩?そうですね。
まさに赤穂の昔ながらの製法で作られたお塩を用意しました。
是非豆腐につけて召し上がって下さい。
やわらかい塩の感じ。
あと甘みが後から来る。
そうですよね。
結構辛いね塩だから。
ハハハ!川淵さんちょっとつけすぎじゃないですか?チェアマン半分以上つけたんじゃ…これ。
これ江戸時代塩田塩の生産が盛んだったのはどうしてなんでしょうか?やっぱりあそこら辺は雨が少ないんでね塩を乾かすのに非常にいい場所なんですね。
海が当然ありますからね。
そこで入浜式っていう新製法で作り始めたのでどんどん赤穂の塩っていうのはブランド力が高まってですね上方なんかで受け入れられて全国に広まるんですね。
さあ今日のテーマはですね「部下の気持ちに寄り添うには?」という事なんですけれども四十七士内蔵助除いて46人いますからいろんなタイプがいたんでしょうね。
やっぱりね武士というのは自分の考え方が全てですからね上が何を言おうと自分の主義主張をぶつけるっていうタイプが多いんですね。
それこそが忠義だという考えですからね。
だからそれをまとめるのはなかなか大変だったと思います。
川淵さんもねそれこそ監督チェアマンキャプテンと組織のリーダーとして部下との接し方いろいろ気を遣ってらっしゃるんじゃないですか?やっぱり部下と接するには部下を知らなきゃなんない。
部下を知らなきゃなんないという事はやはり話さないと分からないという事あるよね。
一番初めに大事なのはやっぱりね表情をしょっちゅう観察してる事ですよ。
だから僕は監督の時に選手がグラウンドに始めに出た時に大体選手の顔色をいつも見てましたね。
それは何か今日調子悪そうだなとか毎日見てるとね分かるのね。
で「今日何か調子悪そうだけど何かあったの?」と言えば「いや実は女房がちょっと具合悪くて」とかっていろんな事をそこで言うと「ああそう。
じゃもう今日は早く帰れるなら帰った方がいいよ」だとか。
そういう事を聞く事によって選手が「あれ?そんな事まで見てくれてるのか」と思う事がそういう気持ちに寄り添う一番初めのきっかけですね。
内蔵助はどのように部下の気持ちに寄り添い討ち入りに向かっていったのか。
まずその前にですね討ち入りに必要なあるものについて書かれた史料がとある神社にありました。
これ興味深いものですよ。
ちょっとご覧頂きましょう。
神奈川県にある箱根神社。
大石内蔵助も参拝に訪れた事のあるこの場所に赤穂浪士に関係する貴重な史料が保存されています。
それがこちらの…内蔵助が赤穂城開城後から討ち入りまでの1年8か月の収支を記した決算書です。
これによれば内蔵助が持っていた軍資金は…。
現在のお金に換算するとおよそ…これは主君である浅野内匠頭の正室瑤泉院がお輿入れされた際にですね持参されたお金。
これが赤穂の塩田業者に貸し付けられておりましてそのお金をですね回収して討ち入り費用の原資としたようでございます。
一見高額に思える軍資金。
しかし記録を見ると厳しいやりくりを強いられているのが分かります。
内蔵助が重要視し費用を割いたのが内匠頭の供養。
墓に100両およそ1,200万円かけているのに加え法事も手厚く行い無念を残し亡くなった主君の慰霊に心を砕いています。
討ち入りに備えていた浪士たち。
実は取り潰しで職を失い日々の食事にも困る者が数多くいました。
内蔵助は頻繁に援助しておりその額は1,584万円。
全体のおよそ2割にも及んでいます。
支出のうち全体の35.6%を占めているのが赤穂と江戸往復の旅費や江戸での滞在費用などです。
当時赤穂から江戸に行くのにかかる費用は1人3両。
開城後内蔵助は京都にいて部下の一部は吉良邸討ち入りの準備のため江戸にいました。
部下との連絡を最も重視し幾度も使者を送り費用がかさみました。
その他にも討ち入りに使う武器や道具の購入に130万円を充て最終的な出費を合計すると…その不足分およそ84万円は内蔵助が自分の財布から出しています。
緻密にやっぱりねああいうのを書き残してるというのは初めて知って驚きですね。
すごいもんだなと思って。
ああいう人は珍しかったんですか。
珍しいですね。
ただあれは藩主の妻である瑤泉院のお金を預かってるのでそれで自分でお金使ってますよね。
きちんと残しておかないとあいつは使い込みをしたんだとかねそういうふうに言われる可能性があるわけですよね。
そういう汚名だけは受けたくないというのできちんと書いて最後に討ち入りの前に瑤泉院にこれだけこういうふうになりましたというのを提出するわけですね。
どうでしたか?三平さん。
旅費が一番かかる?今だったら新幹線乗りゃすぐピュッと来れますけど歩いてくるわけですからね。
歩きはただなんですけど宿泊しなきゃいけないですよね。
御飯も食べなきゃいけないですね。
大体片道3両かかるんですね。
これを何人かやらせてるとすぐ300万400万かかっちゃうわけですよね。
だんだんお金がなくなるわけです大石が預かったお金が。
そうすると軍資金の残金を見ながらここまでにあだ討ちやんなくちゃ駄目だなっていうのはある程度…。
おっしゃるとおりで元禄15年の8月のころにはもうあまり残ってないんですね。
だからもうここでやんなきゃいけないというのは大石もじりじりしてたと思いますよね。
我々が想像してる以上に大石内蔵助はそういう金銭面での事で相当苦労があったという事ですよね。
そうですね。
自分だけじゃなくてね浪士たちの面倒まで見なきゃいけないですからね。
川淵さんも組織的にはそうやってお金金銭面で…。
まあ多少はね。
でもその辺は大石さんよりはもうちょっと楽だったかな。
(笑い)いろんなねスポンサーがいろいろ支援して頂いたからね。
あっそうか。
要はスポンサーいない。
まあサッカー協会が安泰という事が分かったところでですね内蔵助がどのように部下をまとめ上げて討ち入りを果たしたのか。
まず最初の知恵をですね味わって頂きます。
赤穂城を開城後内蔵助は京都で再興運動を開始。
謹慎中の内匠頭の弟大学の許しを幕府に乞い藩を再興しようというものでした。
将軍に縁のある僧侶などつてをたどった交渉を行い65両およそ780万円もつぎ込みます。
しかし1年3か月かけてやってきた再興運動は報われませんでした。
幕府は浅野大学の本家広島藩お預けを決定。
これは大学が当主になる資格を失う事を意味し再興の夢は完全についえたのです。
ここに至って内蔵助に残された道はもはや一つ。
吉良上野介を討ち主君の敵を討つ!ところが1年以上待たされていた浪士たちの状況は変わりつつありました。
初めは義憤に駆られていてもそこは人間。
極貧生活に耐えかねて夜逃げする者や再就職の誘いに応じてしまう者など脱落者が続出するようになります。
本来なら是が非でも引き止めるべき状況。
しかし内蔵助は意外な行動に出ます。
なんと誓いを交わした神文を全員に返すというのです。
そしてその際こう伝えました。
浅野家の再興がついえた今内蔵助は妻子を養うため働こうと思います。
皆さんも自分の道を自由に選んで下さい。
なんと妻子を養うため討ち入りをやめるというのです。
それはまさにあだ討ちを迷い始めていた浪士たちの思いそのもの。
ここには無理に引き止めず納得する人生を送ってほしいという内蔵助の配慮がうかがえます。
結果的に心からあだ討ちを望む強い意志のあるメンバーだけが残る事になりました。
更にもう一つ内蔵助が部下の心情に配慮したエピソードが残っています。
それが17歳の矢頭右衛門七です。
もともとあだ討ちに名乗りを上げていたのは右衛門七の父矢頭長助でした。
ところがこの父が極貧生活の中病に倒れます。
それでも思いを捨てきれない長助は右衛門七に自分に代わってあだ討ちに参加するよう命令。
右衛門七は内蔵助のもとにやって来ます。
ところが内蔵助は右衛門七の申し出を断ります。
「お前はまだ若いので考え直せ」。
父親から命じられた討ち入りに迷いを感じているかもしれない。
その心境を思いやったものでした。
しかし右衛門七はこう答えます。
「参加を許されなければこの場で腹を切ります」。
右衛門七の覚悟を見て取った内蔵助は参加を許しました。
それぞれの部下の心の内を代弁し本音を引き出していった内蔵助。
真に意欲あるチームを作り上げ主君のあだ討へとまい進する事になるのです。
気持ちを代弁して部下の本音を聞き出す。
やっぱり一人一人をきちんと見てるんですね。
大石なんかも例えば台所役人のですね三村次郎左衛門というのがいるんですが彼は身分が低いのであいつが討ち入りに参加しようなんて言ってるのはうそでね大石にお金をせびってるだけだろうみたいなそういう噂が浪士たちの間でもあるんですね。
それに対して大石は彼は本当によく頑張ってるんだという事で直接声をかけたりして三村は更に感激するとかですね。
よく見てますね家臣たちの事をね。
川淵さんの前で部下たちが本音をなかなか見せない。
その中から本音を引き出してもらうには何が?僕のやり方っていうのはトップダウンなんですね。
要するにボトムアップ下からどんどん意見出せと言ったって今まで全然出てないのをいきなり僕が会長になったから全部出せよと言ったって誰も出てきやしませんよ。
だから僕はいきなりこういう事やれっていう事で初め9つぐらいの命題を出して「これでみんなでこれを活性化してやれ」って言った時に「これはもうちょっとこうした方がいいんじゃないですか?」とかいうふうな意見が…そのボトムアップを見てこれはお前この方がいいよ。
だからこれはこうやろうという事でそういういい意見を採用すると言えば聞いてもらえるんだという風潮が全部に広がっていくのよね。
「それに従え」って意味のトップダウンじゃなくて「これによって何か本音を見せてくれ」って意味のトップダウンっていう事。
そうそう。
何でも僕に意見を言いなさい。
自分の仕事関係ない事でもいいからと言ったらある女性が「男子には愛称があるけど女子のチームには愛称がないから何とか愛称を付けてくれ」って言われたのね。
女子に愛称付けたってねマスコミそんなの取り扱ってくれるわけないしなと思ったんだけど言った手前まあしょうがないなって募集したら「なでしこジャパン」とか「なぎなたジャパン」とかね「ブルーエンジェルス」とかいろいろ出てきて。
圧倒的に「なでしこ」が多いから「なでしこ」ってやったわけですよ。
そうしたらそれもう要するにワールドカップで優勝してもう「なでしこ」っちゃ世界でも有名だっていうからね。
その時に何か意見を言ってみようという気で言ってなかったら僕なんか毛頭名前なんか付ける気なかった。
ほんとに。
じゃびっくりするような芽が出てきたわけですね大地から。
川淵さん現役時代から今までにほんとに多くのサッカーの監督をご覧になってきたと思うんですけれどもその中でも選手との関係言ってみれば上司と部下の関係づくりがうまい監督さんってどなたですか?やっぱりねデットマール・クラマーはちょっと別格ですね。
どういうところで別格…。
やはりね選手を一人前の人間として扱ってくれたっていう。
クラマーっていうのは僕は1960年に初めてドイツで指導を受けたんだけど。
当時のドイツっていうのは1954年にワールドカップで優勝してるんですよね。
そのドイツがもうサッカーの「サ」の字も知らないような日本にサッカーを指導するという立場でしょ。
もう月とすっぽんぐらいの差があるじゃないですか。
だから言ってみれば上から目線でお前何してんだ何だかってもう…。
こんな土のグラウンドでアホらしくてやってられるかと言ってもいいぐらいの環境の中でクラマーさんは選手と一緒の日本の旅館に泊まって布団のあれで一緒にね寝てね。
僕は熱出して冷たいものを飲むなと言われたんだけどあんまり喉渇いてたから同じ部屋のワタナベっていうのに「氷もらってきてくれ」と言って氷もらってきてパクッと口に入れた途端にクラマーさんが入ってきた。
口開けられないでしょ。
「どうだ?」って言うから…何か入ってるなって分かって「どうしたの?」と言ってで氷を出したらものすごくね悲しそうな顔するんだよ。
その悲しそうな顔がね何とも選手の胸を射ちゃうというかな。
要は相手の胸を打てばいいんだからそれを「バカ野郎何やってんだ」と言う事よりもそれは悲しそうな顔した方がよっぽどショックだよな。
怒られた方がよっぽど楽だもん。
内蔵助も相手の胸を打ったわけですかね?いよいよ本懐を果たしに行くわけなんですけれどもそこにはどんな知恵があったのか続いて味わって頂きます。
大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士は吉良邸に向かいます。
表門と裏門に分かれた浪士たちは内蔵助の合図で一斉に突入。
倍以上の敵を相手に互いに助け合いながら一人の死者を出す事なく吉良上野介を討ち取ります。
見事な結束力で大願を成就させた四十七士。
しかしここに至るまで実は内蔵助と部下たちは激しく対立し決裂の危機に陥る事もしばしばでした。
その急先鋒が赤穂藩一の剣の使い手堀部安兵衛と義理の父で76歳最年長堀部弥兵衛です。
その確執は内蔵助が城明け渡しの時に「浅野大学を当主にお家再興を幕府に願い出る」という方針を立てた時から始まりました。
これに真っ向から反対したのが堀部安兵衛。
安兵衛はこう言っています。
「私は亡君だけを主君と仰いでいます。
主君の敵を見逃し分家の大学様を大切にというのは単に大学様を口実に命を惜しんでいるようにしか聞こえません」。
もともと江戸で浪人をしていた安兵衛は剣の腕前を買われ浅野内匠頭から取り立てられた人物。
内匠頭に直接恩を受けた事から浅野家の一員というより内匠頭の家臣という思いが強かったのです。
そのため再興運動にばかり時間を割き一向にあだ討ちに動こうとしない内蔵助と敵対。
ついに江戸にいる同志だけで吉良邸に討ち入ろうという画策を始める始末。
慌てた内蔵助は義父の弥兵衛にいさめてくれるよう手紙を送りますがこの弥兵衛が安兵衛以上にやっかいな相手。
…と述べ対立が更に深まります。
普通なら分裂の火種になりかねない2人に対し距離を置き触らぬ神に祟りなしという態度に出てもおかしくありません。
しかし内蔵助の接し方は違いました。
まず京都の円山で開かれた重要な会議にも江戸の安兵衛を参加させます。
更に高齢の弥兵衛の体調も常に気遣い将軍への献上品にもなっている高級な牛の味噌漬けを送るなどねぎらいを忘れませんでした。
内蔵助は弥兵衛のベテランとしての経験に深く敬意を払いブレーンとして優遇。
弥兵衛が立案した計画書をもとに討ち入りの道具の検討を行い更に表門裏門に分かれて突入する方法などを採用しています。
確執のあった堀部親子と内蔵助が和解するとばらばらになりかけていた浪士たちも結束を取り戻します。
そしていよいよ討ち入り。
内蔵助には最後の心残りがありました。
「大義を掲げず吉良上野介を討てば我々は幕府の裁定に背く反逆者と見なされてしまう。
どうすれば自分たちの真意が伝わるのか」。
この内蔵助の苦境を救う事になったのが堀部弥兵衛が家族に向けて書いた遺書。
その中で弥兵衛はあだ討ちの理由をこう記していました。
まさにこれこそ自分たちの心情を表したものと感服した内蔵助。
弥兵衛に頼み討ち入りの際口上書として掲げる事としました。
この口上書の下一つの思いで結び付いた赤穂浪士たちは12月15日未明吉良邸に突入。
人数に勝る敵を相手に命を捨てて戦い主君に代わり吉良上野介を討ち果たしたのでした。
師匠でしたら反対する者をブレーンとして…。
呼ばないと思います。
呼べませんよ。
自分がこうやりたいと思ってる事に対して何かいちいち文句意見具申言われたら嫌になっちゃいますね。
気遣いそうですもんね。
それをわざわざ大石は呼んだわけですよね。
やっぱ堀部は他の藩士にも影響力ありますからね。
江戸の家臣の中の中心人物なんでそういう意味ではその派閥をきちんと取り込まないと計画も成就しない。
特に堀部なんか剣の達人ですからね。
討ち入りの時に剣の達人いないとまずいですからね。
川淵さんはもちろん部下ですとか組織の中に反対意見を唱える人反発する人もこれまでいらっしゃったと思うんですけれどもそういう方をブレーンに引き入れたりというのは?それはありますよ。
だって気に入らないから外すとか辞めさせるというわけにいかないわけだから。
だからそういう意味では優秀なやつであればあるほどそういうふうな性格のやつも結構いるんでね。
それはやっぱり味方につけた方が得だから。
そういう意味では仲間同士との関係がすごく悪いとかいう事があったりするんで僕の真下にそれを置いておいて使うとかね。
いろんな使い方をする事でそういうものを解決していけばいいんで。
人事面も考えていかなきゃいけないわけですよね。
もちろんそうですよそれは。
例えばワールドカップに出るのは23人。
23人の選手が全部仲が良くてみんなお互い気心知れて。
だから試合に勝てるとかそんなんじゃなくてみんな仲悪いやつもいっぱいいますよそれは。
でもそういうものは1つの目的に向かって結束すればいいわけで。
やっぱり今度のエディ・ジョーンズのラグビーのそういうチームを見ててもそれはあんな厳しい練習を乗り越えていくには仲がいい悪いとかいう事ではなくてそういうふうな厳しい環境を耐え抜いてきた仲間意識というのがその上で出来ちゃうんだよね。
二度とああいうチーム出てこないんじゃないかなとさえ思いますね。
あのすごい練習の環境見てると。
勝てると思わなかったですもんね。
僕なんか日本代表で合宿現役時代やってますけど2週間やったらもうねもうつらいんですよ。
合宿なんかあんまやりたくない。
それをね4か月でしょ。
それ考えただけでも恐ろしい。
(笑い)それでもう三十何人みんな仲間いるともう顔見るのも嫌になっちゃうんですよね。
やっぱりエディ・ジョーンズのあの厳しい練習の中から選手自身が自覚をしてそういう何ていうのか自分たちで判断するという事のチームに出来上っていったのがあの結果を生んだんでね。
そこが僕はすごいなって。
見事本懐を果たした一行はですね吉良邸から浅野内匠頭が眠る品川の泉岳寺までお墓まで報告に行くんですね。
その道のりを実は山本先生と私で実際に今回は歩いてきまして。
すごいすごい。
ご覧頂きましょう。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタをお届けする…
というわけで店を飛び出してまずやって来たのは東京は両国ですね。
先生私相撲の町というイメージしかないんですけれどもどういう所なんですか?この辺りっていうのは大名屋敷とか旗本屋敷がある所なんですね。
元禄の頃っていうのはこれからだんだん発展していくという感じのとこですかね。
早速先生の案内で吉良上野介の屋敷があった場所に向かいました。
吉良邸はもともと日本橋そばの呉服町にありました。
ところが赤穂浪士の討ち入りがあるという噂が立ち周りの大名屋敷から苦情が出た事で幕府が当時江戸の郊外だったこの両国に屋敷を移動させたそうです
あそこになまこ壁の建物というか塀がありますね。
あ〜ありますあります。
これが吉良邸跡なんですね。
ここがそうですか。
着いたんですね。
はい。
じゃあ先生ちょっと待ってもらっていいですか?私準備がありますので。
ちょっと待って下さい。
そのままそのまま。
すいませんすいません。
お待たせいたしました先生。
何ですか?これは。
討ち入りといえばですよこの火事装束に陣太鼓。
身なりを整えてまいりました。
それは有名なんですけどね。
それは後世の作り物なんですね。
作り物?火事装束というのは赤穂藩が火消しで有名だったんでそういう格好をしてただろうという事で後に歌舞伎なんかで使われるようになるんですね。
じゃこれ着替えた方がいいですか?そうですね。
間違った格好で入るのもなんですからね。
そうですね。
またもうしばらくお待ち頂けますか?すいません。
今誰でも入れるようになってますね。
一応普通の公園なんで。
失礼します。
吉良さんの銅像がありますね。
率直な印象としてそんな広くないんですね。
ほんとは広いです。
73間と34間ですから2,550坪あったんですね。
結構広いんですね。
そんな広い所のごく一部。
しかもその中の方の一部をですね昭和9年に買い取ってですねこういう公園にしたわけなんですね。
この井戸は昔からの井戸なんですね。
これ当時のままで残ってるんですか?この井戸の水で吉良の首を洗って小袖に包んで槍の先につけて泉岳寺の方に行ったって言われてるんですね。
思いを遂げて首を洗った井戸。
あの赤穂浪士たちはどんな思いで洗ったんでしょうね。
本懐を遂げたって事ですから満足感あったでしょうね。
吉良邸から泉岳寺まではおよそ11キロ。
両国橋を渡り江戸城下を品川方面に進むのが最短コースなのですが内蔵助はけが人がいるにもかかわらずなぜかそのコースを通らずに永代橋を渡り泉岳寺に向かうルートを進んでいます。
一体なぜそうしたのでしょうか?山本先生がその事情について教えてくれました
ここが橋になってますね。
そうですね。
これ一之橋っていうんですね。
一之橋。
これ見て下さい。
看板ありますけど…。
これは何でこちらを通ったかというとですね討ち入りが14日の深夜ですね次の日が15日で。
当時1日と15日っていうのは江戸城の定例登城の日なんですね。
すると町なかに入ってしまうと大名行列がみんな江戸城の方に行くのでそれにかち合うのはよくないという事で両国橋は渡らないで一之橋を渡って永代橋の方に行ったわけですね。
なるほど泉岳寺に向かうにあたりあらかじめ混乱を避けるルートを選んでいたというわけですね
そろそろ永代橋なんですね。
あれですかね?そう。
あそこにちょっと見えますね。
この碑を見て下さい。
「赤穂義士休息の地」と書いてますね。
ここでちょっと一休みしたらしくてですねちくま屋っていう味噌屋さんがあったんですね。
その主人のですね竹口作兵衛という人が大源吾と俳諧の知り合いだったのでそこで少し休んで甘酒粥を振る舞われたというそういう伝承があるそうなんですね。
内蔵助も飲んだという甘酒粥。
一体どんなものだったんでしょうか
見た目は甘酒ですね。
甘酒っぽいですね。
ん!これお酒ですね。
ツーンとくる感じですね。
甘酒のその…ほのかな甘さとはまた違う。
これが振る舞われたという事なんですか?
(竹口)多分そうだろうと思います。
濁り酒あるいは白酒。
もっと分かりやすく言えばどぶろくです。
竹口さんどうしてこれが甘酒粥として後世に伝わる事になったんですか?四十七士と呼ばれる義士たちが今でこそ「義士」と呼ばれていますけれども当時は…何て言うんでしょう。
武装集団が法を犯してやって来た賊の一集団ですからその人たちにお酒を振る舞ったという事は許されなかったんだと思います。
酒というといろいろ支障があるので甘酒粥と。
後で言い繕ったんだろうと思います。
休息した赤穂浪士が永代橋を渡り向かったのが築地エリア。
現在聖路加国際大学のある場所です
迂回ルートを通ったのは多分ここに寄りたかったからだと思うんですね。
ここですか?ここに「浅野内匠頭邸跡」と書いてますよね。
これは赤穂藩の上屋敷があった所なんですね。
だから内匠頭はここで生まれてここでずっと育って登城する前にはここにいたわけですよね。
だからここにどうしても挨拶したかったと。
主君が生前一番長くいた場所に報告に来た。
そうですね。
ようやく本懐を遂げたわけですからねここで報告してもう感極まったと思いますね。
浅野家上屋敷を後にした赤穂浪士たちはその後現在の新橋駅そばのテレビ局の前を通ります。
実はここかつて仙台藩の上屋敷があった場所で内蔵助たちはここでも仙台藩からの粥のもてなしを受けました。
内蔵助たちの行動を他藩の武士たちも称賛していたんですね
先生。
ようやく泉岳寺に着きましたね。
たどりつきましたね。
吉良邸を朝の5時半に出発してからおよそ3時間。
内蔵助たちは主君の眠る泉岳寺に到着しています。
浅野家の菩提寺であるこのお寺には浅野内匠頭ゆかりのものも数多く残されています
この墓所の入り口の門はですね明治になって元浅野家の屋敷の裏門を移築したというふうに言われてるんですね。
わざわざここに。
泉岳寺に持ってきたんですか?もう使わないものになるんでどっか他にやるよりは一番由緒のあるこの泉岳寺の墓地の前の門にしたという事なんですね。
主君の墓に吉良上野介の首をささげあだ討ちの報告をした内蔵助たちはその後幕府に出頭。
切腹を命じられます
内蔵助たちの死を悼んだ内匠頭の妻瑤泉院の希望もあり内蔵助たちは全員主君の墓のそばに葬られました。
命を投げ出し主君の遺恨を晴らした内蔵助たちの忠義の行動。
300年以上たった今も日本人の心を揺さぶり続け訪れる人たちによる線香の煙が絶える事はありません
いや〜3時間の道のりでしたね。
そうですね。
3時間かかった。
歩いたように見えますよね。
途中ショートカットをしてるんですけど。
(笑い)いやでも思いをね馳せながら歩かせて頂きました。
今日はですね「部下の気持ちに寄り添うには?」というテーマで大石内蔵助見てまいりましたけれども。
例えば僕が新入社員で古河電工に入ったとしますね。
そうすると3年ぐらい先輩にいろんな仕事を習ってる時に相当もうおっさんだなというね相当年取ってる感じするんです3つ違えば。
自分が5つぐらい違って10ぐらい違っても下はもうすぐ自分の…年下といったってそんな違わないと。
距離感が。
あくまで下が上を見る時は相当年が離れてるという思いで見てるっていう事を理解したうえでこちらから近づいてあげないと上が下見たらもっと近い意識で見てるから「何で俺にものをもっと気楽に言わねえんだ」という事になってしまうんでね。
そこで気持ちの上のギャップが出てきちゃうと思いますね。
そういう意味では上の者が常に下の者の気持ちをおもんばかって意見を何かスムーズに言えるような人間関係をふだんからどう構築していくか。
それは挨拶であったりちょっとした声かけであったり。
そういうふうな事で何となくコミュニケーションがとれていっていざとなった時に相談に乗ってくれそうだという雰囲気がそこで出てくると思いますね。
それが一番大事な事だと思います。
師匠はまさに弟弟子の皆さんに。
一門がいっぱいいますからね。
ちょうどねうちの人数も四十七名なんですよ。
ほんとですか?一門が。
びっくりしましたこの間数えたら。
あれ?どうです?店主さんのところは。
まさに今日部下の気持ちに寄り添う気持ちでいっぱいなんですけれどもうち部下がいないんですね考えたら。
部下というよりも早く株上げた方がいいんじゃないですか。
頑張ります。
頑張りましょう。
今日は皆さんご来店ほんとにありがとうございました。
2015/12/22(火) 12:00〜12:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 すべてはチームのために▽大石内蔵助 討ち入りへの道[解][字][再]

吉良邸討ち入りを目指す大石内蔵助。軍資金・8000万円はみるみる枯渇し部下は離反。いかにしてチームをまとめたのか。その極意をサッカー川淵三郎さんが読み解きます!

詳細情報
番組内容
吉良邸討ち入りを成し遂げた大石内蔵助。しかしその過程は苦難の連続。赤穂城明け渡し後、大石に残された軍資金は8000万円。難航する再興運動や浪士たちへの援助によりみるみる枯渇。さらに脱落者や部下の批判でチームは瓦解寸前の危機に。大石は「気持ちを代弁せよ」「反感を持っている者をブレインに」という独特の手法で部下の信頼をとりもどしまとめていく。サッカー界の重鎮、川淵三郎さんが大石の極意を読み解きます。
出演者
【ゲスト】日本サッカー協会キャプテン…川淵三郎,林家三平,【出演】東京大学史料編纂所教授…山本博文,【司会】近田雄一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:31822(0x7C4E)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: