ろーかる直送便 金とく「五木ひろし・木山裕策がつづる歌だより」 2015.12.24


どうも。
こんばんは。
あれ?あれ?あっ!こんばんは。
木山裕策と申します。
あれ〜!お母さん突然お邪魔します。
・「帰ろうかもう帰ろうよ」あなたには大切な人に届けたい歌はありますか?・「白い花咲く故郷が」家族への感謝の思いを歌に込めて。
わ〜ありがてえのう…。
・「私からあなたへ」「金とく切手のないおくりもの」。
「あなたの大切な人に贈りたい歌」というテーマでお便りを募集しました。
今回歌を届けてくれるのは福井県美浜町出身の五木ひろしさん。
・「帰ろうかもう帰ろうよ」そして大ヒット曲「home」でおなじみ木山裕策さんです。
・「私からあなたへ」寄せられたお便りはおよそ80通。
家族や忘れられない人との歌にまつわるお話がつづられていました。
今夜はその中から3つのお話をお届けします。
・「私の好きなあなたへ」はいお願いしま〜す。
(スタッフ)よろしくお願いします。
いよいよ来ましたこの日が。
寄せられたお便りを五木ひろしさんに読んで頂きました。
何かねいろんな内容があるんではないかと。
全てに目を通し特に気になるお便りを選んでもらいます。
還暦祝。
2009年だから6年前に還暦なんだ。
…って事はほぼ同じような年代ですね。
へえ〜いいですね。
おばあちゃんのために。
へえ〜いいお孫さんだね。
お便りには大切な人へのふだんは言葉にできない思いがつづられていました。
福井県越前市!私のふるさとでございます。
お〜こらなかなか…巻紙で。
「母はとても苦労人ですが村で一番の年長になりました」。
現在98歳。
へえ〜!「今でも一人暮しが出来ています」。
すごいですね!え〜!五木さんが選んだのは山口七重さんからのお便りです。
こういうお手紙を読むとね自分の母を思い出すんですよ。
私のねおふくろも苦労しましたからね。
お便りをくれた山口さんのもとへ。
福井県は五木さんにとっても母親と過ごしたふるさとです。
10歳の時に父親が家を出て以来母キクノさんが女手一つできょうだい4人を育てました。
五木さんは中学を卒業後ふるさとを離れます。
働きづめの母を楽にしたいと16歳で歌手デビュー。
しかしヒット曲に恵まれず苦しい時代が続きました。
この時心の支えとなったのがふるさとにいる母親でした。
僕が成功すればおふくろにそんなに働かなくてもいい暮らしをさせてあげられるっていう…。
おふくろを楽にさせたいっていうのが強かったんで…。
だから売れない時もふるさとへやめて帰ろうとかって事は思えなかったのはそれでやめて帰ったんではおふくろのために…逆に心配と苦労をかけるだけなんで。
だからここはふんばろう。
ここはもうおふくろのためになんとかふんばろうっていう事が数年間支えてくれたんですよね。
さあさああっちょっと降ってるな。
はい。
(スタッフ)お願いします。
こちらです。
では行きましょう。
まずお便りをくれた山口さんに会いに行きます。
こんにちは。
(山口)ようこそ。
お会いできてうれしいです。
ようこそ。
初めましてお邪魔致します。
山口七重さんは夫と2人で暮らしています。
何と言ってもお母さんが来年白寿を迎えるという。
白寿で…。
私的にはもうこのプレゼント以外にはもうないと思いました。
ありがとうございます。
母チヨさんは五木さんの大ファン。
出演する番組を欠かさず見ているといいます。
でもそうやってねまあ…そうやって出るか出ないかね気にして楽しみにして頂いてるってのはうれしいですね。
母チヨさんは近くの村から牧場を営む家に嫁ぎます。
戦後の厳しい時期に懸命に働きながら子どもを育て上げました。
いやいやうちのおふくろはね83で亡くなったんですよね。
そうでしたか。
はい。
こう…98とかね白寿を迎えようとしてるとかっていうの聞くとですねおふくろもまだ10年ぐらい頑張って生きててくれたらよかったな〜とかね。
(山口)本当ですね〜。
大きいおばあちゃんにだんだん早く会いたくなってまいりましたけど。
七重さんの家から国道を挟んだ向かいに母チヨさんが暮らしています。
チヨさんにはお客さんを連れていくとだけ伝えています。
あっここ?はい。
へえ〜。
ちっこい家です。
お邪魔します。
どうぞ〜。
見えたよ。
(チヨ)何?おばあちゃん!五木ひろしですよ〜。
会いたかったの。
え〜!本当に。
あら〜。
すごい。
はいおばあちゃん座って座って。
いやもう…。
いやいやいや本当に。
ハッハッハッハ…。
今度99になるっていう…。
へえ〜!いや顔色もいいもん。
ものすごい顔色いい。
そうですよね。
何にもつけてないんですよ。
あの〜お肌触っていいですか?まあ…つやつや!つやつやしてる。
76年間ここで暮らしてきたチヨさん。
その明るい性格で地域の人々からも愛されてきました。
悪口言っちゃ駄目なのよ。
ハハハハ!長生きの秘けつ。
ねっ。
悪口言っちゃ駄目なの。
悪口なんか言ったら罰があたる。
偉いな〜。
もったいねえのう…今日はだから僕歌いに来たんだから。
えっ?歌を…。
(山口)歌って下さるのよ。
歌うんだから。
録音機ねえんけ?大丈夫大丈夫。
ふるさとを愛する母親へ歌のプレゼントです。

(口笛)
(口笛)
(拍手)
(山口)すばらしい!ありがとうございました!アハハハハ!お祝い事が控えてるんだから!元気で元気で。
まあ〜もったいねえな〜本当に!アッハッハッハ…。
いや〜僕も何か歌えて歌えてよかった。
歌えてうれしかったし。
苦労をしてきた母親へ。
いつまでも元気でいてほしい娘からのおくりものでした。
今回届いたお便りの中で五木さんがどうしても会いたいと思った方がもう一人。
「契り」は昭和57年の作品。
大切な人への深い愛情が込められたこの曲は今でも結婚式でよく歌われています。
お便りをくれた岩井留美子さんです。
夫と3人の子どもと暮らしています。
48歳の若さで大腸がんで亡くなりました。
五木さんの大ファンで新曲が出る度に家でいつも歌っていました。
やっぱ五木さんといえば父を思い出し父といえば五木さんを思い出し。
やっぱ晩年は「契り」をいつも練習してたというかカラオケで歌って…。
「留美子の結婚式には歌ってやるからな」って言ってたので。
私の中ではその曲が一番重く…重くっていうか思い出深い曲でやっぱり今聴いてもどうしても父の事思い出すし涙も出てきちゃうんですけれども。
留美子さんの母節枝さんにとっても夫の英夫さんとの思い出の中に五木さんの歌があります。
結婚式から25年。
留美子さんは父が歌うはずだった「契り」を母に聴かせてあげたいと考えています。
自宅近くの公園で五木さんと待ち合わせます。
ここ開けたらいいんですかね?失礼します。
あ〜こんにちは。
初めまして。
岩井と申します。
どうぞどうぞ。
はい。
すいません。
え〜何かえ〜。
ここお座り下さい。
はい。
失礼します。
留美子さんですか?はいそうです。
はい。
お父さんとしゃべってるみたい本当に。
ありがとうございます。
お父さんいたらすごい喜ぶのに。
お母さんのためにも僕は今日お父さん代わり…だからご主人代わり…。
ひととき。
両方今日は兼ねてるんで。
じゃあ女房のとこ行きますか。
いや〜。
ウフフフ。
これ?いい場所だね。
住宅街だね。
自宅にいる母親に怪しまれないよう留美子さんは一足先に帰宅しています。
母節枝さんには会わせたい人が来るとだけ伝えています。
開いてますよ。
はいどうぞ。
し〜っ。
どうぞ。
失礼しま〜す。
はいどうぞ。
失礼しま〜す。
英夫じゃなくて五木ひろしです。
全然聞いてないもんですで。
言ってくれなんですだれ。
いやいや言っちゃ駄目なんです。
何か夢…。
お母さん驚かせようと思って来たんです。
え〜。
あっご主人どうもどうも。
どうも初めまして。
初めまして。
お父さんが来るって…。
お顔見て納得しました。
誰が来るのってしつこかったからお父さん来るのって言っといたの。
今ここに来てから。
なるほど。
どんなお父さんだったんですか?う〜んもうねものすごい明るい人でしたし何か難しい歌ばっかり歌ってましたわ。
あ〜僕の中のね。
私が言うのもおかしいですけどうまかったですね。
お〜。
うまかった。
あのころはまだ今みたいにねDVDもなかったし…。
今ならちゃんと撮っといたのにな〜っていつもそれを思うんです。
お父さんの歌ってる姿をの。
なるほどね。
その時の事をね。
声も聞けないし顔も見れないし。
今やったらなって…。
お父さん短い生涯だったけどそれはそれでとても幸せな…。
はあ。
太く短く生きました。
優しかったですか?お父さんは。
優しいね。
とにかくもう私の中で太陽やったねお父さんの存在は。
結婚式で父英夫さんが歌うはずだった歌。
「契り」をお届けします。
ありがとうございました。
すごい。
お父さんの声思い出しました。
歌ってたって思った。
お母さん喜んで頂けましたか?もう喜ぶも…。
本当に夢じゃないの。
うれしくて…。
じゃあ今日は英夫さんのね代わりを務める事ができましたんで。
ありがとうございました。
ちゃんと結婚式が終わった感じがしました。
あっこれでね。
はい。
より愛する人よ健やかに。
仲よくやります。
愛する人よ美しく。
そんな人生をより一層。
はい。
はい。
はいはい。
やった〜。
うわ〜。
家族にとって大切な歌。
25年ぶりに大好きな父親と過ごせたひとときでした。
失礼します。
よろしくお願いします。
続いて歌を届けるのは木山裕策さんです。
木山さんの代表曲「home」。
我が子に対する父親の深い愛情が歌われています。
木山さんが選んだのは新井優さんからのお便りです。
何か事故で亡くなるっていう…。
すごく…う〜んそうですよね。
やっぱりね「home」が家族の歌なのでやっぱりご家族に対して届けたいっていう…。
4人の子どもがいる木山さん。
36歳の時甲状腺にがんが見つかり手術を受けます。
木山さんを支えたのは妻の直子さんでした。
その中で子どもたちに自分の歌声を残したいと歌手になる事を決意します。
「home」という曲でデビューが決まった時はもう家族中で泣いて…そうですね喜んだのを覚えてますね。
ちょっとずつちょっとずつ先を見て希望を見いだして進んでいけば何かなんとかなる事もあるんだっていうのが僕自身「home」までの道のりですごく経験できた事だったので。
お便りをくれた新井優さんは岐阜県関市に住んでいます。
木山さんは大学の女子寮で暮らす優さんを訪ねました。
初めまして。
初めまして。
木山ですよろしくお願いします。
新井ですよろしくお願いします。
ちょっと…女子寮ですよね。
ドキドキしちゃう。
入っていいのかなって思って。
よろしくお願いします。
まあ「home」をお母様に歌ってもらいたいというリクエストを頂いたんですけれども…。
もう亡くなっていないんですけど父がすごい木山さんの「home」を気に入って聴いていて…車で出勤前とかにも車の中で聴きながら行ったりとかすごいしてて家族全員がその「home」っていう歌がいい歌だねっていうふうにすごく言っていた事もあって…。
父良太さんは2年前仕事をしていた建設現場での事故で亡くなりました。
その父は毎日我が子への愛情を歌った「home」を聴いていました。
(優)あまり言葉多く子どもに伝えるって父じゃなかったのでその曲を気に入ってるっていう事が私に対してもそういう思いでいてくれるのかなっていう私の勝手な思いなんですけど…。
でも間接的にお父さんがこんなふうに思われてたんじゃないかっていうのを「home」を聴いて思って頂いたとそういう事なんですね。
母親の千鶴さんは良太さんが亡くなったあと一家を支えてきました。
当時よく一人で「home」を聴いていたといいます。
母自身も本当に子どもの前ではこう…泣き崩れたりとか全然しなくって。
気丈に振る舞われたんですね。
本当に亡くなった当時から気を張って家族を支えてきてくれたので大変だっただろうなっていうふうに思います。
僕が病気になった時も一番強かったのが妻だったんですね。
僕はもう駄目なんじゃないかとずっと思っていて…。
僕が落ち込む分妻はずっと明るくてで「なんとかなるよ」って言うんですよ。
「最悪な事が起きてもなんとかなるよ」って。
ただ後で聞いたらあの時自分まで落ち込んで立ち直れないような状態になってしまったら家族全体が駄目になってしまうって。
僕も自分の家族を重ねて今考えたので…。
優さんには実家のある長野県の高校に通う弟がいます。
高校3年生の賢人さんにも協力してもらいました。
入学した当時父良太さんが1時間かけて送り迎えをしていました。
車の中での父とのやりとりが家族との最後の会話となりました。
当時の事振り返って賢人くんの方はどんな思いでその出来事を受け止めたんですか?答えづらいと思いますけど。
う〜ん…。
本当に突然帰ってこなくなって…。
朝までだって普通に送ってくれたんだよね?はい。
何て言うの…。
まあちょっと信じられなかったですね最初は。
受け入れられない?はい。
そうだよな。
どんな話をお姉さんとしたんですか?その時は。
しっかり母を支えていこう的な事を。
お母さんをね…。
賢人さんは今母千鶴さんに毎日送り迎えをしてもらっています。
いつものように帰宅し母親の様子をこっそり教えてもらいます。
あっいいのかな?あっお母さんも大丈夫だそうです。
家の中入ったみたいです。
いよいよ…。
ドキドキしてきましたね。
じゃあいいですか?押します。
(チャイム)・
(千鶴)はい。
どうも。
あれ?こんばんは。
あれ?あれ?あっ!こんばんは木山裕策と申します。
あれ〜!お母さん突然お邪魔します。
ええ〜!お邪魔…お邪魔します!どうも!お邪魔しますじゃないこんにちは!びっくりされてると思うんですけれどもちょっと説明をさせて下さい。
すごいちょっと恥ずかしいわ。
ちょっと!初めまして木山裕策なんですけどサプライズでやって参りました。
あ〜!ちょっと〜!驚いて頂きましたかね?すっごい驚きました。
皆様こんばんは。
失礼致します。
初めまして。
実家には優さんの祖父母も一緒に暮らしています。
今日はですね朝からお二人にずっと協力して頂きまして…。
え〜!お前知ってたの〜!?そうなんです。
とても重要な役回りで…。
(千鶴)うそだ〜!お母さんの行動を全て押さえた上でですね…。
そうなんですか!?今回は絶対にしくじれないと。
あの〜とてもふだんからですねお世話になってるお母様へ歌のおくりものをしたいという事をですね番組の方に応募頂きましてですね…。
大好きなんです本当に大好きなんですよ。
聴くと泣いちゃうじゃん。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
その…娘さんはだからね今寮で生活されていて賢人くんも今毎朝ねあとは夕方に送り迎えされてると思うんですけどそこであんまりお話は多分されてないのかな。
そうですね。
こっちで振っても「うん」とか「ふ〜ん」とか。
そんなしゃべらないと…。
そうですね。
返事はあんまり単調に返ってきますから。
年頃の男の子ですからね。
良太さんが亡くなったあと涙を見せず明るく家族を支えてきた千鶴さん。
母親としての強い決意がありました。
そのあとのいろいろな事を考えた時に私が駄目になっていたらもう何もできなくなっちゃうなっていうのもありましたのでとにかくみんなの前ではそんな顔は見せないようにしようっていうのを自分の心の中で決めてたんですね。
ただやっぱり車の中で子どもを送ってく時に自然に出てきちゃうんですよね涙が。
それは朝ですか?朝ですね。
でしばらくそういう時期があったんですけど子どもたちには見られないように見られないようにと思って。
子どもたちからのおくりもの。
父良太さんも大好きだった歌です。
お聴き下さい。
お願いします。
ありがとうございました。
(拍手)ありがとうございます!すご〜い!よもや本当に生でこんなすてきな歌を聴けるとは思ってなかったので…。
本当にありがとうございます。
お父さんだと思います。
本当にありがとうございます。
いえとんでもない。
そして賢人さんからも。
まあいつも送り迎えやらお弁当やら朝ごはんもだしえ〜まあもろもろとありがとうございます。
どういたしまして。
あの…。
自分にできる恩返しはやっぱ立派に成長する事だけだと思ってるのでしっかりと…え〜何と言うか…心に誓って生きていこうと思ってます。
はい。
是非幅を広げていろんなつながりを持って生きてってもらえたらなと思います。
頑張って下さい。
ありがとうございます。
(拍手)お母さんもありがとうございます。
手洗えないじゃん。
亡くなった父との思い出の歌。
家族の絆を再確認できたひとときでした。
失礼します。
(一同)ありがとうございました。
いや〜だまされた〜!フフフッ。
いや〜びっくりした。
・「私からあなたへ」・「この歌を届けよう」・「広い世界に」あなたには大切な人に届けたい歌はありますか?それぞれとてもいい生き方をしてるっていう。
どちらとも今とても幸せだったっていう…。
そういう中に歌というものが関わらさせて頂いてるというのがね今度は僕の幸せですよね。
本当に…何ですかね。
たくさんの方で歌うのももちろん歌の力ってすばらしいと思うんですけれども気持ちが一つのそういった空間で歌わせて頂くっていうのは何か独特の…何か気持ちの疎通みたいなものを感じる事ができました。
何か新しい体験ですね。
・「私からあなたへ」・「この歌を届けよう」・「広い世界にたった一人の」・「私の好きなあなたへ」・「私の好きなあなたへ」2015/12/24(木) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 金とく「五木ひろし・木山裕策がつづる歌だより」[字]

五木ひろしさんと木山裕策さんが、視聴者のリクエストにこたえて大切な人へ歌をプレゼント。「亡くなった父との思い出の歌を母へ」など歌にまつわる家族の物語をつづる。

詳細情報
番組内容
あなたの大切な人へ、歌手が歌をプレゼントする音楽ドキュメンタリー。番組では、東海北陸の視聴者から歌にまつわるお便りを募集しました。今回、歌を届けてくれるのは、福井県美浜町出身の五木ひろしさんと、「home」のヒットでおなじみ木山裕策さんです。「苦労をかけた母に感謝の気持ちを伝えたい」「亡くなった父との思い出の歌を母へ…」など、歌にこめられた想いを丁寧に描いていきます。
出演者
【出演】五木ひろし,木山裕策,【ナレーション】黒崎めぐみ

ジャンル :
音楽 – 歌謡曲・演歌
音楽 – 国内ロック・ポップス
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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