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書籍該当部ダイジェスト
書籍該当部あらすじ
グレインがけしかけてきたボス、サタンレイスを処理しつつグレインとのバトル。
船で首都へ行く事に。だが途中海の魔物に教われ、ミリィはゲロに見舞われるのだった……
――――ワナルタ遺跡第二層。
入り組んだ道の奥から聞こえる戦闘音に釣られ、辿り着いた先に居たのは魔物と相対する派遣魔導師、グレインであった。
だが魔物と戦っているのはグレイン本人ではなく、どこか神秘的な風貌をした二人の少女。
赤色の長い髪と、手に持つ槍を振り回す少女と、青色のショートカットで両手剣を握る少女。
二人の少女は霧の魔物、ミストレイスと戦っているようだ。
少女たちの姿は、どこかアインを連想させる。
「あのひとたち、あたしとおなじ……?」
アインがクロードの鎧から顔を出し呟いた。
やはりそうなのか、アインも少女たちに自分と同じ空気を感じているようである。
「おお? 誰かと思えばこの間のガキ共じゃねぇか」
ワシらに気付いたのか、グレインはニヤニヤ笑いながら壁から身体を起こし近づいてくる。
思わず後ずさり、構えるワシらを見てグレインは更に口角を歪めた。
「ハッ、ビビんなくても何もしやしねーよ」
「派遣魔導師は協会に仇なす者にしか攻撃出来ぬものな」
ワシの言葉に、グレインの眉がピクリと上がる。
「ほぉ……中々物知りじゃねーか」
「それほどでもないさ。そこにいるのはサモンサーバントで呼び出した使い魔なのか?」
グレインの使い魔であろう少女二人は、ミストレイスと戦闘している。
よく見ると大量のレイスマスターをブルーウォールで封じ込め、取り巻きであるミストレイスだけを何度も再召喚させ、それを倒しているようだ。
これはため込みと呼ばれる戦法の亜種で、一ヶ所に取り巻きを召喚する魔物を集め、召喚させた取り巻きのみを倒し続けるというものだ。
索敵の手間も必要なく、非常に楽で経験値も稼げる効率的戦法である。
ただしこれはダンジョン内の魔物を集めてしかも倒さないので、他の冒険者は魔物にありつけなくなるというかなりグレーな手段である。少なくとも協会側の人間である派遣魔導師がやることではないな。
「……派遣魔導師ってのは特例で色々な魔導のスクロールを読めるが、その分色々と窮屈でな。私的な理由で戦えないっつーめんどくせぇルールがあるんだわ。そこでこいつら使い魔を鍛えてるってわけだな」
成る程、確かに直接力を振るえない派遣魔導師にとって、使い魔は便利な存在だ。
それにこの使い魔、かなり強いな。
二対一とはいえ、ミストレイスを瞬殺していっている。
アインもいつかこんな風に戦ってくれる日が来るのであろうか。
アインと目が合うと、きょとん首を傾げている。……ま、期待はあまりするまい。
「おお? お前も使い魔持ってるじゃねーか。……まぁだが、お世辞にも強そうには見えねーなぁオイ!」
ゲラゲラ笑いながらもグレインは、挑発を続ける。
「サモンサーバントは術者の魔力の質に左右される。そんなチビを呼び出したって事は、お前さんのレベルも知れるってもんだなぁ?」
「……あんた、いい加減に……っ!」
グレインに掴みかかろうとするミリィを、右手で制する。
「ゼフっ! 何で止めるのよっ!」
「構うなミリィ。……ではワシらは行かせてもらう」
「おう行け行け、こっちもてめーらにゃ用はねぇよ」
追い払うような口調のグレイン。
ワシは去り際にぽつりと呟く。
「派遣魔導師殿は協会の看板を背負っているのだ、品格を疑われるような狩り方はよした方がいいだろうな」
「ッ! ……待ちな」
アゼリアの口調を真似たワシの言葉に、グレインはピクリと眉を動かしそう呟いた。
グレインは普段通り……を装ってはいるが軽く切れているようである。
とはいえ派遣魔導師のルールがあるのでワシらに手を出す事は出来ないだろうが。
今度はこちらが煽るように言ってやる。
「まだ何か用か?」
「……別に? テメェの顔を憶えておこうと思っただけさ」
「しっかり憶えていろよ。ついでに名前もな。ワシの名はゼフ=アインシュタインだ」
「あぁ憶えておくぜ。ゼフ……!」
殺意のこもった目でワシを睨むグレイン。
一触即発の空気に、ミリィがぶるりと身体を震わせワシの手を取り駆けだした。
「は、早く行こっゼフ!」
「……ハッ。せいぜい気をつけて狩りを楽しむんだな」
グレインは身を翻し、また壁にもたれかかって使い魔たちの戦闘に視線を向けるのであった。
――――それからしばらく、ワシらは再度サニーレイヴンと戦闘したりアインの戦闘訓練をしていた。
そして本日、久々にワナルタ都市遺跡、二階層へと訪れたのである。
以前から何度も足を運んでいるが、相変わらず敵の数が少ない。
グレインの奴が魔物を集め、使い魔のレベル上げをしているからだろう。
ここはワシらにとっても背伸び狩りなので、魔物の数が少ないのは構わんのだが。
ともあれ探索を続けていたワシらは、二人の使い魔を引き連れたグレインを発見する。
だが狩りはもう終わったのか、出会った時に使ったポータルとかいう魔導で青い光を生成し、その中に消えていった。
「あの人、帰ったのでしょうか?」
「そのようだな」
「ふん、せいせいするわね!」
ミリィは腕組みをして鼻息を荒くしている。
しかしグレインが帰った事で溜め込んでいた魔物が散らばり、ダンジョン内の魔物の密度が増えてしまうな……
「階段の付近まで戻った方がいいかもしれんな。これから魔物が増えるだろうし、ミリィとの合成魔導の練習をしたい」
「そうですね、無理はやめておきましょう」
「むぅ、調子出てきたトコなのに……」
「ダメよ~ミリィちゃん文句いったらさ~」
レディアがミリィを後ろから抱きかかえながら、小さな身体をふにふにと撫でると、ミリィが小さく悲鳴を漏らす。
「ひゃっ! ちょ……やめてよレディアぁ」
「ふふ~じゃあ言うことを聞く?」
「聞かないなんて言ってないでしょ!」
ミリィが身をよじりながらレディアの魔手から逃れようともがく。
だがレディアの腕は一度捕まるとタコのように絡まり、気が済むまで離さないのだ。
恐るべしレディア。
「おじい、こわい……」
クロードの胸に隠れていたアインの声に気付き、レディアはピタリと動きを止める。
ぎこちなくアインの方を向き、怪しげな顔で微笑みかける。怖いぞレディア。
「わ、私はコワクナイヨ?」
「こわいもんっ!」
レディアの手が緩んだ隙に、ミリィもそこから逃げ出しアインはクロードの胸にまた潜り込む。
二兎追う者は一兎も得ずといったところか。
道中、何度かレイスマスターに出会ったが、二体相手でもそう苦戦することは無くなってきた。
ここで狩りをするようになりかなりの時間が経つからな。
グロウスのおかげでレベルも上がり、少々の事ではピンチになることも無くなってきた。
ここでの戦闘にも慣れてきたという事もあるのだろう。
「ん、あれは……?」
――――不意に視界の端に、青い光が生まれるのが見えた。
グレイン……か……?
青い光からひょろ長い身体を覗かせ、キョロキョロと周りを見渡すと、またその光の中に戻っていく。
「……しまった! 階段に走るぞ!」
「どしたの? ゼフ」
「グレインは帰ったんじゃない! ここのボスを探して飛び回っていたんだ!」
ワナルタ都市遺跡二階層のボスは高レベル故に、復活時間のサイクルは相当に長い。
だから最初にいないことを確認し、安心していたのだが……迂闊だった。
グレインは帰ったのではなく、ポータルでボスを探していたのだ。
「ミリィ、万が一ボスに出会ったらすぐテレポートだ。魔法も物理も一撃でも喰らったら死ぬと思って行動しろ」
「う、うん……」
「ここからはすぐテレポートで逃げられるよう、ワシとクロード、ミリィとレディアで固まって動く」
ワシの迫力に、皆はこくこくと頷く。
そう言ってクロードの手を掴むと、震えた手で握り返してきた。
少し汗ばんだ手からは緊張が伝わってくるようだ。
「いつも言っているが……ワシらが追いつめられていても絶対に構うな。こちらもそのつもりだ。無駄死には非効率的だからな」
「……!」
無言になる三人。
っと、少し必要以上に脅かせ過ぎたか。
ワシも含め、最近緩んでいたから少し引き締めようと思ったのだけだが。
「なぁに、出会うかどうか分からんし、逃げに徹すればボスとて問題ないさ。ボスの使う威圧は発狂モードにならなければ使って来ることはない。バラけた場合、集合は入り口でな」
「……ん、皆で脱出しようね」
力強く頷くレディアを先頭に、早足で歩いていく。
曲がり角をレディアが覗き見て、OKのサインと同時に移動する。
ワナルタ二階層は結構入り組んでいる為、曲がり角などは結構ドキドキだ。いつボスと出会うかもわからない。
「こ、ここを曲がれば階段よね……」
「あぁ」
不安そうなミリィに応える。
階段まで辿りつきさえすれば、ボスであろうと追ってくることはない。
魔物は生まれた階層から動くことはないのだ。
注意深く進んで行くと、不意に横の壁から爆発が鳴り響く。
「ひっ!?」
クロードがワシの腕に抱きついてきた。
レディアはミリィを抱え、壁まで飛び退く。
だが緒とは壁の向こう、魔物があらわれたわけではない。
「び……びっくりしましたね」
「おそらくグレインがボスと戦いを始めたのだろう」
ならばむしろ安全である。
どちらにしろ、早く立ち去った方が安全なのは確かだが。
「……っ! そこっ!」
レディアが長斧を振るうと、レイスマスターにざくりと突き刺さる。
轟音に紛れて目印である鈴の音が聞こえなかったか。
全く驚かせるなよ。
「ミリィ!」
「わかってるって♪」
ミリィがブルーゲイルを念じる瞬間を狙ってタイムスクエアを念じる。
(……少しタイミングが遅れたか!?)
微妙に同時発動のタイミングがズレてしまったが、構わずブルーゲイルを二回念じる。
別に同時でなくてもそれなりの威力はあるしな。
時間停止が解除され、水竜巻が生まれるがその威力はブルーゲイルトリプルには遠く及ばない。
どうも失敗らしい。
それでも十分な威力はある。水竜巻がレイスマスターを襲い、取り巻きのみを撃破する。
本体が残ってしまったか……だが仕方あるまい。
クロードの手を離して戦闘に参加してもらう。
「あまり離れるなよ。クロード! レディアも!」
「はいっ!」
ワシも走りながらホワイトクラッシュを念じる。
レディアの一撃とほぼ同時にレイスマスターを光球が包み込んだ。
「ブルーゲイル!」
ミリィのブルーゲイルがレイスマスターを吹き飛ばす。
勝った、そう思った次の瞬間である。
轟音と共に横にあった壁が吹き飛び、パラパラと石畳の上に落ちてきた。
土煙を払い見えたのは大木の様な剛腕、それに似合わぬ小さな足。
真っ黒な巨体には真紅のラインが幾重にも走り、その表面には人の顔が蠢いているのがうっすらと見える。
ワナルタ都市遺跡二階層のボス――――サタンレイスである。
「ゴオオオオオオオオオ!!」
サタンレイスはその丸い身体を更に膨らませ、天に向かって吠えた。
大気がビリビリと震え、皆は驚き身を竦ませる。
ぎょろり、とサタンレイスの身体中の目がミリィを凝視し、魔導の光を放った。
まずい! 折悪しくミリィのブルーゲイルに突っ込んできたからターゲットにされたのか。
「ぁ……」
小さく声を漏らすミリィ。サタンレイスの咆哮に足が竦んでいる。
あの状態ではとてもテレポートが使える様子ではない。
「ち……っ!」
ワシがミリィの前に立ち塞がり、防ごうとしたその時である。
破壊の跡から飛び出した、二つの光がサタンレイスを貫く。
光は螺旋を描きながらサタンレイスを削り、ワシらの近くに着地した。
弱まっていく光の中からあらわれたのは、グレインが連れていた使い魔である。
「おいおい、誰かと思えばクソガキ共じゃねぇか。ゼフっつったか? 確か」
続いて煙と共に壊れた壁の中から出てきたのはグレイン。ワシを見てニヤリと笑う。
グレインの背後には凄まじい破壊の跡が見える。奴らが戦闘していたのだろう。
どうやらワシらはグレインとサタンレイスの戦闘に巻き込まれてしまったようである。
「くく、お子ちゃま達はどっか引っ込んでた方がいいぜ? ここは今から戦場だからなぁ」
手にした片手剣をタクトのように振ると、赤髪と青髪の使い魔がグレインの傍に戻ってくる。
「レッド、ブルー。あいつらに構うことはねぇ。標的だけを狙え」
グレインの声に二人の使い魔は頷き、武器を構える。
グレインが何やら念じると、使い魔をまた先刻の光が纏った。
見たことのない魔導……あれは恐らく派遣魔導師の固有魔導か。強化系の魔導のようである。
今のうちにミリィと共に後ろへと下がる。
「出口はあっちだよ? ゼフ。戻らないの?」
「そうしたいたいのは山々だがな」
サタンレイスの巨体が細い通路を塞いでおり、テレポートで抜けるのは困難だ。
下手をするととばっちりを喰らう恐れがある。
しかも来た道も奴らの攻撃で塞がれてしまっている。
サタンレイスをグレインが倒すまでは、移動する事は出来そうもない。
「遺憾だが、グレインが勝ってくれる事を祈るしかない。援護するぞミリィ」
「え~……」
ワシだって嫌だが負けられても困るだろう。
ミリィと共にもホワイトスフィアを念じると、眩い閃光がサタンレイスを焼く。
「おいおいしょぼい援護は必要ねーぜ? こいつらだけで十分だからなぁ」
ワシらの援護に気付いたのか、ニヤリと笑うグレイン。
こっちもしたくてしてるワケではないわ。
(だが言うだけあって、確かにグレインの使い魔は強いな)
サタンレイスの剛腕を難なく躱し、飛び散った破片に紛れてブルーと呼ばれた使い魔が両手剣を叩き下ろす。
めきり、とサタンレイスの腕が不自然に曲がり、そこに浮かんだ人面瘡が低い呻き声を上げた。
もう片方の腕でブルーを迎撃しようとするが、レッドと呼ばれた使い魔がそこに槍を突き刺し動きを止めている。
中々いいコンビネーションだ。
グレインは手を出すつもりはないのか、片手剣を肩に担いだまま傍観している。
定期的に使い魔を魔導で強化しているだけのようだ。
傍観するグレインにサタンレイスの攻撃の余波で飛び散った石弾が飛来する。
あわや直撃というところで、レッドがグレインの前に立ち塞がり、その全てを受け切った。
レッドは破片が当たったのか額から少し血を流しているが、ダメージはさほどないようだ。
グレインもそれを当然といった顔で見下ろし、顎をくいと突き出した。
とっとと行け、ということだろうか。
命令を受け、即座にサタンレイスに飛びかかるレッド。
攻守共に使い魔に任せっきりか。
楽なものだな。サタンレイスにスカウトスコープを念じる。
サタンレイス
レベル97
8598564/12596384
高レベルのボスともなれば、その魔力値を削り取るのは難しい。
レベルも高ければ当然攻撃力も比にはならない。
いかに高レベルの使い魔といえど、一撃でもまともに食らったらアウトだろう。
グレインもそれをわかっているのか、使い魔に攻撃が掠るたび、セイフトプロテクションを掛け直している。
見事な手際だ。気に食わない奴ではあるが、実力は確かだな。
「……すごいですね。あんな戦い方があるなんて……」
「あ~ん、私も使い魔欲しいなぁ~」
そう言いながらミリィはサタンレイスにホワイトスフィアを撃ち込んでいる。
ダメージはあまりないようだが、サタンレイスの経験値はかなりのものだ。
大半はグレインに入るだろうが、攻撃したワシらにもダメージを与えた分の経験値は入る。
グレインのおこぼれと言うのは少々癪だが利用出来るものは利用させてもらうか。
「がんばれーっ!」
「ひゃう! アインちゃんいきなり動かないで下さいよぉ!」
アインがクロードの胸元からヒョコと顔を出し、レッドとブルーの応援を始めた。
使い魔同士だからだろうか、呑気なものだな全く。
スカウトスコープで確認したが、グレインの使い魔は共にレベル90を超えている。
とはいえ、二人で相手出来るほどぬるい敵ではないはずだ。
グレインの強化魔導がそれ程強力だということか。
「ホワイトスフィアっ!」
ミリィの放った魔導の閃光がサタンレイスに直撃した瞬間、パリパリとその表皮が剥がれ落ち、黒い外殻から真紅の肉体が姿をあらわれていく。
むき出しの臓器のような身体を何本もの血管が走り、どくんどくんと脈打っている。
不気味だ。これがサタンレイスの発狂モードか。
「発狂モード……ですね」
「あぁ、ここからが問題だ。お手並み拝見と行こうか。クロードもレディアも、絶対ワシらから離れるなよ」
「はいっ!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
サタンレイスが吠え、威圧の魔導を展開してくる。
効果範囲はかなり広いな。
これでもうグレインはテレポートを使えない。
ワシらはぎりぎり使える距離だが、もうすこしサタンレイスがこちらに来ればすぐに使用できなくなるだろう。
念の為ブルーウォールを念じ、サタンレイスとワシらの間に氷の壁を生成する。
気休めにしかならんが、何もしないよりはマシだ。
「くっくっく、なんだぁ? ビビってんのか? ゼフちゃんよぉ?」
挑発してくるグレインを無視していると不機嫌そうに舌打ちをしながら、レッドとブルーに強化魔導を掛け直す。
と同時に、サタンレイスは大きな口を開けた。
「ぬっ……!? こいつは……」
「ゴオオオオオオオオ!!」
サタンレイスが咆哮を上げると、使い魔の纏った魔導の光が薄くなっていく。
ワシの展開したブルーウォールも見る見るうちに消滅していく。
どうやら魔導を打ち消す咆哮のようだ。
「ちぃっ!」
グレインが使い魔に強化魔導をかけようとするが間に合わない。
サタンレイスが巨大な拳を叩きつけると、防ぎきれなかった二体の使い魔は地面に埋まってしまった。
「あーっ!」
思わず大きな声を上げるアイン。
サタンレイスがその腕を上げると、パラパラと石片が落ち、押し潰された二体の使い魔が見える。
武器はへしゃげ、二人もピクピクと痙攣している。
とてもではないがこれ以上戦える様子ではない。
グレインはそれを見て、舌打ちをした。
「ったく、しゃあねぇな」
すたすたと、レッドの前に歩いていくグレイン。
まだ戦わせるつもりなのだろうか。
グレインに向かって震える手を伸ばすレッドを一瞥し、手にした片手剣でその小さな背を貫く。
「ぁ……?」
何が起こったのかわからないといった顔のレッドに、グレインは再度剣を突き立てる。
ぱくぱくと口を動かしていたレッドだったが、すぐに目の光を失い動きを止めてしまった。
サラサラと砂のように消滅してくレッドを見たブルーは、すぐさまグレインから這って逃げようとする。
だがグレインは容易く追いつき、ブルーの首も刎ね飛ばした。
ブルーの首がグレインの足元にごろりと転がり、そのままサラサラと消滅していく。
その様子を無感情に眺めるグレイン。
「れっど……? ぶるー……?」
アインがグレインの使い魔の名を、ぽつりと呟く。
皆もこの状況を理解出来ず、驚き止まったままだ。
「はぁ全く、一から育て直しだぜ。面倒くせぇ」
グレインの言葉と同時に、サタンレイスがグレインに向け剛腕を振り上げた。
それを紙一重で躱し、着地したグレインの身体を青い光がグレインを包み込む。
――――転移魔導ポータル。
こ、こいつ! ワシらにサタンレイスを押し付けるつもりか!
「じゃあ俺は行かせてもらうぜ。また会おうじゃねぇか……生きていたらな」
「待てっ! グレインっ!」
ワシを一瞥すると、グレインは光の中に消えていった。
どうやらポータルは威圧の魔導の影響を受けないようだ。
サタンレイスが息を荒げながらワシらを睨めつけてくる。
くそ、次の目標はワシらということか。
「ゴオオオオオオッ!!」
「来るぞっ!」
サタンレイスの咆哮にはっと我に返り、声を上げると皆も正常な思考を取り戻す。
アインはグレインの使い魔が殺されたショックから、まだ立ち直っていないようだ。
しかしそれに構っている暇はない。
突撃してくるサタンレイスの足元を狙いブルーウォールを念じると、その巨体を氷壁が捉える、が。
「ゴオオオオオオッ!!」
サタンレイスの咆哮で氷壁はみるみるうちに消失してゆく。
魔導を打ち消す咆哮。
くそ、厄介だな。
サタンレイスの魔力値は千二百万。
発狂モードは三分の一で発動だから四百万、それでもサニーレイヴンの倍近い魔力値だ。
戦闘力は言わずもがな、魔導も無効化してくるサタンレイスを今のワシらが倒すのは不可能。
――――ここは逃げるしかない。
「ミリィ、クロードを頼む」
「えっ……?」
戸惑うクロードの手を離し、ミリィにその手を握らせる。
「それとレディア、魔力回復薬をありったけよこしてくれ」
「そ、それはいいけど……ゼフっち、まさか……」
「あぁ、ワシが時間を稼ぐ」
ワシの言葉にミリィは顔色を変え、叫んだ。
「駄目よっ! ふざけないで! だったらリーダーの私が残るわっ!」
「ミリィはセイフトプロテクションを使えないし、ワシの方がこういうのは得意だ」
「でも……!」
「安心しろ、こんな所で死ぬ様なタマではないさ」
そう言ってミリィの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
目を潤ませ、泣きそうな顔のミリィをどんと突き放し、レディアに抱き止めさせた。
「行けっ! 皆を任せたぞ」
「ぅ……」
「お前はリーダーなのだろう?」
「……うんっ!」
ミリィを送り出したワシはサタンレイスと対峙する。
長い戦いの末、機転を利かせてヤツを行動不能にしたワシは少し休んでからミリィ達と合流する事にしたのだった。
(ミリィ、そろそろ戻るぞ)
(……)
だがおかしい。返事がない。
(レディア? クロード?)
続けて話しかけるが、三人共呼びかけに応えない。
何かあったのだろうか? ……嫌な予感がする。
警戒しながら入り口に向かって駆ける。
入り組んだ壁を伝いながら、忍び足で壁の間を抜けて行くと、入り口の方に白いコートの男を捉えた。
あれは……グレイン!?
何故奴がここに?
サタンレイスをワシらに押し付け、帰ったのではなかったのか?
(ミリィたちの姿が見えない……ワシの呼びかけに応じないのでなく、応じることが出来なかったとしたら……? そこらの魔物にやられるとは考えにくい。とするとやったのは……)
グレインの仕業か。
消えたミリィたちとグレインに殺された使い魔がダブり、瞬時に身体中の血が沸騰する。
目の前が真っ赤に染まり、噛み合わせた歯がガリと音を立て、少し欠けた。
矢も盾もたまらず壁から飛び出し、グレインの真正面に立ちはだかる。
「グレインっ! きさまぁっ!」
「……よぉ、やはり生き延びていやがったか」
怒りに震えるワシを嘲笑うグレイン。
血管がブチ切れそうだ。
即座に魔導を放ちそうになる衝動をギリギリで堪え、冷静を装い問い質す。
「……皆は何処だ」
「安心しな、殺しちゃいねぇ。そこで眠ってもらっているだけだ」
グレインがくいと親指を指した方を見ると、うつ伏せに倒れた三人の姿。
睡眠などの状態異常魔導は派遣魔導師の制約に触れないということか。
くそ、ザル制約ではないか。
恐らく不意打ちだったのだろう。派遣魔導師が相手とはいえ簡単に眠らさせる三人ではない。
スリープコード……それも何らかの固有魔導との併用だろう。
まずは一安心といったところか。
「……こんなことをしておいて黙っていられる程、ワシはお人好しではないぞ……!」
「あァ? ズレてるなお前。俺は元々お前らを生かして帰すつもりはなかったんだよ。色々見られちゃマズいモノも見られたしな」
「見られちゃマズいモノ? 使い魔を殺した事か? ボスを使ってワシらを殺そうとした事か? それともそんな事をする自身のクズさ加減か?」
「……ハッ」
怒りに任せた言葉を叩きつけるワシを、グレインは見下し笑う。
「まぁしかし大したもんだ。万が一を考えてここで張っていて正解だったぜ。まさかあの場面を切り抜けちまうとはな」
「誤算だったか?」
「あぁ、認めてやるよゼフ、お前は大したガキだ。だからあいつらを生かしておいた」
そう言ってグレインは眠っている三人の方に左手を向ける。
まさかこいつ……!
「動くなよ? お前が少しでも抵抗をするそぶりを見せたらあの三人の命はない」
「……外道がっ!」
「くっくっ……来い」
激怒に歪むワシの顔を心の底から愉しむように嗤いながら、グレインはサモンサーバントを念じる。
黒い闇の中から生まれたのは、山羊のような丸い角を生やした長い黒髪の少女。
その背には黒い小さな羽を持ち、感情のこもらない目でグレインに傅いた。
アイギス=ブラックテール
レベル1
魔力値 230
スカウトスコープで見ると、レベル1とは思えない魔力値の高さだ。
使い魔は術者の力量に左右されるとグレインは言っていたが……これが奴の実力という事か。
「お前の事はこれからブラックと呼ぶ」
グレインの言葉に、無言で頷く使い魔。
グレインにとっては名前などどうでもいいのだろう。
そういえば先刻殺したブルーとレッドもスカウトスコープで見た際の名前は違った気がする。
「ブラック、この剣であのガキを刻め。……すぐには殺すなよ? つまらねぇからな」
そう言って自分の武器をブラックに投げ渡す。
ブラックは受け取った武器を構え、ワシを無感情に見下ろしてきた。
制約のせいでグレイン自身が手を出せないから、使い魔でワシをいたぶろうと言う事か。
芯から腐っているなコイツは。
ブラックが剣を振るうと、ワシの服が切り裂かれ鮮血が宙を舞う。
「っ……! ぐ……っ!」
「ひゃっひゃっ! いいザマだなぁ! オイ?」
二度、三度、浅い斬撃を繰り出すブラックになすすべなく刻まれるワシを見下ろし、嗤うグレイン。
反撃をしようと隙を伺うが、グレインは愉しみながらも油断は見せず、ミリィたちに向け構えた手も降ろさない。
斬撃と共に破れた服から血が滲む。
(くっ……そ……!)
やぶれかぶれで魔導を放ってもグレインを倒せる可能性は薄い。
腐っても派遣魔導師、その強さはまともに戦えば今のワシより上なのだ。
その上、人質まで取られている。
「が……っ!」
思わず声が漏れる。
使い魔の攻撃でワシの服はぼろぼろに刻まれ、足元には浅い血だまりができつつあった。
これ以上ダメージを受けるのはマズい……一か八か、やるしかない……!
右手に意識を集中させようとした瞬間、グレインの手から魔導が放たれる。
ミリィを狙い放たれた一撃は、地面に炸裂し白煙を上げた。
「な……っ!?」
もうもうと立ち上る土煙が晴れると、ミリィたちの横には大きな穴が出来ていた。
だが当たってはいないようだ。
「あぁ、魔導を使うのは当然禁止だ。俺様くらいの使い手になると、魔導を使う気配も察知できるからなぁ……次は当てるぜオイ?」
グレインが顎を動かすと、ブラックが頷き、ワシの右手にその剣が突き立てる。
さくり、とあっさりワシの手を貫き、傷口から血が噴き出した。
「ぐあああああっ!?」
「ぎゃははははは! いい声で鳴くじゃねえか! 俺はな、前々からテメェが気に食わなかったんだよ! 何もかも見透かしたような目で見やがって……制約のせいで俺が殺れねえのは残念だが、そのまま自身の無力さを嘆きながら死にやがれ!」
グレインの言葉に呼応するように、ブラックは剣をぐりぐりと動かし、抉る。
くそ……だが、
――――隙は作ったぞ、クロード。
「やあああああああああ!!」
小さな叫び声。その一瞬後、グレインの右目に小さなレイピアが突き刺さる。
クロードの胸に隠れていたアインが飛び出したのだ。
「なんだこのハエは! くそぉっ!俺の……目に……何しやがるぁあああああああああああ!!」
「はえじゃない! わたしは! わたしたちはっ!」
半狂乱のグレインがアインに向かって魔導を放つ、そのタイミングを見計らいサモンサーバントを念じて、アインを引っ込めた。
衝動的に強力な魔導を放った事で出来た、グレインが見せた初めての隙。
見逃すわけはない。
呆けた顔の使い魔――――ブラックの胸に手を当て、グリーンクラッシュを念じる。
めきり、と音がしてブラックの身体を衝撃が突き抜ける。
「……恨むならお前の主を恨むのだな」
「――――っ!」
胸に空いた大きな穴のせいで、ブラックが言葉を発する事は出来なかった。
サラサラと砂になっていく使い魔の手からグレインの剣を奪い取る。
「貴様ああああああああああああああ!!」
グレインは咆哮を上げながら三人の方に魔導を解き放つ。
強力な爆炎が三人を包み込む……が。
「……残念ですが、ボクに魔導は効きません。最初から眠ったフリをしていたんですよ」
「ナイスだクロード」
ワシを待っている最中、クロードの傍でミリィとレディアがいきなり眠りに落ちた。
すぐにグレインを見つけたクロードは、自分一人では勝てないと悟り眠ったふりをしていたのである。
ワシが駆けつけグレインと会話を始めた時、クロードは寝たふりをしながらワシに念話をかけてきたのだ。
その時に、クロードと計画を練ったのである。
そして隙を作り現状に至る、というわけだ。
「魔導が……効かないだぁ……!?」
「安心しろ、お前の相手はワシがしてやる。クロードは二人を頼んだぞ」
「……わかりました!」
二人の眠りは深い。
それにグレインの性格はクソだが、強いのは確実だ。
ミリィたちを守りながら戦える余裕はない。
そして何より。
「グレイン、お前はワシが倒さねば気が済まないのでな」
――――轟、と。
ワシの身体を、激しく燃え上がる焔のような魔力が纏った
「くそゼフがぁああああああああ!!」
潰れた右目から血を流しながら、激しい怒りを露わにするグレイン。
だがその反面、頭は十分に冷えているようで叫びながらもその身体に魔導の光を纏っていく。
あの感じ、対サタンレイス戦で使い魔に使っていた強化の魔導か。
しかしそれが展開し終わるのを、悠長に待ってやるほどワシの気は長くない。
グレインに手をかざし先手必勝とばかりにタイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはレッドクラッシュとブラッククラッシュ。
――――二重合成魔導、パイロクラッシュ。
対魔導師戦の基本は先手必勝、強力な魔導を先に当てた方が勝つ。
並の冒険者レベルであるならば、レッドクラッシュを当てただけで倒すことは可能だ。
高い威力を誇るパイロクラッシュならば、派遣魔導師といえど倒せるはず。
渦巻く炎風の螺旋がグレインを包み焼く……が、炎の中でグレインはニヤリと笑った。
「ハッ……派遣魔導師オレに手を出したな? 派遣魔導師が戦うには一度攻撃を受ける必要がある……だがこれでクソうぜぇ制約もねぇ。遠慮なくこちらからも攻撃出来るってもんだ」
殺意に満ちた声。グレインの纏った魔力が揺らめき、炎を押しのけていく。
「かあっ!」
グレインが気合を入れると、奴を包む炎風は飛び散り、炎風の螺旋は散り散りになってしまった。
馬鹿な……ワシのパイロクラッシュをかき消しただと?
「くっくっく、驚くことはねぇだろ。派遣魔導師は専守防衛、こちらからは手が出せない。にもかかわらず強力な魔導を使ってくる犯罪魔導師共の相手をしなくてはならねぇんだ。並の防御力じゃやっていけねぇだろうがよ。まぁ、かすり傷とはいえオレにダメージを与えたのは褒めてやってもいいがな」
ニヤリと笑い、勝ち誇るグレイン。
服や身体は少々焼け焦げているが、強がりではなく本当に大したダメージはないようだ。
恐らく先刻の強化の魔導のおかげか。
流石に甘くはない、か。
グレインが手をかざすのに気付き咄嗟に飛び退くと、ワシのいた場所を炎の連弾が焼き続ける。
――――レッドバレット。
先刻のレッドブラスターといい、グレインは緋の魔導を好む傾向にあるようだな。
緋を極め、フレイムオブフレイムであったワシから見ても相当に強力な魔導だ。
おもしろい、元フレイムオブフレイム様が相手をしてやろうではないか。
グレインの放つ炎弾の、最小限をブルーボールで迎撃しつつ走り、タイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはブラックブーツとレッドグローブ。
――――二重合成魔導、マゼンダコート。
まだらに燃える外套がワシの身体を覆っていく。簡易ではあるが速度強化と攻撃強化の合成魔導だ。
レッドバレットの隙間を縫って躱し、構えた片手剣で思い切り突く。
「貧弱なんだよっ! クソチビがぁっ!」
が、いつのまにか取り出していた白銀の盾で、ワシの攻撃をなんなく受け止めるグレイン。
自分が攻撃した瞬間、ワシの反撃を読んで袋から取り出したのか。こいつかなり実戦慣れしているな。
そのまま力任せに盾で弾かれ、距離を取らされる。
「オラァ!」
グレインが追撃とばかりにレッドバレットを放ってくるのをブルーバレットで撃ち落としていく。
魔導は緋と蒼、空と翠、相反する同格の魔導であれば、使い手のレベルに関係なく相殺させることができる。
(しかしどうする。ヤツには魔導の効果が薄いようだ)
ワシの最大クラスの合成魔導、パイロクラッシュもほぼ無傷で防がれてしまった。
何かダメージを与える手段は……そういえばグレインはアインのレイピアでのダメージは受けていたし、先刻の攻撃も盾で防いでいた。
物理攻撃ならば効果はあるのかもしれない。ならばこいつで……と剣を握りしめたその時である。
「待って、その剣じゃアイツの相手は厳しいわよ」
不意に聞こえた少女の声。
聞きなれぬ声の方を向くと、長い金髪の少女がワシと平行して飛んでいた。
金色に光る髪と翼、意志の強そうな真紅の瞳。
白いドレスのような服はまるで天使のような風貌だ。……だがこの雰囲気、どこかで見た気がする。
「……誰だ?」
「はぁっ!? 見ればわかるでしょ? 私よ。わ、た、し!」
自身を指差す少女をよく見ると、頭の上にぴょこと生えた見覚えのある赤いリボン。もしや……
「……アインか?」
「おじい、今私のリボンを見て言ったでしょ」
じと目でワシを見るアインの後ろをグレインの魔導弾が過ぎ去り、爆発を起こす。
巻き起こる爆炎が移り込んだ金色の髪は、まるで燃えるようであった。
「ノンキやってる場合じゃないわ。おじい、手を!」
「手? 構わんが……」
疑問に思いながら右手を差し出すと、アインがワシの手を握り、眩い光を放つ。
眩い光に目を瞑るワシの頭に、アインの決意に満ちたが聞こえてくる。
「あいつは私の仲間にひどい扱いをした……絶対許さない!」
強い怒気を孕んだアインの声。
どうやらグレインが自分の使い魔を殺したことに強い怒りを感じているようだ。
何の理由があるのかは知らないが、自分の使い魔だからと言って殺していいはずがない。
「……ワシも同感だ。力を合わせて奴を倒そう、アイン」
「うんっ!」
アインの放つ光が徐々に収まっていき、ワシの手に残ったのは一振りの剣。
金色の輝きを放つ光は、先刻のアインの翼を思わせる。
(神剣アインベル、とでも呼んでもらおうかしら)
剣になったアインは、ワシの頭の中に直接話しかけてくる。
それにしてもこの言い回し、どこかで聞いたような……
「細かいことは気にしないっ!」
「……ま、そうだな」
グレインの剣を投げ捨て、神剣アインベルを握りしめると刀身が力強く輝いた。
「死ねカスがぁっ!」
その瞬間、グレインが魔導を放ってきた。
レッドブラスターだ。躱そうとするワシをアインが止める。
「おじい、受け止めて!」
「むっ!?」
アインの声に反応し、咄嗟に神剣アインベルでグレインのレッドブラスターを受け止める。
と、神剣アインベルに当たった熱線は全て吸い込まれ、消滅してしまった。
魔導を吸ったアインベルは、その柄に埋められた紅玉を鋭く輝かせている。
「これは……」
「俺の魔導を吸い込んだ……だとぉ……?」
驚愕の声を上げるグレイン。
ワシは昔、このタイプの魔剣を見たことがある。
柄に埋め込まれた宝石に魔導を吸い込み、その力を糧とする魔導の剣、確かその使い方は……
「今よっ! おじいやっちゃえーっ!」
気合いと共に神剣アインベルを振るうと、先程吸い込んだレッドブラスターがグレインに向け放出された。
迫りくる熱線をグレインは紙一重で躱す。
「ぬおっ!?」
遠くの岩にぶち当たった熱線は岩を溶かしてしまった。
この威力、先刻グレインが撃ったものと同じである。
「ふふふ、神剣アインベルは魔導を吸い込み、振るうと共にそのままの威力で放出することが出来るのよっ!」
「ん……だとぉ……!?」
信じられぬといった顔のグレインに向け、神剣アインベルを構える。
親指で取り付けられた宝玉を撫で、呟く。
「神剣アインベル……いい武器だ。ありがとうアイン」
「ざけんなあああああっ!!」
咆哮と共にグレインはレッドスフィアを放つ。
それも神剣アインベルで受け止め、剣を振るうと同時にタイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはレッドスフィアを二回。
――――三重合成魔導、レッドスフィアトリプル。
カウンターで放った豪炎の球がグレインを包み、焼く。
しかし炎の中揺らめく人影は、未だ健在である。
「がああっ!」
気合いと共に火球はすぐかき消されてしまったが、グレインを纏っていた魔力の光は消え、奴のコートも黒焦げになっていた。
効いている! 今がチャンスだ。
追おうとするワシを足止めすべく、グレインはレッドバレットを放ちながら後ろへ飛んだ。
ブルーバレットで迎撃し、すぐさま追撃を試みようとするも、グレインはまた先刻の魔導を纏ってしまう。
「くそ……くそがぁ……っ!」
ちっ、またか。
グレインの纏った強力な魔力の衣……あれを破るにはトリプルでも足りないようだ。
(アイン、少し聞きたい)
(何?)
(少しいい考えを思いついたのだが……)
ごにょごにょと、アインにワシの考えを伝える。
(……こういうことをやろうと思うのだが)
(はぁっ!? 無理っ! 無理無理無理っ! そんなの入るワケないじゃないっ!)
(だが、奴を倒すにはそれしかない。力を貸してくれ)
(うう……神剣使いが荒いんだからぁ……)
不服そうなアインだったが、少し考え込んだ後に答えた。
(……わかった。その代わり、絶対勝ちなさいよね!)
(無論だ)
相談が終わると、グレインは既に詠唱を始めていた。
「緋の魔導の神よ、その魔導の教えと求道の極地……」
――――この詠唱、レッドゼロか。
全ての魔力を解き放つ緋系統最強大魔導、長い詠唱があり、尚且つ放った後は無防備になるため対人戦で使うことはかなり難しいが、発動さえすればそう簡単に防ぐことはできない。
確かにセオリーではないが、固有魔導による高い防御力とリカバリーの手段を持つ派遣魔導師ならば、戦法としてはアリなのだろう。
だが、そう簡単にやらせるものかよ。
グレインの詠唱が終わる前に攻撃するべく、魔導を念じようとした瞬間、自身の魔力が思った以上に減っている事に気づく。
これは……神剣アインベルにワシの魔力が吸い取られているのか。
アイン《使い魔》を呼び出している間は徐々に魔力を消費するが、神剣形態になってからはその減少はさらに顕著だ。
これでは攻撃も出来ない。魔力回復薬を一気に飲み干す。
「達せし我に力を与えよ……」
飲み終わり、タイムスクエアを念じた時にはグレインの詠唱がほとんど終わっていた。
間に合うか……タイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはレッドクラッシュとブラッククラッシュ。
――――二重合成魔導、パイロクラッシュ……を、神剣アインベルに向けて発動した。
(ん……くぅ……っ! ……はぁ……はぁ……っ!)
苦しそうなアインの呻き。だが無事、パイロクラッシュは神剣アインベルに吸収されたようだ。
神剣アインベルの刀身にパイロクラッシュが飲み込まれ、中心の宝玉が赤と黒、まだらに輝き始める。
「……紅の刃紡ぎて共に敵を滅ぼさん! ……レッドゼロぁ!」
こちらの準備が整わぬうちに、グレインの詠唱が完成した。
放たれたレッドゼロがワシの眼前へ迫る。
マズイ、少し手間取ってしまった。
(くそっ、解き放つしかないか……!)
苦し紛れに神剣アインベルを振るおうとした刹那、ワシの前に盾を構えたクロードが立ち塞がった。
直後、クロードへと突き立つ炎の刃。
それを盾で受け止めたクロードは、苦悶の表情を浮かべている。
「クロード!?」
「ゼフ君……早くあいつを……っ!」
「……助かる!」
レッドゼロに耐えるクロードに一言礼を言うと、グレインに向かって駆ける。
「へっ、影も残らねェだろ……って何ぃ!?」
炎刃が消え去り、煙と共にあらわれたクロードを見て、グレインは驚愕の声を上げる。
「魔導無効化……またテメェかっ!」
「――――いい仲間であろう?」
苛立つ声を出すグレインのすぐ後ろには、既にワシが回り込んでいる。
振り向き魔導を放とうとするが、遅い。
地摺り気味に繰り出されるワシの剣撃は、グレインよりも少しだけ早かった。
神剣アインベルを振るうと共に、タイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのは、ブルークラッシュとグリーンクラッシュ。
時間停止が解除されると緋、空、蒼、翠、四色の魔導がせめぎ、弾け、そして混ざり合い、金色の光を放つ。
神剣アインベルによる剣閃が金色の光を放ち、その渦巻く程の魔力がグレインに向け解き放たれた。
何重にも収束した光の螺旋が一つの帯となってグレインを切り裂き、纏った魔導の衣をバラバラに引き千切っていく。
「ごほっ……!」
大きく胸を切り裂かれたグレインは口から血を吐いた。
振り抜いた剣から伝う血が、床にぼたぼたと落ちてゆく。
傷は深い。もはやまともに動くこともできないのか、グレインはがくりと膝を落とし虚ろな目でぱくぱくと口を動かした。
「な……んだ……今の……は……?」
「――――四重合成魔導、テトラクラッシュとでも名付けておくか」
神剣アインベルを振るうと、グレインの血と共に金色の光が宙を舞うのであった。
グレインは未だ何が起きたか信じられない様で、虚ろな表情でばかな、だのありえない、だののたまっている。
派遣魔導師もこうなっては哀れだな。今、とどめを刺してやるとするか。
「……終わりだ」
そう言って神剣アインベルを構え、グレインに向けて剣を振り下ろす。
しかし首を狙ったワシの一撃は金属音と共に狙いを外し、切っ先はグレインの肩に突き刺さった。
当然命を奪うまでは至らない。
「が……っ!?」
苦痛の叫び声を上げるグレインの傍らには、同じく白いコートを着た人物が立ってた。
神剣アインベルの一撃を防いだのはグレインの持っていたものと同じ剣、その持ち主は黒髪の女――――
「アゼリア、か」
「そこまでだ。ゼフ君、すまないが剣を収めてもらえるか?」
グレインを助けに来たのだろうか。
だがここまでの事をされたのだ、引き下がれるわけがない。
「先刻、グレインに殺されかけたものでね。ハイそうですか、というわけにもいかないな」
「わかっている。当然こいつには厳罰を与えるつもりだ。……それにキミが手を汚して悲しむ人もいるだろう?」
心配そうにワシを見つめるクロード、そしてグレインに眠らされ倒れているミリィとレディアが視界に入る。
だがこいつは仲間を殺そうとした。
絶対に許すわけにはいかない。
「納得がいかないと言った顔だな。……魔導士協会において派遣魔導師と言うのは法を守る番人、自らその規則を破った者には厳罰が与えられる」
「当然だ、だが釈放されればまたワシを狙ってくる可能性が……」
「――――グレインには蟲飼の刑が課せられる……これは罪人の身体に魔導蟲を埋め込むというものだ。これは魔力線を喰らう蟲で、魔導を使おうとするとその部位に激痛が走り、最悪死に至る。二度と魔導を使うことは出来ないだろう。その上で派遣魔導師の称号を剥奪し、罪人の住む監獄島へと追放する」
「そんな……! アゼリア先輩っ! そこまでしなくてもいいじゃねえすかっ!」
懇願するグレインに、アゼリアは冷たい目を向けて言い放つ。
「黙れグレイン、むしろ殺されないだけ慈悲があると思え」
「……っ!」
アゼリアの言葉に、グレインはびくんと身体を震わせ言葉を飲む。
大柄なグレインが、小さくなったように見える。
魔導師にとって、二度と魔導が使えないというのは死よりも苦しいものだ。
さらに監獄島の人間は派遣魔導師に捕えられたものばかり、グレインのような派遣魔導士はかなり憎まれている筈。
だがこいつは皆を危険に晒した屑だ。許すわけには……
「ゼフ君……!」
クロードが呟く。
……ちっ、そんな不安そうな顔でワシを見るな。
やれやれとため息を吐いて、ワシは神剣アインベルを下ろした。
「……わかったよ。それでいい。グレインの事は任せる」
「恩に着る。実はグレインについては一般の冒険者からも何度か問題行動の報告を受けていてね。それで証拠を掴むのに手間取っていたのだ」
グレインの奴、他の冒険者にも似たようなことをしていたのか……外道め。
というかアゼリアもタイミングのよさからして、証拠をつかむためあえて泳がせていたのかもしれない。
真に油断がならないのはアゼリアなのかもな。
「……では拘束する」
アゼリアが何やら念じると、手元にリング状の魔力が形成され、グレインの身体を束縛する。
あれも固有魔導の一種であろうか。
「やめろぉ! それだけはやめてくれぇっ! 可愛い後輩じゃねーっすかぁ!」
「はっはっは、見苦しいぞグレイン。最後くらい私の後輩らしくしないか」
「が……ぎゃああああああああああ!!!」
アゼリアがグレインの手首を持ち半回転させると、ごきりと音が鳴りグレインの絶叫が響いた。
うむ、いい気味だ。ざまあみろと言ったところか。
暴れるグレインを立ち上がらせ、アゼリアはポータルを展開した。
青い光に入ろうとするアゼリアに、一言言っておく。
「アゼリア、一つ貸しだからな」
「ふふ、そうだな。セルベリエの件を不問にしておく……という辺りが落とし所か?」
うっ、ワシとセルベリエが繋がっていることがばれている……だと……?
グロウスに関しては、盗んだものを使用した時点でワシらも共犯みたいなものである。
貸しを作ろうとしたがとんだ藪蛇だった。
やはりアゼリアは油断ならない。
「それではな」
くすくすと笑いながら、アゼリアは転移の光に乗って消えていくのであった。
アゼリアとグレインが共に消えると、思わず気が抜けて座り込んでしまう。
安心したからかどっと疲れが押し寄せてきたようだ。
身体はボロボロ、出血もひどいし魔力も出し尽くしてしまった。
手にしていた神剣アインベルを手放すと、剣は光の粒子となり消えていく。
消える際、アインのお疲れ様と言う声が聞こえた気がした。
しかしアインの奴、成長していたが今後もあのままなのだろうか。
神剣アインベル化すると魔力の消費が異常にデカいし、長時間変化させておく事は難しそうだ。
しかも性格も何だか生意気になってたし……だがアインのおかげで勝つことが出来たな。
それにしてもタイムスクエアと神剣アインベルによる魔導の四重合成は大成功だったな。
三重でも大してダメージを受けなかったところを見ると、四重でも奴を倒せる保障はなかった。
なので多少賭けではあったが緋、蒼、翠、空、四色の魔導を駆け合わせるという方法に出たのである。
結果としてそれは金色の光を生み、グレインを倒すほど強力な魔導を生みだした。
魄を混ぜなかった理由は、他の三色との相性が悪いからだが、まぁ組み合わせはおいおい試してみるつもりだ。
とにかく今は疲れた。
身体中から力が抜け、足が砕け地面に座り込む。
「ゼフ君っ!」
クロードが駆け寄ってきて、ワシに思いきり抱きついてきた。
顔を近づけてくるクロードは、少し目が潤んでいる。
照れ隠しに頭を撫でてやると、ワシの胸に顔をこすりつけ涙をぬぐった。
「よかったです……本当に死ななくて……」
「ワシが魔導師との闘いで後れを取るかよ。だが助かった。レッドゼロは流石のワシでも防ぎきれんからな」
「物陰に隠れてみていたのですが、レッドゼロの詠唱が聞こえたので矢も楯もたまらず……」
大魔導の詠唱は長いが、一度発動すると対人戦では勝利が確定する場合が多い。
実際あそこでクロードがレッドゼロを防御してくれなければ、テトラクラッシュでレッドゼロを相殺せざるを得ず、魔力回復薬の少ない状況ではどうなっていたかわからない。
「ともあれナイスだったぞ。クロード」
「いえ、当然の事ですから」
そう言うクロードは、先ほどのレッドゼロのせいか服もところどころ焦げつき、持っていた盾は完全にヒビ割れている。
確か母親に貰った大事な盾とか言っていたな。
割れた盾を見ていると、クロードはそれに気づき少し寂しそうな顔をする。
「あぁいいんですよ。大切なものではありますが、ゼフ君を護れたんですから母上も喜んでくれています」
笑って答えるがその瞳は少し曇っていて、やはり気にしているようだ。
当然か、大事な母親に貰ったものなのだ。
しんみりとするクロードだったが、不意にワシを見て何か思いついたような顔で、微笑む。
「でもせっかくだし、ゼフ君に新しい盾をねだってもいいですか?」
「……ちゃっかりしてるな」
ワシが皮肉ると、クロードはえへへ、といって笑うのだった。
ショックを隠そうとしているのだろうが……まぁ乗ってやろう。
全く下手なごまかし方だな。
スクリーンポイントは魔導を完全に無効化するわけではない。
服が燃えたり破れたり、副次効果までは防ぐことは出来ない。
緋系統最強の魔導であるレッドゼロ……しかも派遣魔導師のそれを受けては無傷というわけにもいかぬだろう。
ま、クロードが無事だったのだ。よしとしようではないか。
「肩を貸します。ミリィさんたちの所に戻りましょう」
「頼む」
痛んだ身体をクロードに引き起こして貰い、その肩を借りながらよろよろとミリィたちの所へ行くと、二人は未だのんきに眠っていた。
「ふふっ、二人ともいい寝顔です」
「こら、笑ってやるな……くっくっ」
「ゼフ君だって……あははっ」
緊張が解けたからだろうか、ワシとクロードは二人が起きるまでずっと笑っていた。
サタンレイスの徘徊するワナルタ遺跡は危険だ。
いい狩場もなくなってきたし、ワシらは首都へ行く事になった。
レディアの親父さんからレディアを連れて行く許可を取り、無事船での航海を楽しんでいた時である。
いきなり船が大きく揺れた。
「魔物に襲われているのかもしれない」
「外へ出ましょう!」
部屋を飛び出し、揺れる船内を駆ける。
甲板に上がると、船員たちが魔物と戦っていた。
白く太い胴体からは何本もの触手が生え、頭の上は頭巾のように三角になっている。
八本の足で甲板に立ち、二本の長い触手がまるで人の腕のように伸ばして立つその姿は、シルエットだけなら人間のようだ。
だがもちろん違う。
こいつらは海に生息し群れで船を襲う魔物、スクイッドである。
「スクイッドの群れだーっ!」
「戦えねぇやつは乗客の冒険者たちに協力を頼んで来いっ! この船は沈ませねえぞ!」
「ばっかやろう! 戦うなら船を傷つけないように戦いやがれ!」
どうやら船員が戦っているようだ。
船員の一人がスクイッドに銛を突き刺し、追撃の蹴りでその身体を大きく吹っ飛ばす。
スクイッド
レベル35
魔力値0/3940
転がってきたスクイッドにスカウトスコープを念じると、甲板に溶けるようにして消滅していく。
スクイッドはけして弱い魔物ではないのだが、割と余裕で蹴散らしているようだ。
甲板の上は魔物と船員と冒険者でごった返しているが、群れとなったスクイッドの対処にも慣れたもので、銛や棍棒を使いどんどん撃退していく。
流石は海の男たち。だがスクイッドは海からどんどん甲板の上に上がってきている。
「ワシらも手伝うぞ!ミリィ、大魔導は使うなよ。下手に当てると船が沈みかねないからな!」
「うん!」
スクイッド共との戦闘はワシらが優勢で、押され始めたスクイッド共は、徐々に船から撤退していく。
最後の一匹が海へ逃げ込むと、静寂が辺りを包む。
息を弾ませていたミリィがぽつりと漏らす。
「はぁ、はぁ……や、やったの……?」
「いいやまだだ。気を抜くなよ」
スクイッドは群れをなし、遠征をする魔物。
大抵は「乗り物」を有しているのだ。
特に船を襲うものは、それに追いつけるだけの高速移動手段を。
他の冒険者や船員たちもそれを理解しているのだろう。
未だ警戒し、武器を手放そうとはしない。
「まだ終わっていないみたいですね」
「皆ピリピリしてるもん。もう一荒れ来るわよ」
レディアとクロードが、厳しい表情を浮かべながらこちらへ戻ってくる。
立ち込める緊張感の中、冒険者だろうか一人の男が様子を見ようと船べりから海を覗き込んだ。
「おい! 危ねぇぞ!」
「え――――?」
それを船員に止められ、男がふり向いた瞬間、その背後に大きな水柱が上がった。
水柱の中からあらわれたのは白く長く、太い触手。
船のマストくらいはあるだろうか。それは大きくしなり、吸盤のついた先端部を男に巻きつけて捕らえてしまった。
「うわああああああっ!!」
「くそ、言わんこっちゃねえ!」
必死の形相で叫び声を上げる男を助けようと、船員たちが走るが、とても間に合いそうにない。
男が海に引き込まれる寸前、ミリィが飛び出し魔導を放つ。
「ブラックスフィアっ!」
触手に向け放たれた旋風の渦は、風の刃で触手を刻み怯ませる。
驚いたのか、触手は男を放して海の中に引っ込んでしまった。
放り出された男は甲板に身体を打ち付ける。
「ったた……あ、ありがとうございますっ!」
「いいっていいって♪」
命からがらと言った様子で頭を下げる男に、ミリィは手を振って応える。
おいそんなことをやっている場合ではないぞ。
「いいから早くこっちへこい!」
ワシの言葉に男はおぼつかない足取りで、こちらに歩いてくる。
しかしその途中で船体が大きく揺れた。
バランスを崩し、転びそうになったミリィが抱きついてくるのを支えてやる。
「きゃああああっ!」
「ぐ……なんという揺れだ……っ!」
ぎし、ぎしと断続的に船が大きく揺れる。
締め付けるかのような軋み音。先刻から船が傾き放題である。
恐らく先刻の巨大な触手に攻撃を受けているな。
ミリィが心配そうにワシの顔を覗き込む。
「さ、さっきの人は……?」
「転がって船室に落ちて行ったよ。運のいい男だ」
「そう……よかったね」
安堵したような顔のミリィ。
船が若干持ち直したかと思った瞬間、海から先刻の触手が甲板の上に這い上がってくる。
「わわっ!? ぶ、ブルーゲイルっ!」
即座に放たれる水竜巻が巨大な触手を刻む。
だが咄嗟の事で狙いが甘い。掠っただけで終わってしまった。
ミリィに狙いを定め、触手が迫る。
「――――させません!」
クロードが立ちはだかり、触手を剣で切り払う。
怯んだ触手へ他の者も攻撃を開始し、流石に分が悪いと思ったのか触手はずるずると海へと潜り込んでいった。
「く……逃げられちゃった……」
「あの触手、スクイッドのものに似ていましたよね……大きさは全然違いますが」
「今度はこっちだよ!」
レディアの言葉に振り向くと、後ろの方で船員が触手に襲われている。
仲間によって何とか助け出されたようだが、またも触手には逃げられてしまった。
あぁも神出鬼没では戦いようがないな。あれがスクイッドの「乗り物」か。
アレは恐らく……ワシは予感を確信に替えるべく、海へ逃げる触手へスカウトスコープを念じる。
クラーケン
レベル80
魔力値580588/585842
やはりそうか。
スクイッドが移動手段として用いる魔物は多種あるが、その中でも最も厄介なものだ。
クラ―ケンの姿形はスクイッドと似ているが、そのサイズは何十倍以上。
恐らくこの船と同じくらいはあるだろうか。巨大な触手で船にまとわりつき、中の人を喰らう魔物だ。
最後には締め付けて船を破壊し、すべてを海の藻屑としてしまう。
「クラ―ケン……だねぇ」
「知っているのかレディア?」
「船乗りの知り合いからね。厄介な魔物だってことも」
いつになく真面目なレディアの言葉に、クロードとミリィはごくりと息を飲む。
そもそも海の魔物自体が厄介なのだが、よりにもよってという感じだな。
「どちらにしろ、やるしかないんだよねっ!」
「そう言う事だ。気合いを入れろよ」
まぁワシら以外の者もいることだし、戦えない事もないだろう。
船員たちは戸惑うものもいるが、ほとんどは戦意に漲っている。
自分たちの船は自分たちで守る、と言った顔だ。
「とりあえずは触手を払い退けるだけでいい。おそらく船体に吸盤か何かでくっついているのだろう。触手を全て千切り飛ばせば、少なくとも逃げるくらいはできるはずだ。全部消し飛ばすからワシを援護しろ!」
「うんっ!」
「わかりましたっ!」
皆がワシを守るべく周囲を囲む。サモンサーバントを念じると、光の中から大きく翼を広げアインが出てきた。
「呼んだー?」
「アイン、上空から魔物の動きを探ってくれ」
「おっけー!」
アインはパタパタと翼をはばたかせ、船のマストの上まで飛んで行った。
何度か旋回しながら、海上を見下ろしクラ―ケンの動きを見張る。
どこから触手が伸びて来るかわかれば、その出所を叩くことが可能。
「お、おいあれはなんだ!」
「天使だ!」
「俺たちを見守ってくれているんだ! ありがてぇ!」
それを見た船員たちが、口々に叫ぶ。
アインの奴も調子に乗っているのか、手をひらひらさせて答えている。
ったく調子に乗りすぎだぞ。
「北側からくるよっ!」
アインが指差すと、全員がそちらを向き直る。
直後、あらわれた巨大触手だが全員が攻撃の構えを取っている。
まさに飛んで火にいる……というやつだ。
「ブルーゲイルっ!」
今度は正面から触手を捉えた。
ズタズタと刻まれていく触手はしかし、勢いがついているのですぐには逃げることが出来ない。
その隙に全員が切りかかっていく。
「はあっ!」
「どらああああっ! くたばりやがれっ!」
連続攻撃を受けのたうちまわる触手にとどめを刺すべく、タイムスクエアを念じる。
時間停止中に念じるのはレッドクラッシュとブラッククラッシュ。
――――二重合成魔導、パイロクラッシュ。
ごうん、と赤と黒、まだらに燃え盛る爆風が螺旋を描きクラ―ケンの触手をバラバラに砕いた。
炭化した触手の破片が甲板に落ち、消滅していくのを見て、船員たちが大きな歓声を上げる。
「うぉおおおおおお! やったぞ!」
「ざまあみやがれってんでい!」
口々に声を上げる海の男たち。
よし、上手くいったようだな。
「この調子でどんどん行くぞ」
「次は西だよっ!」
アインの言葉で、皆が西の方を向く。
襲い来る触手を、今度も難なく撃破した。
この調子で触手を削っていけば何とかなるかもしれない。
「おおおおおっ! やれる! やれるぞ!」
「天使様のお導きがあれば勝てるっ!」
うーむ、あれはワシの使い魔なのだが……まぁやる気になってくれてるのに。野暮なことを言うのはやめておこう。
アインも若干引いている。煽るだけ煽りおって……後でどうなっても知らんからな。
すべての触手を撃退し、最後の触手が宙を舞った。
船がクラ―ケンから解放され、がくんと大きく揺れた瞬間である。
ぴし……と船から離れ逝く触手の白い皮が割れ、パラパラと海面に落ちていくのがわかる。
発狂モードだ。変化している間に距離を離す!
「ミリィ!」
「おっけぇーっ!」
ワシの指示通り、レディアは船べりまでミリィを運んでいた。
変異しつつあるクラーケンの触手が生えている海面に手をかざすミリィ。
「緋の魔導の神よ、その魔導の教えと求道の極地、達せし我に力を与えよ。紅の刃紡ぎて共に敵を滅ぼさん――――レッドゼロっ!」
ミリィの手のひらから発せられた炎の刃が、クラ―ケンに向け放たれる。
まるで剣を振り下ろすがごとく海面に落ちた炎の塊は、大爆発を引き起こした。
大量の水しぶきと蒸気が辺りを包む。
未だ絡んでいた触手もぶちぶちと千切れ、船はがくんと揺れた。
クラーケンの拘束から解放されたのであろう。
「今だっ!」
ワシの言葉に呼応するように、船尾が大きく沈み、海面に巨大な水柱が立ち上る。
上手くタイミングを合わせ、船を発進させてくれたようだ。
海面に映る魔導の光、船の後方の海が渦巻いているのが見える。
船員の中にはいざという時に備え、何人か魔導師が配置されている。
船がどうしても動かなくなったときは、魔導により推進力を得て移動するのだ。
高速で移動する船は、変異するクラーケンからどんどん距離を取って行く。
このまま逃げ切れればいいのだが……クラーケンの様子を見ていると、ミリィが話しかけてくる。
「終わったの……?」
「さあてな。念のため魔力を回復させておけよ」
「うぇ……」
魔力回復剤を渡すと、嫌そうな顔をしつつも受け取った。
ワシの方も瞑想で魔力を回復させていく。
「ゼフ君、あれを見てください!」
不意に視線の先、クラーケンがいた所から海面が大きく跳ね上がったのが見えた。
発狂モードに変異したか。だがこれだけ距離があれば逃げ切れるか……?
「……追ってきてるねぇ~」
「ゼフっ! すごいスピードよっ!」
しかし期待とは裏腹に、水しぶきがこの船にどんどん近づいてくる。
これは予想以上に、早い。
船尾から上がる魔導の光も徐々に淡くなっていき、その力を失っていく。
魔力切れか……マズいな、このままでは追いつかれてしまう。
「……仕方ない、攻撃を続けるぞ! ミリィ!」
「う、うんっ!」
魔力回復薬を飲んでいくミリィ。
焦っているのか服にこぼしつつも、急いで飲み干していく……と、いきなり思いきりむせた。
「ぶはっ……けほ、けほっ!」
「おいおい大丈夫かミリィ」
「の、喉に詰まった……」
見るとミリィの口元から白い液体が滴っている。
どうもバランスを崩し、気管に入ってしまったようだ。
顔がびちょびちょである。
さっきから結構揺れているしな。
「うぅ~」
「ミリィさん、これで拭いてください」
「クロード、ありがと……」
クロードがハンカチを取り出し、涙目なミリィの顔をぐしぐしとぬぐう。
まさに小さな妹の面倒を見るお兄ちゃんである。行ったらクロードが怒るので言わないが。
(さて、それよりどう攻めるか……)
高速で移動してくる発狂クラ―ケン、あれをスフィアで捉えるのは難しい。
狙いがそれたらあっさり外されてしまうしな。
……ここはやはり、アレで行くしかない。
タイムスクエアを念じ、時間停止中にマジックアンプを二回念じる。
――――二重合成魔導、マジックアンプダブル。
次に使う魔導の威力を倍化させるマジックアンプ。それをダブルで使う事で四倍の威力となる。
そして――――
「……空の魔導の神よ、その魔導の教えと求道の極地、達せし我に力を与えよ。黒き刃紡ぎて共に敵を滅ぼさん――――ブラックゼロ」
轟、と周囲を渦巻く風がワシの腕に収束していく。
螺旋を描く豪風が、掌に集まっていき、黒き槍の姿を描く。
黒き風の槍が、クラーケンに向け、突き進む。
海を割りながら、高速で放たれた黒き風の槍は瞬時にクラ―ケンへと到達した。
海水に突き刺さり、大きな水柱を上げながらもクラ―ケンの身体を抉っていく。
「ィィィィィギィィィィ!?」
鋸を引くような悲鳴を上げ、ざばんざばんと水しぶきが上がる。
蒼系統の魔物であるクラ―ケンには、空系統のブラックゼロは効果抜群なようだな。
ブラックゼロはレッドゼロと同じく魔力を全て消費して放つ大魔導。
だが、基本威力はレッドゼロと比べかなり劣る。
代わりに、その速度は全魔導中最速。
いったん発動したブラックゼロを躱す事は、不可能だ。
さらに生まれた爆風で相手の動きをある程度束縛し、行動を鈍らせる副次効果もある。
「おおっ、船の速度が速くなったーっ!?」
「ブラックゼロにより生まれた風で、船がまた加速したのだ」
セルベリエが以前やっていたブラックゼロを推進力として移動するのを真似て見たが、上手く行ったな。
だがそれでもなお、クラ―ケンは狂気に満ちた赤い目を光らせながら、水しぶきを上げ船を追ってくる。
「ちっしつこい!」
一息つく暇もないな。
ブラックゼロにより巻き起こる風も収まり、ヤツとの距離も縮まっていく。
これはとどめを刺すしかないかもしれんな。
ぐいと魔力回復薬を飲みながら瞑想を行う。
「今度は私の番よっ! ――――レッドゼロっ!」
隣に立ったミリィが、クラーケンに向けて炎の刃を放った。
巨大な炎の刃が海面を貫き、爆発音に混じりクラーケンの叫び声がこだまする。
あの距離、あの速度で動く相手に魔導を当てるとはやるなミリィ。
だがしかし、霧のように立ち上る水蒸気の中から見える黒い影。
まだ追ってきているようだ。
「うええ……しつこいなぁ」
「飲まなければやってられない、といったところかな」
「あっはは、ゼフっち上手い事いうね~」
こちとら全然笑えないのだがな。
魔力回復薬をごくごくと飲み干し、大きく息を吐く。
「……ふぅ、交互に行くぞ……ミリィ」
「わ、わかった……っ!」
ワシはブラックゼロを、ミリィはレッドゼロを、魔力が回復した方から放っていく。
「――――ブラックゼロ」
「――――レッドゼロっ!」
「――――ブラックゼロ」
「――――レッドゼロぉっ!!」
……魔力回復薬をもう何本開けただろうか。
ミリィはもう完全にヤケである。
う……流石のワシも飲みすぎで気持ち悪くなってきたぞ。
ミリィは特にひどいようで、顔を青ざめさせている。
「――――レッド……ゼロぉぉぉっ!!」
五度目のレッドゼロがクラーケンに突き刺さると共に、身体に力が湧いてくるのを感じる。
どうやらレベルが上がったようだな。
という事は……ミリィと顔を見合わせると、青ざめた顔でこくりと頷く。
すなわち、クラ―ケンを撃破したのである。
「うおおおおおおお!!」
「やりやがったな兄ちゃんたち!!」
船員が叫び声を上げ、ワシとミリィを祝福するように囲う。
ありがたいが……今のワシにそれに応えるほどの気力はないな。
ミリィも同じようで、へなへなと甲板に座り込んでしまった。
慌てて支えてやるが、大分調子が悪そうである。
「おいおい大丈夫か? ミリィ」
「うん……でも……お腹がたぷたぷして気持ち悪いよぉ……」
途切れ途切れにそういうと、ミリィはこてんとワシに身体を預けてきた。
真っ赤になったミリィの頭を、ワシはよしよしと撫でてやる。
「……よく頑張ったな。偉いぞミリィ」
「……」
返事はなく、ミリィはただこくりと頷くのであった。
――――しばし座り込み、静かになっていく海を眺める。
クラーケンのドロップアイテムは藻屑となってしまったか。
(少し残念だな……クラ―ケンは結構いいアイテムを落とすのだが)
海の魔物、特にボスのドロップを回収するのは難しい。
その分いいアイテムを落とすが、それ目的で行くならば網やら何やらで準備していく必要がある。
だから今回は逃げようとしたのだが……まぁ結果的には倒してしまったがな。
「ミリィさん、大丈夫ですか?」
クロードが心配して手を差し伸べるが、ミリィは口元に手を当てわずかに頷くばかりである。
その目は虚ろで、息も絶え絶えといった様子だ。
魔力回復薬はあまり飲みすぎると身体への負担が大きい。
安定しない船の上でそれを飲みすぎたため、体調を悪くしてしまったのだろう。ただでさえミリィは魔力回復薬が苦手なのだ。
……仕方ない。
ミリィの前に座り、そのまま身体をワシの背に乗せてやる。
「ほら、おぶって運んでやる」
「……」
こくり、とワシの背に身体を預け、無言で頷く。
いつもであれば、恥ずかしがって躊躇のひとつもするのであろうが、今のミリィにそんな余裕はないようだ。
大人しいもんである。背中からミリィの体温の熱さが伝わってきた。
耳にかかる息も荒く、身体もびしょ濡れ。相当調子が悪いようだ。
「よっ……と」
ミリィの腰に手を回して立ち上がると、レディアとクロードも少し心配そうに話しかけてくる。
「大丈夫ですか?」
「お薬、後で飲ませてあげるね」
二人の言葉にもミリィは応えない。どうやら頷く気力すらないらしい。
軽く、小さな身体を背負い、船室まで運んでいく。
周りを囲んでいた船員たちも、察してくれたのか道をあけてくれた。
「しっかりしろ、すぐ寝かせてやるからな」
励ましながら、部屋へと歩いていく。
戦いの影響からか、船内は未だ揺れている。ゆっくりと、出来るだけ揺らさぬように。
背中のミリィは、死んでいるかのように静かである。
か細い吐息と心臓の鼓動だけが、ミリィの命をワシに伝えているようだ。
「ゼフ君、ベッドの準備できてます!」
「よし、もうすぐだぞミリィ」
ミリィをベッドに運び、下ろそうとした瞬間である。
ワシの首筋から背中へと、何か熱いものが流れていくのを感じた。
「ミリィ……さん……?」
「ありゃ……」
それに気づいたのだろう、クロードとレディアが思わずといった具合に声を漏らした。
液体はワシの指を伝い、床にぽたぽたと音を立て落ちていく。
ぬるりとした感触に鼻を突くような酸っぱいにおい。これはミリィの……
「……吐いてしまったのか」
「……っ!」
答える代わりに、ミリィはワシの首に絡めていた腕を、ぎゅうと締め付けてくる。
カタカタと、ワシの背中でミリィは身体を震わせ、次第に嗚咽が聞こえ始めた。
「……ぅ……ぅぁ……ふぐ……うぅ……あ……ぁぁぁん!!」
そして、咳を切ったように泣き出すミリィ。
クロードもレディアも、なんと言っていいかわからないといった感じだ。
ミリィ自身もどうしていいかわからないのだろう、ただワシの背にしがみつき、わんわんと泣き喚くのみだ。
……やれやれ、まるで赤子ではないか。仕方ない。
ワシはびちゃびちゃに背中を濡らしたまま、泣きじゃくるミリィの背中をさすってやるのであった。
「ひっく……ひっく……」
しばらくして、少し落ち着いたのだろうか。
相変わらず抱き着いたままだが、ミリィの泣き声も止まっていた。
「……少しは落ち着いたか?」
「……」
無言のまま、ミリィはこくんと頷く。
ため息を一つつきベッドに寝かせると、ミリィは顔を見られたくないのか両手で覆い隠している。
吐いた上にあれだけ泣いた後だからな。
顔も服もべちゃべちゃでひどい有様だ。
「……めんなさい……ごめんなさい……」
あれだけ吐いて泣いたのだ、少しは喋れるくらいには回復したようである。
震える声で泣きながら謝るミリィの頭をよしよしと撫でてやる。
「馬鹿者、そんなくだらない事を気にするな。汚れた服は洗えばいいだけの話だ」
「……でもっ……ゼフの背中で……ぅ……」
また涙声になるミリィ。
おい折角泣き止んでいたのにまた泣くつもりかよ。
隠した手から見えるミリィの顔は、不安で押しつぶされそうといった感じである。
以前、死者の王から逃げた時もこんな感じだった。
ワシに嫌われ、見捨てられるのを恐れているかのような……全く、仕方のない奴だな。
「……あーその、なんだ。ワシはずっとお前の傍にいる。だから……安心しろ」
「……ほんと?」
「嘘をついてどうする。馬鹿者」
苦笑を漏らしながら、ミリィの頭をぐりぐりと撫でるのだった。
しばらくするとミリィはすぅすぅと寝息をたて始める。
ワシの言葉に安心したのだろうか。
撫でていた頭から手を離し、部屋を出るとクロードとレディアが待っていた。
「お疲れ様、ゼフっち」
「うむ、悪いな気を遣わせて」
「いえいえ、ミリィさんは頑張ったのですから。これくらいのご褒美はないと……少し妬けますけどね」
二人はミリィが泣き始めてすぐ、席を外してくれたのである。
ワシとミリィを二人きりにする配慮のようだが……余計なお世話だぞ。
クロードがミリィの寝顔を覗き込む。
「……寝ちゃいましたね」
「あぁ、しかし普段からこれだけしおらしければ可愛いのだがな」
「ゼフっち素直じゃないねぇ~」
レディアがひじでワシの頭をこずいてくる。
おい、やめろばか。
「でもゼフ君、びしょ濡れですね」
「あぁ、それにちょっと臭うしな」
ミリィのゲロで服が随分と汚れてしまった。
身体を拭くべく上着を脱ぐと、クロードとレディアが恥ずかしげに顔を背けた。
「あっはは……びっくりするじゃんゼフっちったら……」
「そそ、そうですよ! ゼフ君、いきなり脱ぎ始めるなんて……」
「……? 別に気にしないのだがな」
二人とも何を慌てているのだろうか。
汚れた服を袋に入れてからミリィの横に座り直す。
こちらもひどい有様だ。このままでは風邪をひいてしまうだろう。
ミリィは寝てしまっているし、ワシが着替えさせるか。
静かに寝息を立てるミリィの襟首に手をかけ、巻いていたリボンをしゅると解く。
服のボタンを一つづつ外していくと、小さな膨らみがあらわれた。
そのまま上着を脱がそうとした瞬間である。
二人が慌ててワシを止めに入ってきた。
「ちょちょちょっ……ゼフ君!? 何してるんですかーっ!?」
「何って……服を脱がせているのではないか。びしょ濡れな上にゲロ臭いだろう。」
「そーいうのは私たちがやるからね!? ゼフっちは外に行ってて!」
「お、おいおい……」
二人に部屋を追い出され、ワシは上半身裸で廊下に立ち尽くす。
……鍵がかかっている。くそ、締め出されてしまったぞ。
寒さにぶるりと身体が震えた。
「う……少し寒いな」
濡れた服を着たままだったからだろうか、身体が冷えてしまったようだ。
レッドボールを念じ、火の玉を浮かべると、身体がじんわりと暖かくなってくる。
まぁミリィを着替えさせる位はすぐに終わるか。
(しかし二人とも何を心配しているやら、ミリィは確かに可愛いが、それはあくまでも子供としての可愛いらしさであろうに)
あんな年端もいかぬ子供に本気で欲情するような奴がいるワケあるまいが。
それを二人して……いくらなんでも大げさというものだろう。
やれやれとため息を吐くワシの下に、一人の男がゆっくりと近づいてきた。
「いやはや、先ほどは見事な戦いぶりでしたね」
「む……」
男は先刻、ワシらに魔力回復薬をくれた行商人である。
「なんだよ。大量の魔力回復薬を飲んでしまったので、恨み言でも言いに来たのではあるまいな?」
「いえいえ、この船が沈まなかったことを考えればむしろ安く済みました。礼を言いたいくらいですよ」
そう言って男は頭を下げる。
よく見れば男の服は派手ではないがきちんとしたブランドもので、髪も手入れしているようだし、香水などもかけているようだ。
だがそれも相手に嫌味でない程度に、だ。
いままで何人か見たことがある、いわゆる「本物の金持ち」のニオイがする。
何者だコイツ……ワシが訝しんでいると、彼はさわやかな笑顔を向けてくる。
「どうでしょう、是非お名前を教えていただきたいのですが?」
「ゼフだ。ゼフ=アインシュタイン」
「ゼフさんですか。よい名前です……私はこういう者でございます」
そういって男は上着から一枚の紙を、ワシに手渡す。
見るとそこにはシロガネ商店、アードライ=ソンブルと書かれてあった。
「アードライ……どこかで聞いた事のある名だ」
「おやこちらの方でも名が知れていたとは光栄だ。実は私、首都で店を構えているものです。東の大陸から北の大陸へ行くのであれば、一度は首都へ向かうのでしょう? 是非お寄りくださいませ」
シロガネ商店といえば前世でワシが首都にいた頃からあった、巨大な雑貨屋だ。
回復薬や便利な道具、スクロールや武器防具、その品揃えは下手な専門店より品揃えがよく、冒険者たちに重宝されていた。
ソンブル家といえば、その店の代々の経営主の名である。
どこかで見た顔だとは思っていたが、まさかこんなところでお目にかかれるとは。
「シロガネ商店の経営主か。まさか自ら行商を行っていたとは思わなかった」
「自分が取り扱う商品は自分で見定めるのが私の主義ですので」
成程、確かに他人に任せきりにして、想定外の商品が送られたらたまったものではないからな。
大事な役目は自分でやるタイプ……ある種、誰も信じていないのだろう。
「彼女たちはゼフさんの仲間ですか?」
「あぁ、同じギルドのな」
「ほう、子供ながら……おっと失礼、素晴らしい腕の持ち主ですね」
「世辞はいいさ。ワシも大概礼儀を知らぬものでな」
「強さに年齢は関係ありませんよ。それは商人の世界も同じです……ゼフさん、貴方もそう思っているのでしょう?」
「まぁな」
二人してニヤリと笑みを浮かべるその姿を見て、船員の一人が怪訝な顔をしたのが見えた。
「あなた方とは気が合いそうだ。首都に着いたら是非、我がシロガネ商店へお越しください」
「気が向いたら、そうさせてもらおう」
「えぇ、是非とも」
アードライから握手を求められ、ワシもそれに応える。
シロガネ商店は首都に行けば利用するだろうしな。
もしかしたらサービスの一つもしてくれるかもしれない。
ま、妙な縁が出来たとでも考えておくか。
「時にゼフさん」
部屋に戻ろうとするワシに、アードライが話しかけてくる。
ワシが振り向くと、彼はワシの耳に手を当てぼそりと呟く。
「……あの元気そうな美しい少女、彼女の名前を聞きたいのですがよろしいでしょうか?」
「? 誰の事だ?」
「ほら、あの長い金髪を左右に括った……」
あえてとぼけたが、アードライはあきらめない。
髪の毛を左右に括るようなポーズを見せる。
「ダメだ」
「そ、そうですか……」
即座に、きっぱりと言い放ってやると、アードライはしょんぼりした顔で一礼をし、去って行った。
前言撤回、年端もいかない子供に欲情する輩も少なからずいるらしい。
シロガネ商店に行く事があっても、ミリィは連れていかない方がいいだろうな。
――――それから三日ほどで航海は終わり、ワシらは北の大陸の港町、イズへと辿り着いた。
この大陸の中心部ともいえる場所に、首都プロレアがある。
北の大陸は強い魔物も多い……気を引き締めなければな。
「ん~……着きましたね!」
「……そうね」
大きく伸びをするクロードに、ミリィはそっけなく答える。
いつもであれば随分はしゃいでいるだろうに……先日のゲロ事件の事がまだ堪えているのだろうか。
(ね、大丈夫かなミリィちゃん)
(心配ですよね……)
あれ以来ミリィはずっと借りてきた猫のようにおとなしい。クロードもレディアもかなり心配している。
特にワシが話しかけようとすると、あからさまに避けられてしまう。
船が港に着き、下ろされた桟橋から乗客が次々と港を降りていく。
とぼとぼと、力なく歩くミリィ。
ワシと目が合うと、すぐに顔をそむけてしまった。
(むぅ……重症ですね)
(まぁ、なんとかするさ)
とはいえ船の上では殆ど口を聞いてくれなかった。
いつも騒がしいミリィがこんなだと、こちらの調子も狂ってしまうではないか。
重苦しい雰囲気に耐えかねたのか、レディアが少し上ずった声で話しかけてくる。
「ね、ねぇゼフっち、とりあえず宿を探そっか!」
「そうだな」
「そうしましょ! ね、ミリィさん」
「……そうね」
ポツリとミリィが呟く。
まぁどちらにせよ、少し落ち着く必要があるだろう。
「おやゼフさん、それにお仲間さん方も……」
後ろから聞き覚えのある声……振り返るとそこにいたのはアードライである。
反射的に睨み付けると、アードライは少し困ったような顔をした。
「ゼフさん、商売人とはリスクとリターンを考えて行動いたします。キミと事を構えるようなことはいたしませんよ?」
「どうだかな。商売人は大概しつこいものだが」
「ふふふ、それもそうですね」
上品に笑うアードライは、食い下がることなく引き下がった。
「まぁ今日のところは退散いたします。是非、首都に来たときは我がシロガネ商店をご贔屓に」
そう言ってアードライはレディアの後ろに隠れたミリィに視線を向ける。
「えぇと……ミリィ嬢でしたね。またお会いできる日を楽しみにしています」
「……っ!」
レディアの後ろに隠れていたミリィが、怯えたようにぴくんと肩を震わせる。
どこでミリィの名前を調べたこの野郎。
本当に抜け目のない奴だな。
ずい、とミリィの前に立ち塞がると、アードライはワシを見て肩をすくめた。
「挨拶だけですよ」
「言っておくがミリィに手を出したらタダでは済まんぞ」
「ゼフさんが怖くて手なんか出せませんよ。しかし怖がらせてしまったのは申し訳ありません」
そう言うと、アードライは早足で立ち去っていった。
何だったのだアイツは……
アードライの行く先を眺めていると、後ろから服を引っ張られる。
振り向くとミリィがワシの服を掴んでいた。
「ミリィ?」
「……」
声をかけるがミリィはうつむいたまま無言である。
何と言えばいいか、わからないのだろうか。目は合わせようとしないが、手は放そうとしない。
……ったくいつまでもうじうじしおって。
煮え切らないミリィの身体をひょいと抱き上げる。
「きゃっ!」
「ミリィ、お前ワシに罰ゲームで何かさせようとしていたのだろう? 何でもしてやるから言ってみろよ」
「そ、そんな事言われても……」
お姫様だっこが恥ずかしかったのか、ミリィは下ろせとばかりに足をバタバタさせ、暴れている。
だが下ろさない。ミリィは文句がありそうな顔で、ワシをじっと見つめてきた。
「……言っておくが離さんぞ。ずっと一緒にいるといっただろう」
「う……でもゼフぅ……そう言う事じゃ……」
泣きそうな顔で抗議してくるミリィ。相変わらず小声ではあるが、その表情は先刻より大分ましだ。
少しは調子が戻ってきただろうか。
「ではワシはミリィと買い物に行ってくる」
ワシの言葉にきょとんとしていたレディアとクロードだったが、困ったようにくすくす笑い出す。
「……んじゃさ、私とクロちゃんは宿取ってくるから、二人はゆっくりしてらっしゃいな」
「そうですね、そうしましょうか」
去っていく二人を見送りながら、この町にどこかミリィが喜ぶような場所があったかなと思い出していると、襟首をくいと引っ張られる。
「……せめて下ろして」
ミリィの声は先程のものより更に小さいものであった。
仕方ないのでミリィを降ろしてやり、ミリィの手を引いて歩いて行く。
ここは港町イズの中央通り。
中々に人が多い。油断したらミリィはすぐ迷子になってしまうだろう。手を離さないように注意しなければ。
(確か中央通りに、ミリィが喜びそうな店があった気がするな……)
オモチャやお菓子、装飾品などが置かれていたのを思い出す。
あの辺りなら色々な店があるし、ミリィの気にいるものもあるだろう。
「あ……」
ワシの考えはビンゴだったようで、しばらく歩いているとミリィが店の前で足を止める。
ミリィはショーウィンドの中。赤毛で、三つ編みの小さな人形に目を止めた。
む、このシチュエーション、どこかであったような……ワシの思考を遮るように、ミリィがぽつりと呟く。
「懐かしいね……」
ミリィの言葉で、やっと思い出す。
初めてミリィと二人で死者の王と戦い、ミリィの迂闊さを叱りつけ、その後ベルタの街に討伐用のアイテムを買いに行った時の事だ。
あの時もワシに泣いて謝って、かなり落ち込んでいたっけな。
ベルタから帰る時、こんな感じで人形の前で釘付けになっていたのを無理やり引っぱって帰ったのを思い出した。
「あぁ……そう言えばそうだったな。くく」
思い出して、つい吹き出してしまう。
「もう、笑わないでよ」
「すまんすまん……くっくっ」
そんなワシの手をつねってくるミリィ。
いたいだろうが。
「……あの時ね、あそこで立っていたのは、もうちょっとだけ、ゼフと居たかったからなんだ。初めて友達と街で遊んで……でも家に帰っても誰もいなくて……帰るのがさみしくて……何て言っていいかわかんなくって……」
「そんなことしなくても、あれからずっと一緒にいたではないか」
「だから、私にもわかんなかったの!……でもやっと、その理由がわかった」
そう言って、ミリィはワシの方を向き直る。
まっすぐワシの目を見つめるミリィの頬は、夕日に照らされ朱に染まっていた。
キラキラと日の光に照らされ緋色に染まるミリィの髪に、一瞬見惚れてしまう。
「――――私が欲しいもの……」
そう言って、ミリィはいきなり唇を押し付けてきた。
勢いよく近づけたそれは、ワシの歯に当たり、カチンと鳴る。
「~~~~っ!?」
余程痛かったのか、口を押え声なき声を上げるミリィ。
よろよろと立ち上がり、振り返るミリィは少し涙目になっている。
「ったた……えへへ、中々上手くいかないものね」
「ミリィ……?」
「はいっ! これでゼフへの罰ゲームは終わりっ! さーて、皆が待ってるし、帰りましょっか♪」
誤魔化すように後ろを向き、ミリィは駆け出し人ごみの中に消えていくのだった。
しかし驚いたな……不意打ちを仕掛けて来るではないか。
口元に手を当てると、少し血が出たのかぬるりとした感触。
(ま、下手くそなキスだったがな)
お子様だと思っていたが、背伸びしたいお年頃なのかもしれない。
ぼんやりとミリィが消えていった先を見ていると、はっと気づいた。
あの時ミリィの手を繋いでいたのは、あいつが迷子になりそうだったからではないか。
走って追いかけるが、時すでに遅し。
ミリィの姿は何処にもなく、しばらく探した後、念話で話しかけるとミリィの涙声が帰ってきた。
何とか待ち合わせに成功し、ぐすぐすと泣くミリィの手を取ると、両の手で強く握り返してきたのであった。
「うっく……ゼフぅ……」
「泣くな馬鹿者。……それと、もうワシの手を離すなよ」
「うん……うん……っ!」
ぐすぐすと泣きながら、ミリィは何度も頷く。
宿へ行く途中、丘の上に見えた古びた教会の鐘をシスターが鳴らしているのが見えた。
それはカラン、カランと、ワシらの行く末を祝福するかのように、鳴るのであった。

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