「SWITCHインタビュー達人達」。
都内某所に現れたのは…世界一の会社だ!そう思って25年間勤めてきた。
映画にドラマに舞台。
唐沢はあらゆる作品の顔となってきた。
画面を支配する存在感。
日本を代表する俳優の一人だ。
余命3か月から奇跡を起こして一人でも多くの社員を救いたい。
最新作「杉原千畝」。
第2次世界大戦下ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民にビザを発給し続け6,000人の命を救った外交官。
その決断と葛藤を演じた。
セリフの6割は英語。
冷静な中にも熱い信念を秘めた男を表現した。
まだ世界のどの国も気付いておりません!唐沢が俳優を目指すきっかけとなったのは…。
伝説のアクションスターブルース・リーだ。
研ぎ澄まされた肉体から繰り出されるアクション。
怪鳥音と呼ばれる独特の雄たけび。
(雄たけび)死後40年を過ぎてなお世界中に熱狂的なファンを持つ。
まあ女の子がアイドル見て「ああアイドルになりたい」みたいな感じじゃないですか。
武術家中村頼永。
ブルース・リーが生み出した武術ジークンドーの正統な継承者だ。
岡田准一や福士蒼汰をはじめ今をときめく俳優の師匠でもある。
ふだんはアメリカ・ロサンゼルスを拠点に指導に当たっている。
時にはハリウッドの俳優やスタントマンのトレーニングを任される事もある。
中村の日本での活動拠点を訪ねた。
ここか。
道場のような場所なのかと思いきや…。
失礼します。
はい。
ああどうもどうも。
初めまして。
中村です。
初めまして唐沢です。
どうもどうも。
ようこそ。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そこには激レアブルース・リーグッズがずらりと並んでいた。
子どもの頃な。
このレコードももう…。
ねえ聴きまくりましたよね。
ありましたね。
2種類ありましたね。
あれもずっと聴いて…。
聴きまくりましたね。
昔はビデオよりそっちでしたよね。
音源を楽しみましたよね。
32歳で早世したブルース・リー。
主演したアクション映画は5作ある。
昔の映画館って最初見に行くと最後まで4本ぐらい連チャンで見れたじゃないですか。
ああ〜。
シネコンじゃないから。
まあしかしこれ子どもの時はすごい体だと思ったけど今見るとやっぱり痩せてますよね。
まあもう絞るだけ絞った…。
究極の姿ですよね。
でもバランスはやっぱいいですよね。
ブルース・リーに関しては。
ないです。
これ結構何て言うんでしょう?いい木人っていうのが売ってなくてこれ生徒が僕の要望どおりに作ってくれてですね。
作ったんですか?これ。
作ってくれたやつなんですよ。
でここがちゃんと四角じゃないといけないしちゃんとこれが四角である事の意味もありますし。
この腕も1つずつ形が違わないといけないので。
木人と呼ばれる人体に見立てたトレーニング器具。
技の反復練習に使う。
接近戦において相手の攻撃を巧みにかわして無力化しこちらから攻撃を加えられるよう練習するのだ。
これだけでも1時間すぐたっちゃいますよ。
ブルース・リーに魅せられ俳優と武術家という別々の道を歩んできた同い年の2人が激突。
ジークンドーやりたいと思ったんですけど…あ来た!「キューティーハニー」グッズ世界一なんです僕。
相手を倒すための武術と魅せるアクションの違いとは?ですね。
あ〜そうか。
時代劇になるともうキュッキュッキュッキュッて回すじゃないですか。
「桃太郎侍」みたいに。
あんな事絶対できないですからね。
(一同)俺たちの星は俺たちの手で守る!唐沢50歳の時の主演作「イン・ザ・ヒーロー」。
ブルース・リーに憧れ顔出しで映画出演する事を夢みるスーツアクターを演じた。
やっぱりヒーローは赤だよね赤。
俺なんかタッパがねえから無理だけどさ。
そんな事ないですよ。
ギャ〜ッ!よ〜いアクション!唐沢は劇中に登場する本格的なスタントを全て自分でこなした。
実は唐沢も16歳から5年間スーツアクターの仕事をしていた。
連続バク転で華麗に登場。
当時26歳の唐沢が音楽番組で披露したキレッキレのダンス。
スーツアクター時代を思わせる。
という訳で唐沢は憧れのブルース・リーの超絶技を中村が見せてくれるのを期待していたのだが…。
はいそれでは今日…唐沢もタジタジ…。
先生がジョブホップと言います。
ジョブホップというのは気をつけです。
ジョブホップ。
これは左足?右足。
右足だ。
で手の甲合わせます。
はい。
もう一回いきます。
ジョブホップ。
ユベイ。
ギンライ。
OK。
始めます。
ジークンドーの基本スタンスは…ほかの格闘技例えばボクシングの場合は利き手を後ろに構えるのが普通だ。
ストロークを長くとるほどパンチの威力が増すからだ。
しかしジークンドーでは相手の弱点により近い位置に利き手利き足を構え打撃を最短最速で加える事を重視する。
で一番自分の長い距離ってこれですね。
これで一回僕のここをいっぺん…どれぐらいの距離から蹴れるか。
この状態からですか?寸止めで。
動いてもいいです。
自分で調整して。
すごいなこれ。
いいですね。
コキッていった。
今日はローキックしかやりませんから。
例えば悪い人間が近寄ってくる時にこうやって近づいてくるやつってあんまりいないんですよ。
やっぱり普通にこう近づいてきます。
そこに…ダメージを負わせられるという事でまずそれを練習するんです。
軽く手ほどきを受けて終了かと思いきや…。
本格的なプロテクターをつけ始めた中村。
さっきの?ええさっきと同じように。
ちょっと試してみて下さい。
今僕止まってますけど実際はこう前に来ますからそれを止めないといけないので…そうなんですよ。
これで練習するんですね。
いいです続けて下さい。
的確にやるのも難しい。
できないのでやるんでできなくて当然です。
ああ難しいなこれ見ないと。
分かります。
その調子。
いいですいいですいいです。
そう言われると…。
ますます熱が入る中村のトレーニング。
今度は僕がちょっと離れた位置からすっと入りますから…例えば遅れるとこうなって遅れてしまいます。
今度は接近してくる相手の動きを止めるトレーニングだ。
あ〜!そういう事です。
それを練習するんです。
あ〜!すぐここにいるから蹴れないんです。
そして28回目。
この調子で。
おい!それそれ!それそれ。
分かりますよねしっくりきますよね。
お〜。
これが実際に当てる練習です。
しかし一息ついている場合ではなかった。
中村今度は何をしようというのか。
準備にちょっと時間かかります。
何かもう金的つけてんの怖いなもうその時点で。
今度は止めたらこう構えて下さい。
ここ止めたら…止めたらすぐ金的を蹴ります。
靴を履いているのでチョンと当たればもん絶します。
当てていいです軽く。
まず軽く。
フォームから。
はい。
で2回目蹴ったあと引きます。
バランス。
そう!はい〜。
ありがとうございました。
OK。
じゃあ正面見て。
はいジョブホップユベイギンライ。
ありがとうございました。
お疲れさんでした。
今日はこの迎撃やりましたけど実戦ではこっちに倒さなきゃいけないやつがいたら…結構大変だこれ。
いやいやいや是非やって下さい。
ジークンドーとは攻撃を遮る道という意味だ。
ジークンドーに決まった形はない。
基本的な技術に加えあらゆる格闘技を研究しそれぞれの個性に合った形を自分で作っていく武術なのだ。
稽古お疲れさまでした。
いや。
僕的にですよ距離が縮まった感じで。
僕のプライベートの生徒は稽古通してその人がどういう人間かというのをすごく分かるのがこっちも楽しくて。
いいのが決まるとやっぱり本人もうれしいというのが伝わるしちょっと乗ってきてるのも分かるしそういうのがこの武術を通しての…いやそんな事ないです。
やっぱりブルース・リーが好きっていう事で形がちょっとブルース・リー入ってましたね。
子どもの頃やたらまねしましたからね。
何歳ぐらいの時ですか?まず。
じゃあ遅かったですね。
その当時第2次ブームか何かですかね。
うちの兄貴が盛り上がってて「燃えよドラゴン」で。
それも横目で見てて何て言うんだろう…すごいな〜と思って。
ジークンドーやりたいと思ったんですけど…あ来た!ちょうど小学校6年ぐらいなんですけど大きな意味で永井豪先生に感化されて漫画家になろうと小学校の時決めちゃったんでそのあと僕アニメーターになっちゃって。
アニメーターになっちゃったんですか?なっちゃったんですよ。
中村が高校生の時に描いたブルース・リーの絵。
墨汁で描いたものだ。
ファンクラブのイラストコンクールに応募し大賞を受賞した。
アニメーションの専門学校に進んだ中村は念願のアニメーターとして働き始める。
一方で武術への思いも断ち切れずもんもんとしていた。
中村は当時初代タイガーマスク佐山サトルのジムに通っていた。
佐山はプロレスを引退。
総合格闘技シューティング後の修斗を立ち上げその普及に努めていた。
中村に格闘技に専念するよう勧めたのは佐山だった。
佐山先生から神の声の電話があって…インストラクターとして君を招き入れるから来ないかって言われて内弟子にならせて頂いて。
給料頂いて佐山先生から…すごく充実しててその次の年に第1回大会があったんですけど66キロ級で優勝できてプロになろうと思ってたんですけどシューティングはまだなかなか理解されなくてプロレス全盛期ですから。
そうですね。
どちらかって言うと地味な戦い方ですもんね。
それがやっぱり理解できない。
関節で決めるとか。
本当は難しいんですけどねそっちの方が。
それ分かる人が本当少数なのでプロはなかなか難しいっていう中いろいろ自問自答して…。
そんな時再燃したのがブルース・リーへの憧れだった。
中村はアメリカに住む一人の男に弟子入りしたいと考えるようになる。
ダン・イノサント。
ブルース・リーと共にジークンドーを確立した生きる伝説といわれる人物だ。
アメリカに行くため中村は朝晩がれき処理などのアルバイトに明け暮れ外国人相手でも通用する肉体づくりに取り組んだ。
その間はやっぱり1年2年は何もできないでただバイトをず〜っとしてましたね朝から晩まで。
それ今考えるとよかったかなっていうのがあって。
僕66キロ級だったんですけど88キロぐらいまで体重上げたんですね。
これ意外にみんな理解できないところなんですけど…なので僕ちょっと無理はしたんですけど88キロにして行って。
でっかい外人いますからそれにもやんないといけませんから。
技だけだったら66キロだったらキュッてやられちゃう可能性もあるのでやっぱり体重と力が必要って事で体重を上げて向こうへ行って外国人の人にも認めてもらってでちょっとずつ広まってって。
そしたらイノサント先生の方から僕にプライベートレッスンをしてくれないかって言われて。
「うわ〜」と思って。
これはすごいなと思って。
僕なんかまだ本当青二才のぺーぺーなのにあんなレジェンドの人が僕から習う?…みたいな。
「すごいなこの人」と思って。
何でもその…ブルース・リー先生とかイノサント先生に共通した…好奇心が旺盛なんでしょうね。
いろんな事知ってるんでしょうけどそれを言わずあたかも何も知らないように僕の教えを全部…。
そのうちトレードするようになって。
僕が修斗を教えてイノサント先生がジークンドー教えてくれて。
…っていう事ですごいたくさん学んだ。
その時言葉の壁とかなかったんですか?言葉は僕は学校の英語は何か何でか知らないけどクラスでは一番だったんですよ英語だけは。
でも全然しゃべれないんですよ。
違いますよね。
それ僕渡って分かった事で全然通じないんですね。
だから英語なんか全くできないので…あっ奥さんはもう全然OK…。
英語の学校出てるので。
じゃあもう楽勝ですね。
全部やってもらって。
でそのうち技教えるのとか習うのは別に英語片言でもできるのでやって…唐沢さんのあの映画よりは全然下手くそです。
いやいやいやそんな。
本当に。
マジで。
(英語で)実は唐沢駆け出しの俳優だった27歳の時からずっと英語のレッスンを続けているのだ。
あんまり頑張って感は出したくないですけど…。
あんまり大事にされてこなかったっていうか。
世代的には。
ちょっとこれ気になるんですけど。
そうですよ。
これアメリカから是非唐沢さんに見てもらおうと思って。
ここで中村がとっておきのお宝を取り出した。
ここら辺からどうぞ。
直筆です。
うわ〜…。
なんとブルース・リーが大学時代に描いたというイラスト。
武術の達人たちの戦いが描かれている。
アメリカで生まれ香港に育ったブルース・リー。
18歳で渡米し二十歳の時ワシントン大学に入学。
哲学を専攻していたという。
こういうのもちゃんと躍動感がある。
躍動感あって太い線と細い線女性らしい指髪の毛の躍動感タッチ。
恐ろしいですよねこれ。
表情とかもね。
いやこれは絶対描けないな。
絵の勉強してたんですかね?絵はうまい格闘技はすごい全部すごい。
すごい人って全部すごいんですよ。
いやこれはすごいな。
これを是非見てもらいたかったのは「猛龍過江」は「ドラゴンへの道」なので…香港映画っていうのは当時盗作防止でスクリプトなかったじゃないですか。
あ「スクリプト」って書いてある。
ブルース・リー先生はアメリカで映画の勉強してましたし映画に関わってましたし初めて「ドラゴンへの道」で自分が監督・主演する時にそれを導入して香港で多分初めてスクリプトを導入したのはブルース・リーだと思うんですよね。
その現物なんです。
字が一つ一つがこうとかこういうとこに書くとか…。
癖があるんですかね。
こういうちょっと丸くする…。
こういうのね。
何か見るからに天才だなっていう感じですよね。
いやこれはすごいな…。
間違いないですね。
みんなブルース・リーっていうと「アチャ〜」って言ってるだけっていうイメージが強いじゃないですか。
思いっきり笑われたんですけど。
それはよく知らない人ですね。
まだでもそう思ってる人まだ多いですね。
「アチョ〜」の人だって。
ブルース・リーといえば何と言ってもこのセリフ。
ブルース・リーは俳優であり武道家であり哲学者でもあった。
有名な言葉がある。
中村はブルース・リーを特集した番組でジークンドーの精神について語っている。
ブルース・リー先生は水に例えますけども水というのは形がないがゆえに…技を持たないがために全ての技を持ち方法を持たないがために全ての方法を持つ。
全てのものに何物にもとらわれないからこそ全てのものにフィットするっていう境地を目指すんですけども。
これが理解できると格闘技の神髄もちょっと分かるという教えです。
じゃあ僕が逆に聞くと何でブルース・リーでハマって役者をそこまで極められようと思ったという。
ブルース・リーに影響を受けた人って大体その…アクション俳優行こうかあるいは武術を始めるか。
大体その2つに分かれますよね。
でもね…子どもの時は分かんなかったけど。
僕らも訳分かんなく読んでましたよね。
分かんなかったな。
どういう意味かなと思って。
すごくよく分かって。
そうそう。
そういう意識でやってますね。
今はね。
なるほど。
そこ是非聞いてみたかった事なんですよ。
唐沢さんも絶対そうだと思うんですけどブルース・リーによって与えられたものって多いじゃないですか。
僕らはブルース・リー先生によってすごい影響を与えて頂いて恩恵を受けているのにそれを返すブルース・リー先生はいない。
となるとやっぱり…そこら辺をやっぱり伝えたいですね。
後半は舞台をスイッチ。
2人がやって来たのは東京・元麻布。
これから行く所はですね今公開中の僕の映画「杉原千畝」。
はい見させて頂きました。
杉原さんがリトアニアという国のカウナスという所で日本領事館の領事をされていまして。
その縁もありまして今日はリトアニア共和国大使館。
こちらでちょっとお話をしたいなと思っております。
こんにちは。
リトアニアでは杉原千畝を知らない人はいない。
撮影にも快く応じてくれた。
あ〜本当だ。
杉原さん。
1930年代杉原は諜報外交官として危険を冒しながら情報収集を続けていた。
ソ連に入国を拒否されリトアニアに赴任した直後第2次世界大戦が勃発する。
ナチスの迫害を受けたユダヤ難民が日本通過ビザを求めて領事館に押し寄せた。
ビザの発給はドイツと同盟関係にある日本にとって裏切り行為となる。
杉原は日本政府に掛け合うが届いた答えはノーだった。
政府の意向に反すれば自らの立場も危うくなる。
苦悩する杉原を妻が後押しする。
あなたは今でも世界を変えたいと思っていますか?常に思ってる。
杉原は独断でビザの発給を決意。
ソ連がリトアニアに侵攻し領事館閉鎖を迫られる中昼夜を問わずビザを出し続けた。
救った命は6,000人。
杉原はリトアニアを退去する当日もギリギリまでビザにサインし続けた。
列車に飛び乗った杉原に領事館職員だったグッジェが駆け寄る。
(汽笛)
(汽笛)「みなしごハッチ」とか見ちゃうとすごい大変な事になっちゃうんですけどいやあの…唐沢さんの映画でも本当に何回も涙腺緩みましたね。
そうですか。
やっぱり本当の話なので…。
僕は1989年に渡ったんですけど全然違う時代にあの時代に海外で…まあすごいですよね。
しかもあの土地には杉原さんの一家しか日本人はいなかったらしいですからね。
何をやってももう目立つというか。
唐沢さんが今回実在の人物を演じるにあたって何かこう気を付けた事というか…特に。
いやあの…だからじゃブルース・リーの役が来るとするじゃないですか僕に。
そしたら必ず表面的な「アチャ〜」っていうこういうのを入れないといけないですよね。
ブルース・リーを表現するために。
杉原さんを表現するために…。
写真しかないですよね。
海外では結構…学校の教科書にもなってたりして。
リトアニアの人の方が杉原さんの事よく知ってるぐらいなんですよ。
日本でものすごい…なるほど。
そういう意味じゃ演じやすかったって事ですか?まあこの映画で杉原さんのイメージが唐沢さんが演じた彼のイメージがそうなるかもしれないですよね。
そうですね。
「杉原千畝」は日本とポーランドハリウッドの混成チームで製作された。
キャストもスタッフも大半が外国人。
唐沢は主演俳優として常にチームワークにも気を遣った。
杉原さんの本当に決断力とか強さとか僕らの仕事もそうなんですけどやっぱりそういう日本人としての強さみたいなものは…あっそういうところがこのモチベーションっていうか。
それをやらないといけないっていう…周りはもうやっぱり外国人なんで。
よく分かります。
ねえ。
これ個人的に…感動する点はたくさんあるんですけどネタバレになるからあんまり詳しくはあれですけどまあやっぱり彼が動く事によってやっぱり周りに敵もできる中でいろんな事が変わってく。
その中で…そうなんですよね。
奥さんが「何も変わらない」って言うところあったじゃないですか。
あれがもうジ〜ンと来て。
あのあと抱き締めるじゃないですか。
あそこですね。
最高にすごかったのは。
いろんな意味でやっぱそこも感動しましたよね。
久しぶりね。
あなたと踊るなんて。
結婚して何年になる?リトアニアを退去し東ヨーロッパに送られた杉原。
必死の諜報活動によって得た情報は日本で生かされる事はなかった。
君は変わらないね。
あなたも変わらないわ。
杉原千畝さん。
中村さんも奥さんがやっぱりいるから頑張れるってとこもあるでしょう。
一人じゃやっぱり限界ありますからね。
毎回死にかけてますけどね。
でも唐沢さんあれですよ。
ジークンドーってJeetですから…僕は奥さんと知り合ってつきあう時に普通だったら「つきあって下さい」「じゃあお願いします」ってやり取りあるじゃないですか。
「私中村君とつきあう決めた」って決められたんですよ。
あっそうなんだ。
いきなり。
僕はもう最初につきあった人と結婚しようと思ってたんで「じゃ結婚だよ」っつって。
全部6秒以内です。
僕なんか本当洗濯もできないし料理も何も本当何もできないので。
今は放り込めばすぐ…。
まあそれもそうなんですけど…。
料理は僕もできないですけどね。
やっぱ奥さんの存在は大きいですよね。
唐沢さんもそうですか?えっ?唐沢さんも?そうですね。
僕はまあ料理は作ってもらいますし。
あっ!俺全然…洗った事ないもん。
まずいなあ。
そうっすか。
ええ〜マジっすか。
入れて何かピッて押すだけですよ。
耳痛いっすね。
僕ら子どもの頃のほら洗濯機こうやっていっぱい入れて何かこうやってっていう時代じゃないですから。
今もう。
昔はあれ脱水機もこうやってこうやって…。
僕らが子どもの頃ありましたね。
あれは母親の手伝いしましたけど。
あのローラーね。
そうそうローラーで。
あんな時代ですよね。
いや足袋ははいてなかった。
どこですか?出身。
三重県ですよ。
三重県の伊勢市。
僕東京なんで足袋はないですね。
足袋ないですか!足袋はくんすよ走る時。
50メーターで足袋はくんですか?足袋はくんです。
走る用の足袋があるんですよ。
へえ〜。
子どもの頃ははいてないですね。
1回でダメになる足袋?その時だけはく足袋があるんですよ。
知らないです。
初めて聞いた。
本当ですか?そうですね。
だって昭和の話したら結構いろんな話ありますよね。
そうなんです。
子どもの心を持った大人がいるんだよ!危ねえ…。
唐沢がベテランスーツアクターを演じた「イン・ザ・ヒーロー」。
ブルース・リーに憧れアクションスターを目指す主人公。
若き日の唐沢をそのまま投影したようなストーリーだ。
ずっと芽が出ないままの主人公にある日ハリウッドのアクション大作から声がかかる。
凛子!バカじゃないの!えっ?あなたそんな危険な仕事引き受けたの?ところが別れた妻をはじめ周囲は大反対。
待っていたのは命懸けの危険なアクションだった。
たった一人で100人の敵と戦う激しい立ち回り。
唐沢はなんと吹き替えなしで自ら演じた。
下積み時代いつか役立つ日を夢みて居合の稽古に励んだ唐沢。
その経験が生きた。
映画にはかつて唐沢が現場で見てきたようなシーンもある。
大役に抜てきされた新人俳優。
あっ!すいません!おい!お前何してんだよ?あっすいません。
あんたに言ってんじゃないよ。
お前だ。
えっ?これがどれぐらいかかるか分かってんのか!3〜4万くらい?金じゃねえんだよ!このブレスレット作るのにこいつが何日徹夜したと思ってんだよ!もう…もういいんです。
バカ野郎!それがあなたたちの仕事ですよね。
何だと?この野郎!唐沢は昭和38年東京都台東区生まれ。
通知表に「落語家になりなさい」と書かれるほどいつも友達を笑わせていた。
高校を中退した唐沢は当時最年少の16歳で映画会社のアクションクラブに飛び込む。
俳優としては食べていけずアルバイトを掛け持ちしてしのぐ日々だった。
一番の大役は「仮面ライダー」シリーズのスーツアクター。
画面に顔が映るのは口元のみだった。
ZX。
君に我々9人は助けられた。
唐沢は当時の気持ちを自伝「ふたり」の中でつづっている。
そんな不安や鬱屈を振り払うべく唐沢は毎晩新宿のディスコに出かけた。
ダンスの得意な唐沢の周りにはあっという間に女性客の輪が出来た。
エキストラや裏方仕事ばかりの毎日の中でここだけが唯一スポットライトを浴びる事ができる場所だった。
僕がやっぱり始めた頃っていうのは…あとはスタッフの手伝いもしてました。
どこに腹が立つって事も知ってるんですよ俺。
いろんな人の話聞いて「あの野郎!」とかね「あの女優!」とか言ってる照明さんとかいるんですよ。
今自分がこうなってみるとできなくなってるんですそれが。
分かるから。
基本的にデビューしてから…今でも。
あ〜そうなんですか。
それはやっぱり端から見て…その辺は分業なんですね。
はい。
やっぱり客観的にものを見て衣装とかも持ってくるしヘアスタイルもそうやるじゃないですか。
まあでもある意味それがプロですよね。
多少かっこ悪い髪形だと思ってもその人だったらするんだったらその人をやるならしますよねやっぱり。
勉強になります。
唐沢さんも昔からアクションされててそれと今日やってみたジークンドーの実戦武術みたいなのを比べてどうですか?やっぱりね例えばボクシングなんかもきっとそうでしょうけど…ですね。
例えば中村さんがバ〜ンと例えば相手の膝を蹴った時に膝をかなりのレベルで破壊してても絵には分かんないですよね。
ですよね。
蹴られた事ないと分かんないですよね。
あと時代劇なんかでもやっぱりよくあるのは実際僕も居合もやってましたから。
でもやっぱり時代劇になるともうキュキュキュキュキュキュって回すじゃないですか。
「桃太郎侍」みたいに。
あんな事絶対できないですからね。
手首折れちゃいますよこう…。
そこはまあ架空の世界…。
それはやっぱりどっか…ブルース・リーじゃないですけど。
そこはブルース・リー先生だってわざと高い蹴りを多用したり映画用にアレンジしてますもんね。
実際にそれ使わなくてもね。
そうですね。
確かにそうだな。
あと昔そういうちょっとスタントマン的な事やってたりとかその時にやっぱケガしないために姿勢とかジャンプして立つとかっていう時に…その辺の話も興味深いですね。
それがだから当時からってか今に至るまでやっぱりなるべく今も座ってても…何かこういうふうにならないようにしようとか。
まあいろんな事もやりましたしあとは体操選手まがいの事もそういう技もやったし…。
背落ちみたいな?それも全部やった。
あとは上から落っこちるとか。
ひねったりとか。
ケガは絶えなかったですかね?そうケガしましたけど…それ何か僕今日一緒にちょっと稽古させてもらってちょっと感じたのが体の使い方が上手だなというのがやっぱりあったので。
そのころの鍛えられたあれが染みついてるのかなと思って…。
おやじが釣ったやつ。
唐沢が初めて大きな役を射止めたのは24歳の時。
あれからずっと考えたんだけど…。
指輪?うん婚約指輪。
NHKドラマ「とっておきの青春」でヒロイン斉藤由貴の相手役に抜てきされたのだ。
何でよ?もらえないのよ。
どうして?俺法学部法科だから言わせてもらうけど婚約って口約束だけでも成立するんだよな。
友達は知ってるしさ。
この時のドラマの演出家はオーディションにやって来た唐沢を一目見て必ずスターになる逸材だと見込んだという。
だろ?ただ結婚はもうちょっと先の事にって。
同じ年の10月朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」に起用された。
僕も賛成や。
お姉ちゃんは大変かもしれんけど。
ヒロインはこの作品が女優デビューとなる山口智子。
唐沢はヒロインの弟役だった。
この作品で2人は出会った。
お〜若い。
これ僕25歳ですよ。
うわ〜何か唐沢さんキラキラしてましたね。
奥さんも髪形がちょっと問題じゃ…。
ここで出会われた訳ですね。
へえ〜。
「朝ドラ」の時…あ〜そうですか。
西川きよしさんのところの次男の弘志君っていうのとあと嶋政宏君の弟の政伸君っていうのがデビューで2人入ってたんですよ。
で僕と3人で大阪で制作発表した時にいろいろ何か聞かれるだろうと思って考えてたんですよ答えを。
弘志君と政伸君には来たけど僕のところにはひと言も…。
何でですかね?分からない。
だから誰だか分かんなかったからじゃないですか。
でもやっぱそこからね日本を代表する俳優になられて…。
すごい緊張したなあの時。
いや〜NHKにはお世話になりましたね本当に。
そういう意味では。
まだ全然売れてない頃にねNHKのかたがよく使ってくれたんですよ本当に。
今まで本当にいろんな事を…いろんな役をやられたと思うんですけどその中でこうやってって自分を完成させたって感じですか?うん。
だから…本当にその人と会話してみたり何人でも。
いろんな人と会っていろんな話をする事が多分一番勉強になりますよね。
まあなかなかでも…役作りというかその…。
難しいですよね。
格闘技の世界でも「自然に。
力抜いて」と言ったってなかなかできないですもんね。
例えば普通の人で会話してる時に棒読みの人っていないじゃないですか。
なるほど。
はいはい。
いませんよね。
本当だ。
あれ不思議だと思いません?あとクサくなる人とか。
「な〜に!?」って言わないじゃないですか普通。
だけど…全て勉強ですよね。
ブルース・リー先生の言葉みたいですね。
あっそうですか。
ブルース・リー先生も格闘技を通して武術を通して自分自身を全てそこから学んだって言ってましたもんね。
ブルース・リー先生のジークンドーも…最初学び始めると…格闘技やる前武術やる前は自分の動きやってますよね適当に。
でもこういうふうに動かなければいけないという…それはさっき唐沢さんが言われたちょっと大げさな演技になってしまったり「そんなふうにあなたしゃべんないでしょ」というようなしゃべりになっちゃうように格闘技でも…その人がその人らしく動きを出せるというのはその役者のレベルに…ステージが上がるあれに似てますね。
全く同じだと思いますそれは。
唐沢は39歳で「大河ドラマ」の主役を務めた。
加賀百万石の礎を築いた前田利家と妻まつの夫婦愛の物語だ。
平均視聴率22%を超えるヒット作となった。
ご処分を。
親方様!貴様自分を450貫ほどの男と思うておるのか?男は米の禄高ではござりませぬ。
信義の禄高にござりまする!僕はどんな手段を選ぼうともメイドインジャパンだけは守らなければならないと思う。
メイドインジャパンって一体何ですか?ドラマ「メイドインジャパン」では瀕死の巨大電機メーカーの立て直しに奔走する特命チームのリーダーを熱演した。
勝手かもしれない。
でもお父さんを切った事もその結果中国へ渡った事もお互いが生きる上での選択だった。
そんな不公平な…。
お父さんも僕も必死だった!主人公は組織と情との板挟みになって苦しむ。
時代劇から社会派ドラマまで人間味あふれる熱い男を演じさせたら唐沢の右に出る者はいない。
これからの夢みたいなの何かあるんですか?う〜ん…。
例えば自分が主演でやってたとしても…あとは誰かが当然主演でやる場合でも…やっぱりそれは…。
自分もそうされてきたんで。
唐沢さんがここに来てるのでやっぱりほかの人の事を考えられるように多分なったと思うんですよね。
それ聞いてちょっとうれしかったのは…だから本当にやっぱここまで行った人が言う言葉なんですごい重みがあるというか本当に真実だなと思いますよね。
やっぱり僕も何て言うんですかね…ふだん練習するとやっぱモチベーションというのもちょっと落ちてきたりする時に自分なりにモチベーションを高めるのもあるんですけど…こんな頑張ってくれてるのかと思うとこっちも頑張らなきゃって思いますし。
最近やっぱりそういう弟子がたくさん増えてきたんですごい活力がみなぎってる感はあるんですけどね自分でも。
ブルース・リー先生の「Walkon!」ですよね。
「歩み続けなさい」っていうね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
こうですね。
こっちか。
お疲れさまでした。
いろんなところでまた…。
ブルース・リーとの出会いから始まった俳優と武術家の道。
同い年の2人は歩み続ける。
あと1回!OK!いいでしょう!Walkon!歩き続けよ!2015/12/24(木) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「唐沢寿明×中村頼永」[字][再]
唐沢寿明が指名したのは、敬愛するブルース・リーの武術を継承し、岡田准一の師匠としても知られる中村頼永。俳優と武術家、違う道を選んだ同い年の二人が語る心技体の極意
詳細情報
番組内容
ブレイク前はアクション俳優として「仮面ライダー」のショッカー役などを務めていた唐沢。いきなり!?中村の鬼の指導がスタートする。「最小の力で最大の効果を狙う」「6秒以内に仕留める」武術ジークンドーの奥義とは?唐沢はスーツアクター時代をへて大河ドラマに社会派ドラマ、国際共同制作まで「主役」を張る俳優となるまでの道のりやきょうじについて語る。二人は「昭和あるある」や「夫婦あるある」でも盛り上がって…!?
出演者
【出演】俳優…唐沢寿明,武術家…中村頼永,【語り】吉田羊,六角精児
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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