報道ステーション 2015.12.23


当番組は同時入力の為、誤字脱字が発生する場合があります。
≫こんばんは。
≫「報道ステーション」ちょっと早いんですが今年に関して、最後の放送と今日はなります。
さて、ここでコメンテーターの方をご紹介いたします。
北海道大学おなじみの中島岳志先生です。
どうぞよろしくお願いします。
一番最初にお伝えしようと思っていたニュースの前に先ほど夜の6時半くらいに入ってきたニュースからお伝えいたします。
千葉県君津市で国道のトンネル内側のモルタル部分、23トンあまりが剥がれ落ちたというニュースです。
夜入ってきたんですね。
千葉県によりますと午前の8時ごろに君津市の国道にあるトンネル松丘隧道という部分ですがこのトンネルの天井部分のモルタル23トンあまりが20mにわたって崩れ落ちました。
このトンネルは、そもそも3年前の笹子トンネル事故を受けまして県が改修工事をしておりました。
そして、剥がれ落ちたのはこの工事で新たに吹き付けられたモルタルだということなんですね。
崩落時は工事中のために片側通行になっておりましたが通行していた車はなく怪我人はなかったということでそこはほっと安心するのですが県はトンネル付近を通行止めにして、原因を調べているということです。
そもそも午前8時にこういうことが起きて我々のほうに伝わってきたのが夜の8時半過ぎというのは情報の伝わり方も遅いですしそれから、天井の鉄板が剥がれ落ちたわけではないわけです。
笹子トンネルのように。
老朽化していたお伝えしていたように、モルタルこれがよくないということで笹子トンネルを受けまして補修をして新たなモルタルを吹き付けてその新たなモルタルが落ちたというふうに伝えられております。
これ、昨日もお伝えしましたけど笹子トンネルで犠牲になられた方。
なんのために犠牲になってしまったのか。
その教訓を生かさねばと言っている矢先にこういうことが起きるということは徹底した原因追究が必要だということだと思います。
さて、ここから長くなりますがこのニュースを中心にお伝えします。
こちら、ご覧ください。
今日は、天皇陛下82歳の誕生日です。
それに際した会見の中で今日放送されましたようにですね天皇陛下が一瞬、声を詰まらせるところもありました。
その間というものに豊穣な言葉が満ちあふれていたと感じられた方も多いのではないでしょうか。
今日お休みでご覧になった方。
それから、この写真は今年、パラオに訪れてこの両陛下。
深くこうべを垂れている。
その両陛下の背中にも大いなるメッセージがあふれているような気がしてなりません。
今日、この番組「報道ステーション」では特集として天皇陛下と沖縄について考えてみる必要があると考えました。
こちらです。
≫82歳を迎えられた天皇陛下。
≫陛下は慰霊の旅を続けられていく。
≫誕生日に際し行われた会見。
触れられたのは、戦争だった。
≫80歳を超えても慰霊の旅を続けられる天皇陛下。
その中でも、陛下が深く心を寄せ繰り返し訪問されている場所がある。
沖縄。
これまでに10回。
時には滝のような汗を流しながら沖縄の人々の声に耳を傾けられてきた。
訪問の目的はさまざまでも必ず激戦のあった場所に赴き祈りを捧げてこられた。
その思いは言葉にも表れている。
これまでの会見の中でどの場所よりも多く触れられているのが沖縄だった。
≫かつて陛下は自らの系譜にまで触れて沖縄の歴史を振り返られたことがある。
天皇陛下の母方の祖母は島津家から嫁いできた俔子さま。
その系譜は、代々の薩摩藩主につながっていく。
薩摩藩は400年以上前琉球王国に攻め込み過酷な支配を続けてきた。
≫これは、天皇陛下の本棚に実際に並んでいる本の一部だ。
沖縄の文化、歴史そして沖縄の「万葉集」とも言われる「おもろさうし」。
陛下は沖縄の方言を使った琉歌まで詠まれている。
なぜこれほどまでに、強い思いを沖縄に抱かれているのか。
≫海に望む那覇市内の崖の上。
ここに昭和天皇の歌が刻まれている。
戦後、昭和天皇は何度も沖縄を訪れたいと願いながらも病に倒れた。
「思わざる病となりぬ沖縄を訪ねて果さむつとめありしを」。
この昭和天皇が果たせなかった務めの意味を探っていくと今の天皇につながる沖縄への思いが見えてくる。
天皇の名のもとに戦い本土防衛の捨て石とされた沖縄。
県民の4人に1人が犠牲となった。
平良啓子さんは9歳のとき戦争で家族3人を亡くした。
≫沖縄の波の音に多くの方々の魂の揺らぎというものを感じませんか。
V中にこういう表現がありました。
昭和天皇の心残りという表現をされました。
これはどういうことか。
次のVTRでは昭和天皇と沖縄について考えたいと思います。
凄惨な地上戦があった沖縄ですが、昭和天皇は戦後の占領下でGHQに対して沖縄に関する重大な決断を伝えていることが明らかになっております。
≫昭和天皇は戦後およそ8年半をかけて各地を回られた。
≫まだアメリカの占領下にあった日本。
戦争に傷ついた国民を慰問していた、まさにこのころ。
昭和天皇は、沖縄に関するある重大な決断を下されていた。
占領時代の資料が膨大に収集されている沖縄県公文書館。
終戦から2年後の1947年昭和天皇がアメリカ側に送ったメッセージがある。
天皇メッセージといわれる文書だ。
当時、昭和天皇の側近だった寺崎英成がGHQの外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトに天皇の意向を伝えたもの。
≫このことは、去年完成した昭和天皇の実録にも書かれている。
なぜ沖縄を切り離すようなメッセージを昭和天皇は送ったのか。
≫天皇メッセージがどう影響したかは、わからないが事実、沖縄は切り離された。
日本が、1952年に主権を回復したあとも沖縄はアメリカの統治下に置かれ続けた。
1972年、復帰数日前。
沖縄での交通事故。
その捜査の様子。
アメリカ人が起こした事故や犯罪に沖縄の警察は手出しできない。
不満はくすぶり続けていた。
≫万歳!≫そして沖縄が日本に復帰したあとアメリカによる沖縄統治を希望したあの天皇メッセージの存在が明らかになる。
沖縄の反発は、強かった。
≫それでも昭和天皇は沖縄への訪問を強く望まれていた。
戦後初めてアメリカに向かう前宮内庁長官に胸の内をこう話されていた。
≫更に帰国後の記者会見でも…。
≫戦後、私は今言われたように各地を巡幸して激励しました。
沖縄県には残念ながら行かれなかったのであります。
機会があるならば今、言ったように行きたいと私は希望しております。
沖縄県は過去においていろいろ問題があったとは思いますが今後、立派に沖縄県の発展することを私は祈っております。
≫しかし、その後も沖縄の反発は残った。
希望している訪問が実現しない中沖縄から来た子どもたちに会われた。
≫そして沖縄から持ってきた花が手渡された。
≫実は、この3年後にただ一度だけ沖縄国体への出席が実現しかけたが直前になって体調を崩し倒れられた。
陛下には告知されなかったががんだった。
昭和天皇の沖縄への思い。
それが少しだけわかる出来事がこのあと起きる。
側近が花束を預かろうとするが渡そうとはされなかった。
自ら御所にまで持ち帰られた。
果たされないままの務めが残った。
≫今回、我々は天皇メッセージにのみについてお伝えしました。
それ以外のこともいろいろと含めまして盛り込めなかったんですけれどもやはり昭和天皇は沖縄に対する後悔というものがあったのではないかという見方が強くあります。
それを、今上天皇が背負われて果たそうとされているのではないかという見方が強くあるわけです。
1975年にこの写真にありますように現在の天皇・皇后両陛下は初めて沖縄を訪れました。
その際ヘルメットをかぶった人物が右のこぶし、手のひらに火炎瓶を持っています。
このあと、投げつけます。
そして手前の部分が炎上します。
それにもかかわらずお二人は全く微動だにしなかった。
どんな覚悟を持って、沖縄に行かれていたんでしょうか。
≫昭和の時代。
天皇は皇太子に何を伝えたのか。
皇太子ご夫妻の通訳を務めたことがきっかけで元外交官の小池政行氏はここ20年ほど折に触れ、皇后さま時に陛下にも会っている。
伝えられたのはこんな言葉だったという。
≫今の陛下が初めて沖縄を訪問したのは皇太子時代。
沖縄が本土復帰した3年後のことだ。
反発があることはもちろん知っていた。
訪問する前から沖縄学の第一人者外間守善氏らに話を聞かれていた。
実は、ある悩みがあった。
皇太子は、それを1人で抱え込んでいたという。
外間氏が書き残している。
≫私は、東宮御所に呼ばれ尋ねられた。
戦没者鎮魂のため南部戦跡を訪ねたいのですが外間さんはどう思いますかと。
宮内庁も大反対で1人で悩んでおられたようだ。
私は何が起こるかわかりませんからぜひ、用心してくださいと申し上げたところ殿下は静かに何が起きても受けますとおっしゃった。
≫何があっても受け入れる。
それほどまでの覚悟を持たれてお二人は初めて沖縄を訪問。
ひめゆりの塔に花を手向け案内役を務めていた女性から話を聞き始めた直後事件は起きた。
地下壕から突然飛び出してきた男。
手に火炎瓶。
目の前で炎が上がった。
≫全くハプニングなんですけど…。
今、爆竹が鳴りまして今、献花台の前が燃えています。
火の手が上がりました。
今、皇太子殿下ご夫妻を警備員が囲むようにいたしまして今、正門前のほうにお連れしたところでございます。
≫このような事件が起きればその後の行事は中止になってもおかしくない。
しかし、お二人は少しも動揺した様子を見せなかった。
当時、案内役の1人だった新垣元副知事はこう証言する。
≫火炎瓶を投げつけられた夜皇太子は沖縄県民に向けメッセージを出された。
≫その後、現在に至るまで40年にわたって両陛下は沖縄への訪問を続けられている。
徐々に変わっていった遺族の思いがある。
沖縄戦で家族5人を亡くした照屋苗子さん。
20年近く前、照屋さんは陛下に声をかけられたことがある。
≫しかしすぐには受け入れられなかった。
≫複雑な思いを抱えたままの遺族もいる。
平良啓子さん。
アメリカ軍に撃沈された疎開船「対馬丸」の数少ない生き残りの1人だ。
去年、陛下と会える機会があったが会わなかった。
≫「対馬丸」事件が壮絶な悲しみですから残された方々の思いというものを想像します。
そして一方、天皇陛下に関して沖縄への強い覚悟。
それ以外への覚悟。
同時に感じた次第ですがいかがですか?≫今上天皇の非常に重要視されているのが私は、旅と祈りということだと思うんですね。
実際にやはりいろんな苦悩を持っている方がいらっしゃいますけれどもその方々のところに実際に足を向けそして繰り返しそこに行きそして1対1で向き合うということを繰り返していらっしゃるわけですね。
これ、非常に私は勇気のいることだと思います。
実際にVTRにもありましたけど火炎瓶の事件もありました。
そういったときも非常に気丈にふるまわれていらっしゃるわけですね。
そして、そういう行動の先にその場に行って祈りを捧げられる。
これが、今の陛下のお姿だと思うんですね。
非常に陛下は激務をこなされている。
このお年の同じ昭和天皇と比べても非常に多くの激務をこなされています。
そんな中での、祈りそして旅があるわけですがその背景に何があるかというと自分の内側に深く問いかけるということ。
自分自身に、その問い、問題を突きつけるというそういうお姿があると思います。
特にこれもVTRにもありましたがご自身の母親の血統の中に島津氏がある。
そしてそれは薩摩藩が琉球王国に対する厳しい支配があった。
これとしっかり向き合われるということ。
そして、父・昭和天皇と沖縄の非常に難しい問題。
果たされなかったつとめというものをご自身が引き受けるというお覚悟ですね。
こういうものの先に具体的に沖縄の訪問がありそこでの祈り対話というものがある。
だからこそ多くの人々が心を動かされる。
その姿やあるいは表情やそして古舘さんもおっしゃいました間ですよね。
こういうものの中に言葉以上の言葉を私たちが感じる。
それが陛下のお姿だと思うんですね。
私、今日の言葉の中で非常に驚いたのはご自身が行事で間違われることがあるということについて言及をされているところですね。
今でも反省の弁を述べられている。
日々、内省をされているというのがうかがわれるところだと思います。
そこに私も心を打たれました。
今年も陛下はさまざまな公務をされましたけれどもやはりパラオの訪問というのがありました。
私はパラオの訪問が非常に重要だったと思うのですがそのあと、パラオから帰ってこられてから実は戦後になってパラオから引き揚げてこられた方が日本の各地にいらっしゃるわけですがいろいろなところをご訪問されているんですね。
つまり、陛下の思いというのは戦争は何も1945年の8月15日に終わったわけではない。
まだまだ、その戦争の傷あと苦悩というのは長い間続いてきた。
そこで、なかなか光が当てられなかった。
そういう人たちの苦悩に寄り添うという姿を示されたのだと思うんですね。
戦後の苦悩という問題でやはり、思い出すのは2年前に水俣を訪問されているんですね。
水俣は当然水俣病の問題があるわけです。
そこで、公式行事にはのっていなかった患者さんたちにお会いになられているんですね。
何か戦後の非常に高度経済成長という輝かしい成長の中で置いてきぼりになった方々の苦悩に寄り添っていくという思いが非常に強くおありだと思います。
そして、今年はやはりいくつか重要なお言葉というのがありました。
年頭の所感でも満州事変に始まる戦争の歴史を十分に学ぶことというのがこれからの日本の在り方にとって重要だというふうに述べられたところがありました。
更に8月15日には先の戦争に対する深い反省ということにも言及されました。
戦争を知らない世代が増えてくるというお言葉も今日、ありましたけどそういう陛下の思いというものを私たちはしっかりと受け止める。
そういう1日にしたいと思いますね。
≫やはり、我々が微力ながら参考にすべきは同じ人間という視点に立てば陛下がおっしゃるとおり1人では生きていけないので長い時間が受け継がれていますよね。
そして、多くの方々の悲しみや喜びも脈々と流れて今があるとしますと。
あの戦争は終わらないと内省し考え続けるということはものすごく参考にしなければいけない部分だと思いますよね。
来年になりますと、ちなみにやはり天皇・皇后両陛下は今度は国交正常化60周年のフィリピンに行かれてあの、フィリピン。
太平洋戦争で戦没された方々の慰霊に向かわれるのではないかという予定がおありになるそうなので≫爆弾テロが相次いでいるトルコのイスタンブールでまた爆発がありました。
今度は深夜の国際空港であったんですけどもこの爆発で1人の方が亡くなっています。
まだテロかどうかはわかっていないのですがその可能性も視野に捜査が行われています。
≫深夜午前2時。
駐機場にあった航空機のすぐそばで突然の爆発が起きた。
爆発で割れた飛行機の窓。
爆風が機内にも及んだのか。
機内を清掃していた作業員の女性1人が頭部を負傷し、数時間後に死亡。
また、別の女性清掃員も負傷した。
死亡した清掃員がこの映像の飛行機で作業していたかはわかっていない。
爆発があったのはイスタンブールの東の外れに位置するサビハ・ギョクチェン国際空港。
格安航空会社・LCCが主に利用する空港だ。
深夜、離着陸が行われていなかったこの時間。
機内にも周囲にも利用客はいなかった。
何がどのように爆発したのか原因はわかっていない。
イスタンブールでは今月初めにも地下鉄の駅近くで大きな爆発が起き5人が負傷。
警官を狙ったテロだとみられている。
今回の爆発について現地捜査当局はテロの可能性も含め調べている。
≫まず、こちらの写真からご覧ください。
震災前の2010年の宮城県の女川町です。
女川湾に沿うようにしてびっしりと市街地が広がっていてその中心に女川駅があります。
しかし、ここに震災があって津波が襲って、こちら2015年なんですけれども町は壊滅状態となって多くが、まだ更地のままです。
今、高台移転の準備が進められているところですがこの女川駅前に今日新しい商店街が誕生しました。
≫女川湾を望むエリアに誕生した新たな商店街。
半数が仮設店舗から移っての再出発だ。
≫相原さん夫妻は祖父の代から果物店を営んできた。
2人とも68歳。
悩んだ末、この商店街に新たな店を出すことを決めた。
≫励まし合いながらの船出。
震災前、1万人だった人口は今、およそ6900人にまで減少した。
一方で震災を機に故郷に戻った若者もいる。
木村優佑さん、32歳。
震災前は、東京でIT関係の仕事に就いていた。
≫選んだのは地ビールバー。
自分たちが好きな街になれば復興は進むと木村さんは信じている。
≫中島さん、いかがですか。
≫私、商店街は長い縁側だと思っているんですけども。
商店街って物を買うだけではないですよね。
そこに行って会話をしたりという社交の場でもあると思うんですね。
20年前に阪神・淡路大震災がありましたけれどもそこでの問題孤独死の問題というのがどんどん深刻になっています。
今やはりこういう社会の中に、人々がつながっていくということが非常に重要な社会政策なんですけれどもこういった商店街がそういった場になれば私は、いいなというふうに思いますね。
≫長い縁側ですね。
やっぱり、そういう縁ということでいうと人と人が出会えるわけですから東京にいますと私なんかはいけないと思うのは骨身に染みていないんですよ。
街が人口流出で人口が減っていくという切なさや苦しみを。
全国にあるわけじゃないですか。
いったん人口流出してもこうやって見ると女川には商店街を契機にしてということも含めて若い方も一部、戻られている。
こういう大事なものを見ると≫中国・シンセンで起きた土砂崩れから4日目。
初めて生存者が救出されました。
まずは、こちらのニュースからお伝えします。
≫土砂崩れから67時間ぶりに救出されたデン・タクメイさん。
捜索隊が土砂を8mほど掘ったところデンさんは埋もれた建物の壁とドアの間40cmほどの隙間にいた。
今朝救出され骨折や脱水症状などはあったが意識は、はっきりしていた。
重慶市から出稼ぎに来ていたデンさん。
救助を待っていた3日近くそばにあったヒマワリの種などを食べてしのいでいたという。
土砂崩れの現場からは先ほど新たに4人目の遺体が発見された。
いまだ70人以上の安否がわかっていない。
生存率が大幅に下がるとされる72時間はすでに過ぎたが土砂の量が多く捜索は難航している。
≫アルペンスキーのワールドカップ。
マルセル・ヒルシャー選手はワールドカップ4連勝中だ。
コーナーを回ったその瞬間…。
落下し、粉々になったのはドローンだ。
ソチオリンピックで銀メダルにも輝いたヒルシャー選手は背後に迫ったドローンの気配を感じていたという。
彼ほどのスピードがなければ事故に巻き込まれていたかもしれない。
≫競技の撮影をしていたドローンだがコース内での飛行は禁止されていたという。
最後まで滑り降りたヒルシャー選手。
大会の記録は2位に終わった。
≫結婚式で晴れやかな表情を見せる2人。
宮崎謙介氏と金子恵美氏。
実はともに自民党の衆議院議員だ。
宮崎氏の育休取得宣言が永田町で波紋を呼んでいる。
披露宴の場でも…。
≫一方、重鎮からは…。
≫披露宴には安倍総理大臣も出席し10分近くスピーチしたが育休には一切触れなかった。
≫みんな古いな、考えがと思いましたけど私も、このニュース聞いたとき夕方、え?と思いましたからね。
だめですよね。
古いなんていっていないでまず自分が内省的に新しい考えか古い考えかはっきりしないとね。
さて、ここからスポーツまいりましょう。
青山さん、クリスマスモードでかなり明るいお召し物でございますね。
よろしくお願いします。
≫祝日の今日はスタジアムに多くのファンが詰め掛けたんですけども視線の先には先日引退を発表した澤穂希選手。
現役最後の舞台となるトーナメント、皇后杯。
今日、準決勝です。
≫日本、先制!澤のヘディングシュート。
≫日本女子サッカー界を支えてきた澤穂希、37歳。
なでしこの象徴は数々の栄光を手にしてきた。
そのサッカー人生の締めくくりはINAC神戸のメンバーとともに戦う皇后杯。
負ければ、そこで引退。
≫サッカー人生の全てをかけて仲間とともに頂点へ。
固い決意で準決勝に臨んだ澤。
対戦相手仙台のチームスタッフである辻上氏が見つめる中…。
果敢にタックル。
またタックルと、序盤から体を張ったプレーを続ける。
更に、相手がボールを持つと一目散に迫り、ディフェンス。
縦横無尽にピッチを走り仙台の攻撃の芽を摘む。
黒衣役に徹する澤に攻撃陣が応える。
前半39分コーナーキックから大野。
神戸が先制点を挙げる。
エンドが変わった後半16分にはパスをつないで最後は中島。
2対0とリードを広げる。
そして、37歳のベテランは後半に入っても精力的にプレー。
2点のリードを守りきった神戸が見事決勝進出を決めた。
≫今日もスライディングしてボールを奪ったり体を張ったプレーがとても印象的でしたけど。
≫そして、もう1つの準決勝。
澤の古巣日テレ・ベレーザ対新潟。
勝負はPK戦へ。
2対2で迎えた5人目。
これを決め3対2と新潟がリード。
あとがなくなったベレーザ。
5人目は、なでしこジャパン阪口夢穂。
澤の現役最後の試合相手は新潟に決まった。
≫澤選手に続いて今度はレスリングの女王吉田沙保里選手です。
現在、世界大会16連覇。
個人としては200連勝中なのですが今月、喘息と診断されていたことがわかりました。
体調面が心配される中今日、全日本選手権に登場です。
≫オリンピックで戦う力の強い海外選手を想定して本来の53kg級より重い55kg級に出場した吉田沙保里。
準決勝の相手は浜田千穂。
この階級去年の世界チャンピオンだ。
先にポイントをとった吉田。
しかし苦戦を強いられる。
両肩がマットに1秒間つくとその時点で負けてしまうがぎりぎりでこらえる。
終了間際まで攻め込まれ吉田はスピードでかわす。
なんとか逃げきり決勝進出を決めた。
そして、連勝を202に伸ばして挑んだ決勝では、11歳年下の大学生菅原ひかりと対戦。
吉田得意の速いタックルから相手のバックを取り2ポイント先制。
そのまま、相手の体を回転させ更に2ポイント。
強さを見せ付ける。
またまたくる。
バックに回りこれで6ポイント差に。
試合終了1分前。
最後は、豪快に相手をマットにたたきつけた。
10ポイント差をつけテクニカルフォール勝ちで優勝。
来年は女子史上初のオリンピック4連覇を狙う。
≫吉田同様本来より1つ重い53kg級で出場した世界選手権3連覇の登坂絵莉。
決勝、赤の登坂はバックをとられ2ポイントのリードを許す。
試合終了まで残りわずか10秒。
残り1秒で4対4。
同点の場合最後に得点したほうが勝者に。
登坂が逆転勝利で初めてのオリンピックに弾みをつけた。
≫レスリングの次は女子ボクシングです。
先日、松岡修造さんが取材した去年の世界選手権の銅メダリスト和田まどか選手。
リオオリンピックへの足がかりとなる日本選手権今日、決勝に挑みました。
≫リオを見据え、1つ重いオリンピック採用階級フライ級で出場している青の和田。
相手と距離をとりながら戦うのが和田のスタイル。
そこから…。
鋭い右フック。
更に、左ストレートは相手の顔面を的確に捉える。
常に距離を測りながら攻撃の手を緩めない。
終始、自分のボクシングに持ち込み試合中に勝利を確信していたという。
結果は3対0の判定勝ちで日本一。
オリンピックアジア予選は来年。
日本女子初の出場を目指す。
優勝の直後、和田は母に連絡。
≫強いですね。
このところ暖かかったり寒かったりで体調を崩しやすいですね。
気象情報まいりましょう。
林さん、お願いします。
≫こちら、六本木では雨が強まってきました。
本降りになっています。
今日はとにかく寒かったですよね。
東京も寒かったのですが全国で一番冷え込んだのが北海道でした。
この極端な映像を見て対照的な映像を見て驚かれた方も多かったかもしれません。
北海道では最低気温がマイナス20度を下回りました。
一方で、沖縄は最低気温でも20度を超えてきたんですね。
この差、なんと40度以上もありました。
このように、今年はさまざまなことが起こりました。
振り返ってみますと統計史上初めて毎月台風が発生したり豪雨災害も記憶に新しいのではないでしょうか。
そして今、暖冬でまだスキー場営業ができていないところもあります。
とにかく、極端な天気が多かったんですよね。
明日はクリスマスイブとなりました。
今日はちょっといつもと違う風景をお見せできればと思ってこちらLEDを使ったキャンドルをクリスマスツリー形に並べてみました。
あいにく強い雨となっていますがこの雨、明日の昼までにはやんで全国的に穏やかなイブを迎えられそうです。
ただ、ほっとできるのもつかの間になりそうなんです。
このクリスマスのあと今シーズン一番の冬将軍がやってきます。
この先もめまぐるしく天気が変わっていきそうです。
≫いつも毎日「報道ステーション」をお届けしております主要メンバーが最後だけ集まりました。
山口アナウンサー富川アナウンサー武内アナウンサーそろいましたけど本当に「報道ステーション」今年に関しては今日が最後ということにあっという間になってしまいました。
例えば本予算の閣議決定が明日ですしもうちょっとお伝えしたいところなんですけど。
本音を言えば。
それはもう決まったことなのでね今日で一応、締めということにならざるを得ません。
皆さん、本当に1年ありがとうございました。
そして、本当にお三方それぞれ活動の場所は違いましたけど大変な外回りをいつもやっていただきまして改めてこういう場で言うのもなんですけどありがとうございました。
毎日ですもんね。
もう、武内さんにしても山口さんにしても富川さんにしてもあの人たちはどこでいつ寝てるんだろうという人もいますよ。
そして「報道ステーション」来年になりますと1月4日からの始まりとなります。
覚えておいてくださいね。
1月4日の夜9時54分でございます。
2015/12/23(水) 21:54〜23:10
ABCテレビ1
報道ステーション[デ][字]

きょう何があったか!一日のしめくくりとして欠かせないニュース番組。古舘伊知郎を中心に正解のない時代のニュースを「まじめに」「前向きに」「正直に」お伝えします。

詳細情報
◇番組内容
緊迫感や速報性を重視したニュースと元気で明るいスポーツ、硬軟取り混ぜた時代を映し出す特集に季節感あふれる天気予報と情報満載です。
◇出演者
【メインキャスター】
古舘伊知郎
【サブキャスター】
小川彩佳
【コメンテーター】
立野純二(朝日新聞論説副主幹)、ショーン・マクアードル川上(経営コンサルタント)、中島岳志(北海道大学公共政策大学院准教授)、木村草太(首都大学東京准教授)
【スポーツ】
松岡修造、澤登正朗、中山雅史、稲葉篤紀
【特別リポーター】
長野智子
【スポーツアナウンサー】
青山愛
【天気予報】
林美沙希
◇おしらせ
☆番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/hst/

※放送内容が変更になる場合があります。あらかじめご了承ください。

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – 経済・市況

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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