ハートネットTV 介護百人一首2015「冬編 その一」 2015.12.23


介護は明るく楽しくかっこよく。
全国の介護家族の皆さんご機嫌いかがですか?「ハートネットTV」今日と明日の2日間は「介護百人一首」をお送りします。
今回は「冬編」。
早速ゲストをご紹介しましょう。
砂川啓介さんです。
よろしくお願いします。
砂川さんは妻である大山のぶ代さんの認知症をこの春公表しこちら「娘になった妻、のぶ代へ」をエッセーを出されました。
まあ50年以上の友達なんだけどねまあ今日ははっきり言ってやりにくいよ俺は。
俺もやりにくいよ。
俺もやりにくいですか?だけどねご苦労さんだった。
いやどういたしまして。
この大山のぶ代さんの認知症を公表するにあたってはまむしさんのアドバイスもあったという…。
彼がいなかったら今ここにもいなかっただろうし本も出てなかったと思いますね。
彼が「認知症のね俺の女房がペコが」っつったら苦しんでてこんな痩せて俺んとこへ5月ごろ来てね「それはもうお前一人じゃねしょってけないんだから公表してそれでいろんな人から助けてもらいなさい。
支えてもらいなさい」って言ったら考え込んで考え込んで。
まむしさんにアドバイスされてもでも逡巡がありましたよね。
ああありましたねラジオのスタジオに入る前まで。
ちょっと考えてた。
緊張してたか。
うん。
でもやっぱり彼の後押しなかったら…。
公表してから変わった?2人の間っていうのは。
結局こっちが余裕ができたっていうか心が広くなったというかねそういうのが分かるんじゃないかな。
本当子ども笑わせるみたいにねいろんな事やると同じ事何度でも笑うんだよね。
いいお客さん。
そうそう。
そうか。
だから介護する方にゆとりが出てきたり明るく楽しくやってるという事で介護される方が分かるんですよ。
じゃあよかったじゃないか。
やっぱりこっちにその余裕がないと駄目だね。
介護する人がね。
それではお二人のお話はまたおいおい伺う事にしまして「介護百人一首2015冬編」ご覧頂きましょう。
「介護百人一首2015冬編」。
神奈川県の川田真紀子さん83歳の作品です。
「パーキンソン病を患って15年です。
凩の吹く夜娘が床に湯たんぽをそっと入れてくれました。
今夜は繭のように丸まって眠ります」。
石川県宮谷瑠美子さん75歳の短歌です。
「弟の名前も私の名前も忘れてしまった母に聞いてみました。
あまりに正確なので不思議でした。
その母も14年前に亡くなりました」。
福岡県の角美恵子さん85歳の作品です。
「面会に行く度『迎えに来たか』と帰り支度を始める母。
『この次ね』。
『今日は寒いからね』と苦しいうそを何度もつきました」。
島根県太田ミチ子さん80歳の作品です。
「8歳年上だった夫です。
甘える事はめったにありませんでしたが亡くなる10日ほど前私の膝を枕にしました」。
備中松山城が見下ろす岡山県西部の町高梁。
この町に住む川口愛子さんも介護百人一首に選ばれました。
歌を詠んだ川口さんの家は3代続く写真館です。
創業91年になります。
おばあちゃんのこっち向いとってよ。
川口愛子さん82歳。
今日は七五三の撮影です。
夫の清さんは近所の老健施設に入所しています。
今店のチーフカメラマンは次女の順子さんです。
2階がスタジオになっています。
あやちゃんあやちゃん。
草履履かんと。
あやちゃんなおばあちゃんの方見とってよ。
あやちゃん上手上手!あやちゃん!にっこり!これは何だ?何ですか?これは。
おばあちゃんにア〜ンパンチ!おじちゃんにパンチ!おじちゃんじゃいけん。
おばあちゃんにパンチ!ありがとうわざわざ。
ありがとうございました。
やっと撮影が終わりました。
(取材者)面白い。
面白い?まあこんなもんです。
(取材者)なかなか大変なんだなと。
まあ今頃はそう忙しくないから。
まあそれでももう私は限界。
これで後あったら。
愛子さんの夫清さんはこの写真館のあるじでした。
60年以上ここで写真を撮り続けてきました。
清さんの撮った写真が壁一面を埋め尽くしています。
しかし5年ほど前に認知症を発症しました。
検査してみると脳梗塞の痕跡も見つかり今は歩く事もできません。
ちょうど2年ほど前に私が盲腸をしたんですこの年で。
それで盲腸をして主人の介護と両方でちょっとストレスがたまってそれでここで私の方が先転倒したそのベッドの辺。
それで入院してまた預けとったら私が帰る。
主人がまた転倒する。
(取材者)交代ですね。
そうしたらだんだんとだんだんとぼけてきました。
それでもう今1年。
ちょうど今ゆうゆう村へ行って1年になりますか。
その前はほかの病院の介護施設へおりましたからね。
愛子さんが短歌に詠んだ歩行用の手すりは2年ほど前に清さんのために取り付けたものです。
これこれこれここ。
(取材者)すごいすごい。
いろんなとこについてる。
もうこれがないとこうしてこうしてこうしてこうして来てましたから。
愛子さんは昭和8年岡山市の美容院の家に生まれました。
そして昭和29年お見合いでこの写真館に嫁いできたのです。
愛子さんが21歳清さんは25歳でした。
新婚旅行は別府温泉に行きました。
ここ来た時は舅姑がまだ50前。
舅が49姑が48。
家族で営む写真館。
写真を撮るのは舅の庫一さんと夫の清さんでした。
娘を2人授かった愛子さんですが子育てのかたわら撮影を手伝いシャッターを押すようになりました。
私はどっちかいうとここの舅さんの写す何と言うんですか技術的なもの。
主人はどっちかいうと人の表情とかそれから瞬間的な動作とかそういうふうなものが得手でしたね。
お舅の庫一さんの写真は隙のないきっちりとした写真でした。
やっぱしほんのちょっとの人間の顔ってライトの向きで表情が違うでしょ。
その違い。
ほんのちょっとのこういう違いで主人と私の意見が。
(取材者)そうなんだ。
そうです。
清さんの写真は工夫にあふれた独創的な写真でした。
毎年写しに来る家族にも清さんはその度ごとに工夫を凝らしました。
愛子さんは清さんのいる老健施設にほぼ毎日2回通っています。
清さんのお昼と晩の食事介助をするためです。
それじゃ行ってきます。
それから悪いけどちょっと洗濯物入れといてな。
施設は家から5分とかからない場所にあります。
川口清さん86歳になりました。
おとうさんNHKさんが撮影に来とってんよ。
分かる?分かる分かる。
「分かる分かる」言うてこっち。
どっちを見よるん。
(取材者)こんにちは。
こんにちは。
本間さんいうてこの前来てから写真写して帰ってくれちゃった人じゃけどな。
(取材者)前に来ましたね。
(取材者)今日はご機嫌は大丈夫ですか?はい大丈夫です。
(取材者)ありがとうございます。
割と握力はあるんですよ。
こうすると「痛い痛い」。
今日は言わんわ。
今日は言わん。
ぐっと握るのは割と。
今日は痛くない?
(取材者)毎日来てくれますね。
これは誰?ん?これは誰?私の妻。
名前は?名前は看護婦さん。
愛子さんいう人は誰?この人?そう。
60年以上町の人々の幸せな瞬間を写してきた清さん。
長い間お疲れさまでした。
(取材者)結婚して61年ですよ。
まるまる61年。
(取材者)61年っていうのはダイヤモンド婚を過ぎてる。
今度は何になるんでしょう。
何になるんでしょう。
誰とおるよりもなおとうさんとおる時間が長いもんな。
そんな川口愛子さんの詠んだ介護百人一首です。
私滑舌が悪いからな…。
(取材者)大丈夫ですよ。
認知症の夫を介護する愛子さん。
ご様子砂川さんどうご覧になりました?いや〜よく分かる。
手を握ってる時とかねよく「痛い痛い」って言うんですよちょっとここを触っただけで。
別に痛くもないのに。
反射的に言うんだな。
彼はVTR見ながらね「分かる分かるそのとおりそのとおり」って言ってたけど。
こうやって支え合ってる認知症のおうちたくさんあるんだよね。
だからお前だけじゃないんだよ。
この愛子さんは清さんの認知症を前向きに介護されてますけど最初砂川さん大山のぶ代さんが認知症って分かった時のショックというかつらさというか…。
まず分かりたくなかった。
認めたくなかった?絶対認めない。
何かおかしいなと思ったのは…。
それはありますね。
認知症だなと思ったのが今から3年ぐらい前かな。
その前からあったんですけど僕が認めなかったというか…。
認めたくなかった?まだ脳梗塞の後遺症がよくなってたのにまた戻っちゃったのかなぐらいにしか思ってなかったんですよ。
どういうとこでおかしいと思った?まず人の話をあんまりよく聞かなくなってる。
返事はしてる。
さっきありましたよね。
「はいはい」って。
「こっち見てよ」って言っても見てないっていうね。
そんなのはしょっちゅうあって。
それに対して僕の方がものすごく怒ったり「何でこんな事できないの」っていう。
病気だってね思いたくないから。
なぜこれが分かんないんだよってどなった事もあったんだ?もうしょっちゅう。
どなるたんびに…。
悲しそうな顔。
うっとどなるとね返ってくる時もあるんだけど分かったような顔して一人で寝室の方へ行く後ろ姿見るとね何かもう自己嫌悪に陥るというかね。
砂川さんの著作にそういう思いの書いた部分がありますので紹介致します。
「ああ言い過ぎてしまった。
すぐに心の中で反省し次は絶対に怒っちゃ駄目だと自分に言い聞かせる。
僕は広い心を持って優しく接してあげられない自分に腹が立ち自己嫌悪に陥っていた」。
そう思いましたねその時はね。
でもそれを何年もお前人に言わなかった訳だろ。
言えなかった。
言えなかった。
人には言えない。
自分ではイライラする。
どこにも持っていけないよな。
だからあの愛子さんはご主人がね認知症になった時からすぐ仕事を続けて。
そうですね写真館のね。
あれがよかったんだと思いますね。
僕は一切やめちゃったから脳梗塞で倒れた時点で。
だからやめちゃった事自分では納得してるんだけどやめた事に対してのそのストレスみたいなもの。
うちにいて全部自分でやらなきゃなんないから断ってつきあいを。
なっ?ああ。
愛子さんすてきな短歌ありがとうございました。
続いての「介護百人一首2015」。
ご覧頂きましょう。
新潟県の林敏夫さん92歳の作品です。
「認知症の妻が布団をかけてくれました。
『ありがとう』と言おうとすると声が震えてしまうので気が付かないふりをしていました」。
京都府の口三千男さん72歳の短歌です。
「民生児童委員を務めていた時ご近所のお年寄りには優しく声をかけるのですが母にはついついきつい言葉を浴びせてしまいました」。
岐阜県の堀一子さん89歳の短歌です。
「私が風邪をひき熱にうなされていた時の事です。
夫が小さな声で私を呼びました。
私を気遣っての事とうれしく受け止めました」。
岡山県の白神満壽美さん67歳の作品です。
「施設を去る時母が家に帰りたいとぴったりついてきました。
介護士さんが話しかけてくれた隙に逃げるように帰った事を思い出します」。
神奈川県の杉山喜子さん63歳の短歌です。
「母の介護中に『介護百人一首』を見て癒やされ私も作るようになりました。
いつかテレビで紹介されるのが夢です」。
杉山さんおめでとうございます。
宮城県のほぼ中心にある大和町。
ここにも介護百人一首の詠み人がいます。
歌を詠んだ山口恵美子さん64歳と今年の春会社を定年退職した夫の勘一さん。
そして勘一さんの母アサ子さん99歳です。
これ何ちゃか?わ〜いっぱい来とる。
アサ子さんは9年前から少しずつ認知症になりましたが歩く事も食べる事も自分でできます。
食べていいの?うん食べようね。
恵美子さんが結婚した時からお母さんとはずっと同居です。
38年間変わらない朝の食卓です。
(取材者)99…?99歳で。
あと3か月で100歳になります。
なんとか100歳まではと思って頑張ってます。
(取材者)全然元気ですよ。
恵美子さんがアサ子さんの認知症に気が付いた時はがく然としたといいます。
(恵美子)お彼岸とかお盆に仏様を飾りますよね。
それをねある日帰ってきたら全然何にもされてないんですよ。
それで聞いたのばあちゃんに。
「ばあちゃん今日からお彼岸だよ。
仏壇飾んないの?」って「お彼岸って何するの?」って言われて。
その時あっ来たと…。
おばあちゃんいよいよ来たかと思った。
それは本当にちゃんとする人だったんでね本当にびっくりしましたね。
アサ子さんは大正5年生まれ。
幼い頃から地元の呉服店に奉公に出ていたといいます。
昭和22年に勘次郎さんと結婚しましたが43歳の時その勘次郎さんを病で亡くしました。
脳溢血っていうんですかあれで突然なってそのまんまあっという間に逝ったっていうのは何となく覚えてるんですけど。
呉服店はスーパーに変わりましたがアサ子さんはそこで働き続け3人の子どもを女手一つで育ててきました。
10歳ですね10歳。
小学5年ですね。
(取材者)という事は3人の兄弟を子どもたちをアサ子さん一人で。
そうですね。
本当に一人で育ててもらいました。
勘一さんと恵美子さんが結婚したのは昭和51年。
恵美子さんは25歳。
勘一さんは27歳。
見合い結婚でした。
嫁に来た恵美子さんにとってアサ子さんは厳しい姑だったといいます。
きちょうめんでね。
本当にきちんとして靴もきちんとそろえるし何て言うのかなピリピリしてましたね私本当に。
信じらんないくらい。
子どもは娘と息子を授かりました。
でも家の中を仕切っているのはいつも姑のアサ子さんでした。
ばあちゃんテレビ見るから。
チャチャ丸待ってるから。
チャチャ丸。
とうちゃんいたよ。
とうちゃんいたよ。
おいでおいでおいで。
まだいたの?お仕事行かないんだよ。
今日お休みだよ。
はいスリッパ脱いで。
きちょうめんでしっかり者。
恵美子さんにとって怖い存在だったアサ子さんが気が付いてみると幼子のようになっていたのです。
昼間恵美子さんが一人で過ごす時間。
恵美子さんは以前から川柳を作るのを楽しみにしてきました。
これどう思います?私もひと言多いんで思うんですよいつも。
争いっていう訳じゃないんだけど私の中の争いですね私の中の。
ばあちゃんがどんどん認知になってきていろんな…やっぱり昔の事も何かなかったようになってしまったなと思って。
やっぱり気丈で頑張ってきてたのが私を随分頼るようになってきたっていうのはありますね。
そんな山口恵美子さんの介護百人一首恵美ちゃんの歌です。
恵美ちゃん読むから聞いててね聞いててね。
聞いててねここね。
あんた読め。
はい分かりました。
ばあちゃんめんこいのね。
分からない。
ハハハハ!分かんない。
分かんない。
恵美子さんもめんこいよ。
恵美ちゃんね。
かわいいよな〜。
「手をつなぐ嫁姑」ですって砂川さん。
かなりこうあったんでしょうね。
気丈なお母さんだったそうですから。
だけどそれが今仲よくなって。
お互いにやわらかくなって。
手を握るようになった。
この人たちの感覚ではないけども要するに手つないだりとかハグしたりなんて事は絶対なかった訳じゃない?砂川夫妻にはなかったんですか?なかったなかった。
まあ年上の奥さんだったしね。
だからそれが今娘になっちゃったというかね。
全くそういう感覚なんですよ。
だからそうなって覚えた時に手を握るのも割合素直にできるようになったというかね。
向こうは?向こうはもう喜んで。
向こうから手出す。
あ〜そう。
俺のうちはよくハグしたり何かしますよ。
あっそう?あんまりそう見えないけど。
見えないけれども…。
見える前でやらないでしょ。
やっぱりだけど触れるっていう事が大事なんです。
やっぱり僕に触ってもらうとか手を握ってもらうっていうのがやっぱり安心感っていうかね。
のぶ代さんも安心した表情になりますか?もう極端に違いますね。
そうするようになって。
恵美子さんアサ子さん仲よくなって勘一さんもうれしいですよね。
いい短歌をありがとうございました。
大山のぶ代さんもきっとご覧になってるんじゃないでしょうかね。
ちょっと声をかけてあげて下さい。
これはちょっと言いにくいかな。
ほら。
見てるか?見てない?どっち?分かるのかな?分かんないと思う。
お話はまだまだ尽きませんけれども「介護百人一首2015冬編」は明日も続きます。
砂川さんありがとうございました。
2015/12/23(水) 13:05〜13:35
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ハートネットTV 介護百人一首2015「冬編 その一」[字][再]

介護にまつわる出来事や思いを詠んだ「介護百人一首2015」今回は冬編その一 いつのまに手をつなぐ嫁姑になったのだろう愛しさ不思議 ほかの短歌をご紹介します。

詳細情報
番組内容
介護する人される人、日々の介護生活の中でふと心に浮かんだこと、ある出来事の情景を詠んだ「介護百人一首」今回は冬編その一。 岡山県の川口愛子さんの歌 夫のため付けてもらいし介護手すり今は我の手助けとなる 夫は現在介護施設に。付けた手すりは私の助けに。宮城県の山口恵美子さんの歌 いつのまに手をつなぐ嫁姑になったのだろう愛しさ不思議 ほか。介護のつらさ、喜び、そして優しさ。介護短歌の心に触れて下さい。
出演者
【出演】砂川啓介,【司会】毒蝮三太夫,小谷あゆみ

ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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