インタビュー ここから「福島から世界の空へ〜パイロット 室屋義秀」 2015.12.23


(吾妻)
戦いの舞台は…
巧みに障害物をすり抜けタイムを競います
…とも呼ばれます
操縦かんをミリ単位で操作。
勝敗を分けるのは僅か1,000分の1秒。
極限の速さに挑むスポーツです
飛べるのは世界で僅か14人。
室屋さんはただ一人アジアからの参戦です。
ライバルは元空軍のエースパイロットなどの精鋭たち。
世界各地で戦い年間チャンピオンの座を争います。
表彰台にも2度上がり世界の頂点も見えてきました
今年5月日本で初めて開催されたエアレース世界選手権
室屋さんが発した言葉は…
私としてはね勝手に福島の総力をあげて戦ってると思ってます!
世界の空に飛び立った室屋さん。
その原点は福島にありました

福島市の中心地からおよそ10キロ。
800メートルの滑走路が1本のこの空港で室屋さんは練習を重ねています
白いスモークがものすごく青空に映えますねこれ今日は。
ウッハ!どうやって飛んでんだ!?ウホホホー。
すばらしいですね。
ありがとうございます。
いや〜今のフライトで20分ぐらいですかね。
そうですね20分ぐらいですね。
大体ワンフライトそれぐらいですか。
これぐらいですねはい。
10Gぐらいかかると。
はい。
という事は室屋さんの10Gは体重の10倍ぐらいって事は700キロぐらいがかかる。
そうですね。
はい。
普通の人だと失神してしまうと聞きますけど。
6Gぐらいでね心臓が血を送り出す能力とG…Gというのは椅子に対して直角に飛行機の場合かかりますので血も下がってくるわけですね。
そうすると心臓が送り出す能力が6Gぐらいで大体釣り合うそうなんで。
その6Gをはるかに超えた10Gまでとなるとどうやって防げるもんなんですか。
先に脳内の血圧があるんですけどそれをGがかかる前に上げとくんですね。
トイレでふんばるような感じ…。
ウッていう顔が赤くなる感じですか。
そうです。
顔を赤くする感じ。
ウッ…。
その状態がGかかる前にウッてつけてそれをキープしたままプップッて…。
こんな感じ?はい。
でも3秒ぐらいで酸欠になるのでその状態で酸素を吸ってあげる。
3秒ごとに。
えぇ〜…。
プップッて回ってるんですね。
奈良で生まれた室屋さんは親の転勤で北海道や東京に引っ越します
その度に乗った飛行機からの景色に心を奪われました
大学で航空部に入部。
グライダーに乗り自ら空を飛ぶ喜びを知りました
パイロットを目指しますが卒業する年国内の航空会社では募集がありませんでした
室屋さんはアメリカに渡ります。
そこで出会ったのがアクロバティックに機体を操る曲技飛行でした
25歳で帰国。
空を飛ぶ楽しさを日本にも広めようと活動を始めました
そんな室屋さんにとって願ってもない場所がその年福島市にオープンしました。
農作物を輸送するための農道空港です
全国各地の空港でエアショーなどをされていて福島空港は農道空港…。
福島農道空港として開港した当初これはいい環境だというのは最初から感じたって事ですか?ここは結構恵まれてると思うんですよね。
世界的に見てもトレーニング環境としてはいいと思ってましてね。
ここは旅客機が飛んでいる空港ではないので時間を調整すれば飛べるという事とあとちょうど山あいにあるので民家も少なくてちょうど直下で練習ができるというところで環境としては抜群であると。
でもその時点で室屋さん一人でもう福島に移り住んでいらっしゃるんですよね。
そうですね。
やはりどっかから通ってねここでやるんでは地元のね…飛ぶ時に来るだけでそれ以外の活動何にもできないじゃないですか。
それじゃあやっぱり駄目だと。
ここに住んでここのね…。
地元と一緒になって自分もねそこで生活してやるというところからとりあえず始めっぺっていう感じですかね。
福島でパイロットとしての活動を始めましたが自由に使える飛行機はなく思うようにはいきませんでした
やはり自分の飛行機がないとか練習をほんとにしたいという思いもある中でねなかなか苦しい数年間を過ごしてはいたんですけれどもどっかで思い切ってやらないとやはり機体がないとどうしてもこれ以上前に進めないという状況になってそれで機体を買う事にしました。
飛行機って普通に買い物するっていう感覚とはちょっと桁が違いますよね。
そうですね。
当時中古で結構古いやつを探してきてスホーイという機体だったんですけどそれがそれでも3,000万ぐらいかかりましたね。
家買うのと同じぐらいのエイヤッていう決断が必要な中でその時というのはエアショーとかぐらいですよね。
その時はエアショーも何も機体も何もないので基本的には何もしてない状態。
フリーターみたいなもんですか?まあフリーターですね。
いろんな人のお手伝いしたりね植木切ったりしてましたけどね。
どうやって日々暮らしてたんですか?ほんとに。
日々ね意外とここいると農産物空輸のための空港なんで意外と野菜とか果物とかあるんですよ。
だから農産物の積むやつの余りとかあったり近所の農家のおじさんが結構来てたのでくれるんですよね。
いろんなものもらってね野菜とか頂いてそれでしばらく生活してましたね。
念願だった自分の飛行機を手に入れ練習が本格化しました
福島の空でエアショーも開催できるようになります
しかし思ってもいなかった問題が降りかかります。
練習場所の農道空港は利用者が少なく存続が危ぶまれる事態になっていたのです。
「もうここで飛べなくなるのでは…」。
室屋さんは不安な日々を過ごしていました
その時室屋さんのために空港を守ろうと福島の人たちが声を上げたのです。
その一人…
これは福島市の主催するエアショーでスカイパークフェスティバルっていうやつが平成12年の秋にあった。
その時僕はこの一見学者。
すげえ人がいるなってもう憧れましたよ完璧に。
会社員の斎藤さんはパイロット志望でした。
地元で練習する室屋さんを知り自分の空への夢を託すようになっていったのです
斎藤さんはNPO法人を設立し室屋さんと共に空港を運営し存続させようと考えました
住民の方々にいろんなものを理解して頂いてここは有意な施設なんだという事をアピールしていこう。
そのために室屋さんはともかく空を飛べと。
空を飛んでどんどんどんどん高くなってそして世界に走れと。
私は地べたを走り回ると。
そのかわり安心して飛べる環境を私がつくるから一緒にここにいてくれとこういう何となく…。
「ねえいてちょうだい!」みたいなね。
NPOふくしま飛行協会というものを立ち上げてこの空港を使って町おこしをしていこうっていう事で…。
まずはここを利用してる愛好者。
手弁当でまずは集まろうという事でグループになってねだんだんみんな集まってくる中でその中でどういう活動をしてこうかという議論があってNPO活動を中心としてね地元にやはり貢献しながら…。
ともかくこの飛行場を存続させるようにしていこうじゃないかというふうにしてメンバーが集まってきました。
室屋さんを支える輪が広がりそのNPOは空港の指定管理者になったのです
そしてメンバーはさまざまなエアショーを企画
全く新しいレジャーとして注目されるようになります
存続が危ぶまれた空港は室屋さんのテクニックで人々を魅了する場となっていったのです
民間NPOによる運営によって室屋さんの尽力にもよって復活したって事なんですか。
そうですね。
税金の無駄遣いの象徴みたいな感じでね結構取り上げてもらってたんですけど…。
やはりエアショーを通じてこここの飛行場自体をですね観光の拠点としてですね人に来てもらおうと。
県外市外から来てもらってねここの施設を見てもらおうと。
また市内に泊まってもらったりいろいろしましょうというような事をベースにして活動をしていったんですけどその中でこの飛行場もともと農産物空輸という事で目的になってましたけどそこだけじゃなくてね多目的利用という事も条文についに入るようになってそのおかげでやはり今みたいな農産物空輸に頼らないいろんなスカイスポーツを中心とした活動拠点と初めてなりえたんです。
協力者も得てまさにここで実現していったって事…。
そう思いますね。
ここのふくしまスカイパークという今の現在の形というのはいろんなものの結集であり結晶であるとは思ってますね。
室屋さんに大きな転機が訪れます。
2006年10月エアレースの生みの親の一人で心から憧れていた伝説のパイロットピーター・ベゼネイが来日したのです。
「自分のテクニックをベゼネイに見せたい」。
室屋さんはある行動に出ました
直談判して「5分だけちょっと飛ばせてくれ。
ちょっと見てくれないか」という事でフライトを披露させてもらう時間をもらったんです。
その時5分間ね飛ぶ時間があったんで十分練習していってその5分間の演技をびしっと見せてその結果ピーター・ベゼネイが推薦をしてくれる事になりましてね。
まあエアレースとまではその時はいかなかったんですけどスポンサーがついても十分いいといい素材だという事で推薦してもらってスポンサードを得てそこから結果的にはね2年後ぐらいにエアレースのトレーニングにつながってくんです。
すごい!そこから一気にサクセスストーリーに突入するんですね。
そうですね。
そっから初めてスポンサーを得てダーッとトレーニングの量も桁違いに増えてそっから一気に飛躍的に上り始める瞬間でしたかね。
エアレース世界選手権に参戦する事になった室屋さん
福島から世界に挑むその姿は地元の人たちをますます引き付けていきました
止まっちゃいますね。
ついこの10〜15分間はず〜っとくぎづけになってしまいます。
仕事もしなくちゃなんないですけどね。
しかし2011年3月東日本大震災が発生。
練習拠点だった空港は一変します
滑走路にはひびが入り室屋さんの飛行機も格納庫から動かせなくなりました
そして救援物資を運ぶヘリコプターが頻繁に行き来するようになりました。
エアショーでのあのにぎわいがうそのように消えてしまったのです
これでもう活動できないかなというふうに思いましたね。
ここ自身も飛行場も…。
この格納庫は大丈夫だったんですけど滑走路の面が割れたり陥没したりいろんな事もあったり極めて緊迫した状況でしたからまさに小型機とかそういう状況ではない中でねこれがいつどう展開するのか全く見えない中でう〜ん…これはほんとに今まで経験した中でもね厳しい厳しい状況だなと思いましたけどね。
じゃかなりのもう…。
精神的には完全にもう崩壊に近いぐらいつらい時期でしたね。
戦うためにつくってきた十数年かけてつくってきた環境が全てガラガラとなくなってしまうとこっからもう一回つくり直して戦うとなるとね自分の年齢の問題もあるしほんとに戦う事ができなくなるなというふうな事はちょっと思いましたね。
震災から半年後。
出場を予定していた世界大会の開催が迫っていました。
福島の人々が厳しい状況にある中室屋さんは出場を取りやめる事にしました。
しかし仲間たちの反応は室屋さんとは逆でした。
世界大会出場を勧め壮行会まで開いてくれたのです
(拍手)皆さんの気持ちをほんとにありがたく頂戴します。
これで…。
・泣いちゃいかん!
(拍手)すいません泣き虫なもんで。
(笑い声)逆にそうやって行く事こそね復興支援にもなるしと。
福島の状況をね知らせる事もできるし行ったほうがいいよっていう事で随分背中押してもらってやっぱりその中で仲間がそこでいっぱい集まって盛り上がってこうぜという中ですからね。
それはやっぱりいい雰囲気…。
いい雰囲気というかねどっちなんでしょうね。
うれしいうれしさがね何倍増でしたよね。
やっぱり震災ってね結果として人の結束をすごく強くしてくれましたしね。
そういう意味では日本代表ですけど特に福島含めてね地元の仲間たちの代表そして日本代表という事がつながりがねすごく感じられましたよね。
仲間たちにエアレース世界選手権の迫力をその場でじかに感じてほしい。
室屋さんは日本で開くための活動にも取り組みました
そして今年5月。
日本で初めてのエアレース世界選手権が開催されたのです。
会場を埋め尽くした観客は2日間で延べ12万人。
千葉までバスで応援に駆けつけた福島のいつもの仲間たちがいました
応援グッズ!「GO!!Yoshi!!」。
日本の観客の前で初めてのフライトです

世界に挑む室屋さんに精いっぱいの声援を送ります
(歓声と拍手)さすが!さすが!ずっと応援してきたかいがありましたか?もうあそこ農道空港出来た時から。
「農道空港」って呼んでた時から。
スカイパークを…。
その時から。
目の前でエアレースの本番見る機会ってどんなに福島で応援している人たちでもできないわけじゃないですかよっぽどじゃない限り。
それが千葉なら行ける。
それもありました?近くで見てもらいたいっていうのは…。
やっぱり生で見るのとねテレビは全然違うんですよ迫力が。
やっぱりそれを生で体感してもらう。
スポーツ観戦楽しんでもらうという事はほんとによかったと思うしほんとにファンというかね…。
すごくスカイスポーツというものの1つがね大きく広まった瞬間でありました。
日本で初めてのレースを終えて語ったのは福島への思いでした
福島の空をねいつも飛ばさしてもらって空はみんなのものなんですけども勝手に使わしてもらって飛んでるわけでまず県民の理解と支援があって初めてですね世界のこの化け物たちと戦えるわけなんですよね。
ですからほんとに感謝を申し上げるところなんですけど私としては勝手に……と思ってます!今日が一番…あの高揚感の中でその「福島総力」というワードはほんとに福島で応援してた人たちはもうグッときたと思いますけどね。
やっぱり震災とかも経て震災後やっぱり結束がね逆に強くさしてもらいましたしね。
すごく…すごく一つ形になった日ではありました。
やっぱりスカイスポーツを広めたいという事でねふくしまスカイパークに引っ越してきてここを拠点として何もないところから始まってそこからここでトレーニングを積む事で世界に出てったわけですよね。
その結果の一つとして世界から日本にエアレースが来たわけですよ。
それを見てもらう事ができた。
ここで随分応援して頂いた事がある一つの形として見えやすい形としてそこに現れた瞬間だったと僕は思ったんですよね。
会見でも「人生最良の日である」とおっしゃってましたがそうすると結構目的がね広めるって方ではかなり達成してる感じになってますけど次なる目標というのはどうなってくるんですか。
そうですね広めるという意味ではほんとに今年この番組放送も含めてかなり知って頂いたという事は間違いないと思うんです。
ほとんどのいろんな人に声かけて頂く事も多くなりました。
この先我々が考えてるのはねやっぱり福島に焦点を絞るならばこういったエアレースとかスカイスポーツを通じた人間形成みたいな教育ができたらいいなと思ってます。
やっぱり理解が深まるとね身近になると思うんでね。
ただレースとかを見るだけだとねちょっと遠い世界に見えてしまうと思うので…。
でもそうではないので触れてもらって入ってきてもらってその中で成長できる仕組みづくりができればどんどん輩出されてくると思って…。
それこそがスカイスポーツのほんとに文化としてのね浸透にはなると思ってますのでそこをつくりたいと思ってます。
2015/12/23(水) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「福島から世界の空へ〜パイロット 室屋義秀」[字]

「空のF1」と称されるエアレース世界選手権にアジアから唯一参戦しているパイロット室屋義秀さん。室屋さんを支え続けたのは福島の仲間たちだった。福島への思いに迫る。

詳細情報
番組内容
「空のF1」と称されるエアレース世界選手権にアジアから唯一参戦しているパイロット室屋義秀さん。練習場所を求め、たどり着いたのは、縁もゆかりもない福島市の小さな農道空港だった。福島の仲間の支えもあり、パイロットとして技術を磨き上げた矢先、東日本大震災が発生。もう飛ぶことはできないかもしれない、そう感じた室屋さんを再び世界に送り出してくれたのは福島の仲間たちだった。翼を与えてくれた福島への思いに迫る。
出演者
【出演】エアショーパイロット…室屋義秀,【きき手】吾妻謙

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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