小料理屋スナックワインバーが並ぶしゃれた路地です。
こんばんは。
私が今いるのは東京・四谷の荒木町です。
かつてここは料亭が立ち並び着飾った芸者さんたちが行き交う華やいだ街でした。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
どうもお邪魔します。
実はここに全国でほとんど姿を消してしまったある職業の人が毎日顔を出すそうです。
その人が必ず持ち歩いているのがこの歌本です。
昭和の歌謡曲がたくさん載っています。
今夜は戦後を生き抜いたこの歌本の持ち主の物語をお届けします。
おはようございま〜す。
こんばんは。
はいいらっしゃいませ。
風格が出てきた。
そうでしょ?この着物になってから風格が出たのよ。
明治時代から芸者が行き交う街として栄えた東京・荒木町。
ビルの谷間には小料理屋やスナックなどおよそ200軒がひしめいています。
ありがとうございます!またお願い致しま〜す。
ギターを手に街を行く荒木町の新太郎さん通称新ちゃんです。
今年74歳となる全国で最年長の流しといわれています。
こんばんは。
何か歌いましょうか?せっかくですからね。
・「嫌われたくなくて」飛び込みで店を訪れ客のリクエストに応じて歌うのが流しの仕事です。
・「バカな私」・「夜更けの町に」歌うのはほとんど昭和40年代までの懐かしい歌謡曲です。
・「夜霧よ今夜もありがとう」いいですね。
(拍手)新ちゃんは毎晩20軒近くの店を回ります。
おはよう。
おはようございま〜す。
・「小島の沖じゃ」・「夢も」リクエストする客も昭和の時代を知る中高年サラリーマンが目立ちます。
新ちゃんはい。
心付けは最低1,000円。
それ以上はお客次第です。
同行しているのは3年前弟子入りしたちえちゃん。
連れてきちゃった。
ああ営業のお電話が…。
新ちゃんのマネージャー役も務めています。
は〜い。
は〜い。
「夕陽は赤し」。
・「夕陽は赤し」「身は悲し」。
・「身は悲し」久しぶりに歌う曲は弟子のガイドが必要です。
・「涙は熱く」「ほほ濡らす」。
・「ほほ濡らす」中には「新ちゃんの伴奏で歌いたい」という常連客も。
こんばんは。
はい。
2番。
2番よ。
歌い出しが遅れてしまいました。
はい。
はい。
何だっけ?「土方」。
・「土方」
(2人)・「土方渡世…」どんなに遅れても新ちゃんは即興で合わせます。
・「恋のうさもふっとぶぜ」うまい!うまい!これはもう最高。
新ちゃんは今荒木町でひとり暮らし。
結婚した事はありません。
おはよう!いらっしゃいませ。
(レコード)昭和16年に生まれた新ちゃん。
お昼には古い蓄音機のあるこの喫茶店でコーヒーを飲むのが毎日の楽しみです。
新ちゃんは戦争で父親を亡くし終戦直後には東京で母親ともはぐれてしまいます。
僅か4歳で孤児となり食べていくためには何でもやらなければいけない暮らしが10年も続いたといいます。
そんな事もありましたよ。
15歳の時たまたま歌う姿が芸人を束ねる会社の社長の目に留まり流しになる事を勧められました。
学校に通えなかった新ちゃんは文字があまり読めません。
(ギター)生き延びるためにギターを習い曲の譜面を必死に覚えました。
(ギター)正直なところ…当時流しの数は新ちゃんの周りだけでも300人を超えていました。
そこで仕事を求め全国各地を渡り歩くようになります。
ところが昭和40年代にカラオケが登場すると仕事が激減。
仲間は次々とほかの仕事に移っていきましたが新ちゃんにできるのは流ししかありませんでした。
(歌声)流しの道を一人歩み続けてきた新ちゃん。
その腕前を認め受け入れたのが荒木町の人たちでした。
おはようございま〜す。
料理屋を営む女将の…12年前荒木町にやって来た新ちゃんを支えたのが商店会の会長だった奈美さんでした。
絶対格好ついてきたもん。
奈美さんはかつて荒木町の芸者でした。
新ちゃんを受け入れたのはこの街が培ってきた芸者や流しの文化を残したいと考えたからです。
・「いちょうがえし」実は奈美さん自身も終戦直後2歳で両親と死に別れ芸の世界一筋で生きてきました。
街が活気づく師走が近づいてきました。
そうだね新ちゃん。
でもいい時はいいじゃない。
でもやっぱりね…12月には新ちゃんの誕生日が来ます。
子どもの頃から祝ってもらった記憶はほとんどありません。
新ちゃんは今年の春母よしこさんをみとりました。
実は19歳の頃生き別れた母親を捜し出しました。
しかし母には共に暮らしている男性がいました。
それでも晩年一人になった母を近くの施設に呼び寄せ最後まで面倒を見ました。
それは親だもん。
誰でもあれば。
まして僕なんかアッパラパーのパーだから。
そんな新ちゃんの歌に共感するのは同世代の人たちです。
30年以上前に流しをしていたここ小田原。
どうもご無沙汰してます。
どうも。
中島三雄さん75歳。
当時頻繁に新ちゃんを呼んでいました。
そのぐらい。
(取材者)使い切ってた?「この春青森県や秋田県の中学校を卒業した少年少女が上野駅着の列車で東京へやって来ました」。
中島さんは中学卒業後に親と別れ集団就職で上京しました。
仕事に打ち込んできた中島さん。
なかなか帰省もできませんでした。
涙出ちゃうからやめるべ。
この日新ちゃんが歌ったのは2人が大切にしてきたこの歌です。
・「おふくろおふくろ」
(拍手)どうも失礼します。
よろしく頑張って下さい。
新ちゃんと中島さん。
戦後70年は離れた親を思い続けた歳月でした。
新ちゃんが憂鬱だという師走がやって来ました。
こんばんは。
流しでございます。
おはようございます。
師走は荒木町もいつもと様子が違います。
またお願いします。
おはようございま〜す。
ふだん見かけない客が増えて流しがやりにくくなるのです。
アリかね。
うんある。
師走の厳しい夜。
いつものように訪ねたのは奈美さんの店です。
あら!いいとこ来た!この日は新ちゃんの74歳の誕生日でした。
客と話す新ちゃんに奈美さんが出したのは…。
タイの刺身。
さりげないお祝いでした。
この日も歌うのはいつもの曲です。
・「時代遅れの商いと人は気軽に言うけれど」・「俺にはこれしか能がない」・「荒木町の荒木町の俺は」
(奈美)・「新太郎」
(拍手)新ちゃん。
おねえさん!・「ハッピーバースデートゥユー」ありがとうございます。
ありがとうありがとう。
あっありがとう。
流しひとすじに生きてきた新太郎さん。
じゃあまた。
74回目の誕生日は人に囲まれ笑顔がこぼれた一日でした。
東京・四谷荒木町。
新ちゃんの流しの歌が響く師走です。
2015/12/23(水) 05:25〜05:50
NHK総合1・神戸
にっぽん紀行「流しひとすじ 戦後70年目の師走〜東京 四谷荒木町〜」[字][再]
東京四谷の荒木町で「流しの新ちゃん」と呼ばれる歌い手・荒木新太郎さん(74歳)。終戦直後に孤児として育ち、全国を回りながら社会を見つめてきた芸人の半生を描く。
詳細情報
番組内容
かつて芸者が行き交う花街として栄えた東京四谷の荒木町。この街に「流しの新ちゃん」と呼ばれ親しまれている芸人がいる。荒木新太郎さん(74歳)は、終戦直後に親と生き別れて孤児として育ち、15歳から流しの歌い手として生きてきた。昭和の時代、ギター1本を担いで全国の店を回り、最後に荒木町に流れてきた新ちゃん。客の好みに合わせて歌い、時代の移り変わりを見つめてきた新ちゃんの半生と魅力を描く。
出演者
【案内人】石橋蓮司
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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