NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第1集「カンボジア アンコール遺跡群」 2015.12.23


「NHKスペシャル」今夜から新たなシリーズがスタートします
ナビゲーターは私杏
舞台はアジア。
物語の主人公は謎に包まれた巨大な遺跡です
数千年の昔に生まれアジア各地で華開いた文化や文明
今最新の科学調査や考古学の研究を通してその驚くべき姿が明らかになってきました
ミャンマーの大地にそびえ立つ黄金の塔
1,000年も前の東南アジアに貧富の差のない社会をつくる奇跡のシステムがありました
中国秦の始皇帝が眠る巨大な墓。
初の大規模調査を通して世界の歴史上例を見ない統治戦略の存在が浮かび上がっています
そして日本。
東北の大地に広がる縄文の巨大集落
最新の研究で明らかになった縄文文化の真の姿は従来の文明論を根底から揺さぶるものでした
日本の縄文文化が非常に興味深い文化である事は今や世界の共通認識です。
彼らは1万年以上にわたって持続可能な社会を築いていたのです。
今日から4回にわたってアジア各地に残る巨大遺跡を訪ねます。
今世界の注目を集める古のアジア
その叡智に触れる旅の始まりです

今夜の舞台はカンボジア。
密林の奥に東洋の神秘と呼ばれる大遺跡群が眠っています
世界最大の石造寺院…
その周囲には森に覆われた謎の遺跡が無数に埋もれています
広大なジャングルの中に一体どんな文明があったのか?
最新の科学が浮かび上がらせたのは密林の中に眠っていた巨大な都市
巨大都市を支えていたのは極めて高度な技術力。
そして大繁栄をもたらしたアジアならではの叡智
世界史の表舞台に登場する事なくひそかに栄えそして消えていった密林の巨大都市アンコール
知られざる謎の文明。
その真実の姿を解き明かします
謎に満ちたアジアの文明をたどる私の旅。
やって来たのはカンボジアのジャングルの中です
私がまず向かったのはここアンコールのシンボルとも言うべき巨大な遺跡
アンコール・ワットは威厳をたたえてそびえ立っていました
インドシナ半島にあるカンボジア。
海から300キロ離れた内陸部の密林の中にアンコールと呼ばれる地域があります。
その中心部にあるのがアンコール・ワットです
濠で囲われた敷地は南北1.3キロ東西1.5キロの長方形
ワットは寺。
ヒンドゥー教の寺院として建てられました
建造は12世紀。
日本では平安時代の末期にあたります
無数の石が複雑に積み上げられた巨大な遺跡
このアンコール・ワットを誰がどうやって造ったのか?アンコールの遺跡群を20年以上にわたって調査しているイム・ソクリティ博士に最新研究の成果を尋ねました
ハローナイストゥミートユー。
ナイストゥミートユー。
200万トンといえば2トントラック100万台分です。
膨大な量の石を組み上げて造られたアンコール・ワット。
その構造は三重の回廊から成り立っています
一番外側の第一回廊。
その内側に第二回廊。
そして第三回廊の内側に中央塔がそびえています
回廊に足を踏み入れてみると壁や柱あらゆる所に精緻なレリーフが施されていました
私が目を奪われたのは美しい女神のレリーフ。
アンコール・ワットには女神だけで2,000体以上あるそうです
壁一面に描かれたレリーフの中にアンコール・ワットを築いたとされる人物が描かれていました
900年前この地を治めていたクメール人の王です。
この大寺院を築き上げるためにおよそ30年は費やしただろうといわれています
寺院の中心部に近づくにつれて勾配はどんどん急になっていきます。
傾斜は60度ほど。
ここから先は王をはじめ数人の位の高い人しか入れない場所だったと考えられています
中央塔には辺りを見渡すようにヒンドゥー教の聖なる鳥ガルーダの彫刻が施されています
塔の高さは地上65メートル。
15階建てのビルに相当します
クレーンも使わずにどうやってこの高さまで大きな石を積み上げる事ができたのでしょうか
これまでに行われた調査からアンコール・ワットの内部には土を固めて築いた高さ30メートルほどの土台がありその上に石造りの建物が築かれた事が分かっています
塔を築く時には木や竹で足場を組み石材をロープで持ち上げ下から徐々に積み上げていきました。
この時石組みを調整している様子が当時のレリーフに描かれています。
少しずつ足場を上に伸ばしながら地上65メートルまで石を積み上げます。
その後下に向かって仕上げの彫刻を施していきました
そして中央から周辺に徐々に広げるように寺院全体が築かれていったと考えられています
ソクリティ博士が注目しているのは石の積み方。
僅かな切り込みを入れ少しずつずらして組み上げる事で強度を高め巨大な建造物を造り上げています
しかしアンコール・ワットにはまだ解明されていない謎が数多く残ってるといいます。
それにはある理由がありました
ほとんど文字の史料が残らなかったアンコール・ワット。
実は長らくその存在そのものが世界に知られていませんでした
19世紀この地を調査に訪れたフランス人の博物学者が密林の中で遺跡群を発見。
ヨーロッパに紹介すると東洋の神秘と騒がれ一躍有名になったのです
密林に眠っていた巨大遺跡。
一体なぜジャングルの中にこれほど巨大な寺院が造られたのか。
かつてここにどんな文明があったのでしょうか
謎に包まれたアンコール・ワット。
今この地に存在した文明に迫る画期的な調査が始まっています。
最新の科学技術を駆使した国際共同プロジェクト。
密林に阻まれこれまで詳しい調査が行われてこなかったこの一帯を空からレーザーを使ってくまなく調べます。
上空から照射されたレーザーは密林を通り抜け地表面に到達。
機体に跳ね返っていきます。
この時間差を測る事で地面の凹凸を数センチの精度で割り出す事ができます。
7か国の研究機関が参加しているプロジェクトのリーダーです。
樹木に覆われたアンコール・ワット。
レーザーで測量すると驚きの姿が浮かび上がりました。
中央の寺院を取り囲むように並ぶ無数の凹凸。
詳しく解析するとそれは直径25メートルほどの大きなくぼ地。
その隣には縦40メートル横25メートルほどの地面が盛り上がった小高い部分がありました。
この凹凸が規則正しく並んでいるのです。
これは一体何なのでしょう?現地では謎の凹凸の正体を探る発掘調査が進められています。
今杏さんが歩いているこの一帯が地面の盛り上がった小高い場所。
土の中からは興味深いものが続々と発見されています。
そして明らかに人の手による建築物の跡が見つかりました。
研究チームはこうした調査の結果からこの小高い場所には人が暮らした住居があったと結論づけました。
それでは地面のくぼんだ場所には何があったのでしょうか。
くぼんだ部分は深さ1メートル直径25メートルほど。
ここに水をためて飲料水や生活用水に使っていたと見られています。
かつての住居とため池の跡。
アンコール・ワットの周囲にはそれが整然と並ぶ住宅地が広がっていたのです。
これまでの研究成果を基に当時の姿を再現してみましょう。
2,000平方メートルほどの広い区画に大型の木造住宅。
そばにはため池があります。
こうした住宅が碁盤の目のように区画された土地にぎっしりと立ち並び濠で囲われたアンコール・ワットの敷地全体に広がっていました。
このアンコール・ワットを取り囲むように広がる密林地帯。
そこにも多くの遺跡があります。
これまでの調査で東西25キロ南北20キロ。
東京23区ほどの範囲に大きなものだけでおよそ60の遺跡が見つかっています。
これがアンコールの遺跡群です。
独特の佇まいでアンコール・ワットと並び称される…無数に林立する石積みの塔。
その四方にはほほ笑みを浮かべる巨大な顔。
神秘的な空間が広がっています。
200メートルにわたって続く一直線の参道が特徴のバプーオン寺院。
この参道を横から見てみると石の柱で支えられたいわゆる空中回廊です。
その奥にあるのが本殿。
ピラミッド型をした重厚な造りです。
更に廃虚のようになった遺跡は密林の中に無数に点在しています。
ここもかつては寺院だったと見られています。
今では熱帯の樹木にほとんどからめ取られそうです。
密林に埋もれた多くの遺跡群。
これらは誰が何のために築いたものなのでしょうか。
遺跡に残されていた遺物の中に当時の様子をうかがい知る貴重な手がかりがありました。
ヤシの葉や動物の皮に書かれた文書は失われましたが寺院の成り立ちなどを石に刻んだ碑文が僅かに残されていたのです。
碑文に記された断片的な記述をつなぎ合わせるとこの一帯には9世紀から15世紀までクメール人の王が支配するアンコール王朝が存在していた事が分かってきました。
数々の遺跡を残したのは26人いたとされる歴代の王たちです。
碑文によると王たちは即位すると新たな寺院の建立に着手していました。
そこには当時の宗教的な考え方が色濃く反映されています。
こうして多くの遺跡が残される事になったアンコール。
密林に覆われたこの一帯でレーザーによる空からの調査が行われました。
するとそれぞれの遺跡の周囲にもアンコール・ワットと同じように寺院を中心に住居がびっしりとひしめき合う街があった事が分かってきました。
そして驚くべき事にこうした街の痕跡は東京23区よりも更にずっと広い範囲に及んでいました。
歴代の王が新たな寺院を築くにつれて街は拡張し巨大な都市が形づくられていったのです。
1,000年近くも前ここに100万近い人が集まる巨大な都市があった
今この光景を見ているとにわかには信じられません。
その街は当時の世界の大都市と比べて様子が大きく違います
例えば東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル
巨万の富を蓄積したこの都市は海に面した港町でヨーロッパとアジアを結ぶ海上貿易を一手に握っていました
南宋の首都臨安。
現在の杭州も海に面しています。
東アジアの特産物を集めた交易が繁栄を支えていました
これに対しアンコールは海から遠く離れ鬱蒼とした密林の奥にありながら巨大な都市を形成していたというのです
インドシナのジャングルの奥地になぜ100万もの人が集まってきたのか?
その謎を解く手がかりが中国の古い文書の中に残されていました
「真臘風土記」。
当時のアンコールの様子を記した元の時代の書物です。
そこに多くの人々を引き寄せた秘密がこう記されています
「アンコールではいくらでも米が手に入る」。
「驚いた事に一年に3回も4回も米が収獲できる」。
米がたくさん取れ飢えとは無縁だった事で多くの人が集まったと見られるのです
しかし実際にこの地を訪れてみると疑問が湧いてきました
アンコールには雨季と乾季があります。
乾季の半年間はほとんど雨が降りません
水がなく稲を育てるにはあまりに厳しい環境
当時の人々はどうやってここで一年に何度も米を収穫する事ができたのでしょうか?
空からのレーザー調査を行ったダミアン・エバンス博士がその謎を解き明かしました。
きっかけは調査で得られたデータの中に土木工事が行われたと見られる痕跡をいくつも見つけた事でした。
実際に気になる現場へ足を運んでみると密林の中に石を積み上げた壁が見つかりました。
空から詳しく見てみると壁から少し離れた場所にもう一つの壁が平行に走っていました。
エバンス博士はここにかつて大きな水路があったと考えています。
天然の小川に見えるこの川も当時造られた人工の水路だといいます。
この場所を空から見てみると右上から蛇行してきた川の流れが…ここで急に下へ向かって変えられている事が分かります。
エバンス博士がまとめた調査の結果です。
青い線が水路。
その間に散らばる無数の青い点はため池です。
水路とため池を巧みに組み合わせてアンコールの隅々にまで水を行き渡らせていたのです。
そしてこれらの水路はある場所につながっていました。
バライと呼ばれる巨大な貯水池。
人の手で周囲20キロにわたって土手を築いて造られた事が明らかになっています。
更にバライに集まる水の流れを遡ってみると50キロ離れた一つの山から流れ出ている事が分かってきました。
山を流れる川の底には不思議な模様が彫られていました。
ヒンドゥー教のリンガと呼ばれる浮き彫り。
ここが聖なる場所である事を表しています。
この山では至る所で澄んだ水が湧き出ています。
クーレン山から湧き出た水をバライにため緻密な水路で各地に行き渡らせる。
この水利ネットワークによって乾季の水不足が解消され何度も米が収獲できる稲作地帯が誕生したと見られるのです。
緻密な水利システムを築く事で農業に支えられた巨大な都市をつくり上げたアンコール王朝。
その高度な技術力はさまざまな分野に及んでいた事が分かってきています
日本の遺跡研究チームの…
アンコールで8年にわたって発掘作業を続けています。
収蔵庫に保管された数万点もの出土物
通常は非公開ですが特別に見せて頂きました
これは…
アンコールの人々が石材だけでなく金属も自由自在に加工する技術を持っていた事が伺えます
(山本)お持ちになって大丈夫です。
はい。
大きな水晶を削って作られたこの出土物はヒンドゥー教の神を表しているそうです
こちらは赤い漆が塗られた…
100万もの人が集まる華やかな大都市だったアンコール。
これまでの研究成果を基に当時の様子をコンピューターグラフィックスで再現します。
クジャクやカワセミが飛び交うインドシナ半島の奥深く。
ここがアンコールです。
街では毎日市場が開かれ周囲の水田や畑で取れた豊富な農産物が並んでいました。
米のほかにネギナスニラなどの野菜類や果物豚や牛アヒルなどの家畜も売られていました。
人々が集い街は活気にあふれていました。
最も華やかだったのが王族たち。
中国元の文書「真臘風土記」にその詳細な記録が残っています。
王が外出する時には軍馬が前を歩き旗を持ち楽器を演奏する者たちが後に続きます。
王族や家臣たちは皆ゾウに乗っていました。
位の高い者ほど日傘を多く差すのが習わしでした。
金を散らした白い傘が20本余り。
金で飾った剣を持つのがアンコールの王です。
王に仕える女性は3,000人以上。
皆美貌ぞろい。
金の腕輪や猫目石を使った指輪を身につけ体からよい香りを漂わせています。
水遊びを楽しんだりジャスミンの花で飾りを編んだりさながら密林の桃源郷といった趣です。
インドシナの奥地に農業にいそしむ人々の豊かな都市が存在していたのです。
インドシナ半島の奥地で大繁栄したアンコール王朝。
最近の調査でその繁栄を支えていた新たな一面が見えてきました
遺跡周辺の発掘調査で出てきたのはアンコールから数千キロも離れた中国各地の焼き物
更にはるか西方現在のイランやイラクの辺りで焼かれたイスラム陶器も見つかっています
こうした出土物は従来のアンコールに対する見方を大きく変えるものでした
ジャングルの中独立して繁栄していたと考えられてきたアンコール。
一体どのようにして世界と交流していたのでしょうか
アンコールと世界の交流の実態を調べるプロジェクトがソクリティ博士たちアジア各地の研究者によって始まっています。
カンボジアは20世紀に入り内戦が勃発。
全土に地雷が埋められました。
近年地雷の撤去作業が進んだ事でようやくこうしたフィールド調査が可能になりました。
これまでの調査でアンコールからいくつかの道が延びていた事が分かってきています。
整備された幹線道路だけでも7本ありました。
研究チームはその道の痕跡をたどります。
道沿いに旅人が移動の疲れを癒やしたと見られる施設が見つかりました。
宿駅は平均15キロごとに配置されていました。
道路網が計画的に造り上げられていた事が分かります。
そして最近隣国ベトナムで注目すべき発見がありました。
アンコールから東へおよそ600キロ。
ベトナム中部の街クイニョンです。
アンコール王朝が繁栄していた時代ベトナムにはチャンパと呼ばれる王国がありました。
チャンパの遺跡は赤いレンガを積み上げて築くのが大きな特徴です。
ところがその中に通常は見られない変わった装飾が見つかったのです。
レンガではなく白い砂岩に彫られたガルーダの彫像。
あのアンコール・ワットの中央塔に飾られていた聖なる鳥です。
比べてみると確かによく似ています。
更に石を少しずつずらして組み上げるアンコール・ワットのあの技術。
それがここにも使われていたのです。
この調査チームに日本から参加している…これまでアンコールの影響が見られる遺跡や遺物の情報を集めてきました。
その数はおよそ2,000。
それらはインドシナ半島を縦横に十字を描くように連なっていました。
その中心に位置していたのがアンコールだったのです。
アンコールとの共通点が見つかったクイニョンの街はかつて東洋と西洋を結んで人や物が行き交った海のシルクロードの重要な中継点でした。
研究チームは海のシルクロードを行き交う世界の富がここから内陸にあるアンコールへ運ばれていたのではないかと見ています。
東南アジアの密林に世界有数の巨大都市をつくり上げたアンコール王朝。
その大繁栄は水利システムに代表される高度な技術力そして世界とつながる交易のネットワークによって支えられていました
しかしソクリティ博士はもう一つ繁栄を支える大事な要素があったと言います
アンコールに巨大な建造物が次々と築かれていた12世紀から13世紀にかけて世界は紛争の絶えない時代でした
西洋ではキリスト教徒とイスラム教徒の対立が激化し十字軍の遠征によって血みどろの戦いが繰り返されていました
一方東洋では後に武力で大帝国を築くモンゴル族が勢力を拡大。
各地に戦乱が広がっていました
そんな時代になぜアンコール王朝は争いを避け平和な時代を長く続ける事ができたのでしょうか?
アンコール王朝がこの地に開かれた当時一帯にはさまざまな勢力が並び立ちとても平和とは言えない状況だった事が分かっています。
クメール族のアンコールを取り囲むように西にシャム族北にラーオ族東にチャム族がいてほかにも多くの民族がひしめき合い勢力争いを繰り返していました。
更に宗教でも信じる神がバラバラでさまざまな宗派の人々が入り乱れる複雑な情勢。
例えば同じヒンドゥー教でもシヴァ神を祀るシヴァ派とビシュヌ神を敬うビシュヌ派などに分かれていました。
この不安定な状況を大きく変えたのがアンコール王朝に現れた一人の王。
ジャヤヴァルマン7世です。
一体どうやって平和を実現したのか?彼が打ち出した政策が碑文に残されていました。
ジャヤブッダマハーナータとは一体何でしょうか?このジャヤブッダマハーナータにアンコールが長き平和を実現した鍵が隠されていると見て研究を続けている人たちがいます。
上智大学の石澤良昭さんたちのチームです。
アンコールから西へ600キロ離れたタイの遺跡にやって来ました。
遺跡の中央に祀られた一体の石像。
石澤さんたちはこれまでの研究からこの像がジャヤブッダマハーナータではないかと見ています。
頭の上に小さな仏が彫られています。
実はこの像仏教の観音です。
体の装飾を詳しく見てみると足を組む人形のようなものが大小さまざまに隙間なく彫られています。
これは一体何でしょうか。
石澤さんの研究チームの一員で東南アジアの仏教美術が専門の…宮博士によると観音の体に彫られているのは当時インドシナ半島で信仰されていたさまざまな神です。
おなかの彫刻は水の神水天。
胸はビシュヌ神。
額に彫られているのはシヴァ神ではないかと見られます。
宮博士はさまざまな神を包み込むこの観音にはそれぞれの信仰を大切にするというジャヤヴァルマン7世のメッセージが込められていると見ています。
これまでにインドシナ半島の各地からこれと同じ像が18体見つかっています。
王が各勢力に向けて信仰や価値観の違いを超えてお互いを認め合おうと呼びかけた証しだったと考えられるのです。
ジャヤヴァルマン7世が各地に呼びかけた融和。
彼はその象徴とも言える巨大な寺院をアンコールに建立しています。
優しいほほ笑みを浮かべて四方を見渡しているのは全てを抱擁する観音。
そして当時インドシナ半島の各地で人々が信仰してきた神々が一堂に祀られました。
ヒンドゥー教のビシュヌ神とシヴァ神。
ほかにも各地で信仰されていた神々などその数は117に上っています。
ジャヤヴァルマン7世はこうした寺院を各地に建立。
宗教の違いを超えてお互いを認め合おうというメッセージを送ったのです。
民族や宗教の違う多様な人々がお互いを認め共存していたアンコール。
西洋からもこの姿に学ぶべきだという声が上がっています。
ヨーロッパを代表する歴史家・思想家でありEU統合の立て役者と呼ばれる…書斎には尊敬するジャヤヴァルマン7世の像が飾られています。
アンコールの遺跡群を実際に訪ねてみてここには長い平和な時間を生み出し繁栄を謳歌した人々が確かにいたんだという実感が湧いてきました
9世紀からおよそ600年続いたアンコール王朝は15世紀半ばに衰退。
その後滅びます
なぜ滅びてしまったのか。
その真相は諸説あり詳しい事は分かっていません
多くの人々がこの地を去っていきました
かつて密林の奥深くに華開き空前の繁栄を誇ったアンコール
その高度な文明の痕跡は樹木にのみ込まれ次第に忘れられていきました

今もカンボジアの密林に眠る巨大遺跡
そこには互いの立場や価値観を超えて認め合い共存した人々の長く平和な時間が刻まれていました
2015/12/23(水) 01:25〜02:35
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第1集「カンボジア アンコール遺跡群」[字][再]

カンボジアの密林に眠る世界遺産・アンコール遺跡群。そこにはどんな文明が栄えていたのか?女優・杏が、巨大遺跡を訪ね、謎につつまれた文明の真の姿を解き明かしてゆく。

詳細情報
番組内容
世界遺産にも登録されているカンボジアのアンコール遺跡群。そこにどんな文明が栄えていたのか、真相は謎に包まれてきた。当時の記録の多くが消失してしまったためである。ところが今、ヘリコプターによる最新のレーザー調査や、長年の考古学的アプローチによって、その謎が徐々に解き明かされようとしている。浮かび上がってきたのは、密林の奥地に存在した世界有数の巨大都市の存在…。女優・杏が、謎の文明の真の姿に迫る。
出演者
【出演】杏,【語り】秋鹿真人

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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