中身を守るカバーとしても使えて重宝しますよ。
居酒屋「知恵泉」。
今日は誰もが知っているあの大物が登場します。
大将はテレビゲーム好きですか?好きですよもちろん。
私が小学生のころにちょうど家庭用ゲーム機がはやり始めてやり込みました。
三平さんは?私?私はねゲーム番組の司会をやってたんですよ。
RPGですとかね横スクロールのゲームですとかねシューティングもやりましたね。
戦国のゲームもありますよね。
ありますあります。
最近人気でゲームをきっかけに歴史が好きになる方も多いそうですよね。
武将の名前みんな入ってきますよね。
そうなんですよね。
そういえば今日ゲームに詳しい方がいらっしゃるんですよ。
えっほんとですか?楽しみですね。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
本憲三さんです。
本さん?本さんといえばもしかしてあのバキッドカッと戦うゲームの…。
そう!ゾンビに追いかけられるあのゲームの会社の会長さん。
そうなんです!いやいや…光栄でございます。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
歴史のゲームも出されてますもんね。
ええ。
今日ちょうどよかったです。
メニューはですね「バラバラな組織をまとめるには?」という事なんですね。
ゲームの制作の現場ってほんとにゲームクリエーターの皆さん思い入れがあって情熱も強くっていう方の集まりじゃないですか。
ですからそれをまとめる本さん結構大変なんじゃないかなと思って…。
そうですね。
世界中に2,000人以上クリエーターがおりますから。
2,000人のクリエーターがいるんですよねすごいですよ。
クリエーターも大阪と東京でしょう。
それからカナダのバンクーバーと韓国と台湾にいてますから。
あとロンドンにいてます。
7か所にいてますから。
笑顔でおっしゃってますけどその裏には苦労があるんですよ。
きっとそうでしょうね。
今日はその辺りの極意もじっくりと伺っていきたいと思います。
さあ今日取り上げます武将はこれまたバラバラな組織をまとめあげましたあの人物皆さんもよ〜くご存じのあの方です。
越後の龍上杉謙信。
有能な武将が次々と現れた戦国時代の中でも最強とうたわれています。
何しろその生涯において戦の勝率は95%!ほとんど負け知らずです。
強いカリスマ性と統率力を持つイメージの謙信。
しかし19歳で家督を継いだ時は意外な悩みを抱えていました。
配下の武将たちがとにかく自分勝手で…全くまとまらなかったのです。
例えば…土地の領有権をめぐって勝手に戦を始めるわ戦場では謙信の許可なく勝手に帰国してしまうわ。
あまりのまとまりのなさに疲れ果てた謙信。
引退を宣言して寺に引きこもってしまった事さえありました。
悩み抜きながらも謙信は試行錯誤を繰り返しバラバラな家臣を一つにまとめあげる方法を編み出していきます。
やがて最強の組織へと生まれ変わる上杉軍。
その無類の結束力は謙信自身が作り上げた知恵と努力の結晶だったのです。
そんな謙信。
現代ではゲームの中で大活躍しています。
並み居るライバル武将たちの中でも異彩を放ち強敵相手に連戦連勝。
ここでもそのぬきんでた強さを見せつけています。
今日のゲストはこのゲームを制作した会社の創業者本憲三さん。
大ヒット作品を次々と世に送り出し日本のみならず世界のゲーム業界をけん引してきました。
本さんがゲーム業界に入ったのは1970年代末。
大流行していたインベーダーゲーム機の販売を手がけた事がきっかけです。
今度はゲームソフトの制作を開始。
中でも対戦型格闘ゲームは世界的なヒットを飛ばします。
その後会社はホラーをベースにしたアドベンチャーゲームなど新しい切り口でゲームの世界を広げてきました。
その快進撃の裏には本さんの卓越したリーダーシップがあります。
現場のゲームクリエーターたちは嗜好も感性もバラバラ。
熱い思いを持っているだけにともすれば自己満足のゲームが出来上がります。
そんな「自己チューな」クリエーターたちを一つにまとめゲームを作り上げてきた本さん。
バラバラな家臣をまとめあげた上杉謙信の知恵をどう評価するのでしょうか。
本さんクリエーターの皆さんって本当にそうやっていろいろな方向を向いてらっしゃるんですか?やはり新しいいいものを作っていきたいという気持ちはやっぱりありますよね。
今まであるよりもやっぱりすばらしいものという事でみんながそう思ってやってますから。
だから要求も要求でバラバラだし社員も社員でバラバラの方がいるわけですよね会長のところには。
それやっぱりちゃんとまとめないと駄目なんですか?クリエーターと販売とはちょっと意見が違ったり…。
マーケットのね。
はいマーケットの方。
当初作る時から…それでねやっぱり調整をしないと…。
一つですね歴史居酒屋として是非聞いておきたいのは戦国のゲーム作ってらっしゃいますよね。
大変な人気で歴史が好きになったきっかけにしてる方もね多いそうですね。
大体ゲームって10年ぐらい前までは女性ファンがちょっと少なくてなかなか女性が入りにくいというんでキャラクターはまずイケメンのキャラクターにするという。
おまけにですね…ああなるほどね。
でアクションというのは実はですねハリウッドでもそうですけど…あっそうなんですか。
シンプルなんですね。
やるかやられるかってアクション。
確かに。
さあ謙信今日取り上げていきますが生涯いろいろ名前を変えているんですね。
あの〜…名字も長尾上杉と変わっていますので分かりにくいので上杉謙信に今回は統一させて紹介させて頂きます。
上杉謙信。
統一します。
ご了承下さい。
分かりました!ではまずは彼の生い立ちから見ていきましょう。
謙信の家は決して越後のナンバー1ではありませんでした。
越後国の「守護代」でした。
「守護代」とは国を治める守護を補佐する役職。
いわばナンバー2です。
しかし為景は越後の南部春日山城を本拠に守護を上回る武力をたくわえ実質的に国を支配していました。
謙信はそんな為景52歳の時に生まれた末っ子です。
家督を継ぐ立場になかった謙信は7歳になると僧侶になるため寺に入れられました。
ここでの修行が謙信に大きな影響を与えます。
仏の道はもちろん政治や軍事更には人の上に立つ者の心得など幅広い知識を身につけたのです。
修行を始めて6年13歳の時。
謙信は突然春日山城に呼び戻されます。
その葬儀の光景は異様でした。
参列した者たちは皆鎧兜をつけていたのです。
臨戦態勢の中での葬儀。
それは為景の死をきっかけに長尾家から権力を奪おうとする勢力が城を囲んでいたからでした。
この時はなんとか反対勢力を抑えたものの不穏な状態は続き実力者がいなくなった越後全体で紛争が続発します。
そんな中謙信は病弱だった兄に代わり…しかしこの時謙信の家中でも深刻な問題が起きていました。
家臣の間で土地の領有権をめぐり争いが生まれていたのです。
謙信が仲裁に入ったもののどちらも自分の権利を主張するばかりで全く聞く耳を持ちません。
争いはやがて家臣同士の武力衝突にまで拡大。
双方に多数の死者を出し長尾家に大打撃を与えました。
更にはこんな事態にも直面します。
ある時謙信は武田信玄との戦に出陣します。
ところが!信玄の軍の強さを間近に見た謙信の配下の武将たち。
謙信の許可を得ず勝手に戦場から引きあげる者が相次いだのです。
あまりにもバラバラな家臣たち。
ついに謙信の堪忍袋の緒が切れます。
「私は隠遁します」。
家臣たちのまとまりのなさに疲れ果てた謙信。
なんと「やめる」という手紙を残して寺に籠もってしまいます。
謙信の職場放棄でした。
逃げちゃうんですよ。
びっくりですよね。
びっくり。
そんな事あったんですね。
こんばんは。
いいところに来て下さいました。
黒田基樹さん駿河台大学の教授でいらっしゃいます。
戦国時代にお詳しいんですよ。
いやいやありがとうございます。
今ね上杉の話になってて謙信は一回裏切っちゃって出てっちゃうって聞いたんですがそんな事ってほんとにあったんですかというか他にもいたんですか?他はいないですね。
いないでしょう。
あの人だけですね。
まあ普通はありえないですね。
ありえないですよね。
あの人基本的にこう非常に単純というか素直な人なので本当に多分嫌になっちゃったんじゃないですかね。
そのあととかどうなっちゃうのかすごい気になりますよね。
一応そのあとは重臣たちから呼び戻されてで「言う事聞きますから」っていうんで「じゃあ分かったよ」と「やってやるよ」という形で元のさやに収まるという形になります。
いやいやいやいやあの本さんはちなみに「もう嫌だ」って「引退する」とか逃げ出したくなった事ってないんですか?いや逃げた事ありますよ。
え?同じ事やってんの。
謙信と同じ事を。
そう。
ハハハハ…。
具体的に。
会長と社員とで意見がパーンと分かれちゃったわけですね。
それある意味の面から見ると「職場放棄」っていう言い方にもならないんでしょうか。
あっそういう考え方か。
信頼されてこそのトップ。
そうですね。
さあ重臣たちの説得により戻った謙信ですけれどもその後どうやって家臣たちをまとめていったのか見ていきましょう。
これは大変だ。
越後に戻った謙信。
なぜ配下の武将たちがここまでバラバラでまとまらないのかじっくり分析しました。
そこで出たのは長尾家の家格の問題でした。
謙信配下の武将たちは「国衆」と呼ばれ古くから各地に根づいて勢力を持っていた人々です。
彼らは越後国の守護の下それぞれの土地を治めていました。
長尾家は権力は握っていますが考えてみれば守護ではなくナンバー2の守護代という身分。
守護の家臣であるという立場は国衆たちと変わりません。
国衆たちにしてみれば守護に命令されるのならまだしもなぜナンバー2の守護代に支配されなければならないのだという思いがあったのです。
「皆をまとめるには家格を超越する求心力が必要だ」。
謙信がそう考えていた時ある知らせが入ります。
甲州の武田信玄が大軍を率いて信濃に侵攻。
更に越後をうかがうそぶりを見せたのです。
もはや一刻の猶予も許されない中謙信は越後の武将たちをまとめるためある行動に出ます。
新潟県弥彦村の神社。
信玄との決戦を控え謙信はここに一通の「願文」をおさめています。
「願文」とは神仏に自分の軍の勝利を祈願しておさめる文書。
通常は「勝たせて下さい」と願う内容が書かれます。
しかし謙信の願文は少し趣が違います。
なぜ戦うのかその理由を書いているのです。
「武田信玄は信州で非道を重ね皆が苦しんでいます」。
「自分は信玄に対して何ら遺恨はありませんが信玄と戦いこれを退治します」。
自分が戦いに赴くのは決して自分の欲のためではなく信玄という悪人の行為をやめさせ人々を救うためである。
これが後世謙信の特徴としてよく挙げられる「義」の精神。
「義」とは儒教の考え方で…謙信は信玄との戦を「義」のための戦いと位置づけたのです。
この他にも現在謙信の願文は20通ほど残されています。
そのどれもが自分の戦は「義」のためであると訴えその正当性を強調しています。
しかし果たして本当に謙信は「義」の武将だったのでしょうか?実際の謙信は遠征先で略奪したり捕虜を人身売買したりするなど他の戦国武将と同じく決して「義」とは言えない行動をとっています。
にもかかわらずなぜ「義」を主張したのか。
これがまさにバラバラな組織をまとめるため謙信があえて掲げた思想だったと研究者たちは考えています。
とにかく強い越後を作んなきゃといった時にバラバラではこれは駄目なんで。
そういうものをまとめていく時に何か謙信自身やっぱりキーワードが必要だっていった時にいわゆる戦国大名普通一般の領土欲だとか権力欲ではなくて何かもっと違う今風に言っちゃえばちょっとカリスマっぽいねそういうものを権威づけのために私は「義」っていう言葉を押し出したんだと思ってますけど。
自分たちは「正しい行い」をしている。
謙信は「義」を主張し続ける事で家臣たちに一致団結して戦う意義を見いださせていたのです。
これが功を奏したのが4回目の川中島合戦の時。
それまでなかなか参戦に応じなかった越後北部の武将色部勝長に対し謙信はこれが「義」のための戦いだと強調します。
色部はその考えに共鳴。
戦いへの参加を決めます。
色部軍は多数の死傷者を出しながらも大活躍。
数千騎を討ち取ったと記録に残されています。
バラバラだった武将たちをまとめあげた「義」の精神。
謙信は人々が賛同できる共通の目標を掲げそれを言い続ける事で強い結束力を生み出していったのです。
どうして謙信の家臣たちは言う事をあそこまで聞かないんでしょうかね。
やっぱり身分の低い人が国主になるっていうのはやっぱり身分制の社会なので相当大変なんですよね。
国衆たちっていうのはもともとは謙信の家臣でもないし自分の所領をどう守るかというのに精いっぱいなので例えば武田が信濃からやって来るっていうんで戦わなきゃいけなくなったという時に謙信は本拠近いからすごい真剣なんですけど越後の北の方は全く関係ないわけですよ。
それよりも近隣の国衆たちとの間の争いの方がすごい関心事なのでそれで言う事を聞かないっていうんですかね。
あ〜でもなそう思うとねまとめるにはやっぱり何かシンボルみたいなのが必要になってくる。
それがまさにこの「義」なんですね。
それほど「義」って大きな効果があるものだったんですか?どうして外敵と戦わなければいけないのかっていうのを納得させるっていうんですかね。
信濃の国衆を助けるんだとか関東もそうなんですけど頼られてきたので自分は行くんだというような事で納得をさせるという事なんですよね。
するとその謙信というのはもともと「義」の人というよりも「義」というものをかなり戦略的に計画的に示していたという事?結果的にそういうふうに示していったという。
実際あくどい事って言うとあれですが他の武将たちと同じような事もやってたんですか?戦場に行くと財産を全部奪ってしまう略奪というのを行うわけですが敵地では略奪OKなんですねその当時の戦争では。
それもやってますし助けを求められてきたから行くと言いながら占領してしまったりとか。
普通の戦国大名ですねやってる事は。
そうですね。
いつごろから義将というイメージが上杉謙信にはできたんですか?恐らく江戸時代だと思いますけど。
江戸になってからなんですね。
江戸幕府は武田流の戦略みたいなものを徳川の戦略にしていたので武田信玄を持ち上げるんですがそれがちょっと気に入らない紀伊徳川家という本家筋に対して結構反抗的な家なんですが。
武田信玄に対抗できる者として上杉謙信を持ち上げてくる。
そうして出来上がっていったんですね。
そうですね。
信玄に対抗できる謙信というイメージが江戸時代に作られていく。
なるほどね。
謙信は「義」というテーマを掲げて部下たちをまとめましたけど本さんはどんなテーマを掲げて組織をまとめてらっしゃるんですか?まず子どものとこを大事にねちゃんと作っていかんといかんという事をやっております。
子どもたちのために。
そうです。
もちろんそういう事ですね。
我々の場合子どものお客さんが多いわけですから…ちゃんと言ってますかね。
子どものためにという旗印を会社で掲げる事によってクリエーターたちの中でどんな効果が生まれるんですか?そこのとこはやっぱりいろいろ工夫しながら考えながらやってますけども。
その中で社内はやっぱりガチッと固まる?そのチームですね。
本さん的には子どもたちがどんな気持ちになったらば「おっよしやった!」と思うんですか?その理念にかなったと。
それはやはり…スターといいますかね。
世界で認められる人間になってほしいという気持ちがあって…子どもたちの目線ユーザー目線という事なんですね。
さあ謙信の知恵まだまだあるんですね。
組織をまとめるための謙信の知恵2つ目を見てまいりましょう。
江戸時代上杉家が藩主として治めた地です。
5月ここで鎧武者が町を練り歩く「米沢上杉まつり」が開催されます。
夕闇が迫るころ祭りのハイライトとなる演目が始まります。
謙信時代に行われていた「武式」の再現。
出陣前謙信が全軍を集めて神に戦の勝利を祈願する儀式です。
打ち鳴らされる太鼓。
幻想的なかがり火。
荘厳な雰囲気で行われる儀式は戦に赴く家臣たちの心を高ぶらせる謙信の巧みな演出でした。
謙信は儀式のあとも家臣たちの心を高ぶらせる取って置きの楽しみを準備していました。
豪華な食事。
ふだんは質素倹約を旨としていた上杉家。
しかしこの日ばかりは山海の珍味がずらり。
出陣前のこの贅沢な食事は上杉の「お立ち飯」と呼ばれ謙信自ら家臣に振る舞ったといいます。
これには家臣たちも「とび上がって喜び結束した」と記録には残されています。
家臣の心をワクワクさせた謙信。
それは決戦の場に赴いても続きます。
謙信は自ら最前線に立ち敵陣に突っ込む事を信条としていました。
そうした謙信の態度に感銘を受けた友人からの手紙。
自らが率先して敵と刃を交える姿は味方の兵を鼓舞し力を与えました。
更に謙信の戦場でのファッションも家臣たちの目をくぎづけにしたといいます。
南蛮渡来のマントや鮮やかな柄の陣羽織。
意外と派手でおしゃれですよね。
ちょっと普通とは変わった格好をしてあるいは変わった行動をする。
やっぱり並み居る家臣たちに上に立つためにはやっぱり他の連中と同じレベルでは目立たないわけでお前らとは違うんだよというとこをね見せつけるまさに見せつけるという側面ですよね。
更に頭にはこの陣笠。
あれ?これは地味ですね。
しかし意外にすごいんです。
(取材者)これが謙信公が発明したものをもとに…。
うん作られた車笠という事ですね。
謙信が考案したという…内側を見ると笠が回転する仕組みになっています。
鉄砲の弾などが当たると笠が回転しその衝撃を逃がすように工夫されているのです。
謙信が考案したアイデア防具です。
人々の気持ちを高ぶらせるイベントやパフォーマンス。
謙信は家臣たちをワクワクさせる演出を次々と繰り出す事で人々の心を一つにしていったのでした。
という事で今日は皆さんにもワクワクしてもらいたいと「謙信のお立ち飯」準備いたしました。
わぁ〜。
ただですね記録があまり残っていないのでどちらかと言うと越後の海の幸山の幸を使ったお料理でございます。
どうぞ召し上がって下さい。
うん。
海藻で煮込んであるんですね。
海藻とみそで。
いかがでしょうか?ほんとやわらかくねうまく煮込んでありますね。
黒田さんこれね武士たちはやっぱりモチベーション上がりますねきっとね。
そうですね。
要するに普通の他の家臣クラスでは用意できないものをちゃんと自分は持てるんだぞっていうそういうところで力を誇示するというか。
自分たちとは全然違う世界の人だというふうに見せるという事がやっぱ信頼感を生んで従っていくという気持ちを生み出すという事なんだと思いますけどね。
という事で今日この「謙信のお立ち飯」をですねお店のメニューに加えたいと思うんですよ。
ちょっとこう見てるとね謙信であって「謙信の塩」塩はメニューでないでしょ!これ実は全て先代が考えたメニューでして信玄に謙信が塩を送ったというエピソードをもとにね考案したメニューなんですけれどもね。
まいりましょう。
「謙信のお立ち飯」。
やった〜!すばらしい。
(拍手)ありがとうございます。
本さんは「ワクワクさせろ!」という知恵についてはどうご覧になりましたか?やはりそういうモチベーションを上げるためにワクワクさすという事は大事な事ですよね。
本さんの会社ではワクワクさせるためにどんな事をされてますか?やはり常に各チームにねいろいろミーティングする時に…そこまでのものを作らないといけないという認識をする事によってねやはり皆が…トップがね世界一を目指すっていう目標を掲げたらそこの下で働くスタッフたちはワクワクしますよね。
そうですね。
それはもうみんながワクワクするやっぱり気持ちになりますよね。
はあ〜。
ありがとうございます。
さあ続いては上杉家ゆかりの米沢を特命店員が訪ねまして謙信の意外な素顔を掘り起こしてきてくれました。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタを探し出す…
(深澤)
謙信をたたえる呼び方多いですよね〜。
しかしこうまで言われるとむしろとっつきにくい。
部下になったら苦労するかも
いややっぱりこうやって見ると怖い顔してますね〜。
あっどうも申し遅れました。
「知恵泉」特命店員の深澤です。
上杉謙信というと少し完璧なイメージがあってなかなか近寄り難いという印象をお持ちの方多いと思いますけどこの上杉謙信を少しでも身近に感じられるものがないか今日はこの山形で探し回りたいと思います。
山形県米沢市。
江戸時代を通じて上杉家が藩主として治めていた地です。
ここなら謙信の意外な実像が発見できそう
市内の小学校を訪ねると…
いや〜子どもたちが元気に走り回ってますね。
体育館に飾られていたのは謙信の肖像画
(深澤)上杉謙信の肖像画もこちらにあるんですか。
ここではとても身近な謙信。
子どもたちも詳しいんですよ
はい。
(取材者)上杉謙信は好きですか?
米沢の子どもたちから謙信が慕われている事よ〜く分かりました。
でも私にはまだ近寄り難いというイメージがあるんですよね
そこに興味深い情報が飛び込んできました
失礼いたします。
よろしくお願いいたします。
こんにちは。
中世史の研究をしている…
松尾教授が見せてくれたのは謙信の自筆の手紙
文面には「心配しないで」などおよそ謙信のイメージからは程遠い優しい言葉が記されています
(深澤)これ誰に謙信が送った手紙なんですか?これはですね上杉謙信が中条景泰という人のお父さんお母さんに対して出した書状なんですよ。
中条景泰とは謙信の家臣。
当時18歳の若者でした。
血気盛んだった景泰。
戦場でなんと敵の鉄砲隊に突撃するなど命を顧みないむちゃな行動を繰り返します
謙信は彼を心から心配し無理やり戦線から外します。
両親は景泰の事を心配していると同時に息子が戦線から外れた事を恥とも考えていました。
謙信は両親を安心させるために手紙を書いたのです
要するに戦場でですね戦おうとしてるのに閉じ込めちゃうわけですからそれは中条景泰にとっては大変な恥ずかしい事ですよね。
そうではなくて一見恥ずかしい事だけれども彼の体の事を思って私はやったんだと。
更にこの手紙にはもう一つ謙信の気遣いを表す特徴があるそうです
実はこれかなで書かれてる書状なんですよ。
この時代多くの女性は漢字ではなくかなで読み書きをしていました。
謙信は母親が読めるようわざわざかなで手紙を書いたのです
お母さんの目線からするとやっぱり息子の事なので大変心配した中こうやって謙信の方から手紙が送られたら少し安心できますよね。
非常に謙信の心遣いが分かるいい書状だと思いますけどね。
いや〜私もだんだん謙信が親しみやすい人に感じられてきました
そんな私更に駄目押しの史料を見つけてしまいました
謙信が幼い甥のために作ったいわば漢字の教科書です
これ全て謙信の手書きの文字。
当時8歳だった甥に漢字を教えようと自ら400以上の文字を書きその一つ一つに赤い字で読みがなを振っています
謙信がこれを作ったのは関東への出兵を繰り返し最も多忙を極めた時期でした
こういった字の練習とか景勝の手紙を見て「字が上手になりましたね」なんていう事も書いたりする手紙があるので熱心に教えていたんだと思います。
ちょっと怖い頑固おやじみたいなイメージもありますけれどもそうやって教育熱心にいろんな事を教える少し優しい側面もあったんですね。
(阿部)そうですね。
謙信は近寄り難いどころかとっても愛情たっぷりの人物でした。
「上司にしたくない」なんて言ってごめんなさい!是非なってもらいたいです
見ていきますとね真面目でストイックな謙信像とはまた違う一面も謙信にはあるんですね。
基本的にむしろ謙信は感情をストレートに出してしまうタイプなのでだからかわいければかわいいって言うけれども部下がヘマをするともう大変ケチョンケチョンに文句を言うんですね。
さあ本さん「バラバラな組織をまとめるには?」というテーマでお送りしてきましたけれども組織をまとめる極意お願いいたします。
まず第一に…ビジネスで売れるものを作らなきゃいかん。
ヒットするものを作らなきゃいかん。
お客さんが喜ぶものを作らなきゃいかんという事。
そこをねらってますけども。
私ねちょっと考えたんですけども2015/12/22(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 バラバラな組織をまとめるには?「上杉謙信」[解][字]
戦国最強とうたわれる上杉謙信。若いときは、バラバラな家臣団に苦慮し、城を飛び出して「職場放棄」したほど。組織を一つにまとめる方法とは?戦国ゲームの制作者が語る!
詳細情報
番組内容
戦国武将の中でも最強とうたわれる越後の虎・上杉謙信。しかし、彼も初めから順風満帆だったわけではない。19歳で家督をついだときは、配下の武将たちが内紛を繰り返し、常に収拾に苦慮していた。あまりのバラバラさに嫌気がさし、城を飛び出し、「職場放棄」したことさえある。やがて謙信は徐々にバラバラの家臣団をまとめ、最強軍団を生み出していく。あの戦国武将ゲームを制作したメーカーのトップが、謙信の組織作りを語る!
出演者
【出演】ゲームメーカー会長…辻本憲三,駿河台大学教授…黒田基樹,林家三平,【司会】近田雄一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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