「ホワイトプロパガンダ漫画家」を自称するはすみとしこ氏の『そうだ難民しよう!』が発売された。
難民や在日を誹謗中傷する内容だけをひたすら詰め込んだこの本を手にとった時、人間とはこれほど卑しくなれるものなのかと感じた。
このような本の出版は、犯罪にも等しい。
この本の作者あとがきを読むと、時代の針が一世紀近くも巻き戻されたかのような錯覚にとらわれる。というのも、彼女のあとがきは、ミュンヘン一揆に失敗して投獄されたヒトラーが、プロパガンダで世界を変えようと1925年に出版した『わが闘争』で繰り広げた言説を彷彿とさせるからだ。
大戦後のメディア研究は、ナチズムによるメディア・プロパガンダを批判的に分析することを通して、民主主義の発展のためにメディアはどうあるべきかという課題に答えることを一つの使命としてきた。
しかしはすみ氏は、プロパガンダをはっきりと肯定し、人間は理性的なものより感情的なものを好み、困難なものより楽しいものを受け入れる存在であるとして、それを自分たちの運動の手段として積極的に利用することを宣言している。
この人間観は、ナチスの人間観を見事に踏襲するものだ。『わが闘争』でヒトラーは、大衆とは「他人に影響されやすく、腐敗していて、買収が可能で、感情的な訴求を受け入れやすい」ものだと書いている。また、「人間は楽しいものを受け入れる」という理論を信奉したのが、ナチの宣伝大臣を務めたゲッベルスだった。彼は、娯楽作品の形をとったプロパガンダ映画、たとえば悪逆非道なユダヤ商人を正義のヒーローが制裁する時代劇映画などを大量に作らせ、それを観ることを絶滅収容所の看守たちに義務づけた。その結果が、人類史上例のない工業化された大量虐殺となった。
はすみ氏はまた、「違法でない限り」どんな手法であれ積極的に使うと書いている。しかし、ここで注意すべきは、「嘘でない限り」とは書いていないことだ。
法は、「嘘を言うこと」あるいは「都合の悪い事実に口をつぐむこと」を、いくつかの例外を除いて禁じていない。
だから、はすみ氏のプロパガンダが「嘘」を含んでいたり、「都合の悪い事実」を意図的に隠蔽していたりしても、法に触れることはないだろう。そのことをはすみ氏はよく知っている。はすみ氏は、自分の絵は「真実」を伝えるツールだと書いているが、彼女の言う「真実」が果たして事実に基づくものかどうかには、まったく口をつぐんでいる。
『わが闘争』は、プロパガンダについて、次のように書いている。「真実であれ虚偽であれ、強固に保持されているいかなる観念も、プロパガンダによって新しい観念に取り替えることが可能である。十分に反復し、関係者の心理を読むことによって、四角形が実は円だと証明することも不可能ではない。そもそも四角形とか円とかいうのは、たんなる言葉であり、言葉によって、その観念に偽りの衣を着せてしまうこともできるのである」
大衆操作を研究するG.S.ジャウエットは、ナチスのプロパガンダの特徴をこう述べている。
「特定の観念を頻繁に繰り返し、ステレオタイプの語句を使い、客観性を避け、議論の一面だけを強調し、たえず国家の敵を批判し続け、具体的な敵を一つに絞り具体的な中傷を繰り返す。」
これらの特徴は、はすみ氏の作品の特徴と見事に一致する。
プロパガンダの「嘘」を見抜けるかどうかは、人々の事実に基づいた冷静な判断力と、物事を多面的に捉える知性に依存している。しかし、これは限界がある。
だから、12月21日の記者会見でお会いした方々を始め、多くの良心あるメディア関係者の方々に、声を大にしてお願いしたい。
このようなプロパガンダに対して、市民社会、とりわけ公共的なメディアがきちんとした批判と反撃を展開することが何よりも重要であり必要なのだ。
『全体主義の起源』を書いたハンナ・アーレントは、歴史上の出来事など、人々にとって世界が共通なものであり続けることを保証するリアリティとしての「事実の真理」は、数学における定理や公式のような「理性の真理」とは異なり、傷つきやすいものだと述べている。また、「事実の真理」は、それが集団や国家に歓迎されないとき、タブー視されたり、それを口にする者が攻撃されたり、事実がたんなる意見へ、あるいは「あからさまな嘘」とすりかえられたりするとも述べている。(「真理と政治」『過去と未来の間~政治思想への8試論』)
はすみ氏のプロパガンダは、世界が人々の間で共通なものであることを保証する「事実の真理」をあざ笑い、それを単なる一つの政治的立場や取るに足りない意見であるかのように貶めるために、今、市民社会の前に現れたのだ。
市民社会は、今、かつてない危機に直面している。新自由主義グローバル経済の下、かつて分厚い中間層の存在を誇った日本社会は、際限のない格差の拡大と中間階層の崩壊に直面している。そこから生じる社会不安は、理性的な分析より感情的な訴求を受け入れやすくし、また、社会の多様性を受容するより異質性を排除する方向に人々を誘導しつつある。
このような社会状況の中では、はすみ氏のプロパガンダは、想像よりはるかに大きな影響力を持つ可能性がある。
私たちの社会は、その健全性を維持するために、このようなプロパガンダを無視するのではなく、的確に批判し、徹底的に反撃していかなければならない。
のりこえねっとは、この2年間、現場で、放送で、多くの声を届けてきた。
幸い、今はカウンターを始め、多くの良心ある人々が多様性を求めて立ち上がっている。ナチズムのプロパガンダに対して極度にナイーブで脆弱だった1930年代と同じではない。私たちの社会は、それに対して反撃する理性と力量をいまだ失ってはいない。
この流れに、公共メディアに関わる方々、ジャーナリズムを標榜する方々にもぜひ参加していただきたい。そして、沈黙を強いられた人々が、その刃を自らに向けないように、声を上げて欲しい。
当事者のみんなへ。
のりこねっとは、あなたのそばにいます。
どんな厳しい時代でも、それでも人間は、良心を繋いで今日まで来たのです。多くの人の血が流された歴史の上にいまの私達の社会があります。多くの心ある人たちが、あなたとの出会いを待っています。
私たちはこの闘いを決してあきらめません。
のりこえねっと共同代表 辛淑玉