先月20日相撲界に一時代を築いた元横綱がこの世を去りました。
北海道壮瞥町出身北の湖。
本名小畑敏満さんです。
史上最年少の21歳2か月で横綱昇進。
…という輝かしい成績を残しました。
横綱在位63場所の記録は今なお破られていません。
日本相撲協会の理事長として亡くなる前日まで仕事を続け角界を支えました。
今日はスタジオにその北の湖の先輩横綱にお越し頂いています。
北の湖の3代前の横綱で旭川市出身北の富士勝昭さんです。
北の富士さんほんとに突然の訃報でした。
どう受け止めました?驚きました。
悪いのは知ってましたけどね。
前日まで仕事をしてたんですよね。
ええそうですよ。
気付かせなかった?あの新聞等で見るとね意見も言ってましたしねいろいろと…まだ元気だなというね。
そういう気でおりましたからね。
ふるさとの洞爺湖にちなんで名付けられた北の湖。
13歳で入門してからは東京で相撲一筋の人生を送りましたがその歩みを支え続けたのはふるさととの強い結びつきでした。
(呼出)「北の湖〜北の湖〜」。
圧倒的な強さから……と言われた北の湖。
(歓声)
(実況)「左が入った…」。
強烈な立合いから四つに組んでの力強い相撲で一時代を築きました。
(実況)「寄った寄り切り!北の湖13戦全勝!」。
北の湖のふるさとは洞爺湖を臨む壮瞥町。
5歳年上の…北の湖が最も大切にしていた写真を見せてくれました。
親方が一番気に入って部屋に飾ってたって。
昭和新山の麓にある農地でほほ笑む…北の湖は亡くなるまで毎日のようにこの写真を眺めていたといいます。
(番組音声)「実況放送もどうやら試験放送の域を越えて人気をあおり…」。
NHKで初めてテレビの相撲中継が行われた昭和28年5月16日。
まさにその日北の湖は8人兄弟の7番目として生まれました。
スポーツ万能で同級生より頭一つ大きかった北の湖。
…と呼ばれていました。
噂を聞きつけた相撲部屋からスカウトが次々と訪れ北の湖は入門を決意します。
これはね相撲行くちょっとぐらい前ですね。
北の湖が中学1年生の冬東京に旅立つ直前に両親と撮った写真です。
相撲部屋で着るための浴衣を縫ってくれた母。
父は厳しい言葉で息子を送り出したといいます。
活躍して厳しい暮らしを送る両親に楽をさせたい。
一人ふるさとを後にした13歳の北の湖。
当時の心境を後に語っています。
入門したのは東京・両国にあった三保ヶ関部屋です。
朝早くから稽古昼は中学校。
本場所中には力士として土俵に上がり続ける過酷な日々。
入門から2年ほどたって初めて実家に帰ってきた息子の姿を見て父の勇三さんは涙を見せたといいます。
この2年後17歳11か月で十両に昇進。
史上最年少で関取となりました。
洞爺湖があしらわれた初めての化粧まわし。
地元の人々が寄付を集めて費用を工面しました。
傍らには両親の姿がありました。
北の湖はふるさとから寄せられる期待を力に変えていきます。
(実況)「足が出た!三重ノ海の足が出ました。
北の湖初優勝!」。
20歳で大関に。
(実況)「いよいよ優勝決定戦です」。
その半年後には横綱昇進を懸けた一番に臨みます。
相手は5歳年上の横綱輪島。
一進一退の名勝負を見せます。
(実況)「輪島出ました北の湖右手が上手に落ちました。
輪島残しました輪島左手の下手投げ!輪島の勝ちであります!輪島優勝輪島逆転優勝!」。
優勝こそ逃しましたが史上最年少の21歳2か月で横綱になりました。
横綱となった北の湖のふるさとを大きな災害が襲います。
昭和52年の…町は火山灰に覆われ甚大な被害を受けました。
実は北の湖の両親もかつて昭和19年の噴火で被災。
北の湖はその話を聞いて育ちました。
後援会長の階茂雄さんは地元を案じる北の湖の様子を覚えています。
噴火の1年後故郷壮瞥町に北の湖が帰ってきました。
およそ4,000人の人々が中学校のグラウンドに作られた土俵を取り囲みます。
北の湖が招待したのです。
横綱として初めて見せたふるさとでの土俵入り。
(拍手)その姿は被災した人たちを勇気づけました。
後援会事務局長の船田寅雄さんはその様子が忘れられないといいます。
楽しんでもらったんですよね。
この年から北の湖の相撲は更にすごみを増していきます。
(実況)「寄り切りです横綱北の湖」。
5場所連続優勝という快挙を達成。
(実況)「怖い顔を見せます北の湖」。
「憎らしいほど強い」とまで言われていたこの時の思いを後に語っていました。
(実況)「千代の富士つかんだ!寄った寄り切り!北の湖13戦全勝!優勝へ大きく踏み出しました北の湖」。
やがて体が悲鳴を上げ始めました。
けがを繰り返し休場が目立つようになったのです。
あたたたた…。
(番組音声)「2場所連続初日からの休場です。
自分の出ない相撲をテレビで見る屈辱感は身の置き所のないものに違いありません」。
そんな中で唯一和らいだ表情を見せたのがふるさとで家族や地元の人々と過ごす時間でした。
後援会の船田さんはその様子を間近で見ていました。
昭和60年北の湖は18年の現役生活に別れを告げます。
ようやく肩の荷を下ろした北の湖。
それは新たな険しい道のりへの第一歩でもありました。
しかし在任中に不祥事が相次ぎます。
ついに引責辞任に追い込まれます。
当時北の湖は苦しい胸の内を地元の友人だけには打ち明けていました。
幼なじみの…北の湖は協会史上初めてとなる2度目の理事長に就任。
しかしこの時既にガンに侵されていました。
今週姉のやす子さんは両親が眠る墓を訪れました。
ガンが進行し毎年欠かさなかったお盆の墓参りを今年は果たせなかった北の湖。
実は亡くなる2日前にふるさとに帰るための飛行機を手配していた事をやす子さんは後になって知りました。
故郷に帰る事ができないまま息を引き取った北の湖。
ふるさとを背負い相撲界を背負い戦い続けた62年の生涯でした。
(観客)北の湖!北の富士さんいかがですか?う〜ん…やっぱりちょっとジーンとくるものがありますね。
僕らの知らない事もありますしね。
やはり郷里とのね北の湖さんとの結びつき固いものがありますねこうして見るとね。
ここからは「NHK大相撲中継」でおなじみの吉田アナウンサーにも加わってもらいます。
吉田さんほんとに相撲に全てをささげた62年だったんですね。
そうですね非常に責任感の強いで北の湖さん非常に真面目な方でしたよね。
僕はあの若い時は知りませんけどね後年一緒に仕事をしてましたからね。
真面目ですよとにかく。
(吉田)生真面目と言ってもいいかも…。
そうだね。
ただ今北の富士さん感想の中で言ってらっしゃいましたけどこうやってVTRを見ていると北の湖さんの責任感の強さとか覚悟っていうのはやっぱりふるさとを出て行く時のあのふるさとの人たちの期待あるいは家族の応援というのがあったっていうのが分かりますね。
まあ恐らく大なり小なり力士は故郷を離れる時はねみんなそういう出方すると思うんですけどだけど父親がねああして厳しく出してくれたというああいうのはちょっと違うかなという気もしますしね。
あとは北の富士さんももちろんそうなんですけどあの当時北海道から東京の相撲部屋に一人で出て行くっていうのはこれまた今とは違うと思うんですが。
もっと僕は古いですからねやはり外国行くような気分じゃないでしょうかね。
もうとても…北海道から出る事は一生ないだろうと思ってた頃ですからね。
それが東京行くっていう事はもう別な国へ行くと別な社会とんでもないところへ行くなぁという事じゃないですかね。
それがそうするとちょうど今モンゴルをはじめとする外国出身の力士たちにある種通じるところがあるのかもしれませんね。
もうよく似てると思います。
特に北海道の人間とモンゴルから来た人たち。
彼らはやはりほんとに一旗揚げてねやっぱりこの一族一家をね食わせなきゃいかんと。
そういう気持ちは僕らも強かったですし彼らもそうですよね。
帰ったらすぐもうパスポートを取られてね親方に預けられて帰るに帰れないそんな感じですよね。
ところで憎らしいほど強かった北の湖ですが実は北の富士さんも対戦があってですね北の富士さんの4勝北の湖さんの2勝なんですが。
どんな力士でしたかね?最初の会った一番ぐらいの時のショックが大きかったですよね。
というのは?あまりにも重い。
重い。
うん。
体はねそれほどまだ大きくなかったしね相四つですからね。
はい左の相四つ…。
簡単に寄り切れると思ったんだけどね重くて動かないんだ。
横綱北の富士をもってしても動かなかったですか?まあ僕は晩年だったですからね。
負け惜しみじゃないですけどね。
まさにおっしゃるように晩年ちょうどさっき昇進の映像が出ましたけども49年名古屋場所というのは実は北の富士さんの最後の場所で。
ああそうです。
だから北の富士が引退して北の湖が横綱に昇進したというまさにバトンを渡されたわけですよね。
そんなつもりはないですけどね。
しかし輪島もいましたし北の湖もどんどん強くなってきたしもう横綱ですから。
そのあとには貴ノ花もいたしね。
やっぱりこれからいい時代を迎えるというねそういう時代だったんじゃないですかね。
ですからまさに北海道の横綱のバトンをね北の富士さんが次は北の湖さんに渡したのかな。
8人の横綱を生んだこの北海道ですから。
ほんとにたくさんの横綱を輩出してる北海道そうそうたる面々ですご紹介しましょう。
まず初のどさんこ横綱が千代の山。
北の富士さんの師匠でもあります。
厚田村今の石狩市出身の吉葉山。
そしてなんといっても大鵬。
亡くなったのはおととしの事でした。
大鵬に続く北海道出身の横綱が北の富士さん。
更に続いたのが北の湖でした。
そして1980年代空前のウルフフィーバーを巻き起こした千代の富士。
そして北勝海。
この二人は共に北の富士さんが育てました。
そして芽室町出身の大乃国と北海道出身の横綱は8人。
これは全国の都道府県で最多です。
テレビの前の北海道民の皆さん思ってらっしゃる事は同じだと思いますが今はちょっと寂しいですね。
寂しいなんてもんじゃないですね。
火も消えたも一緒だよね。
まあしかしこんだけの8人の横綱がね割と短期間のうちにできましたからね。
一代年寄になったの3人いるんですから。
黄金時代だったですね。
その黄金時代を今すぐに復活させるっていうのは難しいと思うんですけどもまさに北の湖さんの一つ遺志でもあるかと思うんですがどうすればいいでしょう?まあみんなそれぞれ考えてる事は一緒だと思うんですけどね。
もっとこまめにいい弟子を探すとかね。
いや入ってくる事は入ってくるんですよ。
ただ強くならない。
今入ってくるというお話ありましたけれども実際にスカウトもしているんですねこちらをご覧下さい。
…がこの夏北海道に新弟子のスカウトに来た時の映像です。
今年は洞爺湖町と小樽市の高校から1人ずつ八角部屋に入門する事になりました。
(吉田)まずは北海道出身の親方に積極的にスカウトをしてほしいとこですね。
まあ北海道の事はね。
今現在部屋持って弟子を育成してる親方もいるわけですから少し頑張ってもらわないとねほんとはいけないと思いますよ。
そこから次の第二の北の湖が生まれるのかもしれませんね。
北の湖さんだって見てるとそれほど体…。
あのもうお時間となってしまいました。
北の湖さんどうもありがとうございました。
最後にこちらのVTRをご覧下さい。
2015/12/21(月) 15:15〜15:41
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 北海道クローズアップ「追悼 北の湖〜相撲王国を背負った男〜」[字]
先月20日に亡くなった壮瞥町出身の元横綱・北の湖。「憎たらしいほど強い」と評された昭和の大横綱の知られざる素顔と故郷への思いを貴重な映像の数々と証言で見つめる。
詳細情報
番組内容
先月20日に亡くなった壮瞥町出身の元横綱・北の湖。史上最年少の21歳2か月で横綱に昇進、優勝24回を誇る昭和の大横綱だ。現役時代は「憎たらしいほど強い」と評され、ほとんど笑顔を見せることのなかった北の湖。しかし、親族や幼なじみには、横綱の重圧や故郷の期待に応えようとした胸の内を語っていた。スタジオに旭川出身の元横綱・北の富士勝昭さんを招き、貴重な映像と証言から、大横綱の知られざる素顔を見つめる。
出演者
【ゲスト】第52代横綱…北の富士勝昭,【出演】松岡忠幸,吉田賢
キーワード1
大相撲
ジャンル :
スポーツ – 相撲・格闘技
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
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