イギリスウィリアム王子の妻キャサリンさんは2015年3月ドラマ「ダウントン・アビー」の撮影現場を訪れました。
実はキャサリンさんはこのドラマの大ファン。
いつもウィリアム王子と一緒に見ているそうです。
大ヒットドラマ「ダウントン・アビー」は待望のシーズン4がスタートします。
20世紀初頭のイギリス貴族の世界を描いたこのドラマ。
見どころは豪華な館ダウントンを舞台に繰り広げられるさまざまな人間模様と愛憎劇です。
その中心的な存在の一人が…あなたには本当に感謝してる。
華やかに見えるダウントンの暮らし。
しかしコーラの夫グランサム伯爵は代々受け継いだ広大な領地を守るための資金繰りに困っていました。
その窮地を救ったのが伯爵夫人コーラです。
アメリカの資産家の娘でばく大な持参金と共に伯爵家に嫁いできたのです。
あなたは反対を押し切り財産目当ての結婚をした。
コーラの持参金はもはやコーラの持参金ではないのです。
我が所領扱いとなり私の相続人に受け継がれます。
それが決まりです。
手は出せません。
持参金まで持っていかれます。
あなたの夫が私から強奪したせいです。
怒らないで。
法律上の取り決めよ。
おかげで所領の分割を防げた。
当初は持参金目当ての結婚でしたがその後2人は愛を育んできました。
本当に私は君を幸せにしたか?あなたが私に恋をしたからよ。
記憶が正しければ結婚して1年たってからね。
1年もかからなかった。
新たに始まるシーズン4ではコーラを取り巻くダウントンに大きな変化が訪れます。
よくやったコーラ。
大成功だ。
コーラに乾杯。
コーラに。
お母様。
お母様。
コーラは窮地に立たされた娘に優しく寄り添います。
いらっしゃい。
お母様!ごめんなさい。
アメリカから母親と弟がやって来ます。
どうもハロルド。
やあ。
妻として母として女性として輝きを増すコーラ。
ダウントンを支え続けます。
エリザベス・マクガヴァンです。
ドラマ「ダウントン・アビー」で私が演じているグランサム伯爵夫人。
これはそのモデルとなった大富豪の令嬢たちの物語です。
19世紀の終わりアメリカの大富豪の娘たちは持参金と爵位とで取り引きされました。
中でもコンスエロ・ヴァンダービルトの結婚は悲劇的でした。
レディーと呼ばれる地位を得るためにどれほどのお金と幸せを犠牲にした事でしょう。
イギリス貴族にとって一族に流れるアメリカの血は後ろめたい秘密です。
19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて200人を超えるアメリカ人女性がイギリスの貴族のもとへ嫁ぎました。
これは持ち前のバイタリティーと財力でイギリスの支配階級に風穴をあけた美しきアメリカ人女性たちの物語。
真実の愛を見つけた女性。
結婚生活が地獄となった女性。
彼女たちは皆親の財産によって翻弄された「アメリカン・プリンセス」なのです。
1895年11月6日。
ニューヨークの5番街は噂の花嫁を一目見ようと詰めかけた人々でごった返していました。
18歳のコンスエロ・ヴァンダービルトはイギリスの第9代マールバラ公爵に嫁ぐため準備中。
公爵は聖トマス教会の祭壇前で花嫁を待っています。
警官と州兵まで動員される騒ぎです。
この時はまだ誰も知りませんでした。
花嫁がここ数日間部屋に閉じ込められていた事を。
そして涙で腫れ上がった目元をメイドに冷やしてもらっている事を。
鉄道王ヴァンダービルト家の跡継ぎの財産は莫大です。
マールバラ公は彼女の持参金だけが目当てで結婚するのだと思われています。
しかしコンスエロにとってイギリス貴族に嫁ぐ事は幼い頃からの決め事でした。
コンスエロは1877年ニューヨークで誕生。
父ウィリアムと母アルヴァの長女として裕福な鉄道王の一族に生まれました。
コンスエロ・ヴァンダービルトこそ紛れもない「アメリカン・プリンセス」です。
今では想像もつかないようなそれはそれは贅沢な暮らしをしていました。
ヴァンダービルト家は南北戦争後の急激な産業化の波に乗って巨万の富を築きました。
海運業と鉄道業で成功を収め僅か2代で誰もが認める大富豪になったのです。
もしあのころフォーブス誌の長者番付があったらヴァンダービルト家は間違いなく上位にランクインしていたでしょうね。
それどころかトップだったかもしれません。
ヴァンダービルト家の富はビル・ゲイツの資産を上回るとも言われていますから。
コンスエロの両親はロードアイランド州のリゾート地ニューポートに夏の別邸を建てました。
この邸宅はマーブルハウスと呼ばれています。
マーブルハウスという名前はだてじゃありません。
1万4,000立方メートルもの本物の大理石で出来ています。
(オスマン)この邸宅の建築と装飾には1,100万ドルかかったそうです。
現在の価値に換算して3億3,500万ドルに上ります。
設計はコンスエロの母アルヴァが取りしきりました。
ベルサイユ宮殿を手本にしています。
この邸宅はアルヴァにとって舞台でした。
国内外の賓客にヴァンダービルト家をアメリカの王族としてアピールするためのね。
アルヴァが富豪の仲間入りをしたのは結婚後の事です。
アルヴァは南部の出身です。
南北戦争前はかなり裕福な家でしたがその後財産を失いました。
(スチュアート)アルヴァは貧しい家庭で育ちいつもぎりぎりの生活だったんです。
その反動なのかお金を浪費するのが楽しかったようです。
今の女性がこれ見よがしにブランドもののバッグを持つのと似ています。
「こんな高いものが買える私は特別なのよ」ってね。
アルヴァは娘にこうした社会的な階層の意識を植え付けます。
アルヴァは過干渉な母親でした。
もっと言えば娘の人生に自分の人生を投影するタイプの母親だったんです。
コンスエロには大富豪の娘にふさわしい生き方しか許されませんでした。
それをたたき込まれたんです。
アルヴァには子どもが3人います。
長女コンスエロと2人の息子ウィリアムとハロルドです。
息子たちは学校に通わせましたがコンスエロには自宅で教育を受けさせました。
家庭教師からヨーロッパの諸言語芸術文化を学ばせたのです。
厳しい時間割りがあったようです。
週末には母親にその週学んだ事を復唱しなければならなかったんでしょう。
勉強以外にレディーとしての立ち居振る舞いも仕込まれました。
それはあまりにも厳しくつらいレッスンでした。
コンスエロは後に回想録にこう記しています。
「背筋を伸ばして座る事はレディーのように見せるために不可欠でした。
レッスンの間ずっと私は恐ろしい器具を取り付けられていました。
鉄の棒を十字に組んだものを背中に当てられ腰と肩額の位置で縛りつけるのです」。
この鉄の棒に象徴されるようにコンスエロの生活は全てが厳しくコントロールされていました。
少女時代の彼女は贅沢だけど自由のない金のカゴに閉じ込められていたのです。
コンスエロは気品ある美しい女性に育ちました。
(フェローズ)アルヴァは試しにオックスフォード大学とケンブリッジ大学の入試問題を取り寄せてコンスエロに解かせています。
厳しく教育したかいあって彼女は悠々と合格ラインを超えました。
こうしてアルヴァは見事にアメリカン・プリンセスを作り上げました。
今度はその地位を揺るぎないものにしなければなりません。
それにはコンスエロをイギリスの貴族階級に嫁がせる事が必須でした。
(キホー)アルヴァの望みはコンスエロを世界の舞台に立たせる事。
アメリカの富豪と結婚したところで娘はただのお金持ちの妻で終わってしまう。
それでは納得できませんでした。
そこでコンスエロをイギリスの公爵夫人にしようと思い立ちます。
それ以下の地位では妥協しない。
公爵夫人になれば社会に大きな影響力を持てるからです。
母親の野心に翻弄されたコンスエロはアメリカン・プリンセスたちの中でも特に数奇な運命をたどる事になります。
1894年アルヴァはコンスエロを連れてロンドンに渡ります。
もちろん結婚相手の公爵を探すため。
イギリスには1,500もの貴族の家系がありますが公爵家は30もありません。
17歳のコンスエロには美貌と教養莫大な富がありました。
アルヴァは娘を大々的に売り出します。
まず娘の肖像画を描かせました。
公爵夫人風の様式でイギリスの景色を背景にね。
(バルフォア)商品を宣伝するようなものです。
アルヴァにとって娘の結婚はビジネスでした。
アルヴァが求めていたのは世界的に名高い貴族の中の貴族です。
そういう家系は1,000年前まで遡る事ができ結婚相手は一族の中で見つけるのが普通でした。
しかし19世紀の終わりイギリスの貴族は破産の危機にありました。
主な収入源は広大な領地で生産する穀物や家畜でしたがアメリカから安い穀物が入ってくるようになって収入が激減したのです。
豪華な邸宅の維持はたちまち難しくなりました。
もう何十年もほったらかしにされて雨漏りしているような邸宅がたくさんありました。
貴族の多くは破産寸前だったんです。
懐事情が厳しくても貴族たちは名誉に懸けて生活レベルを下げる訳にはいきませんでした。
豪華な晩餐会や舞踏会を開かざるをえなかったのです。
悩める貴族たちに誰よりも無理をさせたのがアルバート・エドワード皇太子後の国王エドワード7世です。
皇太子殿下がおいでになる時は大変です。
王族をおもてなしする事になるんですから。
つまり国家的行事を開くんですよ。
あなたの自宅でね。
カナーヴォン伯爵家の邸宅ハイクレア城はドラマ「ダウントン・アビー」の舞台。
現在もカナーヴォン伯爵夫妻が暮らすこの城に1895年皇太子が3日間滞在しました。
記録からはそのもてなしに莫大な費用がかかった事が分かります。
このために購入した美術品家具の修繕鉄の装飾品。
料理人たちを3日間雇うのに72ポンド12シリング1ペニー。
痛い出費ね。
さまざまな催し。
サボイホテルの料理123ポンド。
すごい散財ね。
総額は3,749ポンド70ペンス。
借金を抱えイギリス貴族は喉から手が出るほど現金が欲しかったはず。
そこに現れたのがビジネスで成功したアメリカの富豪の娘たちです。
さあ貴族と結婚したがっている女性を見つけなければ。
(アスレット)貴族にそんなに魅力があったのかと思うかもしれませんが当時公爵は神でした。
公爵家には威厳に満ちた長い歴史がありその暮らしは魅力的でした。
自分の娘をイギリスの貴族社会の一員にしたい。
アメリカのニューリッチはお金で貴族の地位を買い取ろうとしたのです。
1890年代のロンドンは貴族との結婚を狙うアメリカ人女性であふれていました。
メアリー・ライターもその一人。
父親のリーヴァイ・ライターは百貨店チェーン「マーシャルフィールズ」の共同創立者で資産は2,000万ドルと言われていました。
しかしアメリカでは社交界の花だったメアリーもロンドンでは無名の存在です。
(キホー)イギリスの社交界にデビューするのは大変な事でした。
そもそも招待されなければ舞踏会には出られません。
メアリーはこう書いています。
「ロンドンにいても私はホテルの部屋に籠もって舞踏会の記事を読んでばかり」。
ところが状況が一変します。
イギリス貴族と結婚したアメリカ人女性と偶然知り合いそのつてでアルバート・エドワード皇太子が出席する舞踏会に招待されたのです。
残念ながら皇太子は既婚者なので対象外。
でも彼に気に入られればイギリスの社交界にデビューできます。
(キホー)皇太子は社交界そのもの。
彼が下す評価が全てでした。
気に入られればあとは万事うまくいきます。
皇太子のお墨付きをもらったメアリーは貴族社会に受け入れられました。
まさにその晩メアリーはある男性の姿にくぎづけになります。
31歳のジョージ・カーゾン閣下。
政府の要職に就く事を確実視されていました。
メアリーは一目ぼれしたんですがジョージの反応はいまひとつでした。
そこで彼女は追いかけます。
ジョージの気を引こうとするライバルはたくさんいましたがそれでも諦めませんでした。
メアリーは持っていました。
お金を。
御多分に漏れずジョージの領地も破産寸前。
メアリーの財産は彼を窮地から救えるはずです。
2人は1895年に結婚しメアリーは持参金で夫の領地を復興します。
ドラマ「ダウントン・アビー」はこの実話にヒントを得ています。
メアリーはグランサム伯爵夫人となったアメリカ人コーラのモデルの一人なのです。
(フェローズ)「ダウントン・アビー」のグランサムもコーラを愛していた訳ではなく彼女の持参金目当てで結婚しました。
一方コーラの方には愛に似た感情がありました。
2人は結婚してから愛し合うようになったんです。
ジョージも結婚後間もなくメアリーを深く愛するようになりました。
ところが願いをかなえたアメリカン・プリンセスを悲しい運命が待っていたのです。
コンスエロ・ヴァンダービルトはロンドンで社交界入りのチャンスをつかめずにいました。
母親のアルヴァは娘を売り込むのに偶然のチャンスを待つ気などありませんでした。
そこで社交界に顔が利くアメリカ人ミニー・パジェットに依頼する事に。
パジェットは「大西洋を越える結婚の仲介業」を営んでいるのです。
コンスエロは初めて彼女に会った時の事をこう書いています。
「厳しい緑色の目で値踏みするように見つめられ落ち着きませんでした。
彼女は母に言いました。
『このお嬢さんを社交界に出したいならはるかに美しい女性たちとせめて衣装くらいは張り合えるようにしなければ』」。
(スチュアート)コンスエロは常にじろじろ見られ商品のように扱われていると感じたでしょうがどうしようもありませんでした。
肌を露出したドレスが新調され相手候補はコンスエロの事を気に入りそうな男性に絞られました。
(キホー)まるで宴会に向けて牛を太らせるように抜かりない準備が進められたんです。
パジェットはコンスエロを22歳のマールバラ公爵に引き合わせます。
(フェローズ)マールバラ公を選んだというのは興味深いですね。
理想的な相手とは言えませんでしたから。
小柄だし特にウイットに富むという訳でもありませんでした。
でも彼は公爵でイギリスを代表する宮殿の一つブレナム宮殿の所有者でした。
マールバラ公は以前の称号サンダーランド伯からサニーと呼ばれていました。
ブレナム宮殿はとんだ金食い虫で彼の祖父はその維持のために貴重な美術品や宝石類を売り払ってしまいました。
サニーが公爵となった1892年一家は破産状態でした。
現金が必要なのは誰の目にも明らかでした。
公爵家の復興という使命を持つサニーと結婚するにはそれだけの持参金が必要でした。
(キホー)公爵は妥協しませんでした。
アルヴァは厳しい交渉に臨み持参金の金額が細かく決められたようです。
持参金は250万ドル相当のヴァンダービルト鉄道の株式。
現在の価値にして6,300万ドルという大金と引き換えにコンスエロは公爵夫人の地位を約束されます。
アルヴァは長年の夢をかなえたも同然でしたが問題は当のコンスエロに公爵と結婚する意思がなかった事。
ほかに思いを寄せる男性がいたのです。
マールバラ公との婚約がまとまるとアルヴァとコンスエロは準備のためアメリカに戻ります。
しかしコンスエロは数か月前ニューポートで出会った男性と恋に落ちていました。
母親の目を盗んで密会していた相手はウィンスロップ・ラザフォード。
既にプロポーズも受けていました。
このままでは公爵がニューヨークにやって来てしまう。
コンスエロは決心し母親に打ち明けます。
(スチュアート)ウィンスロップと結婚したい。
自分には結婚相手を選ぶ権利があるはずだと訴えたのです。
しかしアルヴァは「お前にそんな権利はない」と言い放ちました。
「浅はかな若い娘に正しい判断などできっこない」と。
(オスマン)アルヴァは娘とウィンスロップとの連絡を断ち切り娘を責めました。
「私を早死にさせるつもり?心臓発作が起きるの。
死にそうよ」。
コンスエロが申し訳なく思って折れるとアルヴァは回復しました。
実は結婚式の準備を半年も前から始めていたそうです。
ウィンスロップは身を引くよう迫られコンスエロとマールバラ公の結婚が正式に発表されました。
挙式は僅か6週間後式場はニューヨークの聖トマス教会です。
婚約が発表されるとコンスエロはたちまち渦中の人になりました。
新聞の報道合戦が始まったんです。
アメリカ版「ロイヤル・ウエディング」です。
自分たちのプリンセスがイギリスの公爵と結ばれる。
まさにおとぎ話でした。
(キホー)コンスエロはどんな下着を着けどんなストッキングを履きどんな嫁入り支度をするのか。
新聞も世間もこのおとぎ話に熱中し想像を膨らませました。
もはや見せ物状態でした。
結婚式の当日公爵は居並ぶ見物人を避けるように脇の入り口から教会に入りました。
サニーは祭壇の前で一人何を思っていたのでしょう。
よく知らない愛してもいない花嫁を待ちながら。
彼はそこで待ちました。
じっと待ちました。
コンスエロは式に遅れています。
後に当日の様子をこうつづっています。
「結婚式の朝は涙にくれていました。
メイドの手を借り美しいドレスを着てベールをかぶったけれど心は冷えきっていて結婚式には20分遅れてしまいました。
涙で腫れ上がった顔を人々の好奇心いっぱいの視線にさらすわけにはいかなかったからです」。
とてもつらかったでしょうね。
コンスエロには愛する男性がいて燃えるような恋をしていた。
ところがある日突然未来が閉ざされ自分の人生そのものが取り引きの材料にされてしまったんですから。
結婚式当日の貴重な写真です。
ほとんど知らない相手と望まない結婚をするため教会に向かうコンスエロ。
バージンロードを共に歩く父親は娘の動揺を感じ取りましたが既に手遅れです。
コンスエロはサニーと視線を合わせようとしますが彼は彼女を見ようとしませんでした。
(スチュアート)公爵は式の間中ただ正面を見つめ一度も花嫁と目を合わせなかったそうです。
コンスエロの表情も硬く参列者はまるで泣きはらしたかのようだと感じました。
結婚式が終わると母アルヴァはうれし涙を流します。
娘を公爵夫人にするという長年の野望がかなったのです。
しかし世間の目はごまかせませんでした。
2人の様子からこれが世紀の政略結婚である事は明らかでした。
ライフ誌は目隠しをした司祭が小柄な男と美しい花嫁を結婚させる風刺画を掲載。
花嫁は手首を縛られ母親につながれています。
ある記事は「純粋で哀れなコンスエロはきっと公爵にお払い箱にされるだろう」と書きたてました。
「公爵は先祖の財産を維持するカネが欲しいだけだ」と。
おとぎ話の裏の残酷な現実がさらされた頃コンスエロは海を越えていました。
一方この悲しい結婚を教訓にしたアメリカン・プリンセスもいました。
コンスエロの結婚式で付き添い人を務めた17歳のメイ・ゴレはこの悲劇を目の当たりにしました。
ゴレ一族は銀行業界の大物でニューヨークに膨大な不動産を所有。
メイが相続する財産は2,000万ドルと言われていました。
彼女もイギリス貴族との結婚を考えていましたが相手は自分で選ぶと決めていました。
(ロクスバラ)イギリスに渡ったほかのアメリカの娘たちと比べると祖母メイはとても活発で自由な考え方をする女性でした。
自分をしっかり持っている人だったんです。
海の向こうの国で最初に出会った男性を夫にする気など全くありませんでした。
メイはロンドンの社交界に仲間入りし舞踏会や仮装パーティーに次々と出席します。
(アスレット)叔母への手紙の中で「たくさんの男性から求婚された」と書いています。
でも彼女は分かっていました。
彼らの目的は自分の美貌だけではなくお金だと。
メイに求婚する貴族は後を絶ちませんでした。
伯爵や子爵からドイツの王子まで。
しかし持参金目当てだと見抜いていたメイはことごとく却下します。
メイの人気ぶりを象徴するようなトラブルもありました。
事の発端は貴族の間で悪名高い借金王第9代マンチェスター公爵でした。
大勢の債権者からの取り立てに窮した彼は「メイと婚約した」とうその発表をしたのです。
アメリカの新聞の見出しは「イギリスの貧乏公爵富豪の跡継ぎ娘と結婚」。
結局メイの父親が割って入って終わらせました。
公爵はろくでなしだったんです。
ゴレ一族は噂を全面否定。
このスキャンダルがメイの評判を傷つけるおそれもありましたが美貌の令嬢は相変わらずプロポーズされ続け断り続けました。
ある日メイは若いスコットランド人に紹介されます。
ヘンリー・イニス・カーロクスバラ公爵です。
(キホー)彼はとてもハンサムだったし見えっ張りで軽薄なほかの求婚者たちとは違いました。
メイは彼の人間性そのものに魅了されたんです。
(ロクスバラ)2人はゆっくり愛を育んだんでしょう。
祖母は愛する事のできる相手を求めていたし祖父はとてもシャイでしたから。
実は祖父の作戦だったのかも。
心から愛し合うようになったメイとヘンリーは結ばれます。
まさに完璧な結婚でした。
ロクスバラ公爵夫人となったメイはスコットランドのフロアーズ城に迎えられます。
イングランドとの境界ボーダーズ地方に建つフロアーズ城は堅牢な要塞です。
ロンドンからおよそ600キロ。
贅沢な暮らしに慣れたメイにとっては別世界でしたが彼女はここでの生活を大いに楽しみました。
城の近くを流れるツイード川はサケ釣りの名所です。
公爵からフライフィッシングを教わったメイは釣りに夢中になりました。
城にはメイの釣り日誌が残されています。
(ロクスバラ)10月4日から10日まで祖母は毎日釣りをしています。
初日に12キロの大物と8キロのを2匹釣り上げてる。
釣り好きには羨ましいかぎりですね。
メイは夫となる人を自分で選び幸せな結婚生活を送りました。
彼女の友人マールバラ公爵夫人となったコンスエロにはそれがかないませんでした。
イギリスの貴族社会は冷たく閉鎖的で結婚生活は苦労の連続でした。
しかしコンスエロはその果てに幸せを見つけ自立した女性へと変わってゆくのです。
19歳のコンスエロは今や公爵夫人でありイギリスを代表する田園邸宅ブレナム宮殿の女主人です。
しかしイギリスの大邸宅の例に漏れずこの宮殿は見かけこそ豪華でしたが中は寒くて暗くバスルームの数は僅かでした。
(アスレット)イギリスの田園邸宅での生活はアメリカでの便利な暮らしとはかけ離れていました。
貴族は古い慣習を守り部屋で風呂に入る方が快適だと思っていました。
暖炉の前にバスタブを置いて使用人に下の階からお湯を運ばせたんです。
部屋に着く頃温かかったのか疑問ですね。
かたくなに役割分担にこだわる使用人たちもコンスエロの悩みの種です。
(フェローズ)主人より使用人の方がお高くとまっている事も珍しくありません。
執事はワインをつぎますが料理は運びません。
それは召し使いの仕事ですから。
コックはメニューを考えますが食料倉庫の鍵を持っているのは家政婦です。
コンスエロは常にいらだっています。
(アスレット)執事を呼んで「暖炉に薪をくべて」と頼めば彼はあっけにとられて「では召し使いを呼びましょう」と言います。
結局「もういい。
自分でやるわ」となる訳です。
何よりつらかったのは愛のない生活でした。
(キホー)食事の光景は異様でした。
長いダイニングテーブルの両端に座って互いの声すらまともに聞こえません。
2人きりの晩餐はあまりにも殺伐としていました。
コンスエロは回想録にこう記しています。
「夫はすぐに皿を押しのけ小指にはめていた指輪をいじりながら物思いにふけりました。
私の気持ちなどお構いなしに。
私たちは大抵ひと言も交わしませんでした」。
コンスエロはアメリカの娘には理解不能な世界に迷い込んでいました。
家系と伝統を守る事が個人の幸せよりも優先される世界です。
(フェローズ)コンスエロは公爵から言われたそうです。
「君は鎖の輪の一つにすぎない」と。
この時彼女はモノ扱いされ侮辱されたと感じました。
でも公爵にそのつもりはなかったでしょう。
彼自身がマールバラ家の長い鎖の輪の一つだったんですから。
彼には責任がありました。
代々受け継がれてきたものを次の代に確実に受け渡さなければならない。
その重圧は計り知れません。
いつの時代も爵位を継いだ者は大変な重荷を背負わされていました。
先祖からいつも見張られているような気がしたでしょうね。
財産を食い潰すんじゃないぞと。
23歳のサニーは宮殿のどこにいても先祖たちの肖像画から見下ろされています。
マールバラ家は1702年から続く公爵家でブレナム宮殿はフランスとの戦いで大勝した褒美に拝領しました。
この歴史に泥を塗る訳にはいきません。
そしてもちろん跡継ぎも必要です。
コンスエロは2人の息子ジョンとアイヴァーを授かります。
「闇に沈んだ宮殿に光が差した」。
母となった喜びを彼女はそう表現しました。
子どもを産んだ事でマールバラ公爵家の跡継ぎをつくるという大役も果たしました。
現在ブレナム宮殿は世界遺産に登録されていますが今もマールバラ公爵家のものです。
ごく最近2014年に亡くなった第11代マールバラ公もここで暮らしました。
(マールバラ)これは祖母の若い頃の写真です。
とてもきれいでしょう。
祖母の自慢はこの細くて長い首ですね。
優しい性格が表情によく表れていてとてもいい写真だと思います。
公爵は当時の祖母の苦労に思いをはせます。
(マールバラ)大西洋を越えて5,000キロも離れたイギリスにやって来たんです。
しかも18の時にですよ。
まだ子どものような年齢です。
心細かったでしょうね。
アメリカ育ちの若い女性が突然全く価値観の違うイギリスの社会に放り込まれたのですから。
コンスエロは恵まれない人々を助けたいと思うようになりました。
この考えもイギリス貴族にとっては革新的です。
(マールバラ)祖母は愛情を持って地域に貢献し村の子どもたちに気を配りました。
福祉活動を通じて地元としっかり結び付きみんなに愛されていました。
しかしマールバラ公爵家への最大の貢献は250万ドル相当の鉄道株式をもたらした事でしょう。
サニーはこの持参金を目当てにコンスエロと結婚し先祖から受け継いだ宮殿を修復するという責任を果たしたのです。
(ヘンリエッタ)ヴァンダービルト家からの持参金は宮殿の修復に充てられました。
配管や暖房設備など外からは見えない部分も改修されたんです。
曽祖父はこの宮殿にとても強い思い入れがあってベルサイユ宮殿のように豪華にしたいと願っていました。
そこでフランスの職人を雇い繊細な金細工を施しました。
宮殿の見事な庭園にも持参金がつぎ込まれました。
(ヘンリエッタ)ヴァンダービルト家のお金がなかったらブレナム宮殿はどうなっていたか分かりません。
老朽化した宮殿の修復には大変な費用がかかりました。
あの持参金には本当に助けられたはずです。
今私たちがここで暮らせるのは曽祖母のおかげです。
感謝しています。
コンスエロ・ヴァンダービルトはイギリスの公爵夫人という地位を手にしました。
しかしそれを超える地位に就いたアメリカン・プリンセスがいました。
インド総督の夫人となった…ジョージ・カーゾン閣下の妻です。
当初はメアリーの持参金にひかれたジョージでしたが結婚後間もなく妻を深く愛するようになります。
(キホー)蓋を開けてみれば最高の結婚でした。
メアリーはジョージにとって理想的な女性だったんです。
全身全霊で夫を愛し夫の力になりたいと願っていました。
メアリーはカーゾン家の邸宅の修復や夫の政治活動に私財を投じました。
ジョージは優れた政治家として頭角を現します。
1898年ジョージはイギリス領インドにおける国王の代理インド総督に任命されます。
メアリーは総督夫人として夫と共に3億人を統治する立場になったのです。
(アスレット)総督の夫人という地位はメアリーにとっては最高の位でした。
ロイヤルファミリーの一員となる以外ではね。
(キホー)アメリカから来たメアリーには荷が重いんじゃないかとも言われました。
ところが彼女は才能を開花させて見事この役目を果たしたんです。
メアリーはこの大役を6年間務めます。
しかし熱帯の気候で体調を崩した後に感染症にかかり回復しませんでした。
11年間の結婚生活の後36歳で亡くなります。
ジョージは打ちひしがれ墓石に死後も共に眠る2人の彫刻を施しました。
彼は記しています。
「最も誠実で慈しみ深く献身的で美しく聡明な妻が私のもとから去ってしまった」。
コンスエロもまた愛のある結婚生活を望んでいたはずですがかないませんでした。
しかし公爵夫人という肩書を利用すれば社会をよりよくできるのではないかと考え社会貢献の道を模索するようになります。
1906年コンスエロは29歳になりました。
結婚10年公爵夫人が板についた彼女はイギリスの貴族社会の中心的存在です。
愛のない夫婦生活は相変わらずでしたがコンスエロはイギリスの貴族社会をたくましく生き抜いていました。
(スチュアート)母親アルヴァの期待どおりコンスエロは地位と権力を手に入れました。
コンスエロも公爵夫人の立場は気に入りましたが問題は夫との関係でした。
コンスエロは公爵のいとこで後にイギリスの首相となるウィンストン・チャーチルと親交を深めます。
(ヘンリエッタ)彼は曽祖父のいとこで良き友人でもありました。
曽祖母ともすぐに打ち解けたんです。
アメリカの富豪の娘でチャーチルの母となったジェニー・ジェロームはコンスエロの良き理解者だったでしょう。
30歳を前にコンスエロは本物の愛を求めていました。
彼女の寝姿をスケッチした画家との恋の噂もありました。
1906年には夫のいとこである騎兵隊士官チャールズ・ヴェイン・テンペスト・スチュアートと恋に落ちました。
2人は無謀にもパリに駆け落ちします。
(スチュアート)まずかったのは2人とものぼせ上がって当時の浮気の鉄則に従わなかった事。
つまり事をおおっぴらにして世間に知られた事です。
このスキャンダルでコンスエロの評判は傷つきかねません。
それどころかサニーが裁判で妻の不貞を訴えれば当時の法律ではコンスエロは全てを失うおそれもありました。
爵位も財産も我が子と会う権利までも。
彼女の窮地を救ったのはウィンストン・チャーチルでした。
既にやり手の政治家だったチャーチルは浮気相手と別れるようコンスエロを説得。
公爵には別居で手を打つよう持ちかけました。
コンスエロの父親は娘をかばい公爵にどれほどの援助をしてきたかを思い起こさせます。
結局別居する事で話がまとまってコンスエロはロンドンで暮らし始めます。
息子たちと会う事もできました。
随分コンスエロに甘い決着に思えますがそれがこの夫婦の経済的な力関係を物語っています。
コンスエロは公爵夫人であり続けました。
30代になるとかつて母アルヴァが望んだようにこの地位を大いに利用し始めます。
これは1914年の貴重な映像。
福祉施設を開いた時の様子です。
曽祖母は独身の母未婚の母のための施設を作りました。
行き場のない女性たちの避難所のような場所です。
1917年コンスエロは地元の議員となり貧しい人々のために働きました。
同時に女性の選挙権を求めて立ち上がります。
皮肉にもアメリカでは母アルヴァが同じ運動を始めていました。
母と娘は長年の葛藤を乗り越えて和解。
同じ演壇にも立ちました。
2人は声をそろえ女性の権利を訴えたのです。
1921年コンスエロはマールバラ公と離婚し爵位を放棄し愛する人と再婚します。
フランス人パイロットのジャック・バルサンと35年添い遂げました。
コンスエロは87歳で亡くなるまで優雅な女性でした。
2015/12/20(日) 23:15〜00:07
NHK総合1・神戸
海を越えたアメリカン・プリンセス「第2回 世紀の政略結婚」[二][字]
かつて、アメリカの大富豪の娘たちがイギリスの貴族に嫁いだ。“世紀の政略結婚”の真実とは?自ら人生を切り開いた女性たちのドキュメンタリー。 *3回シリーズの第2回
詳細情報
番組内容
番組の案内人は、人気ドラマ「ダウントン・アビー」で伯爵夫人を演じるエリザベス・マクガヴァン。ドラマでは、伯爵夫人は大富豪の娘でアメリカから嫁ぐ。実際に19世紀末から20世紀初頭、多くの女性がイギリス貴族と結婚した。多額の持参金目当ての政略結婚だった。アメリカの鉄道王の娘は、母親の野心でイギリスの貴族と結婚させられたが、愛のない結婚に耐えられずに離婚。その後、女性の地位向上や貧しい人の救済に尽力した
制作
〜Finestripe Productions/Smithsonian Networks制作〜
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ニュース/報道 – 海外・国際
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz
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