「仏教受け入れに100年の歳月…原子力はまだ道半ば、焦らず着実に」
石川 迪夫
Michio Ishikawa
- 元 北海道大学教授
僕は今年80才になる。70才からは仕事を離れて余生を送るつもりでいたのだが、事と志が違ってまだ働かされている。原子力という、人間にとって全く新しい文化を仕事として選んだ宿命なのかも知れない。
見知らぬものに警戒心を持つのは人間の本能だ。本性と言ってもよい。原子力のように全く新しい文化が警戒され、反対されるのは余儀ない事柄なのだ。それを理解した上で、進めていく以外にない。
仏教のような精神的文化ですら信奉されるまでには、物部と蘇我との戦争まで織り交ぜて、欽明(552年)から斉明(655年)に至るまでの、歳月100年を必要している。明のつく諮号を持つ古代の天皇は仏教との関わりを意味する。平山郁夫画伯描くところの、鳩に導かれて白馬に乗って渡来する仏教伝来図が当然と受け入れられるまでには1000年以上の歳月を要している。
原子力は、デビユーそのものが広島、長崎の原爆だ。悲惨な放射線災害まで伴う地獄の顔で現れた。今日なお原子力発電は、軍事技術の平和利用なのだ。毎日の生活に欠かせない科学技術とはいえ、感覚的に理解しがたい放射能を生産する装置でもある。とはいえ、新しい文化を拒んだ国が栄えた例しがないのも、歴史が教える事実だ。原子力関係者は、怖めず臆せず、原子力の持つ真実を世に語り伝えるしかない。これが我々促進会の任務だろう。
考えてみれば、原子力平和利用の歴史はまだ50年余りだ。仏教が定着した時間の半分しか経ていない。いろは歌留多が教えるように、人は「有為の奥山」を越えてのち「浅き夢」を見なくなる。焦らずに着実に進めることだ。これまでが順調でありすぎたと考えれば腹は立たない。