昭和の大横綱が先月人生の幕を下ろしました。
はっけよいのこった!
(実況)強い!10年にわたって土俵に君臨。
昭和50年代ライバル輪島としのぎを削り相撲界に一時代を築きます。
引退後は日本相撲協会の理事長として人気が下降していた角界の再建に尽くしました。
ご来場下さいましてまことにありがたく心より御礼申し上げます。
亡くなったのは九州場所のさなか。
がんによる突然の訃報でした。
東京へと向かう棺が会場へ静かに立ち寄り別れを告げました。
北の湖理事長ありがとう!北の湖をたたえるこんな言葉があります。
人気力士たちを相手にふてぶてしいまでの強さを見せつけました。
「全ては相撲のために」。
人生を土俵にささげた北の湖の足跡を振り返ります。
歴史に残る大横綱。
そして日本相撲協会の理事長としても多大な功績を残された北の湖敏満さん。
11月の20日九州場所の最中でした亡くなりました。
ここに北の湖さんが横綱時代に実際に使用した化粧まわしをお借りしてきています。
今日はスタジオに52代横綱北の富士北の富士勝昭さん。
更に北の湖さんとは同期入門そして同じ三保ヶ関部屋でしのぎを削ってこられた大関増位山増位山太志郎さんにお越し頂きました。
どうぞよろしくお願いします。
増位山さん。
北の湖という存在は増位山さんにとってはどんな存在だったんですか?やっぱりもう兄弟ですね。
兄弟とあとまあ友でありライバルであり…。
そういう存在ですね。
とてもしかし大きな一番長いつきあいだったと思うのですが。
もう50年近いつきあいですからね。
北の富士さんにとっては北の湖という横綱その後の理事長ですが人間・北の湖どんなふうにご覧になってましたか?同じ北海道ですからね。
早くから「北の湖」という名前はね強くなるぞと聞いてましたんで注目はしとったんですがねあっという間に追いついてきましたよね。
ですから現役時代はねやっぱり年齢も離れてたからそう会話もする事もなかったですし。
ただ協会で仕事を一緒にしてましたからね何年か。
とっても真面目な責任感の強い人だったですよね。
さあその北の湖さんちょっとこちらをご覧頂きますが13歳で初土俵という事は中学1年生。
当時は中学生で土俵に上がる事も許されていたわけですが現在は中学卒業して土俵に上がるというふうになっています。
その中学時代というこれを知ってるのはもう増位山さんしかいらっしゃらないじゃないかと思うんですが当時中学に通いながらの稽古…。
そうなんです。
稽古といっても東京にいる時ほとんど日曜日だけですからね。
あとはもう学校行ってましたからね中学へ。
だからほとんど稽古らしい稽古もしてないんですよね。
それで中学時代にもう幕下に上がっちゃったんですからね。
すごいですよ。
さあその早い昇進ですがその後の新十両新入幕新三役全て当時の年少記録を塗り替えました。
更に二十歳で大関昇進そして横綱昇進が21歳2か月というこれは現在も破られていない大記録です。
さあそれではその北の湖の足跡を振り返ります。
北の湖が特に強さを発揮し始めたのは関脇に上がってからです。
昭和48年九州場所六日目横綱北の富士との対戦。
横綱をあおむけに倒すとここから怒濤の6連勝。
大関への足掛かり2桁勝利にあと1つとして迎えた十二日目。
この相撲で…誰もが休場と思っていた翌日北の湖は土俵に上がります。
連敗しても出場を続け千秋楽。
執念で2桁10勝目を手にします。
あの一番勝ってなければ大関上がってないかも分かりませんしね。
次の場所は優勝しましたけどもねやっぱりあの一番がなかったら横綱まで響いていったんじゃないかと思いますよ。
勢いに乗った北の湖は翌昭和49年初場所。
(実況)三重ノ海いい形です。
北の湖もがっちり上手を引きました。
(実況)足が出た!三重ノ海の足が出ました!北の湖の勝ちです。
北の湖初優勝!20歳8か月の若さで大関に昇進。
勢いは更に加速します。
(実況)大関同士6勝7敗大受。
(実況)押し出し!北の湖2回目の優勝を決めました。
大関を僅か3場所で駆け抜け横綱へ。
謹んでお受けいたします。
ありがとうございました。
上り詰めた北の湖に最大のライバルが立ちはだかります。
学生横綱として鳴り物入りで角界に入ってきた5つ年上の横綱輪島です。
陽気で華のある輪島。
武骨な北の湖。
対照的な2人にファンは熱狂しました。
得意は共に左四つです。
何度対戦しても判で押したように同じ体勢になりました。
北の湖は右からの上手投げや160キロを超える巨体を生かして攻めたてます。
(実況)寄り切り!北の湖優勝!一方輪島の代名詞は「黄金の左」。
切れ味鋭い下手投げでファンを魅了しました。
昭和51年から52年にかけて常に千秋楽結びの一番で対決。
毎場所のように優勝を分け合います。
まあなんていうのかね重いんですよ腰が。
もうじわじわ来るんですよ。
最初はグラグラってしてるのは1〜2年はありましたよ。
3年4年たったらもうびくともしなくなっちゃった。
やはり横綱上がって…3年余りはほとんど輪島さんとでしたから。
また輪島さんという人がいたから自分なりに攻略するためにいろいろ稽古して相撲取ってこれたってのがやはり24回優勝につながっていったと思います。
対戦成績は…2人の競い合いに相撲人気は盛り上がり「輪湖時代」と呼ばれました。
まあそれにしても非常にいい時代の相撲を見せてもらったという気がするんですが引退なさっていた北の富士さんとしてはどうだったですか?千秋楽はね楽しみではありましたよね。
人気もありましたしね。
そうでしたね。
まあほんとに対照的な2人だったですから。
片っぽの輪島さんの方は割とよくしゃべるし明るかったですけどね。
北の湖さんは年齢が重なれば重なるほど寡黙になってきたんですね。
(北の富士)輪島とはね飯も食いに行ったし酒も飲んだ事あるんですけどね北の湖さんとはなかったですねぇ。
横綱会でちょっと会うぐらいでね。
だけど北の湖さんねとってもおとなしいんだけど酔うとちょっとね怖いからね。
ハハハそうですか。
そばへちょっと寄らないようにしとった。
盛り上がっちゃうんですね。
北の湖さんも飲むとよくしゃべるようになるしふだん抑えてるのが飲むとやっぱり出るんでしょうね。
(北の富士)口がちょっと悪くなるな。
悪くなりますね。
そうですか…。
(笑い声)同じ部屋で稽古場でずっとご覧になっていて強くなっていく段階の北の湖というのはどうだったですか?三役上がる頃からどんどん勝てなくなったですね私は。
左がかたくて…。
大体その当時私右差していってたんですけど。
もう全く右差せなかったんです。
もう稽古場で勝てなく…それとまた重いとおっしゃったけどお尻がねもう中学1年で来た時からこんなお尻してたんですよ。
あの安定感のある腰からくる下半身っていうのはやっぱり重かったんですね。
VTRありましたね。
僕は腰砕け重いんですよ。
輪島君が言ったように重いんです。
動かなかったです。
そうですか。
(増位山)それとまた記憶力がすごいんですよ。
だから何年の何月場所の誰々の対戦の時はこうだったと全部覚えてんですよ。
あれはすごいなと思います。
だからただ強いだけじゃなくて研究。
よく覚えてて研究熱心は熱心だったですね。
しかしちょうど私も学生時代で「輪島北の湖」の千秋楽結びの一番はもう毎回のように同じ形になるのを見ていました。
(増位山)相四つですからね。
相四つはお互い取りづらいんですよ。
もう少しどちらか考え方を変えて左四つじゃない他の方法ないのかと思いましたが。
(北の富士)ないでしょうね。
どっちも十分だから。
そうですか。
どっちも十分十二分ですからね。
お互いに攻め合うという感じですね。
水入りもありましたしね。
(北の富士)長くなるでしょうねあれは。
まあいずれにしても輪島というライバルがいてそしてこの北の湖が大きく大きくまさに大横綱への道を歩んでいったわけです。
(実況)さあ当たった。
喉を突っ張った突き出し!北の湖の勝ち。
倒れた相手に手を差し伸べる事もなく勝ち名乗りを受ける。
憎らしいほどの強さと言われた北の湖。
昭和53年はその強さを見せつけた一年でした。
(実況)全勝優勝を飾るか北の湖。
横綱の意地を見せるか輪島。
北の湖が吊り寄り!初場所でライバル輪島を下して全勝優勝。
(実況)横綱吊り寄りで攻める!その後は甘いマスクの人気力士若三杉後の2代目若乃花の前に立ちはだかり5場所連続優勝。
(実況)吊り出し!横綱北の湖の優勝。
初の5連覇を成し遂げました北の湖。
敵役になる事もいとわず相撲を取り続けました。
「自分の人気なんて気にしない」。
寡黙にいちずに強さだけを追い求めた北の湖。
優勝回数は20を超えました。
しかし昭和56年九州場所。
(実況)右四つになりました。
胸が合っております。
飛騨ノ花出ます外掛け!寄り切る!寄り切りました!飛騨ノ花の勝ち!中日に膝を痛めて入門以来初めての休場。
7年続けてきた横綱としての連続出場記録が途絶えました。
昭和57年以降も左足首左膝など故障が相次ぎ度々休場。
限界説がささやかれました。
もう一回優勝しなかったら今までの優勝がふいになるんじゃないかという気持ちが強かったですからね。
それでやはり自分でトレーニングに励んだですね。
もう一度優勝を。
北の湖は必死に治療とリハビリに励みます。
・頑張れよ〜。
・頑張れよ!横綱になって10年目。
北の湖はかつての力強さを取り戻します。
(実況)全勝を守って優勝に大きく前進しますか横綱北の湖。
この一番に勝って次の相撲で隆の里が負ければ北の湖の優勝という事も考えられます十三日目。
横綱同士の対戦。
左が入った!もろ差しを狙う横綱北の湖だ。
北の湖浅いもろ差し!北の湖もろ差し寄る!北の湖寄ります!千代の富士苦戦だ!寄った!寄り切り北の湖13戦全勝!優勝へ大きく踏み出しました北の湖!続く結びの一番で弟弟子北天佑が隆の里を下せば北の湖の優勝が決定します。
北の湖は土俵下で勝負を見つめます。
(実況)上手はまだです…あっ!寡黙な横綱が一瞬見せた笑み。
これが最後の優勝となりました。
翌昭和60年。
入門以来苦楽を共にしてきた増位山の三保ヶ関親方が大銀杏にはさみを入れて北の湖は18年の土俵生活に終止符を打ちました。
新しい両国の国技館が完成するのを楽しみにしながら相撲を取ってきた北の湖がそこで引退という事になったわけですが最後のシーンで増位山さんが師匠として止めばさみを入れました。
あのはさみを入れている時に脳裏をいろんな事が巡ったんじゃないでしょうか。
ご苦労さんでしたって感じですね。
うちの先代の父親ができなかった横綱をね張ってくれたというそういうお礼もありましたけどね。
北の湖さんが一番苦しい6場所休場した頃もずっとご覧になってきたわけですがどんな感じなんですか?出る時にね休んだあと出る時にうちのおやじが絶対この場所に進退懸けるって言うなよって言いました。
進退懸けるって言ってしまったらもうやめなきゃいけないんだ。
絶対進退懸けると言っちゃいかんって。
その言葉ですごい本人もなんか気が楽になったと思うんですよね。
進退懸けると言ってしまうとちょっとつまずいたらもう懸けざるをえなくなってくる。
だからそういう気持ちを楽にさすような事をうちのおやじ…。
横で聞いてて「あっこれおやじ一流のあれかな」と思って横で聞いてたんですけどね。
最後の優勝の時も当然覚えていらっしゃいますよね?覚えてますそれは北天佑がね勝ってあんな表情の北の湖さんも珍しいし。
初めて見ましたね。
(増位山)北天佑もねそれだけやっぱり自分が今置かれた状況をねよく分かってて一生懸命やったと思うんですよね。
それの…。
お互いに目を見合わせてね何とも言えなかったですねあの時はね。
やはり他の部屋の師匠としても北の湖という存在は大きかったんでしょうか?それはもうとてもまだまだ北の湖に勝てるというねそんなあれがなかったですよね。
つかまってしまえばねひとたまりもないなというそういう気で見とったんですがね。
まあいずれにしても世の中北の湖がどうやって負けるんだろうかと…。
まあ北の湖さんには申し訳ないですが実はNHKの大相撲中継の視聴率歴史上トップと2番目はこの2つの取り組みです。
(実況)大関貴ノ花には土俵生活10年念願の初優勝が懸かっています。
(実況)北の湖上手を取った!さっきと同じ。
(実況)貴ノ花2本を差すか?貴ノ花右から絞ります。
北の湖右上手。
北の湖が絞っています。
貴ノ花いい格好ですね。
さっきよりいいですね。
(実況)貴ノ花優勝なる!
(実況)いよいよ同点決勝です。
昭和56年初場所優勝を懸けます。
(実況)頭をつける千代の富士!出る北の湖!出し投げ!千代の富士優勝!14勝1敗!見事に関脇で初優勝を果たしました!おめでとう千代の富士。
いつも思うんだけども北の湖さんなんか負ける場面がやたらに多いですよね。
現役引退してから出てくるのはほとんど負けの…。
そうなんですよね。
気の毒っちゃあ気の毒ですよね。
本人もおっしゃってましたね俺の勝った相撲出してくれよと。
まあ敵役って言やあ損な役目ですけどまたそれもまたもってこいなんですよね。
この…何ていうんですかねどうしても北の湖と対戦する力士を応援したくなるようなね。
だから損っちゃあ損だったですね。
それが憎たらしいほど強かったと言われた…。
本人にとっては思うところですね。
(増位山)本望だったと思いますよそれが。
それでよく…勝っても相手に手を差し伸べない。
あれはね多分ね相手に…負けた相手に失礼だから手を差し伸べなかったと思うんですよ。
負けた方は悔しいじゃないですか。
そういうのもあるんであんまり負けた相手に…自分が勝った相手にね手を差し伸べるのは相手に失礼だみたいな意識があったんじゃないかと…。
理事長になられたあとにそれを聞くと「俺がその負けた立場だったらそんなもん嫌だ」とね手を差し伸べられて土俵に戻るなんて事はできないという事をおっしゃったのを聞いてああこの人は…ねぇ。
それでうちの先代師匠私の父親ですけども私にとっても師匠ですけどやっぱり横綱になれなかったですねうちの父親手前でなれなかったんですよ。
その思いが余計うちの師匠にしてみれば横綱に対する思い入れが強かった。
それを北の湖さんに…。
自分ができなかった横綱を横綱とはこういうもんだみたいに常々言ってた。
横綱っていうのは同情されちゃ駄目なんだと。
憎まれるぐらい強くならなきゃ横綱としてのあれはないんだと。
だからもうまさにそのとおり横綱通したんじゃないかと思うんですね。
まあその強い北の湖さんもいよいよ引退という時が来て実はこちら引退31歳。
若くして引退ですがそのあと48歳で理事長に就任しました。
そしてもう一度理事長に就任するわけですがまあしかし理事長時代も苦難の連続でした。
平成14年理事長に就任して以降大相撲は相次ぐ不祥事に揺れます。
理事長引責辞任に追い込まれたあとも激震が続きました。
人気はどん底。
満員御礼が出る事はめったにありませんでした。
こうした中再び理事長に就任します。
ファンの皆様により応援して頂けますよう私は相撲協会での…北の湖理事長の号令の下相撲界の改革が始まります。
人気力士とファンの集い。
親方たちもサービスをして観客を迎えるなどファンの裾野を広げる地道な活動を増やしました。
更に若い世代に向けて公式ツイッターをスタート。
チケットやイベントの情報などを積極的に発信していきます。
しかし何よりも大切にしたのが…病と闘いながら力士たちを鼓舞し続けました。
北の湖理事長の再任以降観客数は年々増加。
大相撲はかつての輝きを取り戻しました。
平成に入って2度目の大相撲隆盛の時代がどうやらやって来たという事なんですがこちらのパターンでご覧頂きますが平成に入って平成7〜8年ごろまでは年間90日間満員御礼が続きました。
ところがそこから少しずつ人気が下降線をたどってそのあとには不祥事で春場所が中止という本場所がなくなった時もありました。
しかしその後またV字回復を見せてきた今の大相撲人気という事なんですが。
(増位山)常々言ってたのは「土俵の充実」。
力士がいい相撲を取ればお客さんはそれを見て戻ってきてくれるというのは本人一番の信念だったんで。
あとはやはり開かれた相撲界じゃないですけどねいろんな事場所中もね握手会やったりとか。
我々も握手会出たりしましたからね。
そういうのでいろんな事を地道にやりながらだんだん人気がまた回復してきたってとこですね。
(北の富士)そういうのは一番理事長がねそんなのは要らないと土俵が全てだと言いそうなタイプなんですがね。
そういう斬新なこのアイデアそういうのを取り入れたという事はねやっぱりそういうスマートなとこもあったんですね。
そうですね。
一番大事な時に2回目の理事長になってやっとよくなったやさきにね…。
燃え尽きちゃったのかなって私なんか思うんですけどね。
増位山さんいま一度北の湖さんへのおくる言葉をお願いできますでしょうか。
ほんとに一番大変な時にね現役の横綱としてもそうですけどもやっぱり相撲界のためにほんとに自分を捨ててね頑張ってきた。
もうほんとにゆっくり休んでほしいってそれだけですね。
北の富士さんどうですか?いや同じです。
もう随分と晩年はねつらかったと思いますよ体がね。
それでもなおかつやっぱり厳しい意見を述べてましたからね。
ただやっぱりねあまりにも大きい存在だったからねこれからの協会一丸とならないとね北の湖さんのあとをねやってくのは大変ですからね。
結束して協会頑張ってほしいですね。
お忙しい中来て頂きまして本当にありがとうございます。
実は今日の番組の中でも「輪湖時代」一人のライバル輪島という力士がいました。
その輪島さんも喉の手術を行って結局声を失ってしまったわけですが体が不自由な中で私どもにメッセージを送って下さいました。
北の湖さんに対するメッセージです。
代読いたします。
「北の海とは1月に雑誌の対談で会った時私は筆談だけど初めてゆっくりと話をする事ができた。
お互い体に気を付けまた会いましょうと話していたのに残念だ。
初めて対戦した時は本当に強い力士が上がってきたびっくりした。
腰が重くてバランスも良い。
一度かけた技は二度と通用しなかった。
とても研究熱心な人だった。
ライバルとして戦えた事は自分としても誇りに思っている。
もっと長く相撲界を引っ張ってほしかった。
病気とも闘ってよく頑張ったね。
ただただお疲れさまでした」。
日本の天才少年が衝撃の世界デビュー!大人を相手に快進撃が止まらない!2015/12/20(日) 17:00〜17:30
NHK総合1・神戸
さよなら 北の湖〜栄光の足跡〜[字]
先月、九州場所中に亡くなった大相撲の第55代横綱で日本相撲協会の北の湖理事長。現役時代の活躍や理事長時代の功績をVTRで振り返りながらその足跡をたどる。
詳細情報
番組内容
先月、九州場所中に亡くなった大相撲第55代横綱で日本相撲協会の北の湖理事長。北海道から上京して初土俵は13歳。その後史上最年少で横綱に昇進。優勝24回と輝かしい成績を残す。ライバル輪島と土俵を盛り上げ、貴ノ花、千代の富士ら人気力士の前に立ちはだかり、時に憎まれ役も甘んじて受け止めてきた。全ては相撲のため…。現役時代の懐かしいVTRとともに、理事長時代の功績も振り返り、相撲に捧げた人生をたどる。
出演者
【出演】北の富士勝昭,増位山太志郎,【司会】藤井康生
キーワード1
北の湖
キーワード2
大相撲
ジャンル :
スポーツ – 相撲・格闘技
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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