そこまで言って委員会NP 2015.12.20


きょうより3日後の12月23日、天皇陛下が82歳の誕生日をお迎えになります。
陛下は昭和8年、昭和天皇の第1皇男子、継宮としてお生まれになり、昭和64年1月7日、昭和天皇崩御の後、第125代天皇に即位されました。
即位後、初の記者会見では、象徴天皇として現代にふさわしい皇室像を追求したい。
国民と共に憲法を守っていく。
言論の自由は民主主義の基礎などと、天皇としての基本的姿勢を明らかにされ、国民に、皆さんと呼びかけるなど、平成流のスタイルを打ち出されました。
そんな陛下を長年、支えてこられたのが、民間から初めての皇太子妃となった、美智子さま。
お2人の出会いは、テニスコートの恋として連日メディアをにぎわし、日本列島は、美智子さまフィーバーに沸きました。
これまで天皇皇后両陛下は、精力的にご公務を続けてこられましたが、中でも東日本大震災のあと、避難所を訪問された両陛下が腰を落とされ、被災者にお声をかけられる姿をカメラが捉えたときには、多くの国民が感銘を受けました。
一方、開かれた皇室の弊害なのか、一部の週刊誌やワイドショーにおいて、長く病気療養を続けておられる雅子さまへのバッシングや、佳子さまに関する過熱報道など、昨今、メディアの姿勢が問題視されることも少なくありません。
現在とは異なり、昭和天皇の時代には、事実であろうとなかろうと、皇室について踏み込んだ報道を行うこと自体が不敬だとされる風潮がありましたが、そのタブーに初めて切り込んだのが、ジャーナリストの田原総一朗氏でした。
1988年というのは、時代が大きく変わろうとした。
まさに冷戦も終わろうとしてたと、時代の大きな変化、やっぱり日本では何よりも、昭和天皇がね、ご病気になって、非常に病気が重いと。
僕はある意味では、戦後の日本をつくったのは、一人はマッカーサーであり、一人は昭和天皇だと思っている。
その天皇の責任もある。
やっぱりなんとしても一回、昭和天皇について論じたいと思っていた。
初めてテレビでね、天皇のこと言うわけだから、みんなね、まるで皇居前マラソンみたいに、周りをぐるぐるぐるぐる回って、中入っていかない。
みんな、本当に薄氷を踏む思いでね、一歩一歩入っていて、そして、やり終えました。
相当天皇の戦争責任までやった。
そしたらね、視聴率がふだんの3倍あった。
田原氏の切り開いた皇室報道から27年を経た今、日本のメディアは、日本の言論人は、皇室の何を、どう伝えるべきなのか。
そこで、今回のそこまで言って委員会NPは、天皇皇后両陛下をはじめとする皇族、皇室について、戦後日本のメディアは、どのように報じてきたのかを振り返りながら。
憲法1条は、このままでいいのか。
お世継ぎ問題はどうすればいいのか。
これからの皇室は、皇室報道は、どうあるべきなのか。
など、さまざまな問題点について、専門家を交えて考えてまいります。
そこまで言って委員会NP。
シリーズ戦後70年。
皇室についてメディアはどう伝えてきたのか。
本日、大ねたですね。
戦後70年、ことし1年間いろいろやってきましたけれども、締めくくりにふさわしいということで、今度の水曜日が天皇誕生日でもありますし、このタイミングで言うような話じゃないんだけど、毎年この天皇誕生日が近づくと、ふっと疑問に思うことがある。
なんですか?
私の人生で天皇誕生日って違う日があった。
ね、そっちの日も祭日になってる。
そうですね。
これから数千年たったら、一年中全部休みになるんじゃないかと。
まあ、そうですね、数千年たちましたらね。
でもそれは大丈夫です。
大丈夫ですか?
基本的に直系3代の天皇は特別なものだという意識が昔からありまして。
直系3代っちゅうてもやね、じゃ、これ3代たって、もう4代前だから、やめようかって、そういうわけにいかないでしょ、それ。
それはそのときの、祝日がどうあるべきかというのは、これ、また、いろいろな問題がありますけれども。
そんなに真面目に話してくれるとは。
だけどきょう、なんでも竹田さんに聞けるからね。
そんなことないです。
大先生、お2人いらっしゃいますから。
このまたね、大先生と竹田先生が仲悪いんだ。
そんなことないんですよ。
絶妙なキャスティングということで。
これが意外な。
目指すものは一緒ですので、その行き道で意見の違いが、真剣に。
通る道が違うと。
そうです。
きょうは天皇陛下、皇后陛下のこと自体でバトルではなくて、その周辺のお詳しい先生方とか、竹田さんのバトルということでご理解いただければね。
きょうはど真ん中いきましょう。
さっきの田原さんのね、あの表現はおもしろかった。
今まで皇居前マラソンみたいで、周りをぐるぐる走ってるだけっていうのは、花田さん、非常に分かりやすい表現ではありましたね。
そうでしたね。
僕はね、雑誌をやってるうえで、天皇陛下というのは、日本最大のスターだと思っています。
だからね、いろんな局面で取り上げると、やっぱり雑誌も売れるんです。
売れますか?
売れます。
最大のスターであるからこそ、しょっちゅう、そのカードは切っていけないということはありますよ。
そこらへんのね、やっぱりバランスっていうか、そういう皆さんもちろん興味あるんだけど。
金さん、それはおっしゃるとおりなんだけど、番組冒頭でそれを言われると、あと続かなくなっちゃう。
いや、きょうはいいんです。
きょうは天皇誕生日を前にして、大変にすばらしいテーマでございます。
それでは、きょう、忌たんなくご意見を交わしてくださる本日の委員会の皆さんです。
北川弘美さんは、皇室に関する所先生のお話で、ちょっと涙をなさるという場面が。
いや、本当に言って委員会でないと、ここまで知らなかったことがたくさん出てきまして、私の中の皇室のイメージと大きく変わって、もう先ほどのVも、て知れたので。
どうでもいいですけど、こういう局面で、こんなことを言うべきではないんだけれども。
またですか?なんですか。
北川さんって、この距離で見ると、ひざから下の美しさは、ものすごいことになってますね。
ねぇ、ねぇ、ねぇ、辛坊さん、しかも生足。
師匠のね、ざこばって書いてある所よりちょこっと。
テレビをご覧の皆さん、ちょうどその看板、邪魔。
邪魔なんですよ、これ。
ちょっと。
立っていただいて。
いや、立っていただくのもね。
ちょっとだけ、ちょっとだけ弘美さんの看板の前に座っていただくような形を取っていただいても。
ありがとうございます。
私ね、私はまあそういう趣味がないんですよ、そういう趣味がないんだけど、ことし初めてね、道路になりたいって言ったやつの気持ちが分かる。
辛坊さん、始まる前からずっとこの話ですからね。
きょうのゲストの皆さん、ご紹介しましょう。
皇室問題にお詳しいゲスト、もちろんお招きしております。
当委員会風紀委員長こと、モラロジー研究所教授、所功さんです。
よろしくお願いいたします。
そしてもう1方です。
近・現代政治外交史の大家、昭和天皇伝で司馬遼太郎賞も受賞なさっている京都大学大学院教授、伊藤之雄さんです。
という皆さんで、進めてまいりましょう。
初代、神武天皇より現人神と祭られてきました天皇陛下。
戦後、メディアはどのように報じてきたのでしょう。
たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび、もって…太平を開かんと欲し。
昭和20年8月15日。
昭和天皇の玉音放送によって、国民は日本の敗戦を知った。
それまで神聖不可侵なる存在だった天皇は、敗戦を経て、大きく変容することになる。
終戦の翌年、昭和21年の元旦。
昭和天皇は人間宣言と呼ばれる詔書を出された。
その中で、人間宣言という語句は一切使われていないが、後半部に、天皇が現人神であることをみずから否定したと解釈される部分があり、マスコミや歴史家が後に人間宣言と呼ぶようになった。
これはGHQが軍国主義を一掃するという名目で、天皇の神格性を否定する詔を発布しようと考え、原案を作ったもので、昭和天皇は、原案をそのまま承認せず、冒頭に五箇条の御誓文を加えるよう指示したとされる。
翌年の5月3日、日本国憲法が施行され、その第1条には、こう規定された。
天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。
戦後、天皇は日本国の象徴となった。
そして、憲法14条において、華族、その他の貴族はこれを認めないとされ、華族制度は廃止。
10月、3直宮家を除く除くすべての宮家に対し、皇籍離脱の宮内府告示が下り、11宮家51人が皇籍を離れた。
経済白書がもはや戦後ではないと明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は昭和33年11月、皇室会議が日清製粉社長の正田英三郎氏の長女、美智子さんを皇太子妃に迎えることを可決したと発表。
一般市民である美智子さんが、皇太子さまとのテニスコートでの自由恋愛により結婚に至ったこと、美智子さんがミッション系大学出身者であることなどをメディアが報道し、大きな話題に。
ご成婚パレードはテレビ中継され、このミッチーブームを契機にテレビが普及するなど、第2次世界対戦後の日本の経済、ファッション、メディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。
一方で、論壇では、天皇制に対する批判が起こり、天皇制こそが戦争の元凶であり、あがめるシステムこそが問題だとする考えが主流を占めたが、当時の日本人の多くは、天皇に対し、否定的な感情は抱いておらず、知識人たちとの間に、大きなずれが生じていた。
その後、メディアにおける天皇皇室に対する踏み込んだ報道は、不敬であると、一部の右翼が攻撃を加える風潮もあり、菊タブーと呼ばれ、長年の間、タブー視されることになる。
時代は流れ、昭和63年、昭和天皇の容体が悪化。
ジャーナリストの田原総一朗氏は、司会を務める朝まで生テレビで、この時期に目を背けるのは不自然だと、オリンピックと日本人という討論の後半、天皇制に言及。
88年の秋ごろには、この世の中が自粛、自粛、自粛ムード、あまり派手なことしない、ネオンサインもあまり派手にしないと。
大自粛ムードだったわけね。
で、そのときに、僕は、やっぱり今こそね、やっぱり天皇について、朝まで生テレビでやるべきだと。
テレビ朝日の当時、編成局長だった小田久栄門に、天皇を朝まで生テレビでやりたいと言ったら、ばかやろう!と冗談じゃないと、もう一言のもとに、はねつけられた。
実は朝まで生テレビは、この生番組だし、それで始まるのが1時過ぎだと。
小田さん、寝てるよねと、終わるのが4時半だと、このときも寝ているよねと。
だからもし流れ変わっても、小田さんは気がつかないし、だから責任もないよねって、何?変えんのか?俺をだますのか?って言うから、いや、だますつもりはないけども、もしそうなっても、小田さんには責任はないよねと。
新聞タイトルは、オリンピックと日本人。
始まったときが、最初はね、オリンピックの選手など出てきて、30分ばかりやって、僕が中で、きょうはしかしね、こういうことをやる日ではないんじゃないかということで、あらかじめ天皇をやろうというんで、そのメンバー、パネリストをね、用意してもらって切り替えました。
きっとこういうことやったのは全く初めてだったと思うんだけども、一人ね、天皇をやろうと言ったら、約束が違うっていうんで、退席した人がいる、栗本慎一郎。
そして昭和64年1月7日午前6時33分、昭和天皇は、十二指腸の腺がんのため、皇居・吹上御所で亡くなられた。
87歳だった。
全国の多くの新聞社は、天皇皇后らの死去を示す敬語である、崩御を使ったが、沖縄の主要2紙は、ご逝去ということばを使った。
そこで皆さんに質問です。
戦後長らく、メディアで天皇や皇室を取り上げることがタブー視されていたのは、なぜだと思いますか?
出そろいました。
ざこばさん、あれですね、やっぱり関西で普通に育ってて、そないに話題になることもないし、子どものころって。
そうですね。
僕は、やっぱり少し神さん的な空気は持ってましたね。
遠い存在の人やから、もう僕らはもう、よう分からないっていう、僕は、子どもはそう思ってましたですね。
知らなくていいことだと思ってたと?
と思うてました。
こんなにいろんなことを考えだしたのは、この番組やってからですよね。
そうですね。
もう所先生とね、ご一緒させていただいたりして、いや、あれしましたけど、それまでは、本当にしらなんだ。
ものなんか、言いはんのかないうような感じでしたよ。
そういう、普通の感覚っちゅう人もそれは多いでしょうね、それはね。
一個一個じゃあ見ていきますかね。
でもそもそも、やっぱり金さん、秘すれば花と。
ざこば師匠と、ちょっとやっぱりね、似かよった意見だと思うんですけれどもね、知る権利っていうのは当然あるんですけどね、物事ってなんでも赤裸々に知ればいいってことじゃないと私は思うわけで、やっぱりある種ね、おそれおおいっていうか、やんごとなき方々っていうのは、民主主義だからこそ、私は、民主主義の世の中だからこそ大切だと思ってる。
とっても貴重だと思ってる。
だからむやみに、踏み込んで、またある意味じゃ時々土足で踏み込む人がいるけど、私、それはやっぱりね、日本の国益って、国体の維持のためにね、よろしくないと、実は思ってます。
まあ、この業界で三十何年飯食ってて、でもさはさりながら、タブーであることは間違いないでしょうね。
そうですね。
それはTBSにいてよく分かってますよね?これ以上、なんかややこしいこと言うと、クレーム来るでっていう世界では。
ありますね。
この商売やってる人間は大体思ってるんで、それが今回、タブーなんで、どこから来てんのかというと、花田さんは、ずばりど正面からきましたね。
右翼の圧力だと。
まあ、そういうことでしょうね。
報じなくてはいけないこともあるんで、皇室の問題を全然報じないということはちょっとできません。
しかし、報じる…とか書き方、実際にそれこそふかがわしろうさんの…事件とか、うわさの真相の皇室ぽろだとか、あるいは長崎市長の天皇の戦争責任を言って銃撃されるとか、ですから、具体的にそういう物理的ななんか怖さがあるので、ある程度、セーブするでしょうね、それは。
具体的な話で、今、いくつか出ましたけど、その中の一つですね。
風流夢たん事件の影響、所さん、これは、どういう事件だったんですか?
年配の私どもくらいでも、若い人は、ご存じないと思いますが、私は昭和35年、1960年に大学に入ったんですが、その年、大きな問題は、6月ころの安保の改定を巡る、混乱といいますか、結果的に、死傷者まで出たんですが、それと中央公論の11月号に、ふかざわしろうという小説家の書いた風流夢たんというのが出たん
私は昭和35年、1960年に大学へ入ったんですが、中央公論の…深沢七郎という小説家の書いた風流夢譚っていうのが出たんですね。
これ、非常にショッキングな内容で、現在の天皇皇后さま、つまり、当の皇太子、皇太子妃が実名で出てきて、首をまさかりでちょん切られて、それがころころ転がっていくのを民衆が笑って見てるという、そういう夢物語なんですね。
それはけしからんというので、中央公論社の社長宅を襲った右翼の少年がいて、結果的にお手伝いさんが亡くなるんですけれども、それを私、両方とも問題だったと思います。
やっぱり中央公論という、ある意味で、当時の良識派的な総合雑誌に、そういう仮に、夢物語とはいえども、本当に普通の国民であれば、人権侵害も甚だしいような、現におられる方が殺される、皇室の方々に反論する機会がないんですね。
そういう人々がむちゃくちゃにひぼうされることについて、やっぱり良識がなければならない。
金先生おっしゃるように、秘すれば花ということですけれども、本当に大事なこと分かっていれば、そんなことが発想すらないものが、どんどん出ちゃって、結果的にけしからんということになるのは、やっぱり問題だと思いますね。
だから反論する立場って、できない人に対して、そういう勝手なことを書き散らすっていうのは卑怯ですよ。
そうです。
本当はですね、対応する方法は、一応法的にはありまして、内閣総理大臣が代位して裁判所に持ち込むと、これが本来の筋なわけですよ。
時の内閣総理大臣、が、これはひどいと、これは普通の人だったら当然、名誉毀損になることだから、これは内閣総理大臣である私がちゃんと決着させるって、ひと言声明でも出せば、わざわざ殺しに行くような若者はいなかったかもしれないわけで。
それはやったほうがいいと思うけど、法的にそれ、根拠あるんですか?
法的には可能です。
といいますのは、まず天皇には裁判権がないわけですよ。
つまり。
裁判権がないの?
はい。
裁判を起こす権限がないんですね。
ところが、憲法第1条で、天皇は日本国の象徴となってるわけですね。
ですから象徴であるものを汚すっていうことは、これ、国民も傷つくわけなんですね。
ですから皇室関係の裁判ごとは、全部政府がやるわけですよ。
個人的に裁判ができませんから、それは十分可能です。
裁判まで行かなくても、宮内庁から抗議があるってことはしょっちゅうありますね。
そうですね、前段階に。
編集長時代にありました?
ありました。
どういう話を。
例えば、皇居の吹上の、今、御所がありますけれども、あそこ、昭和天皇が愛された自然林が生えてたの。
亡くなられたとたんに、そこを切っちゃったわけですよ。
そこに御所を建てたわけ。
それを書きました。
そしたら、宮内庁次長って人に呼ばれまして、ちょっと来てくださいと。
それで…。
どのようなお叱りを?
タイトルが、宮内庁の自然林が丸坊主っていう、こういうタイトルだったんです。
そしたら、その次長という人が、なかなかさばけた人で、写真持ってきて、宮内庁の上から撮った航空写真で、花田さん、このどこが丸坊主ですかって。
それはそのとおりです。
結局、長谷川さん、なんだかんだいいながら、そんなことがあって、マスコミがかなりハードな自主規制を強いてきたのも間違いないですよね、これは。
そういうことですね、僕は冒頭の田原さんのVTRで出てきたとおり、やっぱり最初にやるまでは、やっぱり相当いろいろ、このちゅうちょ、ためらいっていうのがマスコミの中にあったんだろうと。
やっぱりそれを突き破ったってことですよね。
あの番組で突き破ってくれたおかげで、以後、天皇に触れたって、なんの問題もないというようにようやくなりましたからね。
みんな自主規制、面倒なことは避けるという、これはもうテレビマンのガッツのなさなんですよ、はっきり言うと。
つまり新聞とテレビは、割とメディアの正規軍だったから、僕もそこで育ったから、やっぱり雑誌がゲリラで、ぎりぎり行くんですよ。
あれは雑誌だからいいんだっていう感じで、触れないようにするっていうことが、正確じゃないかなと。
もうまさにそういうことでね、何もそんな、平たく言うと、面倒くさいところに踏み込まなくたって、ちゃんとごはんが食べられてるわけだから、雑誌はそういう面倒くさいところに踏み込まないと、ごはんが食べられないじゃんっていうのあるでしょ。
そうです。
それはあります。
ね。
記者クラブが報じないところに。
だからこの問題はね、本当言うと、言論の自由を一番言ってるのは、新聞ですよ。
とりわけ、ちょっとね、左にこう、傾いた新聞は…。
毎日、東京。
東京。
何かにつけて言論の自由を言ってんだけども、実は、そういう新聞ほどそういうときに脅えてると。
だから私に言わせると、もう言論の自由を左派リベラルの新聞が、いうのは、ちゃんちゃらおかしい。
僕もね。
はっきり言うけど、左派リベラルの新聞記者がこう、飲む席でね、非常に下卑た言い方をしておいてね、じゃあやるんですか?って言ったら、全く根性ないわけね。
僕はそういうものをずっと見てきて、だんだんそういうのが嫌になってきて。
そういうのがどんどん嫌になっちゃって、ここに出ちゃってるんですよね?さて、続いての時代です。
終戦を機に、日本の君主から政治的権限を持たない象徴となられた天皇陛下ですが、現在の制度に問題点はないんでしょうか。
天皇制とは、天皇が君主として国家を統治する体制のこと。
明治以降、第2次大戦の終戦に至る明治憲法下の呼称であり、大正末期に日本共産党が初めて用いたとされる。
しかし、戦後の日本国憲法では、天皇は日本国、および日本国民統合の象徴であり、国政に関する機能を有しない。
この象徴天皇制については、さまざまな議論がある。
日本国憲法は、皇位の世襲と天皇が行う国事行為などを定め、天皇は政治上の権限を持たない、儀礼的な存在となった。
GHQから提出された憲法の草案を見た昭和天皇は、やむをえないだろうと語られたと伝えられ、新憲法施行に際しては、うれしくも国の掟のさだまりてあけゆく空のごとくもあるかな、との歌を詠まれている。
また、昭和52年の記者会見では、憲法第1条のあの条文は、日本の国体の精神に合ったことであり、法律的にやかましく言うよりも、私はよいと思っています、と語られた。
そして昭和天皇の崩御により、現行憲法下で初めて即位された天皇陛下は、常に象徴天皇の在り方を模索され、平成元年1月9日の即位後朝見の儀で。
皆さんとともに、日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と、世界の平和、人類の福祉の増進を切に希望してやみません。
とのおことばを述べられ、平成23年の東日本大震災を受けてのビデオメッセージでは。
被災した人々が、決して希望を捨てることなく、体を大切に、あすからの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが被災した各地域のうえに、これからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを、心より願っています。
と、語られるなど、国民に尽くす、苦楽を共にするという姿勢を貫かれています。
その一方で、現行憲法下において、天皇は国家元首なのか否か、日本国は君主国なのか、共和国なのかという基本的な問題について、学説は二分されている。
元首とは、国家を代表する大統領や国王などをさすが、憲法1条に、天皇は国家元首であるとは明記されていない。
日本国憲法は、象徴天皇制と国民主権を定めており、前者は君主制の原理を表し、後者は民主制の原理を表しているが、この2つの原理を、どう解釈すればよいのか。
ある学者は。
君主原理と民主原理は矛盾する関係にある。
日本国憲法には、君主制の原理が残されているが、日本の民主化のためには、天皇の活躍の場を広く認めてはならない。
天皇は元首ではなく、内閣総理大臣こそが日本国の元首である。
と主張するが、別の学者は。
君主制原理と民主制原理は、むしろ調和する関係にある。
このことは、イギリスなど、西欧の君主国を見れば分かる。
天皇こそが元首である。
と主張する。
ちなみに竹田恒泰氏は、天皇を日本国の象徴とする憲法第1条に関連し。
天皇の統治がうまくいっているからこそ、象徴になっている。
統治とは、存在するだけで国を束ねることである。
と、持論を展開しているが。
そこで皆さんに質問です。
日本国憲法第1条は、このままでいいと思いますか。
これはご意見、分かれましたね。
専門家も分かれている。
先生方も割れましたね。
そもそもどなたか解説をいただきたいんですが。
竹田さんから、元首ってなんですか?
国家元首というのは、これは使う人によって定義が違うんですね。
これ、比較憲法学、つまり世界各地の憲法学の比較をする学問があるですけれども、それによると、内閣の責任者を任命したりとか、もしくは外交官が着任するときに、信任状の…を行ったりとか、そういうことをする、もしくは法律を公布するとか、そういうことをする国家機関を元首と呼んでます。
この定義に当てはめて考えるならば、日本の天皇は国家元首ということになります。
憲法7条で書いてある、天皇の国治行為をするのが天皇だから元首であると?
それは世界の憲法学の常識でいうとそうなるんですね。
あのね、一つ、不思議なことがありましてね、戦後の憲法の形成に関わったみなざわとしよしという東大の憲法学の先生がおられて、この先生が出されたコメンタールを見ますと、天皇は君主でもなければ元首でもないと書いてあり、日本は共和国だと書いてあるんですよ。
と一方で、その同じみやざわさんが、憲法と天皇という本を出されて、そこの中で、定義のしかたいかんによっては、象徴天皇こそが、まさに君主ともいえるし、元首ともいえると、同じ人、同じ時期に出してる本に、矛盾したこと言ってる、それくらい憲法学者の言ってることは、やっぱりある意味で定義いかんによっては、どうとでもいえるというふうに逃げ口がありますけれども、これ、両方とも影響力大きい本ですから、そういうことを無責任に言ってもらっては困ると、私は思ってまいりました。
本当、そのとおりだと思いますね。
どうなんですか?憲法学者の中では、じゃあ、総理大臣が元首だという人も結構いるってことですか?
いや、要するに、天皇は国家元首じゃないって言う人はいるんですけれども、じゃあ、誰が国家元首なんだ?って聞くと、答えられないんですよ。
内閣総理大臣って、天皇の任命を受けるわけですよ。
任命を受けるのに国家元首っておかしいですよね。
じゃあって言うと、日本国民が国家元首で、そんなばかな話ないわけで、誰かが国を代表して外交官を受け入れたりとか、法律を公布したりするわけですから、大体、憲法学者の9割以上×××ですから。
彼ら、むちゃくちゃな理屈を。
師匠はどうですか?
だから、聞かないでください。
足を引っ張る、だから、辺野古でね、サンゴが3本挟まってますとか、ジュゴンの餌食べたとか、ああ、土器がとか言ってね。
要するに、重箱のすみをつつく、なんとかね、おとしめたいという人のめちゃくちゃな理屈ですよ。
ですから天皇が国家元首だなんて言ってる、憲法学者は、数%いるかどうか。
共和制…。
共和制っていったって、大統
一般的な憲法の学術書を見ると、一般の日本人感覚とは到底相容れないことが書いてあるんですね。
例えば、現在の天皇は第2代天皇であるって書いてあるんですよ。
で、えっ、125代だろと思うわけですね。
いや、そうすると、ちゃんと説明があって、やっぱり歴史的な天皇制というのは、ポツダム宣言を受諾したことによって、もう崩壊したと。
皇室なくなったんだと、でも、なくしたらかわいそうだから戦後、国民の意思で、形だけの天皇残してあげただけで、つまり、戦前の天皇と戦後の天皇というのは、たまたま字が同じだけで、全く別の原理なんだと、これが圧倒的通説なんですよ。
だから僕がね、いや、伝統を重んじてとか言うと、伝統?は?戦後の伝統でしょって言うんですよ。
だからもう話にならないです。
それ、竹田さんの本業のフィールドですよね?
だからそこに踏み込んでるわけ。
竹田さん、そこ、働きにくいですよね?
働けないですよ。
ですよね。
竹田さんなんかすごくオーソドックスに言ってるのに、あの世界ではね、右翼みたいな扱いですよ。
それ自体が、やっぱりかなり、僕はおかしいと思う。
そうすると。
安保法制のときもそう思いましたけどね。
じゃあ例えば、伊藤先生、古代以来、天皇は元首である、現行憲法のままでいいという。
はい、私はそう思います。
古代以来、やっぱり委任して、将軍に元首としての地位を委任しているし、明治憲法では第4条で国家元首と規定されましたけれども、これはまあ、西洋と同じ国家になったんだと、示すために、伊藤博文はきちっと入れてやったんですけども、古代来、そういうふうにやってきたんだから、象徴でも元首でも、実体は変わらないし、今のままでもいいんじゃないかっていうのは、私の意見です。
ということは。
竹田さんに聞きたいんだけれども、僕も今の伊藤先生の話でだいぶすっきりしてきました。
つまり、元首という概念自体が、西洋のものであるわけでしょ、出発点が。
そうであるとすれば、日本は日本の形であって、今、象徴というものがあるんだから、この象徴を、西洋の人たちが元首と呼ぼうが呼ぶまいが、日本から見たらどっちでもいい話で、僕らは象徴として、いわば国事行為をやっておりますと、それ以上の説明がいるのかいらないのかと言ったら、むしろいらないのだと。
まさにそのとおりですね。
その点が問題で、外国の扱いは、元首に対してはすべて扱い、決まっておりまして、象徴と表現されてるがゆえに、そういう曲解、もしくは誤解されるという事実があると思います。
でもね、そうおっしゃるけどね、外国の対応っていうのはね、やっぱりね、天皇皇后さまのね、そのご訪問のときにはね、やっぱりそれ相応の待遇を皆さんしてるんですよ。
だから、肩書きがどうであろうが何がどうであろうが、明記しようがしまいがね、やっぱりね、本当に皇室の存在で日本を象徴する、一番トップにいる方だってことは、もうね、すべて受け入れる国々はそれを分かってるわけだし、日本の国内でもね、例えば終戦のときの昭和天皇のあのおことばと、それから東日本大震災の今上天皇のおことばとっていうのが、万人が平伏するわけですよ。
それがね、一番大切であってね、実は国家元首っていうそのことばが書かれてるか書かれてないかっていうのはね、次のまた次だというふうに、私は思ってますし、ちょっとほかの国にはない。
それは分かるんですけど、日常生活の中でね、例えば僕らが子どものころは、祝日に国旗を各家が立ててた、今なんかそういう家が減ってくる、あまり日常生活の中で、天皇とかね、そういうのをこう、感ずることが少なくて、僕、10年ほど、海外の特派員をやってるときにびっくりしたのは、大使館とか総領事館行くと、ちゃんと菊のご紋が正門の所にあって、天皇陛下の誕生日には、大使が主催して、すごく立派なパーティーをして、その政治家もみんな来て、非常に日本の伝統とかそういう、食事を楽しむんだけれども、僕はそのときに、ああやっぱり陛下が元首であって、日本はそういう伝統のある国なんだなっていうことを海外にいるときは、かなり自分も意識しましたけど、国内、戻ってくると、もう日常性から失われてしまってる、心の中には私もあると思うんですが、そのあたりで、私はだから、元首っていうふうにはっきり書いたほうがね、いいんじゃないかと思うんですけどね。
第1条に書いてあること自体、僕はそもそも元首としての立場だから、第1条にあるっていうのは明確だと思うんですね。
非常に大事だと思います。
実は、今の憲法は、いろいろ問題がありますよ。
ありますけど、第1章という、憲法で一番大事なとこは、天皇という…なんですね。
これ、非常に重要な意味で、そういう意味で象徴と書こうと、元首と書こうと、国家にとって一番大事な方を第1章に規定しているからこそ、在外公館でもそういうことをやるという慣習が定着しているわけですね。
ところが、言いにくいんですけど、読売新聞社が出した解説草案によりますと、第1章は国民主権で、第2章が天皇なんですよ。
これはやっぱり国家の在り方を思いっきり変えるものであって、そういう意味では、私は元首か象徴かということよりも、第1章に天皇を置くというその骨組みそのものは書いてはならないと思います。
よく象徴やめて元首にするんですかみたいに言われることあるんですけれども、象徴かつ元首だと思うんですね。
それで、私はやっぱり所先生がおっしゃったとおり、天皇は元首じゃないみたいなめちゃくちゃなことを言う人たちがいるから、とりあえず書いておけば、そういう不毛な議論はなくなると思うので、書くべきだと思う。
ただし、書くべき場所は、第1条じゃないと思うんですね。
なぜならば、第1条って国家民族にとって、最も大切なことを書くんですよ。
天皇が元首かどうかっていうよりも、天皇が日本国民の象徴であるということのほうが、概念として上なんですよね。
そこで、法概念で言うところの元首っていうものは、まあ2条か3条かに挟んでおけばいいわけであって、やっぱり天皇は日本国の象徴であるという、まあ、国家元首って、どこの国にもありますけれども、国家元首が象徴であるっていう国ってよそにないんですよ。
例えば中国の国家元首、習近平ですけども、あの人の顔見たって、中華人民の統合の象徴とは思わないですよね。
むしろ…と思いますよね。
というように、アメリカも。
現行憲法第1章第1条は、守りたいので、それが変わる可能性のあるものはやめておけとそういうことですか?
最近の憲法の議論を見ていると、9条をね、変えないか、変えるか、議論するじゃないですか。
なんか憲法を変えることばっかり議論してて、むしろどこを守んなきゃいけないっていう議論が自党内でもほとんど行われてないんですね。
よく国会議員に会ったときに、憲法のどこを変えたいですかって言うと、皆さん雄弁に言うんですよ、どこを守りたいですかって言うと、うって、考えたことないって言うんですよ。
やっぱり保守というのは、何を守るかを明確にしたうえで、そのためにここを変えなきゃいけない。
それが本来の保守ですよね。
だから憲法をぼこぼこ変えればいいんだという頭の人が、もし第1章を触り始めたら、これ、悪くなっちゃうんじゃないかという、そっちの怖さのほうが私は先立っちゃうんですね。
政治的天皇の話と、やっぱり元首っていうのは、きちっとある意味では分けて国民が考えられるようにしておいたほうがいいから、元首にしたほうがいいと思うんですけど、例えばね、首相公選制というのは、一つ政策的な課題なわけですよ。
自民党も言ってるわけだし、維新だって言ってるわけですね。
この首相公選制というのは考えたときには、よく国民の間で間違って、まあ、中田さん、大統領制にしたほうがいいよねって、言っちゃう人がいるんですよね。
これ、大統領制になるとこれ、元首ですね、イコール。
というところが、国民の間で区別がついてないわけですよ。
だから、首相公選制にするんだったら、それは元首という位置づけを明確にしたうえで、政策論的に首相公選制という政治の…は国民が選ぶ国民主権なんだということを分けていくためにも、元首の位置づけは必要だと思います、僕はね。
ざこばさん、今のままでは何がだめなの?
それ、それ、なんですけどね、僕は、いやいや、うちの師匠が、人間国宝もろたり、結構噺家のうて、歌舞伎の人でももらいはるんやけど、一応やっぱり陛下でしょ、最後は。
勲章ですとかね。
師匠よりも。
そういう意味では。
文化勲章とかああいうやつでしょ。
国会の開会も陛下やから、もう僕は、元首とか象徴というよりも、僕はもう、上、こんなん言うと、師匠に悪いけど、もう上やという、ことばで上っちゅうことばはいかんのか分からんけど、一人っていう、そんな感じです。
上というよりも、真ん中っていうふうに考えていただいたほうがいいかな。
上よりも真ん中?
真ん中?
なんか上だと偉い、偉くないみたいになるので。
僕思うねんから、思わしてぇな。
それはいいんです。
だから、天皇というのは、偉いんじゃなくて、尊いんですよね。
だから、日本人みんなの中の真ん中にいらっしゃる、上下というよりも真ん中、だから真ん中であることを。
それちょっとへりくつや!僕は上に見させてよ。
それでええやんか。
それは…。
真ん中に置いといたらええやん。
俺、上や、思っとくがな。
それだけのこっちゃ。
そうそう、要するに解釈の問題ですよね。
本当、なんか、今、本当、象徴的にいらっしゃって、それでちょっと元首っぽいところがあるのかもしれないんですけれども、それを別にあえてことばにする必要があるのかどうなのかってことで、みんなが分かっているならそれでいいんじゃないかって。
そうすると竹田さん、最初の話に戻りますけど、日本中のほとんどの憲法学者が天皇は元首じゃないっていう、日本中でそう、確固と思ってるのは、憲法学者だけでは?
だけですよ。
だから、
メディアで論じること自体が不敬とも言われていた皇室問題ですけれども、最近では、逆に、ちょっといきすぎなんじゃないかなと思うこと、ありませんか?
平成20年12月、宮内庁がホームページに、皇室関連報道に関する宮内庁の見解というコーナーを開設した。
ここで、最近の報道の中には、事実と異なる記事や、誤った事実を前提にして書かれた記事が多々見られますと、メディアに対して抗議したのだ。
宮内庁が最初に指摘したのは、女性セブン2008年1月3日・10日号の美智子さま、皇太子ご夫妻お呼び出し。
12月1日の重大宣告という記事で、内容は、皇太子ご夫妻が天皇家を訪れた際に、皇后さまがお2人を別室に呼ばれ、公務について提言をなさったというもの。
しかし、宮内庁によれば、その訪問の際に皇太子ご夫妻が別室に呼ばれた事実そのものがないという。
宮内庁がこうした措置を取った背景には、雅子さまの適応障害問題以来、週刊誌でほぼ毎号のように、皇室の内情が取り上げられたことがあり、また、皇太子ご一家のオランダ静養について、天皇陛下が苦言を呈されたという報道に対して、私の意図したところと全く違っていますと、陛下自身が語られる一幕もあった。
皇室報道は、いつからワイドショー化していったのか。
振り返れば、平成16年の皇太子さまの異例ともいえるこのご発言。
ことに、雅子には、外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに、大変苦悩しておりました。
それまでの雅子のキャリアやそのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
この皇太子さまの激しいご発言の背景には、長年、ご夫妻の重圧になっていたお世継ぎ問題の再燃があったといわれているが。
平成16年当時、小泉純一郎総理は、皇位継承問題に危機意識を持ち、12月に皇室典範に関する有識者会議を立ち上げ、皇位の継承を男系男子とする現行制度の行き詰まりを懸念し、皇位継承者を女子・女系に広げる、いわゆる女帝論、女系天皇論にまで議論が及んだ。
これに対し、男系男子を維持すべきとの立場から、昭和22年に皇籍を離脱した旧皇族の復帰を主張する意見もあった。
翌年の11月、典範会議は小泉総理に報告書を提出。
小泉総理は、皇室典範改正案を国会に提出する意向だったが、その直前、紀子さまのご懐妊が明らかになり、静かな環境下で国民的慶事を迎えたいとの判断で作業は先延ばしになり、平成18年9月6日、悠仁さまご誕生によって、皇室典範改正の議論は、いったん収束した。
しかし、民主党政権下の平成23年、当時の羽毛田宮内庁長官が野田総理に対し、将来的な皇族の減少を、緊急性の高い問題と説明したことから、皇族女子が天皇や皇族以外と婚姻したときは、皇族の身分を離れるとする皇室典範を改正し、女性宮家を創設するという議論がメディアでも再燃。
一方で、評論家の西尾幹二氏が、皇太子は秋篠宮に皇位を委譲するべきだとする廃太子論を展開。
また、初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、皇太子さまではなく、秋篠宮さまを天皇の命で代わって政務を執り行う摂政とする、秋篠宮摂政論を問題提起。
しかし、皇室問題に詳しい所功氏は、すでに皇太子が立太子礼を執り行っているから、秋篠宮摂政論が浮上すること自体不適切と、指摘しているが。
そこで皆さんに質問です。
皇位継承問題は、どうすればいいと思いますか?
今となっては、実はよく分かんないこともあるんですけど、あの一時代に西尾さんみたいにどっちかっていうと、日本の保守派と言われる人たちが、かなり過激な、皇太子に平たく言うと、辞めろみたいな論が出てきてた背景は、なんだったんですかね?
いや、よく分かりませんけども、天皇というのは、皇后さまと共に常に行動されるべきだという錯覚があると思うんです。
大事なのは、天皇が、あるいは皇太子がなさることが大事であって、どうも、西尾さんなり、あるいはまた佐々さんの背景には、皇后もしくは皇太子妃としての役割が果たせない方を抱えておられる方は、お辞めいただいたらいいとか。
まあまあ。
もっと花田さん、はっきり言うと、当時議論になっていたのは、皇太子妃がふさわしくないんで、一緒にという話だったでしょ。
まあ、そうですね。
長くご病気で、公務をできないと、こういう状態ですから、そういう状況の中で、そういうのが出てきたわけですよね、それは。
美智子皇后さまが、あまりにも立派なので、国民の期待がやっぱりちょっとたかまっちゃったってことありますよね。
おっしゃるとおりでして、実は明治天皇の天皇記などを見ますと、天皇ほとんど単独でなさっておられて、別の形で福祉の問題とか、王様がお出ましになったと、逆に大正さんの場合は、ご病気でしたから、皇后さまが、かなり天皇に代わるようなお仕事をなさった。
その時代その時代で在り方が違うんですね。
昭和天皇も、戦前はご一緒に出られることはほとんどなかった、戦後は、だんだん皇后さまもご一緒になられた。
ところが今おっしゃったように、平成になりました、もしくは、皇太子時代からそうですけれども、ご了承おでになることがむしろ当然、もしくは皇后さま、皇太子がお出にならないと、なんか、まあ、俗に言えばもの足りないような印象を人々は持ってしまっている、この事実だと思います。
これはですね、いわれない皇太子妃バッシング、これ、かなり吹き荒れましたよね。
それでですね、例えば国を愛する、皇室を愛する人ですら、こういう人が皇后になったら大変だというふうに、保守的な人でも、そういう心ない皇太子妃バッシング。
何も皇室を批判しているわけじゃなくて、思いが高いがゆえにそういうふうに言ってしまう人、いるようなんですけれども、これ、本当に困ったことに、先ほどVTRで、適応障害ということばがありましたが、精神疾患なんですね。
例えば、なんか大けがをして包帯巻いているとか、外から見て、あっ、大変なんだなと分かる人はまだいいんですけど、精神の病気だから、外から見ると、よく分からない。
しかもあまり理解されてないんですよね。
なんかね、税金で暮らしてるのに、公務もしないでさぼってる的な、だから、病気というよりも、仮病をしているかのようなニュアンスで批判するわけですよ。
でももう10年以上ですから、10年以上も仮病してたら、本当に病気になりますよね。
大体、そんなね、これ好きとか嫌いとかってやってるわけじゃなくて、これ、ご病気なんです。
なのに週刊誌とか面白おかしく、バッシング記事を書くんで、そこを改めないと、だから将来の皇后生かすも殺すも、もしかしたらメディアしだい、国民の気持ちの持ち方しだいではないかと思いますよ。
竹田さん、そのご体調はそうだと思うんですけど、皇太子殿下のことばが強かったですよね。
雅子のキャリアや人格を否定するような動きとか、外国訪問を許されなかったと、この許されなかったの主語ってどこですか?
そうですね。
これはもちろん、中身を知ってる人は誰もいないですけど、天皇陛下ご自身も、寝耳に水といいますか、知らなかったというような趣旨のことをおっしゃってるぐらいのことですから、恐らくその時期的なことを考えるに、お世継ぎ、要するに外に行って仕事の前にお世継ぎだろうというような、これがやっぱり、適応障害になったのではないか。
だってそれまで、何年間か、立派に宮中祭しとかにお出ましになったりとかなさってるんですね。
だから皇室そのものが障害なんだみたいに言われて、皇室適応障害みたいにいわれることあるんですけど、とんでもない話で、あれはお世継ぎに対するプレッシャーと見るほかないと、私は思います。
竹田さんね、私、マスコミの人間でね、こういうのを言うのも変だけど、僕全部つまびらかに週刊誌を読んでるわけじゃないけど、みんなさっきもあったけど、宮内庁関係者によればと、こう出てくるじゃないですか。
あれって、竹田さんなんかご覧になってて、これ、本当にこういうことしゃべってる人いるというふうに思われるの?つまりネタ元はどこだっていう花田さん、そういう話なんだけど、週刊誌はどうやって書くんだろうね、あれ。
その女性週刊誌は知りませんけれども、少なくとも週刊文春なんかは、ちゃんと宮内庁の内部の情報を取って。
いるってこと?
います。
いるの?
そうじゃないと書けないと思うんです。
裁判をかけられないという安心感もあると思うんですね。
これ、普通の政治家とか芸能人だったら、もうすぐ裁判沙汰じゃないですか。
名誉毀損訴訟のおそれが一番、実は少ない取材対象ということ。
ちょっと皇位継承問題に戻りたいと思いますけれども、皇位継承問題は、北川さん、女性が天皇の時代。
そうですね、なんか男女平等っていう世界になりつつある中で、どうして男にこだわり続けなければいけないのかっていうのがあって。
男女同権ということばで皇位継承が語られること自体、非常に不適切なんですね。
というのは、何かね、天皇になることが何かいいことで、愛子さまは女性だから天皇になれなくてかわいそう的なニュアンスなんですよ。
ところが、天皇になって何かいいことってあると思います?人権のかけらもないんですよ。
天皇になったら言論の自由ない、職業選択の自由ない、宗教の自由もなければ、居住移転の自由もなければ、外国旅行の自由もないわけですよ。
なんの人権もないところに行くんですよ。
誰がなりたいと思います?
愛子さまは、選ぶ自由はないんですか?
ないです。
これは、天皇になるという宿命を背負ったものが天皇になるから尊いのであって、やりたい人がなる、やりたくない人がならないとか、そんなもんじゃないんですよ。
そしたら男しかないわけであって、そしたら、そんなのね。
そうなんです、今、法律はそうなってます。
男しかないです。
だから、法律で実はさっきもありましたけど、悠仁親王殿下が生まれるまでは、次、もう確実に代が絶えると、現行法では。
じゃあどうするっていう議論で、結構盛り上がったんだけれども、男子の継承者が生まれたんで、この議論は全部一瞬で途絶えたっていう過去がありますが、伊藤さん、どういうふうに考えてらっしゃいますか?
私は、ずっと古代から男系できたという、伝統としては大事だと思いますけれども、結局、男系でくるというのは側室というのを前提にしてたくさん子どもがいたから可能で。
そんなことないです。
それで。
全く違います。
いやいや、それで、もう現実に今、起こってることというのは、悠仁親王さんの後を今度どうなのかということだと思います。
簡単な話なんです。
女系天皇は認めざるをえないと書いてます。
そういうことですね。
いずれはですよ、今はというんじゃなくて。
そんなこと言ってんじゃなくて、2000年以上続けてきたんですよ、これを。
だから伝統を変えることを議論する前に伝統を守ることを議論すべきなんです。
ただね、江戸時代15代天皇おられますけど、12方が側室のお生まれですよ。
側室制度をやっぱり廃止したわけですから、そういう中で、確実に男系男子をお生まれになればよし、しかしそうでない場合を、やっぱり考えておかないといけない。
そういう意味で私がちょっと書きましたように、当面は、秋篠宮さまも悠仁さまもおられますから、これ、3代先までは男系男子でいけるんですね。
けど問題は、悠仁さんが結婚されるときに、あなたのお子さんは男子でなきゃいけませんよとか、男子でないと、ここで途絶えてしまいますよと、そもそも結婚も難しくなるんじゃないかということを考えますと、女子にもそういう役割を担ってもらおうということを、あらかじめ想定して、その道を開いておく、将来に対する備えがなければ、恐らく皇室自体が将来設計ができなくなってしまうと思いますね。
所先生も伊藤さんもたぶん、あえて言ってないんだと思うんですけど、確かに側室があったことによって、子孫を確保したってあります。
ところが、医療のレベルが全然違って、例えば、明治天皇ひとかこうめい天皇記とか読んでみますと、特にこうめい天皇なんて、きょうだいが十何人いらっしゃって成人したのは3人だけなんですね。
つまり、もう昔は医療レベルが低いからもう生まれて死んで、生まれて死んでをずっと繰り返してきた。
それと今とは全然医療のレベルが違います。
だから、かつては確かに側室がいないとだめだった時代もあった、でも今は、医療の技術がよくなってる。
それからさらに皇統を守ってきた、何も側室だけではありません。
適切な数の宮家を、血のリレーの継承者としての宮家を、ちゃんと守ってきたからこそ、いざ本家が途絶えても、宮家、皇族から天皇を立てるっていうこと、何回かやって、急場をしのいできた。
したがって、ここは側室がいないからはい、終わりとかじゃなくて、ちゃんと適切な宮家を作っておくこと、それが伝統的な手法です。
作っておくっていっても、新たに男系の宮家は無理ですから、旧宮家、11宮家をという話なんですけれども、これに関しては伊藤さんはどうお考えですか?
旧宮家が難しいんだと思います。
難しいっていうのは何かというと、スキャンダルがものすごく多いんです。
ひがしくにの宮さまだけは立派だとかって話になってる。
ちょっと待ってください。
それ、悪質な印象操作ですよ。
あとの皇族は立派じゃなかったんですか?あとがごみみたいな、悪質な印象操作ですよ。
そうは言ってないですよ。
だから私が言いたいのは、やっぱりじき宮さんは、みんな立派ですよ。
それは責任感があるからで、そうするとたくさんの宮家を作って、それが特定の仕事もなくて、やっぱり精神的に維持できるのか、現実から見て、宮家活用というのは、かなり難しいんだと。
大変失礼な話ですよ。
所さん、どうお考えですか?
竹田さんとかなり意見が一致する点と、違う点がありまして、さっき言われたことで、現代、医療が非常に進歩してるから、当然、男子も確保できると、私も思ってました。
実際、三笠宮家にお三方も男子が立派な方がおられて、3人とも亡くなってしまったという現実があるわけですね。
三笠宮家は現状のままであれば、なくなるんですよ、女子しかおられませんから。
そうしますと、やっぱり男子がおられればあるいはそれに越したことはない。
けれども女子が現在であれば、三笠宮家、あるいは高松宮家に全部で5方おられますが、そういう方々がなんとか皇室に残っていただけるような、そういうことも考えておかないと、本当にもう痩せ細ってしまうというか、死滅してしまうということを想定する必要がある。
ちょっと今、たまたま出ておりますから、ご覧いただきたいんですが、現在の皇室の構成者は20方ほどおられますが、ともかく年齢が全体に高齢化しているわけですね。
そういう中で今の皇室典範のままであれば、10年、20年後には、結婚されれば皇室からいなくなってしまわれるということは、想定できるわけです。
でもそれでいうと、この女性の皆さんが宮家を作って残ったとしても、今の現状、皇室典範上はなんの解決にもならないわけで。
だから、変えざるをえないわけです。
やっぱり女性宮家を認めないと。
女性宮家を作る、そのあとはどうなるんですか?
結局、そのあとは。
女性宮家の宮さまと結婚される民間の男子と結婚されて、その子どもさんに、天皇の継承を認めるということになると、女系を認めていると?
結果的にそうなるんです。
結果的に。
そこで、議論をね、全部一緒にしないほうがいいと思うんです。
物事は時系列の中で進んでいきますから、現在は悠仁さんのご誕生になったことによって、3代先の男子がおられると。
しかし、本当に3代先まで確実にご即位いただける状況になるかは、100%は分からないわけですね。
そういう中で、今改正すべきことと、30年後に改正することは違うと思うんです。
だって、女性宮家の話は基本的に今、公務をできる皇族が少なくなってるから、どういうふうにするかっていう中での議論ですよね。
そうです。
そこらへんがごっちゃになって、その、今度は息子がっていう。
所さんの本当におっしゃりたいことは、もう現状そうだけど、数十年後に女系を認める時代になったときの、
これから先の未来の皇室のあるべき姿です。
開かれた皇室の名の下に、昨今、週刊誌やワイドショーが盛んに皇室に関する話題を取り上げるようになったが、中でもことし各メディアがこぞって特集したのが、秋篠宮家の次女、佳子さま。
美しすぎるプリンセスとして、若者を中心にアイドル的な人気を誇るようになったが。
佳子さまといえば、昨年、学習院大学を中退され、現在は国際基督教大学に通われているが、これにより、皇族の学校との伝統がある学習院にご在学の皇族は、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまお一人となってしまった。
こうした皇族の学習院離れを決定づけたといえるのが、佳子さまの弟で、皇位継承順位3位の悠仁さまが、お茶の水女子大学附属幼稚園と小学校を選ばれたことだが、背景にあるのは、学校側の問題か?それとも時代の流れなのか。
また、佳子さまフィーバーに伴う弊害として、ご公務が佳子さまに偏り過ぎるという問題が指摘されるようになったが、ご公務といえば、天皇皇后両陛下への過度な負担も懸念されている。
ことしに入って、両陛下の地方や海外のご公務は、阪神・淡路大震災20年追悼式典に始まり、東日本大震災復興状況ご視察やパラオご訪問など、多忙を極めており、そのご活動は、80代の方がされる仕事量ではないという。
そのため、皇太子さまや秋篠宮さまにもっと公務を割りふるべきだとの意見も。
また天皇陛下は、中国、韓国などアジア諸国をはじめ、各国首脳との会見の機会に、戦争中の不幸な時期に言及し、関係改善に努めてこられた。
しかしその一方で、天皇の政治利用が問題になったことも。
平成21年12月。
民主党、鳩山政権下で行われた天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が、1か月前までに申請するという慣行を外れて設定された問題で、当時、安倍晋三氏は。
天皇陛下を政治利用したと、こう断じざるをえないと思います。
と、発言。
それに対し鳩山総理は。
日中関係をさらに未来的に発展させるために、大変大きな意味があると思っていますから。
私は判断は間違ってなかったと、そう思っております。
と、主張したが。
そこで皆さんに質問です。
これからの皇室は、どうあるべきだと思いますか?
出そろいました。
はい、竹田さん。
開かれなくてよい。
開かれた皇室がよいとよく言われますけども、開かなくていいんですよ。
金さんも先ほどおっしゃってましたとおりで。
秘すれば花。
そうそうそう。
だってかつてね、明治時代、大正時代って、今よりメディアもネットも発達してなかった時代に、みんな、皇室を敬愛してた。
別に中のことが見えたから愛したわけじゃないです、分からなくてもみんな敬愛をしてたわけですね。
なんかね、開く場所間違ってるんじゃないかなと思いますね。
それはメディアの問題ですよね?
そうですね。
あと、宮内庁の情報の出し方の問題もあると思うんですけれども。
宮内庁については、竹田さんは今、どう思ってますか?
宮内庁はあくまでも国家の政府の一機関でしかないので、なんか、宮内庁が出てくると、みんなへへーみたいな感じで、皇室が尊いわけであって、別に宮内庁が尊いわけじゃないんですよ。
だから私は宮内庁がやってること、正しいこともあると思うし、間違ってることもあると思うから、批判はしますけれども、本来であれば、皇室の報道は皇室側の報道官がいるべきだと僕は思いますよ。
所さん、天皇のご公務の代行措置の確定をと。
この問題、非常に、むしろ、さっきから出てる皇位継承問題など以前の話として、現実に82歳というご高齢、81歳という皇后さま、ご高齢を考えますと、現在の状態をこの先何年も続けていただいていいのかということは、当然考えなければいけない。
その上、天皇のお仕事が3つありまして、一つは憲法上に明記された国事行為ですね、それ以外に、憲法に書いてないけれども、実に膨大な量のお仕事が、象徴としてふさわしい、公的行為といわれるもの、これのほとんど全体の80%ぐらいを占めていると思います。
そしてそれ以外にさらに大事なのが、皇室の伝統的な祭祀行為、宮中祭しですね。
この3つを考えますと、できればやはり、国事行為は続けていただくと、可能なかぎりね。
しかし、それ以外の公的行為といわれるお出ましとか、とうとう、あるいはまた宮中祭祀などは、これは皇太子以下に代行、分担が可能なようにしたらいいと。
しかし現在の皇室典範の規定だと、摂政になれる要件が天皇が未成年か、心身の重大な事故で国事行為が不可能なときというと、今の単なるご高齢ということだと、摂政にはなれないということですか?
できます、実はここが非常に大事な点で、実は昭和天皇の晩年に、あれほど重患に陥られたにもかかわらず、摂政を置かれなかったんですね。
摂政っていうのは、非常に置くことが難しいというのは、大正10年に、大正天皇がご病気だということで、摂政置かれましたけど、5年間ご存命だったわけですね。
摂政というのはおいたら、再び天皇に戻ることはできないという、暗黙の認識がありますから、後の昭和天皇は非常に苦しまれたわけです。
お父様がご健在なのに、自分が摂政としなければいけないということで、この昭和天皇の晩年にも、今の陛下は、やっぱり摂政というものをおいてもらうことについては、ちゅうちょされると思います。
時の内閣の判断もあって、最後まで、今の陛下は、摂政になられなかったわけですね。
これ、摂政ということになると、この国事行為も全部やるということですか?
全部、全部…。
いわゆるB、C、象徴としての公的皇位などだけやるっていう役割の人を置くことはできないということですか?
そういうことですね。
つまり、摂政っていうのは、あくまで天皇の名において、すべてのことを行うという立場ですから。
ただ、逆にいえば、国事行為は天皇でなければならないけれども、BCに書いてある公的行事だとかこちらのほうは、天皇じゃなくても今、できますよね?
憲法上の制約はありませんから、これ、宮内庁なり政府の判断でそれをやはり皇太子さまなり、秋篠宮さまに代行していただくという措置を取ればいいわけですね。
誰ができるんです?どういう権限で、誰ができるんですか?
できるのは皇室会議だと思います。
皇室会議。
皇室会議は、今、権限が非常に制約されてるんですけれども、皇位継承の順位変更までできるという建て前になってるんですね。
その議長は首相ですから、首相がそれを決定していくということで、ある程度可能で、問題は。
ちょっといいですか?
作れなくてもBCの代行は可能になると思います。
ちょっといいですか。
所先生は、皇室会議ってことをおっしゃいましたけれども、私はそんな必要、全くないと思いますね。
なぜ陛下が忙しいかといったら、それは宮内庁の責任です。
つまり、どういう予定を入れるか、要するに、宮内庁が天皇陛下の日程を管理し、ブッキングする権限を持っているんです。
しかも宮内庁の役人というのはいろんな象徴から来てるから、ね、自分のもとの省のいい感じに、いや、この日、陛下をブッキングしますよというと、いい感じじゃないですか。
それを断ち切ったら、なんだ、お前になったとたんこの行事、陛下来なくなる、どうしたってなるわけ。
だから、宮内庁が、はい、もう陛下はご高齢ですからここ、ここ、ここ、お出ましになりませんと言えばいいだけの話で、
国民は、両陛下の行幸をね、ひたすら望んでいる。
それに対して、両陛下もね、なるべくだったら、自分の都合が許すかぎりね、そこへ出かけたい、ご高齢だからね、これはちょっと働き過ぎで大変だ、負担が大変だって、今、私たちは言ってるけど、ひょっとしたらね、お2人の希望でお出かけになっていることがお2人の健康であったり、ある意味ではね、お2人の自分の存在。
自分の存在。
金さんのおっしゃるのがすごく説得力あるのは、金さん、実は皇后陛下と同じ年ぐらい?
そうなんですよ、同じ年なんです。
恐れ多くも私たち夫婦っていうのはね、亡くなったんだけど、連れ合いが8年生まれで、私が9年生まれなんですよ。
それで今ね、私がなぜ元気かっていうとね、仕事をちゃんとしてるからなの。
それからやっぱりね、動いてるからなんですよね。
金さんはお元気だから、いいと思いますけど、私、普通ね、こういう役所が利権で動いているって、竹田さんのお話はかなりうなずけるところがあって、普通、こういう問題が起きたときは、どうやってチェックするかっていうと、それは政治の側、あるいはメディアの側なんですよ。
具体的に言うと、要するに安倍政権ですよ。
安倍政権の判断と、あとマスコミ自身が、宮内庁、こんなに天皇陛下使っていいのかと言えば、それはだんだん改まってくる。
皇室会議のメンバーで、総理大臣は入ってる?
入ってます。
議長です。
議長ですね、総理大臣が議長の皇室会議なら、総理大臣が、もうこれからこうしようって言うたらいい話?
そうだと思いますよ。
私は。
だけどね、その議論をやるとね、ああでもないこうでもない、外野がすごいんだ、あれ。
本当にちょっとした変更でも、大変なんですよ。
問題はだから方法論は、私は実は、このこと言ったのは今回初めてなんですけども、要するに国事行為以外のものを代行していただくような方法、どこかできちんと決める、それができるということを今確定しておけば、実際、実施するのは、金先生おっしゃったように、まだ両陛下お元気ですから、3年先、5年先でもいいと思うんですが、そういうことが決まっておれば、皇太子さまや秋篠宮さまなどが、いずれ自分たちがそういうことを代行しなきゃいけないというご自覚の下に分担していかれることになると思うんですね。
力関係でいうと、宮内庁はね、総理官邸に対してもすごい蹴っ飛ばすんですよ。
意外とね、言えないんですよ。
そこはね、不思議な役所ですよ。
安倍さんがそうおっしゃってましたよね。
これは本当にね、結構いろいろ言いませんがね、あるんですよ。
あります。
ただ、その宮内庁の改革の問題は、一つあると思いますよ。
両陛下がどういうふうに思われてるかっていうことは、分からないものなんでしょうかね。
ありましたよ、陛下が昨年か一昨年かな、いろいろ議論されてるけど、このまま続けていきたいという趣旨のことをおおせでした。
私、なんかそんな気がするんですよね、実はね。
右から左にっていうのもなんなので、やはり少しはと思います。
そういうことですね。
もうこうなったら、宮内庁×××。
結論が出ましたので、宮内庁関係者の皆様、一度いらっしゃいませんか?
きょうはすごい大切なことを1つね、積み残してるんですよ。
一つね、ございましたね。
戦後70年の真実、DVD絶賛発売中!
…に言うことができなかったものですから、ここで。
私の本も平積みになっておりますんでよろしく。
そうです、そうです。
あれ?片づけちゃいました?あれ?あれ?
もう、いいです。
いいですか?
いいです、最後、ざこばさん、ひと言、きょう、なんかさぼり過ぎちゃいまっか?
いやぁ、そんなことないですよ。
もうそんな恐れ多くて、入っていけること自体が。
ただ、こうやってもめてるような所に、陛下がいてはるっていうのは、誠に気の毒のような気がする。
もっとなんで、こうスムーズな、そういう私利私欲でこっちに引っ張ってこうとか、そんなところへおいてあげんのは、気の毒で涙出てくるわ。
2015/12/20(日) 13:30〜15:00
読売テレビ1
そこまで言って委員会NP[字]

戦後70年シリーズ完結編「皇室とメディア」▽玉音放送から始まった“戦後”・・・メディアは天皇・皇室の何を伝え、何を伝えてこなかったのか?専門家とともに徹底検証!

詳細情報
出演者
【司会】
辛坊治郎
渡辺真理

金美齢
花田紀凱
桂ざこば
長谷川幸洋
末延吉正
中田宏
竹田恒泰
北川弘美

【ゲスト】
所功(モラロジー研究所教授)
伊藤之雄(京都大学大学院教授)
番組内容
戦後70年シリーズ完結編「メディアは皇室をどう伝えてきたのか?」
▽第1章「終戦、そして昭和天皇崩御」・・・“菊のタブー”はなぜ生まれた?
▽第2章「象徴天皇」・・・天皇は国家元首なのか?憲法第1条はこれでいいのか?
▽第3章「皇室報道のワイドショー化と皇位継承問題」・・・激論!竹田VS所教授
▽第4章「これからの皇室」・・・“開かれた皇室”と日本国民の未来は?
スタジオ観覧
隔週金曜日の収録に、100名の観覧者を募集中。希望の方は、住所・氏名・年齢・電話番号を明記、ハガキでご応募下さい。
〒530−8055
読売テレビ
「そこまで言って委員会NP」観覧係
番組ホームページ
http://www.ytv.co.jp/iinkai/

ジャンル :
バラエティ – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語ステレオ
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