旧虻田町(現洞爺湖町)でアイヌ民族の教育、社会的地位の向上に尽力した白井柳治郎(1882〜1966年)の日記が解読され、本文3641ページ、全5巻の文献資料と年譜にして発刊された。20歳から病没する83歳までの不明分を除く44年間の日記をひもとき、日々の思いや郷土の歩み、忘れられた事件などを明らかにしている。
白井はその功績から「アイヌの慈父」とたたえられ、北海道文化賞、虻田町名誉町民章などを受けている。
膨大な日記を解読し、文献資料にしたのは「白井日記をひもとく会」。町内の郷土史研究家、岡田光弘さん、小弾正昭男さん、鈴木正直さん、多田康之さんの4人が作業に当たり、着手から3年半で刊行。町と近隣の図書館、道立文書館、道立アイヌ民族文化研究センター付属図書館などに寄贈した。
「白井柳治郎日記」全5巻と「白井柳治郎年譜」で、白井が見た明治、大正、昭和の日々を克明に記録。38歳の日記には「二十年来一日もアイヌの為めを思わない日とてはなかったのであった 今後に於いて矢張そうでなくてはならない 私の一生を通して只管(ひたすら)にアイヌの幸福のみを祈るのが私の仕事であらねばならぬ」(原文のまま)と記している。
1937年(昭和12年)、浜町で6軒が焼失する火災があったが、日記には記録されていなかった。町史にも記載されていない火事だが、白井が毎日の出来事を書き忘れるはずがなく、ひもとく会が調べると、4月16日に新宿御苑の観桜会に招かれていることが分かり、「浜町の火災は白井が上京中の4月中旬に起きた」と認定。町の災害史に新たな火災記録を加えることになった。
代表の岡田さんは「昭和初期に生まれた町民は白井先生から直接教えを受け、その功績を理解しているが、知らない世代が多くなり、偉大な足跡を後世に伝えなければならないと思い、白井家の許可を得て44年分の日記をひもといた」と話している。
(伊藤教雄)
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