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あおさま、貴方さまの本名と貴方さまが、おっしゃった『創価の権力者さま』のお名前を教えてください!

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月23日(水)20時54分54秒
  無題)  投稿者:あお
あおさまが過日御投稿されました

『投稿日:2015年12月11日(金)16時33分22秒   通報 編集済
民間人は公人ではないし、権力者を責める勇気とは匿名で行うものではない思います。』

につきまして、お早めの御返事を首を長~くしてお待ちしております。貧愚下賤な末端会員の私はどうも御返事がないと至らない妄想ばかりが頭に浮かび、ついつい、この板に書き込んでしまいます。どうか、この板にこっそりと御投稿くださいまし。
 

本日も『日蓮世界宗創価学会』の先生の揮毫並びに名称の公表が聖教新聞紙上にありませんでした!

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月23日(水)20時39分19秒
  会則前文
『池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。』
とのSOKAネットに掲載されている文言について、未だ正式な発表がございません。あおさま、並びに『創価の権力者さま』方、また知り得るお立場の県長以上の大幹部の皆さま、貧愚下賤の末端現場会員は、理解不能で妄想ばかりが、浮かんでしまいあらぬ方向の創造をしてしまいます。何卒、年内の御披露目を宜しくお願い申し上げ奉りますですです。
 

(無題)

 投稿者:白髪の元k  投稿日:2015年12月23日(水)19時32分13秒
  ひかり様、温まられて光栄です。

獅子の子様、白髪のつたない体験にお付き合い下さり恐縮です。
獅子の子様、我が家にお越しになるお方は様々です。
組織でイジメに合われた婦人・組織から排除扱いの壮年・組織の在り方や、幹部の言動、振る舞い等にいや気がさした青年部などお出でになられます。
上は県幹部から一会員様と様々でございます。
お出でになる皆様と語り合う最後は異口同音として、
『仏と御書と三代会長』を信じ・学び・実践して行こう!となるのです。

獅子の子様はいつの日か『獅子の子から獅子へ』とホッシャクケンポン成されるのでしょうね。
だって、獅子の子が『羊』にはならないし、獅子の子は獅子に必ず成長すると白髪は信じます。

どうか、焦らず共々に精進して参りましょう。

獅子の子様に、心から感謝いたします。
歳を取りますと涙もろく成り、人情に飢えて参りました。
長文になりました、御許し下され。
                   白髪の元k
 

序でに言っておくとラカン協会会員です。

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月23日(水)19時00分46秒
編集済
  これだけ個人情報を入れてあげたのだから自分で調べてみてくださいね。  

残念ながら実名は明かせません

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月23日(水)18時58分40秒
  掲示板で実名を明かせないわよ。でもね、54歳で東京周辺でジャック ラカンを中心にしたフランス現代思想を大学で教えている女性でパリ第八大学の博士号と云えばあの人しかいません。特定してね。  

「友よ強く」 

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年12月23日(水)18時37分24秒
  「友よ強く」

池田先生が多感な青年期をすごした頃、山本五十六の言葉を軍事教練で耳にしていた。(教えら

れていた)山本五十六は牧口先生・戸田先生と同じ明治生まれである。言葉の内実性がきちっと

あった世代である。

山本五十六の名言集がビジネスマン向けの研修教材として戦後の復興に役立ってきたことは有名

な話である。

小中高の教員・医師・看護師等のリーダー研修会でもよく用いられている教材でもある。

なぜ紹介するのか、池田先生の著作の基盤に流れる「男気」「人生観」には山本五十六の述べた

名言に類似した考え方があるからである。当然、牧口先生・戸田先生等は明治生まれなので山本

五十六と同様な思想形成があったことは言うまでもない。軍国主義的な思想を言うのではない、

人間としての生き方・ヒユーマニズム思想の形成のことである。

明治生まれのリーダーが身に付けていたヒューマニズムと人材育成の感覚として読んでほしい。

読むことにより小説「人間革命」の世界が「男の生き方の浪漫物語」としても読めるハズであ

る。(女性軽視ではないので)

池田先生と1歳違いの城山三郎はちなみに1980年に「男子の本懐」を発表している。彼の一連の著

作にも同様なヒューマニズムが流れている。

You Tube ビジネスに効く!山本五十六名言集7

https://www.youtube.com/watch?v=leM3ugTBmbM

★人材育成 ※現代人には通じない状況があるが・・・

やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

★人材育成 ※いつの世も同じであるが、残念ながら人間の腐敗・堕落が進んでいるが・・・

「いまの若い者は」などと、口はばたきことを申すまじ

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。

なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、

道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。

だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。

何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。

【男の修行とあるが、女の修行としても読むことができる。】

学会歌「友よ強く」の作品に通じる内容であることがわかる。

  ★ 男の修行  ※誰でも体験している「思い」でもある。

苦しいこともあるだろう

言いたいこともあるだろう

不満なこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう

泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが

男の修行である

★友よ強く You Tube

https://www.youtube.com/watch?v=ktgfbvnGW8U

友よ強く雄々しく立てよ

僕が信ずる君が心を

苦しき仕事 深夜の勉強

これも修行ぞ 苦は楽し

君が信念 情熱を

仏は じっとみているぞ


友よ負けるな希望を高く

僕が信ずる君が心を

努力 努力 また努力

あの日の誓い忘れるな

君の意気と若さとで

断じて進め あくまでも


友よ忘るな微笑を

僕が信ずる君が心を

清らかに 夢みつつ 進みゆく

君が心の美しさ

ああ わが友よ強く

君が友よ

『新・人間革命』16巻「入魂」の章106ページにいきさつが書かれている。
 

ラカニエンヌ 様

 投稿者:寛永通宝  投稿日:2015年12月23日(水)18時32分45秒
  あなたの著書を御紹介頂ければ購入します。  

キリスト教者との対話は、宮田教授から

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月23日(水)18時29分20秒
  南山大学と創価大学との共同研究論文が、過年度に出版されていました。どなたか、読まれた方、御投稿をお願いします。  

Re.佐藤優氏の問題発言

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月23日(水)18時19分40秒
編集済
  一神教信仰のキリスト教者(しかも布教師)なのですから、当たり前です。池田本仏論の先に、次の本仏に成りたがっているエル・カンターレが佐藤優氏を上手く使っているのではないですか?
あの勝負パンツを糞で汚して黄金色に染めて、婦女を見かけたら、すぐパンツを下ろすお方です。いやはや、キモいケダモノ!
 

佐藤優氏の問題発言

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月23日(水)17時59分13秒
  は雑誌第三文明の2015年11月、12月、2016年1月号の松岡教授との対談に明らか。松岡氏も威勢が良い割には論旨を緻密に組み立てていないわよ。私は松岡氏とほぼ同世代ですけど、研究者として論じれば彼は青いわねぇ、まだまだ。  

見ると気づきがあります

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年12月23日(水)17時38分19秒
編集済
  映像の世紀、旧いバージョンですがよければどうぞ。

******************
【学ぼう「真実の見方」 投稿者:アルベア】

1-人類の愚考である「相対的現象」を学ぼう。

You Tube「映像の世紀」を見よう。

https://www.youtube.com/watch?v=Moc5yE56XYs&list=PLD2FADC2600B12809

以下略(あれこれよりも、まずはこれだけでも)
 

青葉様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2015年12月23日(水)16時14分35秒
編集済
  ご返事、大変にありがとうございます。

恐縮です。


青葉様の言われるように、内部に入った天魔を打ち倒す、祈りと行動で、必ずや、自分が仇を討つ

との思いで、自身の臆病(無明・天魔)を題目で、打ち破り、戦います。


自分は、御本尊と池田先生に出会い、戦う事にこそ、本当の歓び(歓喜)と感謝の気持ちを感じます。

師弟とは、師匠の思いを、我思いとして、戦う以外にないと思います。


青葉様、各皆様、いつも、現場の戦いの体験を書き込んで戴きありがとうございます。

大変に、勉強になります。


やはり、何の戦いも、机上では、なく、現場にありますね。

自分も現場第一で、頭ではなく、足を使い、声を武器に題目を唱え抜き、庶民の中で戦い抜きます。
 

佐藤優氏は...

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月23日(水)15時17分51秒
  池田先生が悟りを開いている、とかイエス キリストだとか、池田本仏論真っ青なことを発言しています。チョットとんでも論風ですね。こんな人の論説を盲信してはいけません。  

アミロイドβがかなり前から蓄積されている?

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月23日(水)14時30分32秒
  かなり前から、創価の権力者さまも、公明党も佐藤優もアミロイドβが脳内に蓄積されているのではないですか?
庶民感覚無し、カップ麺が1,500円位するはずなんてアソウ財務大臣みたいに、金銭ジャブジャブの生活をしている。消費税が5%だろうが、8%だろうがゴミみたいな感覚なんでしょう。早く欧米並に15%とか20%にして安定財源を確保したいのが本音です。認知減衰の公明党は政権官僚には有り難い存在です。
あおさまを含む創価の権力者さま方も、常に先生の求心力のみを利用して、弟子としての主張も発言もない。現今の聖教新聞を毎日読んでいて、『おまえら、何言いたいの?協議会とか会議がやたら多いけど、平等に協議しているわけでも、会議しているわけでもなく、一方的に伝達・報告しているだけでしょ、沈黙は金目と保身ね。』と言った痴呆老害認知です。
これじゃ、ホテルで客死するか、未来は若年性認知症で社会からも学会会員からも見捨てられる存在になります。銭で人を釣っていられるのも、そのポジションに居座っているからで、金があって健康だからです。でも、それの一角が一つでも崩れ始めたらどうですか、今、その立ち位置も、崩壊しつつある事が分かりませんか。
 

佐藤優氏への批判

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月23日(水)13時35分28秒
  はネットで検索してみると山とヒットします。かなり正鵠を射ている批判もあります。松岡氏の日蓮学者としての限界は氏の論説を大谷栄一氏の近代日蓮論と比較すると明らかになります。両者の対談は所詮プロパガンダ本に過ぎません。  

ひかり 様

 投稿者:寛永通宝  投稿日:2015年12月23日(水)13時09分31秒
  佐藤優&松岡幹夫共著「創価学会を語る」を購入。(第三文明社刊、1,000円+税)
佐藤氏は国家権力による512日間の拘留。松岡氏は宗門による監視、尾行、面前罵倒、いやがらせ電話等々450日に及ぶ。そして今、自分の信ずる道を歩む二人の対談。それなりの参考になりました。
 

信濃町の人びと様

 投稿者:多様性万歳  投稿日:2015年12月23日(水)13時06分53秒
  私の拙い投稿「心懐恋慕」について、コメントありがとうございます。
「心懐恋慕」の先にあるものは、信濃町の人びと様が言われるように
「永遠の仏を自分の中に観じること」なのだと思います。

私たちは、日々、御本尊に向かって勤行・唱題をする中で、
その「永遠の仏」を自分の中に観じているのではないでしょうか。
だからこそ、祈るたびに、歓喜を感じるのだと思います。

問題は、その歓喜を、つまり自分が到達した境涯を、
究極の境地と絶対化し、固定的に捉えてしまうことです。
固定的に捉えてしまう時点で、それは「天界の無色界」なのですが、
(「天界の無色界」についてはhttp://sgi-shiteifuni.com/?p=8016を参照)
なかなかそれに気がつくことは難しい。
その境地は『開目抄』に、
「上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども
非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし」(御書 p187)
とある通り、いずれ「三悪道」に堕ちてしまうのが必定なのです。

では、どうすれば、そこにとどまらずに、さらに向上していけるか。
そこで重要なのが、「永遠の法」を体現した師匠への「心懐恋慕」なのだと思うのです。

仏法は「無上道」であるがゆえに、到達点がないため、
(到達点があると思えば、そこは「天界の有頂天」でしょう)
無限の向上の軌道、つまり「仏界の軌道」に入っていくことが正しい方向ではないでしょうか。
その軌道に正しく導いてくれる存在こそが、「永遠の法」を体現した師匠の存在だと思います。

日々、御本尊に勤行・唱題をする中で、歓喜を感じる。
それは、間違いなく「永遠の仏」を自分の中に観じているからである。
しかし、それを絶対化せず、さらに無限の向上への軌道に入っていくためには、
「永遠の法」を体現した日蓮大聖人、創価三代の師匠に対する「心懐恋慕」によって、
「天界」と「二乗」の殻を打ち破っていくしかないと思います。
 

白髪の元k様 同志の皆様

 投稿者:獅子の子  投稿日:2015年12月23日(水)12時32分54秒
  こんにちは。初めましてm(__)m
今回初投稿させて頂きます獅子の子と申します。
白髪の元k様
すごい体験のお話ありがとうございました!感動 感涙で鼓動が高鳴っている状態です!
本当に素晴らしいとしか言いようがなくうまく言葉で言い表せないのが歯痒いです(>_<)
私もこの掲示板に出逢えたきっかけが安保の件で 絶対先生の平和思想と違うと強く思いました。原田会長のだんまりに腹も立ちましたし呆れました。マスコミ等には学会広報部からのコメントがありましたが内部に向けてでは無かったですし内容はご都合主義も甚だしいと言うような内容で学会事態がおかしな事になっていると直感的に思いました。それ以前から公明党のしている事に納得出来ない事(学会内部に対しても)がここ数年増えて来ていましたので今回の件で色々と情報収集して行く中私の旦那がこちらの掲示板を見つけ教えてもらいました!
皆様のお話そして白髪の元k様の体験を聞いて同志の皆が居てるんだ!と再確認でき勇気づけられています!
私は今現在未活ですので板の皆様のお話を聞けるだけでも有難いと思っていました。でも白髪の元k様のお話が背中を押してくれました!私自身任用止まりで教学が足りない中ではありますが少しずつ勉強して行こうと決意しています!白髪の元k様同志の皆様ありがとうございます!
 

低減税率はまやかしだ!

 投稿者:lupin iii  投稿日:2015年12月23日(水)12時28分38秒
  毎夜毎晩、夜遅くに、スーパーの半額を狙うお年寄り、中年、そしてわかものが、以前に増して多いぜえ。こんな日本に誰がした?ますます庶民置き去りの政治だぜ。

おいらの記憶じゃあ、低減税率はもともと5%じゃなっかたのかーい?公明はまやかしだな、こりゃ。


おっと、ふじ子ちゃんがおいらをよんでるぜ~。またな。あばよ~
 

立正安国論の指導原理について20/30

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年12月23日(水)12時09分37秒
  投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)08時55分15秒

以上、三つを見てきましたが、主人はこの経文をあげた後、
「文に就いて世を見るに、誠に以て然なり。悪侶を誡めずんば、豈善事を成さんや」(同頁)と訴えています。つまり、この文証によって、今の学会組織の様相を見たら、まことに経文どおりではないか。このような腐敗だらくした幹部を戒めなければ、どうして学会を護ることができようか、どうして先生の思想を護ることができようか、と訴えているのです。

この経文は、現代の宗教界の実態を浮き彫りにしているものです。
その中でもっとも悪質なのは、宗教家を装う宗教事業家、つまり宗教屋です。
特に日顕宗をはじめとして、日本全国の寺々は、布施をもらうための寺であり、宗教屋は、ただ偉そうに飾り立てて金を集めるのが目的です。「善事を成さん」という善事とは、一般大衆を真実の幸福へ導くということです。学会に、もしこんな悪い幹部が出たら、会員のために、その幹部を追放するのが「善事を成さん」ということなのです。

立正安国論について語りたいことは、まだまだ山ほどあります。
日本が世界が、今だかつてない自然災害の脅威にさらされ、民衆が苦悩している今だからこそ、心ある会員がこの書を研鑽し、一人一人が主体者となって実践していく時ではないのかと思います。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=480
 

不正選挙あり?怖いニッポン

 投稿者:八風  投稿日:2015年12月23日(水)10時43分43秒
  不正選挙がまかり通る国家って、ならば権力者に出来ないことはないよな。
コンペイトウも片棒担いでいるのか?その発現元が悪の4人組が居座る信濃町なら恐れ入る!
これなら憲法改正は簡単にでき、それはもうすぐやってくる。

https://youtu.be/YHGiqRpYgrU
 

教学部レポートにある先生の心

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年12月23日(水)09時40分45秒
編集済
  信濃町の人びと様、先日は御同意頂きまして誠にありがとうございました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35607

教学部レポートには先生の心があります。

「学会が損をしたり、学会員が苦しんだりしないように」
「今までやってきたことが間違っているとならないように」

先生の言葉の奥にいらっしゃる、現場会員の顔が見えてくるようです。

創価学会は、先生と共に戦い続けてきた現場会員のお陰で今があります。
創価学会は、名もなき民衆が先生と共に築き上げた民衆の城です。

その方々は、弘安二年の御本尊と、日寛教学による先生の指導で、幸福を掴んだのは言うまでもありません。
先生はご健在であり、先生と同じ時代を生き抜いて来た方々も、広布の最前線でご活躍されています。

それなのに四人組のとった行動は、その方々の、先生との歴史を否定したようなもの。
当時の指導を抱きしめ、生き抜かれてきた功労者に、ある日突然「その指導は世界広布新時代にふさわしくないから使わないように。」と言えるのでしょうか?

無慈悲!!(怒)
そこには先生への恩と、現場会員への恩を踏みにじる、天魔に染まった四人組の姿があります!

多くの心ある学会員に、教学部レポートから先生のお心と、先生の宝である現場会員の姿を、深く感じて頂きたい。

「一人ももれなく幸福にする」 今の創価学会に、一番必要な祈りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*教学部レポート希望はこちら
【日本語版希望はこちらを確認】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/14020

【英語版希望はこちらを確認】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/32706
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【英訳について】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35192


 

再掲します

 投稿者:備忘録者  投稿日:2015年12月23日(水)08時49分9秒
  【【日蓮大聖人の精神】池田先生指導  投稿者:河内平野 】
投稿日:2014年11月 9日(日)15時51分40秒

チャップリンが、自分の子どもに語った言葉がある。
「もし、いいと思ったら、どうやろうかなどとけっして心配するな、ねえ、チャールス(子息の名)、つまり直感だよ」

あれこれ考え、迷っている間に、思いきってやってみることだ。
まず行動だよ。そうすれば知恵は、いくらでもわいてんるものさ、と。

決して《無謀》を勧めているわけではない。
何事も、緻密な作戦、計画が必要なことはいうまでもない。
そのうえで、やるべきことが決まったら、あとは、躊躇せず、ともかく動いてみることだ。
知恵はあとからついてくる――これも一つの重要な真理である。

戸田先生も、同様のことを、よく教えられていた。
この「まず動いてみろ」も、《人生と奮闘し続けた母》の背中から、チャップリンが学んだことだったかもしれない。

さて、チャップリンの話ばかりだと、ほかに知らないように思われてしまう。

ここで根本である御書を拝したい。
仏法の眼で見れば、自分より上位の者に責められる、迫害されることが「法華経の行者」の証明である。

日蓮大聖人はこう仰せである。
「上のせめさせ給うにこそ法華経を信じたる色もあらわれ候へ、月はかけてみち・しをはひてみつる事疑なし此れも罰あり必ず徳あるべし・なにしにか・なげかん」(御書九五〇頁)

――権力者である「上」が(大聖人を)責められるからこそ、
(大聖人が)法華経を信じていること(法華経の行者であること)がはっきりと目に見えてわかるのである。
月は欠けては満ち、潮は引いては満ちることは疑いない。
今、私(大聖人)も竜の口の法難・佐渡流罪という罰(不利益)をこうむった。
ゆえに今度は必ず徳(利益)があるでしょう。何を嘆くことがありましょうか――。

文永八年(一二七一年)九月十四日、佐渡に御流罪になられる直前、大聖人は、相模(現在の神奈川県)の依智におられた。

そこから在家の門下・富木常忍を励まされたお手紙である。
いうまでもなく、御文の「上」とは、直接的には当時の幕府権力をさしている。
そのうえで、もともと、この言葉は、広い意味での「高位の人」「権力者」を意味する。

今でも「お上」といえば、周囲に有無を言わせぬ権力の姿をさす。
「上」、すなわち、地位においても、権威・権力においても、
自分より上位の存在に迫害されることによって、法華経を正しく行じている一つの証明となるのである。

事実、大聖人の御生涯は、幕府から、また良観など大きな権威をもった僧からの迫害の連続であられた。
当時、大聖人には、社会的には何の特別な権威も、また地位もなかった。

自分より「下」の者にいろいろと批判されるのは、「法華経の行者」の証明とはならない。
「上」の人から弾圧されて、初めて本物なのである。

私どもは、このことの重大な意義を、深く拝してまいりたい。
また、大聖人は、月が欠ければ次は必ず満ちるように、潮が引けば次は必ず満ちるように、
この大悪の後には、必ず大善、大利益がありますよ、と。

御自身が大難のさなかにあられるにもかかわらず、むしろ門下を激励しておられる。
「なにしにか・なげかん」――何を嘆く必要があろうか、むしろ喜んでいるのだ、と。

このお言葉に、門下はどれほど安心したことであろうか。
苦しいときほど、民衆に「希望」を与える。「確信」を与える。

その広大な大慈悲こそ、大聖人の本来の御精神である。

【第一回中国総会 平成三年三月九日(全集七十六巻)】
 

わが友に贈る

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2015年12月23日(水)08時07分56秒
  年末年始は
友情を広げるチャンス!
胸襟を開いて
縁する全ての友と
大いに語り合おう!
 

白髪の元k様、

 投稿者:ひかり  投稿日:2015年12月23日(水)07時51分53秒
  心温まりました。
ありがとうございます!
 

つたない体験ですが!

 投稿者:白髪の元k  投稿日:2015年12月23日(水)07時44分6秒
  先日、心が暖まる体験を致しました。
と、言いますのも、私が折伏しました友人が遠く離れた地に居るのですが、その友人が座談会で『安保は間違ってる』と言ったら、その後支部長・本部長や区幹部が立て続けに家庭訪問に来られた事を聞きました。
[一人では辛かろう・せめて私でも側に居れれば・誰か頼れるお方は居ないものか]と思い悩んでいた時に広宣部で共に闘った同志から電話が御座いました。同志にその事を相談すると、『俺、凄い人を知ってるよ!その人は俺らと同じ元広宣部で、金太郎アメの様にどこ切っても、先生・先生なんだ。更に凄いのが御書なんです』と語ってくれ、何とか『その方と友人を繋げる事が出来ないか?』と同志に頼んで見ると、彼方此方と連絡してくれ、更にその方に事の内容まで伝わっており、その方は『そう言う事でしたら、早速、会いに行って激励して来ますから友人の住所を教えてください』と、なんとその翌日に訪問してくださいました。その方と友人の住む街は決して近くでは御座いません、県を越える距離にもかかわらず、悩める友人の為に…。
友人から喜びの電話があり、私もその方に御礼の電話をすると、その方が『白髪さん、来週、そちらの港街に遊びに来ますから』と言われました。
友人への激励だけでも感謝にたえないのに、更にこんな田舎の港街にまで来て下さるなんて…。
その方はお二人で10時間かけて、なんとマイカーで来られました。
涙ものです。お二人とガッチリ握手した時の手の温もりは決して忘れません。
その方は『友人の事は安心してください。一緒に勉強して行きますから、白髪さん、ともどもに闘いましょう。暖かな創価家族を取り戻しましょう。師弟の精神溢れる学会を再建するには、真の池田門下を一人、また一人と育てていくことではないでしょうか』と!
悩める人がいると聞けば、時間や距離なんぞ関係無くその人のところへ跳んで行ったものだ。夜中であろうが関係無く。
つたない体験で御座いました。
今、創価に欠けている一部分ではなかろうか?
長文を御許し下され。
                          白髪の元k
 

祈り・御本尊

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年12月23日(水)04時34分25秒
  祈り・御本尊

※教学的な論理・本尊論はここでは触れない。

創価の人々が「御本尊に祈る」、「対象に向かい祈る」という現象は古今東西の宗教という枠組

みで見られる現象である。

異なるのは唱える「マントラ」と「対象」である。こうした現象は人類が相対的現象・現実の中

で一応は「純粋な思いの」働き作用ということも言える。

「功徳がある」「救われる」「生命力が湧く」等は、宗教の形態学から見ると同様の形態・教義

が展開されている。

さて、なぜ「祈る」「祈り」があるのか、そして、なぜ、祈りの「対象」があるのか、わかる?

もう既に「あるから」、「気がついたらあった」から等は、思い込み・信じ込みの世界である。

条件づけの行動パターンであり、動物的レベルの世界である。ちなみに「思い込み」「信じ込

み」は必ず崩れること知っている?だから「退転」という言葉があるのだ。「この人は」と思う

人が退転する、理由は様々である。共通しているのは「思い込み」「信じ込み」の人だというこ

とだ。御書に説かれる「火の信心」の人だ。なかなか「水の流れるような」方はいない。「ゴミだ

らけで悪臭を放つ人」もここ20年で目立つ、このような見方は、彼らから見ると「他者」の「眼差

し」である。当人はまったくわからない。こうしたことも相対的現象・現実なのだ。

「祈り」とは何か、一般的には「求める側の一方的な願望の姿」なのである。神社仏閣への初詣

ではよく見られる現象である。束の間の「祈り」の姿である。キリスト教・イスラム教・ヒン

ドゥー教・仏教等には、日々の「祈り」がある。

以前「宗教の誕生」について述べたが、「祈り」という現象は人間に内在する自然の働き作用で

あることを伝えた。わかりやすく「植物の光合成」と同じ生命の働き作用であるということを示

した。

人類の文明の初期から「太陽崇拝」という現象は世界中に見られている。古代エジプト文明・マ

ヤ文明等、日本では縄文時代には祈りの対象として太陽があった。また神道にも見られる現象で

ある。まして日蓮大聖人は「太陽」を「本」となされ、人々の救済方法を展開されている。民

族・宗教等の異なりはあるが、共通して見られる現象は「太陽」である。まさに人間の持つ内面

に「光合成」という働き作用があることを示すものである。

人は気づかぬが「太陽」の働き作用を内在しているということだ。スピリチャル系では「内在

神」「内在する太陽」等と表現している。仏教では「仏界」と言っている。

「太陽」という象徴化された現象・作用に「救済」を求めているのである。「光合成」も太陽の

光に向かって起きている光の化学反応である。「光」は「救済」をもたらせているのだ。

「自灯明」ということは「光」をもたらす存在としての働き作用をする人を意味する。このこと

も光合成の現れを象徴していると言える。「仏法は道理」ということだ。

光の存在を象徴化した「モノ」がそれぞれの「本尊」と言われる「対象」なのである。

「功徳」「救済」とは思考・概念ではない、まして「祈り」「本尊」は、期待・依存ではない、

多くの宗教は期待・依存という自己満足をもたらせているだけである。自然の働き作用にもとず

く「祈り」「本尊」に向かっているとは言えないのである。

例えば創価も同様な状況にある「自我で祈る」と思考・概念となり、期待・依存を増す。依存症

となる。「自己で祈る」ことが自然の働き作用となるのだ。「自我の祈り」は疲れる。生命力は

湧いてこない。「自己の祈り」は生命力が湧いてくる。

自分自身が、「何を、どう祈っているのか、」思考・概念では意味がない。同じ祈りでも「祈

る」側の自己機能の働き作用を用いるならば違いが「わかる」、「生命に染みわたらせる」とは

「体感」しながらの「祈り」なのだ。そしてそれは自然な働き作用なのだ。

肩肘張って、思いを込めて、3時間・5時間やっても自我である限り無駄なのだ。不自然な祈りだ

からだ。現実の多くは自我の祈りがほとんどだ。

教えてくれる善き先輩・リーダーがいない、欠落した創価集団があるからだ。ちなみに御本尊に

向かい唱題している時に、自己観察してみると自分自身の「祈りっている世界」がわかる。

誰でもできることだ。そして、その内容、思い浮かんでくることのほとんどが思考・概念であ

る。

池田先生は「雑念だって一念三千の生命の働き以外のものではない。ゆえにそういう雑念でさえ

も題目によって功徳に変わるのです。・・・ありのままの姿で題目を真剣に唱えていくことだ」

(「法華経の智慧」文庫本123ページ)と述べられている。

つまり「祈り」の働き作用として「題目により、功徳になる」という反転が常に起きていること

を示されている。「真剣に唱えていくことだ」とあるように「真剣さ」は「自己機能」なのだ。

自己観察すると「ああーなるほどな」と体感するハズである。歓喜・喜びが湧いてくるハズである。

50歳以上の壮年・婦人は年老いた親の介護が現実的になってきている。身近にある高齢者問題である。

自分の加齢ともに身体状況の変化を感じ、いろいろと不具合が出てきている。今まで、何ともな

いことが、上手く機能しなくなっている。そこでやっと「自己」に出会うのが現代人である。健

康長寿と言う言葉の意味を思い知るのだ。

全ては「祈り」の異なりなのだ。御本尊という対象は同じなはずなのに・・・「叶ひ叶はぬは御

信心によるべき候、全く日蓮がとがにあらず」1262ページなのだ。「御本尊」という「太陽」で

はなく「モノ」としての対象化された「御本尊」に向かっている現象がある。世俗化が自身の中

でも進行している。世俗化とは個人の「信心の腐敗・堕落現象」である。集票マシン・集金マシ

ンと呼ばれるのも、呼ぶ方も、清浄な創価ではない。もはや「創価の清浄さ」は個人レベルで問

われる時代なのだ。他人事(ひとごと)でいる限り、いざという時、逃げる、裏切る、それが世

俗化現象なのだ。

個人において最も問題となるのは自分自身が腐敗・堕落していることに気づけないという現実

だ。罰が当たっていても気づけない、それでいて罰におびえている。後ろめたさがある信心、思

い込み・信じ込みの相対的現象・現実の世界だからである。愚考者には「祈り」の汚れがある。

賢明な者には「祈り」の清浄・感動・喜びがある。

それは自分自身が日々「体感」している世界である。同じ創価にいても、生きている世界が異な

るということだ。   千差万別~
 

信濃町様

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2015年12月23日(水)01時16分58秒
編集済
  新人間革命の記載ありがとうございます

新人間革命に記載されていたんですねー
全く記憶になかったです

ありがとうございます!

やっぱり皆さん、凄い!

何を質問しても直ぐに的確な解答をくださる

何を質問しても曖昧な回答しか返ってこないどこかの組織とは大違い

本当にこの板には強者がいっぱいいます

ありがとうございます!

しっかり祈り、思索させて頂きます
 

ご参考までに(新・人間革命2巻 練磨の章より)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年12月23日(水)01時08分43秒
編集済
  ジョーカー様説明済みですが。ご参考までに。

錬磨 七

 七月三十日の関東地方は曇り空であったが、時折、顔を覗かせる太陽が、まばゆい光を投げ掛けていた。
 男子部「水滸会」の野外研修参加者は、午後一時に学会本部に集合した。
 「水滸会」は、一九五二年(昭和二十七年)十二月に、戸田城聖によって結成された、広宣流布の中核を担う男子部の人材育成グループであった。
 当初、第一期生として代表三十八人が選ばれ、毎月二回、『水滸伝』を教材にして、戸田が直接、育成に当たってきた。戸田は彼らに、広布のいっさいを託そうとしていたのである。
 しかし、その翌年の六月に、突如、訓練は打ち切られた。求道心を失ったメンバーの姿に、戸田が激怒したのである。
 山本伸一も「水滸会」の一員であった。彼はメンバーが師の心を知らず、「水滸会」の目的を見失い、惰性化してしまったことを猛省した。
 伸一は悩み考えた末に、「水滸会」が広宣流布に生涯を捧げることをうたった宣誓文を起草して戸田に詫び、新発足の許しを得た。
 そして、男子部約三千人のなかから、新たに四十三人を人選し、七月二十一日に戸田の前で、全員がこの宣誓文に署名した。ここに新生「水滸会」がスタートしたのである。
 そのメンバーを第一期として、以来、第四期を数えるに至っていた。
 その間に、野外研修も四回行われてきた。
 第一回の野外研修は、五四年(同二十九年)九月、戸田を囲んで東京・氷川のキャンプ場で開催された。
 そして、翌年六月には、山梨県の河口湖・山中湖で第二回が行われた。これが戸田の「水滸会」の最後の野外研修となった。
 戸田の逝去後は、伸一の提案で、五八年(同三十三年)七月に再び河口湖で、翌年七月に再度、氷川の地で野外研修を開催してきた。恩師との誓いを新たにし、「水滸会」の使命を果たしゆくためであった。
 「水滸会」での戸田の指導は、伸一の胸に鮮烈に刻まれていた。なかでも、氷川での第一回の野外研修のことは、決して忘れることができなかった。
 あの時、戸田は深い思いを込めるように、じっとキャンプファイアーを見つめながら語った。
 「不思議なことを言うようだが、今夜は、はっきりと言っておこう。今日から十年目に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。私はそのとき、諸君に頼むことがある」
 青年たちの瞳が一段と輝いた。


錬磨 八

 戸田城聖は、一言一言、噛み締めるような語調で話を続けた。
 皆、厳粛な思いで耳をそばだて、視線を注いだ。
 戸田は、広宣流布が進むにつれて、やがて、必ず三類の強敵が競い起こってくるであろうと述べた。
 そして、いかなる試練が待ち受けていようとも、日本の繁栄も、世界の恒久平和の実現も、帰するところは、仏法による以外にないと宣言して、こう結んだ。
 「私は諸君を心から信頼している。広布の黎明のときに、もう一度、ここに集まってもらいたいのだ。そのときまで、今ここにいる諸君は絶対に退転してはなりませんぞ。いいか!」
 この時の戸田の言葉の通り、三年後、学会は大きな嵐にさらされた。夕張炭労事件、そして、山本伸一が不当逮捕された、あの大阪事件である。
 しかし、恩師は、十年後の集いを待たず、一九五八年(昭和三十三年)四月二日、世を去った。
 戸田が十年後のその時、「水滸会」の弟子たちに何を頼もうとしたのか、伸一には明確であった。
 十年後といえば、奇しくも戸田の七回忌の年にあたる。もし、存命ならば、伸一への遺言にも明らかなように、この時までに、恩師は自らの手で、三百万世帯を達成していたことは間違いない。
 すると戸田は、三百万世帯という広布の確固不動な基盤をつくり上げて、その上に、政治、経済、教育など、あらゆる文化の華を咲かせゆく、日本の広宣流布のいっさいの総仕上げを、伸一をはじめとする「水滸会」の青年たちに託したかったにちがいない。
 今、学会は、その十年後にあたる戸田の七回忌を目指して、伸一を中心に、三百万世帯の達成を掲げてスタートを切った。
 伸一はそう考えると、このたびの野外研修は、「水滸会」の青年が、自分とともに、戸田の分身として立ち上がる、不二の旅立ちの集いとしなければならないと思った。
 恩師がその姿を見たならば、心から喜び、安心してもらえる、広宣の丈夫の雄飛の舞台にしようと、伸一は誓った。
 研修の場所も、彼自ら考えに考えた。そして、太平洋の旭日を仰ぐ、千葉県・犬吠埼としたのである。
 そこには、伸一がこの年の秋に、世界平和への第一歩を印す、アメリカにつながる海がある。広宣流布の大海へ船出する、気宇広大な丈夫の集いにふさわしい景勝の地といえた。
 

ジョーカー様

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2015年12月23日(水)01時08分41秒
  お忙しい中、早速ありがとうございます

記憶を元にした不正確な質問に、こんなに正確で精査した回答を頂きありがとうございます

先ずあまりに、ジョーカーさんの回答が凄いので、お礼と感動を投稿させて頂きました

明日、お題目上げて思索し、再度投稿させて頂きます

長年、不思議に思っていたことが、こんなに早く解答頂けるとは!

驚き!
感謝です

ありがとうございます!
 

永遠の希望様

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2015年12月23日(水)00時37分36秒
  >戸田先生は20年後何を頼もうとされたのか?
日記では池田先生は、不思議なことと記載されていましたが<

この問いの答えは、随筆人間革命の「師弟の誓いの天地・氷川」(2003年7月23日 『随筆 春風の城』収録)に詳しく書かれています。そちらを参照していただければ謎はすべて解けますが、探すのも面倒な人もいると思いますので、私が説明(軽く)したいと思います。

まず、正確には20年後ではなく10年後です。
戸田先生「不思議なことを言うようだが、今夜は、はっきりと言っておこう。今日から十年後に、みんなそろって、また、ここへ集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある」

今日からの起算日は、昭和29年9月5日(水滸会の野外訓練の日)より10年後ということです。よって昭和39年9月5日に、戸田先生は何かを頼もうとされています。このことについて、池田先生が見逃すはずがなく、随筆でこのように記されています。

「三百万世帯を遥かに超えて迎えた「十年後」のその年(昭和三十九年)、既に恩師は世になく、奇しくも七回忌にあたっていた。  同年七月、私は、恩師との誓いを確認しながら、氷川に集った水滸会員に言った。
 『君たちよ、広宣流布という大目標に向かっての人生であってくれたまえ。この世に生を受けた汝自身の使命を新たに自覚されたい。  勇気! 勇気の生命を脈動させ、私と共に、広布のため、創価のために、大激戦を勝ち抜いてもらいたい!』
 私は、この年、牧口、戸田の両先生の悲願であった新たなる教育改革のために、満を持して、創価大学の設立構想を世に問うた。 私は、政治の改革を求める衆望に応えて、公明党を結成した。 」

池田先生は、戸田先生が10年後に頼もうとされたことは、「教育改革」と「政治改革」であると考えられ、具体的に形にされました。随筆で言われていることは、とにかく宗教のための宗教ではなく、社会変革の宗教であり、一度それを実行するならば、三類の強敵が競い起こることは必定。社会に一歩踏み込む戦いを、戸田先生は託そうとされたものと推察されます。

「戸田先生は、あの氷川での一夜、我が子であり、弟子である我々に、厳粛に遺言のごとく叫ばれた。
 『私の真の弟子であるならば、広布のために、創価のために、最後の最後まで戦い続けよ!』
 『三類の強敵の嵐は、いよいよ激しく襲いかかってくるであろう。しかし、断じて負けるな。断じて勝つのだ!』
 今また、私の胸に沸騰する願いも同じである。 」(随筆より)

今、我々が拝するならば、「三類の強敵を呼び起こす戦いをせよ」ということではないでしょうか。出来上がった組織で安逸を貪るのではなく、真の意味での社会変革の戦いを起こしていくこと。いかなる時代においても「獅子」であれとの叫びに聞こえます。戦っているのではなく、踊っているだけの弟子にはなりたくないものです。そして、師の意図を正確に把握し、現実に形にしていった、池田先生のすごさがここにあります。
 

感性様、

 投稿者:ひかり  投稿日:2015年12月22日(火)23時29分33秒
  昨年、執行会議で、佐藤優氏の本を片手に、県の最高幹部が推薦していました。
誰かに推薦を指示されたのだろうと思いました。
 

若き日の日記

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2015年12月22日(火)23時27分12秒
  確認したいことがあり、先生の若き日の日記を読みました

先生は凄いですね

会長でもない、理事長でもない
先輩幹部も沢山いる中、威張っている幹部、無慈悲な幹部を嘆き、祈り抜かれています

ジョーカーさんが師弟の宝冠を投稿してくださいましたが、悪い幹部を叩き出せ等
先生御自身が若き日に既に実践されてきたことであることに驚きました

特に戸田先生亡き後、戸田先生の御指導を忘れさり私利私欲の幹部達

今読むと正に今の状況の中で戦う弟子の為の指南書です

今の為に出版して下さったようにさえ思えます

ここで、質問させていただきます
質問する為に正確な話をと思って読みました

しかし、記載されている箇所がみつかりませんでした
記憶を元に書きます

戸田先生の晩年
水滸会で野外訓練があります

燃え盛るキャンプファイヤーの中
戸田先生が
20年後諸君達にもう一度集まって欲しい
その時、諸君達に頼みたいことがあると

池田先生は不思議なことを言われたと日記に記載されていました

戸田先生は20年後何を頼もうとされたのか?
日記では池田先生は、不思議なことと記載されていましたが

おそらく、その後
これだ!と思われたことがあると思います

推測に過ぎないですが

想像するしかないことを考えても、何の意味もないと思われるでしょうが

私は師弟と言うのはある種、集合と離散を繰り返すことが大事だと思っています

その意味で20年後というのは、集合です

池田先生が正木さんに言われた発迹顕本も集合のように思っています

もう一度、それぞれが悪い幹部から首を切られる位頑張って先生の元に集う3.16だったのではないか?

と思っているのですが

ジョーカーさん、大仏さん、また、皆さんはどう思われますか?

教えていただけますか?
 

面妖な顔合わせに

 投稿者:感性  投稿日:2015年12月22日(火)22時56分42秒
  >佐藤優氏   投稿者:ひかり   投稿日:2015年12月22日(火)22時29分49秒

外務省職員時代、鈴木宗男の虎の威を借る狐だったのは有名な話。

で、今は商業的には三色の威を借りておられるのですかい?貸すほうも貸すほうですね。
所詮、面妖な顔合わせに何か裏があるのではと感じるのは私だけですかね?
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年12月22日(火)22時47分4秒
  23時から開始します。よろしくお願いします。  

佐藤優氏

 投稿者:ひかり  投稿日:2015年12月22日(火)22時29分49秒
  この方が著された本は、ノンフィクション的な本以外は、読めば分かりますが、論理が支離滅裂で、わけがわからなくなります。
そんなこと言っちゃうんだ!と卒倒ものだったりします。
この方は、御自分の専門外の学問についても自信たっぷり、かつ馬脚出しまくり。
しかし、よく売れるのは、堂々とはったりかますムリクリ論法が、程よく教養の香りをまとっていて、適当に知的な感じが心地良いという人が多いからでしょう。

なんか適当な事をカタっているみたいですよ。
騙されてはいけません。
私も、何冊かたて続けに読んで気がついたんです。

この方は、たくさん本を出してます。
今は池上彰との対談山積みですね。
出版社に貢献、この方のお稼ぎを下支えしたりする幹部は世間に笑われます。

この方の池田先生への賛辞も、自分流です。
池田先生を外道と同列にされて喜ぶのはいかがなものでしょう。
 

re谷川の住人 様

 投稿者:真実  投稿日:2015年12月22日(火)22時28分33秒
  >本日も『日蓮世界宗創価学会』の揮毫並びに名称の公表がございませんでした!  <

なんたら協議会も勝負パンツを履いてのぞんでいると思われまふ。きっと男性は筆頭主任副会長を先頭に総立(勃)です!
キリッ(^-^)


 

悩ましい議論、ご本尊

 投稿者:一言児  投稿日:2015年12月22日(火)22時05分40秒
  学会ってどのご本尊もあんまりこだわらずにやってきた。私の20代、大石寺や妙蓮寺や末寺で色々のお軸で勤行していたね。今は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて~」と云われる鎌倉時代でない、後の法主の品格や字体に翻弄されずに、直筆に添うお文字のデジタル化で魂が染められて通う。弘安時期の何体かを模写、試作され、学会謹製版、学会発の複数ご本尊をそれぞれ皆が選択できても。私もまだ日逹法主の軸ですが、直筆系でぜひ勤行したいものだ。宿坊では大変刺激を受けています。  

多様性万歳 様の「心懐恋慕」考察を展開する

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年12月22日(火)21時49分8秒
編集済
  多様性万歳様

「心懐恋慕」についての考察ありがとうございます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/35618
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35619
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35621
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35622

熱原の法難から出世の本懐へと繋がるところで大事な内容です。この一連の流れの中で、何が私たちにとって必要なことなのでしょうか。

永遠の仏を自分の中に観じることではないか。
私はそのように思いました。

自分の中の仏の生命、宇宙大の生命を体感することと言い換えてよいのではないでしょうか。
つまり、大御本尊と同じ生命が私達にもあるとの確信です。
それは、創価学会員の偉大な自覚です。

その原動力は三代の会長の指導であり、戸田先生の獄中の悟達だったと確信します。
これを感じる時が、心懐恋慕に意義に繋がるのではないでしょうか。

法華経の智慧の中で、「心懐恋慕」について池田先生が語られている一部分を以下に抜粋します。

*********************

池田 寿量品には「其の(=衆生の)心の恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く」(因其心恋慕乃出為説法)(法華経四九一ページ)とある。

「永遠の仏」が、衆生の「心懐恋慕」の一念に応じて、出現して法を説くと言うのです。

釈尊の滅後、人々は釈尊の「不死の本質」というか、入滅しても滅していない「真実の釈尊」を求めたのではないだろうか。それは「仏身論」にも表れているでしょう.

池田 「法身」の仏陀は、後に「法身(境)」と「報身(智)」の二身が説かれるようになり、法・報・応(応身)の三身説になっていく。しかし、「肉身の人間・釈尊」の奥底に「永遠の仏」を見ている点では同じです。

池田 いずれにしても、三世にわたる「永遠性の仏」への思いが、仏の「塔」にこめられている。その実相は、じつは凡夫の生命そのものが「宝塔」なのです。妙法を持つ凡夫こそが宝塔であり、「永遠の仏」と一体になる。
「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」です。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=8637
 

三重県議会が「廃止」意見書可決

 投稿者:八風  投稿日:2015年12月22日(火)21時43分49秒
編集済
  採決では自民、公明両党は反対した。
「三重県議会は21日、9月に成立した
安全保障関連法について「各界から憲法違反の指摘があり、国民の理解も十分に
得られていない」として、廃止または再検討を求める意見書を賛成多数で可決した。」

http://mainichi.jp/articles/20151222/k00/00m/040/057000c

公明党は全体主義だから当然だろうが情けない。一人も勇気を出して賛成票を投じなかったわけ。
池田先生の思想を基準に政治活動する議員は一人もいないのだ。もはや彼らにはその存在価値すらない。
単なる税金泥棒で生活の糧として議員でございますと蠢いているだけ。情けない。

 

本日も『日蓮世界宗創価学会』の揮毫並びに名称の公表がございませんでした!

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2015年12月22日(火)21時38分35秒
  あおさま、並びに『創価の権力者の皆様』方、聖教新聞紙上では、何たら協議会やら御忙しいとは存じ上げ奉りますが、昨日の指パッチン健康法やら本日のやらた高齢者掻き集めて集合写真を全二面にわたる掲載スペースがあるならば、お早めの御公開を宜しくお願い申し上げ奉ります。  

思考・概念という愚考に気づく

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年12月22日(火)20時34分12秒
  思考・概念という愚考に気づく

自分の普段の生活で思考・概念という愚考に気づくと、生活が楽になる。くだらない事を考えな

くなる。極端ではあるが、思考・概念が必要なくなる。と同時に思考・概念に侵されている人々

の愚考に気づくようになる。適当に相手にするだけで上手くいくようになる。

閲覧者の中に、「思考・概念」について既に気づいている方もいるようである。気づかなくても

いい人は気づかない、なぜならば「気づき現象」には「縁」があるからだ。

いわゆる創価本部の中にも「気づき」始めている方がぼちぼち出てきているようだ。「おかし

さ」「腐敗・堕落」「世俗化」等のもろもろの原因が「体感がないから」ということに気づいて

きているのだ。しかしどうにもならない愚考の現実が壁として立ちはだかっている。職員ならば

なおさら「知らない方がよかった」といっても、知ってしまった。さあ、どうする?

自分自身も「体感」したい、「体感」欲求が日に日に増幅してきている方もお見かけする。大丈

夫だ。体感覚知を修得すれば、全てが上手くいく。今まで知らなかったことを知る感動を内に秘

めながら仕事をたんたんとするのは、ある意味苦痛だが、密かな喜びがあることに気づくはずだ。

2009年以前の入社組の人たちは、職場の雰囲気が変わっていくのを直接肌で感じてきたはずであ

る。「おかしい、へんだ」と思いつつ「なんだかわからなかった」と、全ては池田先生が起こした

現象が起きているだけなのだ。君たちが「体感覚知」すれば、全ての事が了解できる。つまり

「体感覚知」するために「今、いるということだ」あいつが、あのひとが、あの先輩が、上司の○○

が、関係ない、自分自身の問題なのだ。使命有りと自覚すれば、先生が今求めている人になれる。

それが先生の最後の闘いなのだ。それを「仏の御計らい」というのだ。生命の働き作用が起きている

ということだ。生活は、今後は、焦るな、今は「体感覚知」の方法を学ぶことだ。

「仏の働き作用は」いつの世でも絶対だからだ。「苦難こそ浪漫」そこに身を置いている誇りを感じ

る事だ。先生への恩返しが自分自身の「体感覚知なのだ」と定めることだ。わかればいいが・・・
 

訂正

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2015年12月22日(火)20時09分21秒
  こんばんは。先に投稿の引用の記事は週刊ポストではなく、フライデー最新号2016/1/1号でした。
訂正致します。


世も末  投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2015年12月22日(火)11時17分23秒   通報 編集済
いや、創価学会も末ですね。

池田先生の事を師匠とも思わず尊敬もしていないという男子部、創価班員がいたり、創価班バッジを

ヤフオクに出す創価班経験者がいたり、一体どうなっているのでしょうか?

写真週刊誌フライデーの最新号にカメラ目線で写っておられる筆頭主任副会長の事務総長殿、信濃町界隈を

暇を持て余してうろうろしている場合じゃ無いのでは?

それと右手をポケットに入れて自転車片手運転もまずいのでは?
 

再掲します

 投稿者:備忘録者  投稿日:2015年12月22日(火)16時44分45秒
  【投稿者:鬼乃息 】
投稿日:2015年 2月28日(土)11時05分3秒

紙上座談会②  京都乃鬼新聞    2015-1-31

「三大秘法について」

編集長:教学部は「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊はすべて(中略)等しく『本門の本尊』である。」と言っているが?


青鬼:教学部が言う日蓮大聖人の御図顕の御本尊とはどの範囲までを言うのかハッキリしない。

虹鬼:創価学会教学部は本格的に大聖人の御真筆の御本尊を調査研究した事があるのか?また、それを判断出来る眼力があるのか?

白鬼:眼力は全くない。山中喜八氏らの作った御本尊集によるしかない。今だって中尾氏やら寺尾氏やら立正大学系の学者に頼るほかない。どこまでいっても「他門流の日蓮研究家たちによって御真筆であると認定された御本尊」でしかないんだ。単なる追従でしかない。

青鬼:創価学会独自の判断として大聖人の御真筆と認めた御本尊が無い場合、「創価学会とは無関係の日蓮研究家たちによって御真筆であると認められた御本尊」が「創価学会の本門の本尊」になってしまうな(鬼笑)

赤鬼:そもそも権威ある日蓮研究家、学者たちは大石寺にある「弘安2年の板御本尊」を真筆とはしていない。しかし、教学部は「『本門の本尊』としては『弘安2年の御本尊』も含まれる」と言っているが、この矛盾にどう答えるのか?

紅鬼:今回の改正で創価学会は、書写した本尊も「本門の本尊」というが、書写形式というのも、門流によってもまちまちなんだ。日興門流の中でも、細かいところでは、必ずしも一致していない。どんな書写形式でも「本門の本尊」なんだろうか。まさか、大石寺門流の書写しか認めないとか(鬼笑)。

犬鬼:学者が関わっているんやから、そこらへんもハッキリ出来ひんのかと言いたいで!中途半端やで!

猿鬼:そんなん教学部にはムリやろ。
だいたいやがな、創価学会教学部及び執行部御用聞き学者達は、日寛教学を否定したしな!

編集長:それについて皆さんのご意見を頂きたい。
教学部は「今回の改正は、『魂の独立』から23年、世界広布の進展の時代的要請に応えるため」「(創価学会は)日寛教学を見直していく立場」との事だが?

紫鬼:創価学会教学部は「日寛教学の見直し」と言いながら、日寛教学否定の解説になっているのだが、これ自体、別に最新の仏教学の成果でもなく、創価学会教学部が新たに構築した「時代的要請に応える」ことでもなんでもないんだ。実は昭和30年代に日蓮系各派が散々、学会に言ってきた内容と全く同じなんだ。

白鬼:えっ?今の教学部は、昭和30年代に日蓮系各宗派の坊主、学者が学会批判の為に使った事と同じ事を言っているのか?

黄鬼:そうだ。実際、それを焼き直したと思えるほど古びた内容。古本屋で昭和の学会批判本を買って見てみれば、ほぼ同じ内容が書いてあるよ(鬼笑)

紫鬼:創価学会は、小樽問答などでこうした批判に徹底して反論してきた。池田先生ご自身がその先頭に立ってこられた。
今になって日寛教学に基づいた教義を変えるのは、牧口先生、戸田先生、池田先生の否定に繋がることではないか?

虹鬼:御用聞き学者達は元々池田先生を師匠と仰いでいるのか?三代との歴史の断絶が底意にあるのでは無いか?と疑いたくなる。

編集長:教学部解説では、会則変更以前における三代会長の発言についてこう言ってるが?
「僧俗和合時代の歴史的文脈で言われた発言も、その本質は大聖人の教え、精神と私たちを結びつけるためである。その真意を正しく捉えていくのは弟子の責務である」

虹鬼:では、教学部が言うその「弟子の責務」とやらの今回の教義変更は、三代会長の真意を正しく捉えていると言えるのか?

橙鬼:そや。原田会長はんの執行部及び御用聞き学者達とその教学部いう弟子がした今回の改正について、ワシらの先生はな、全く反応されてへんで!
お認めになる発言も全く無いんやで!

虹鬼:私の情報では、昨年(2014年)8月、原田会長が会則改正の方針を池田先生に説明した際、先生から「大御本尊は否定しないんだよな」と念押しされてる。

桃鬼:しかし、今回の改正は、いわゆる大御本尊が「御本尊であること」は否定しないまでも「大御本尊であること」は否定している。しかも、そのうえで受持の対象から除外している。つまり「大御本尊は否定しないんだよな」との池田先生のご発言に対する否定となっているのだ!

白鬼:教学部が言う「弟子の責務での教義変更」ならば、その弟子の責任に置いて、教学部は全てについて答える必要があるな。

緑鬼:当然だ。執行部や教学部は一体何時、池田先生に指導を受けたのか?
どう報告したのだ?
また、先生から今回の教義変更についてのご発言が何故、聖教新聞に出ないんだ?

紫鬼:日寛上人は「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段上)

戸田先生は「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(昭和30年8月24日、講演会「宗教と人生」)

池田先生は(日寛上人書写の御本尊授与が始まった際の指導)「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(平成5年9月16日)と言われた。

黄鬼:明確な指導だな。

橙鬼:この師匠のご指導から20年。しかし、池田先生はご健在なんや。
ご健在の師匠の文言を「歴史的文脈」として終わらせようとする御用聞き学者達とその教学部と執行部諸君。

犬鬼:何故今、会則変更を含む教義変更が必要なんや?
師匠の文言を依文として説明して欲しいもんやで。


続く。
 

有罪確定はあまりに有名

 投稿者:感性  投稿日:2015年12月22日(火)16時39分0秒
  佐藤優 最高裁で有罪確定  

集団的自衛権問題は信心をふるいにかけている

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2015年12月22日(火)16時11分21秒
  と発言したのは幹部ではなくて佐藤優氏だそうです。また、集団的自衛権問題については一般会員は党に対応を委ねるべきだと発言したのも佐藤優氏。私の地元でも壮年の幹部が会員以上に洞察している佐藤優氏は凄い、佐藤優氏の本を読め、と指導しています。これって何だかな~。  

W佐藤さんと阿波踊りのランデブー

 投稿者:通過します  投稿日:2015年12月22日(火)15時23分20秒
編集済
  おもしろいことを聞いたよ。
学会幹部が公明党の正当性を理解させる為、池田先生の書籍ではなく「佐藤○氏の本を読め」と会員に進めているってさ。

池田先生を利用する人の書籍を読めと?
進める側も利用してるってさ。
踊る阿呆に見る阿呆!
 

こんにちわ !

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年12月22日(火)14時33分12秒
  うららさん
陽報さん
まなこさん(※再度アップ、いつもありがとうございます)
地方のおばさん、さん
虹と創価家族さん


まとめての返信、まことに申し訳ありません。

まずは、賛同・賛美の言に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

もとより「教学を教える」などという根性は毛頭ありませんが、
グリグリの駄文を読んで、少しでも御書・教学に興味をもってくれたら一番うれしいことです。

もし、グリグリたちのような末端会員の間から教学大復興運動の波が起こってくれば、
宗教の奴隷になる会員は居なくなると思います。

そのために池田先生は、私たちに渾身の指導(大白・新聞等で御書講義)をされていたのだと思います。

良いことも悪いことも、一切は御書根本・先生指導根本です。あとは枝葉です。



虹と創価家族さん
PS
三代の師匠の出世の本懐を学ぶ事は、会員の目覚めのきっかけになり、永遠の師匠の確立の為に必要だと思います。
今までご講義されてきた内容と重複すると思いますが、明年にもご講義頂ければ幸いです。


一度じっくり考えてみます。


>黄金の三年間で、世界中に「主師親の三徳」を涌現できる先生の弟子が生まれました。

大聖人が「主師親の三徳」を涌現して、最初に著した書が「開目抄」です。

開目抄は「主師親」をテーマにしながら冒頭、前半で「五重の相対」を弟子に教えました。

来年は日寛の六巻抄も含め、この「五重の相対」から始めたいと思います。
 

フェイク 第1510号

 投稿者:宿坊  投稿日:2015年12月22日(火)13時35分27秒
  (発行=15.12.21)

「宗門が受けた神札は謗法だ」
学会青年部有志が樋田一派を徹底的に粉砕
「歴代法主にも間違いはある」と明言

 日蓮正宗法華講の一講員にすぎない樋田昌志(長野市・妙相寺支部)の売名
行為に騙されて集った無知な盲信者共のグループがあり、関係者の間で〝樋田
一派〟と呼ばれている。その一派に属して首都圏の中心者の一人と言われる高
原某ら数人と学会青年部有志が十二月五日、都内で対論。学会青年部有志が樋
田一派の者を木っ端微塵に粉砕した。

 この日、樋田側の発言で特筆すべきは、学会側が指摘した戦時中の宗門の神
札受諾について「あれは謗法だった」と述べて「歴代法主にも間違いはある」
旨、発言したことだ。

 かつて宗門の時局協議会の坊主共は「血脈法水が断絶しないため」等々と苦
しい弁解をしていたが、樋田一派は「謗法」と断言したのだ。〝信者の分際〟
で宗門の見解と違う説明をする樋田一派を日如は教導できるのだろうか? そ
れとも破門するか?

 また、樋田側は御書根本を否定して「御書だけで大聖人の仏法を語れるかと
言ったら、そうじゃない」と言い、大聖人より後の世の人師論師の言葉が御書
よりも肝心な教えだと言わんばかりに力説。そして「相伝書を我々信徒は見る
ことは出来ない」と無知を晒した。

 学会青年部が相伝書と言われている「本因妙抄」「百六箇抄」「本尊七箇相
承」等は現在、印刷物となっているので、誰でも読むことができると説明。樋
田一派の高原某らは驚いていたが、こんな初歩的なことも知らないのが樋田一
派なのだ。

 更に、高原某らは御本尊については「全て一期一縁であって親から受け継い
だ御本尊では功徳がない。当たり前のことだ」と語っていた。ならば、父親が
受けた御本尊を子どもや妻、祖父母などが拝んでも功徳が無いというのか?

 学会青年部に悉く破折された高原某らの発言は、樋田の話の受け売りなので
ある。神札に関連して発言した〝歴代法主にも間違いがある〟というのは樋田
自身の考えである。樋田は以前、次のように明言したことがあった。

 「宗門の人間は〝猊下は立派でなければいけない〟と思っているけど、その
方向で説明しようとすると絶対に無理があるんですよね。猊下も末法の凡夫、
色々なこともあるだろう……そういう点で言えば、学会の突っ込みも当たって
いる。例えば、日柱上人の退座要求にしても現実にあった訳ですし、エエ~っ
ていうこともあります」

 「創価学会が言うような住職もいます。〝これが日蓮正宗の住職か?〟とい
うような人も……」

 樋田は言葉を濁して言っているが、要するに、日蓮正宗の歴代法主の中には
到底、立派とは言い切れない法主も当然いたし、呆れ果てるような変な住職が
いると言っていた。

 要するに、樋田は内心では法主だろうと住職だろうとバカにしているのだ。

 樋田の本質は臆病で一人での法論を頑なに拒否する。その半面、ネット世界
だけでは妙に雄弁だ。ネット上に自分に都合の良い映像を流して自己満足に浸
っている。以前は各地の末寺に出向いて「合同折伏」と称して暗躍していたが、
各地で学会青年部に破折され、最近では末寺との接触を宗門から禁止されてい
るという。

 

ダメよダメ様

 投稿者:陽報  投稿日:2015年12月22日(火)13時06分57秒
  貴重な話ありがとうございます

この記事を読む限り
秋谷さん、八尋さん、原田さん
損失補填3人組は、表面上はともあれ、水面下では、お仲間だったと言うことですね
そこに谷川さん、佐藤さんが加わった

先生が不在の間に権力、金力を欲しいままにしている人が誰なのか?
明らかに分かる記事です

この板で早くから皆さんが指摘していることが正しいことがよく分かりました

そして
さぁーこれからどうなるか?
御本尊仏の厳しい裁きを楽しみにしています
 

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