ニューポート=牧野愛博
2015年12月22日09時30分
太平洋戦争が開戦する20年前の1921年に、米軍が後に激戦地となるパラオ諸島の港湾状況などを調査した報告書が、最近の研究で見つかった。当時は対日作戦をめぐり、米軍内に様々な意見があった。報告書は、対日戦争を勝利に導いた後方の補給線を重んじる作戦形態につながっており、米軍による周到な準備を裏付ける資料と位置づけられる。
調査報告書は、2013年から米海軍のシンクタンク、米海軍大学(ロードアイランド州ニューポート)に派遣され、米軍の戦略・作戦を研究する下平拓哉客員教授(海上自衛隊1佐)が、同大が所蔵する米国の対日作戦計画「オレンジ計画」関連文書の中から見つけた。
調査当時、パラオを含む南洋群島は日本が委任統治していた。調査報告書は「パラオ島マラカル港」と題し、21年12月31日付で米海軍情報局から同大や太平洋艦隊司令官らに宛てた3枚の書類。米掃海艇ビッターンが係留できるブイの存在や停泊の可否、天候の状況、艦船修理施設などを調査。「前進作戦基地として最適」と評価した。
調査報告書は、同年にアール・H・エリス米海兵隊少佐が作成した対日作戦構想文書「ミクロネシア前進基地作戦」と共に所蔵されていた。同作戦は米軍の補給線を重視。マーシャル諸島やパラオなど太平洋の島々を確保しながら進攻する「飛び石作戦(アイランド・ホッピング)」を提唱した。調査は同作戦の適否を確かめるためだった可能性があり、米軍内での議論の土台となったことが考えられるという。
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