【とみ子夫人が語る北の湖前理事長】(3)だんなさんとしては“赤点”かな…でも「結婚してくれてありがとう」
- 結婚式で5連覇にちなんで高さ5メートル、100万円の豪華なウェディングケーキにナイフを入れる北の湖ととみ子さん
- 2013年11月24日、九州場所千秋楽のパーティーでデュエットした北の湖前理事長(左)ととみ子さん(小畑とみ子さん提供)
2人が結婚したのは1978年。後援者を通じて知り合ったが、実家の料亭を手伝いながら詩吟や生け花などに打ち込んでいたとみ子さんは全く相撲のことは知らなかった。同年9月30日に帝国ホテルで1億円超の豪華な結婚披露宴を終えた後も、とみ子さんは「相撲は見なくていい。相撲のことには口出しするな」と言われ、それに従い、静かに見守り続けた。昭和の大横綱は85年に現役を引退し、江東区に北の湖部屋を創設。おかみさんとなり、理事長夫人になってからも、その姿勢は変わらなかった。
「親方は感情的になってしまいやすい私とはまるっきり正反対の性格。びっくりするのは、夫婦げんかしたとき、私が『2日ぐらいは口をきかない!』と決めても、親方のほうはすぐに普段通りに戻ってしまうんです。愚痴を言ったり、機嫌が悪いようなこともない。人間離れしているところもありました」
家庭内では自分のことは自分でする、という生活だった。「食べ物に全くこだわりがないんですよ。残り物でも自分から進んできれいに食べていました。冷や飯も大好きなんですよ。料理を作ろうとしても『自分でやる』ということもありました。本当に手のかからない夫でした」
日本相撲協会理事長としての夫は「人間的に尊敬できる人物」だったが、家族サービスという点では、及第点ではなかったらしい。
「だんなさんとしては“赤点”だったかな(笑い)。親方からのプレゼントは、婚約後の私の誕生日(2月14日)に誕生石のアメジストのネックレスをいただいたのが最初で最後。結婚記念日とか、誕生日とかには全く無関心な人でした。家族旅行に行ったこともなかったですね。でも、わざわざ旅行に行ったりしなくても、家族のいるところが親方にとっては唯一の安らぎの場だったのだと思います」
婚約発表直後には、テレビのバラエティー番組に2人で出演し、新婚旅行向けにグアム島旅行をプレゼントされたが、「オレは常磐ハワイアンセンターでも行くよ」と言って、とみ子さんの両親に譲っている。
前理事長には「歌はヘタ」という意識があり、酒の席でもカラオケで歌うことは「自我を忘れるぐらいに飲まないとなかった」と、とみ子さんは振り返る。だが、13年九州場所千秋楽のパーティーでは、珍しく1滴も飲まずにとみ子さんとデュエットをした。2度目の大手術をする直前。曲は石原裕次郎と浅丘ルリ子の「夕陽の丘」だった。
「人がいないところでは歌うこともあったんですけどね。でも歌っているうちに親方も上手になりましたよ。『親方、うまくなりましたね』と言ったら『オレがヘタみたいに言うな』と怒っていましたよ」
婚約会見で「シンの強さとシンの優しさがある」と話した夫は37年間、その思いを裏切ることはなかった。さらに失った今「誠実そのものだった」と感じているという。
「良い時は何も言わず、ダメな時だけ首を横に振る人でした。言葉にすることはなくても、最後まで愛情を注ぎ続けてくれたと思います。そして私と結婚してくれてありがとう、と伝えたいです」