【元番記者が語る北の湖理事長】(30)「相撲は何と言ってもこの国の伝統文化」

2015年12月22日11時6分  スポーツ報知

 あれは、2008年6月27日。北の湖理事長の母・テルコさんの通夜だった。

 私は、北海道伊達市内の葬祭場を弔問した。91歳で亡くなった母。悲しみをこらえ弔問客に理事長は応対していた。焼香を終え、あいさつすると手招きされ、耳元でこうささやかれた。

 「悪いな。お清めがなくて。用意してないから怒ったんだよ。ホントに悪いな」

 弔問客のために用意する食事などの「お清め」がないことをわびたのだ。言葉には何とも言えない温かさがこもっていた。「そんなことを気になさらないでください」と私は答えたが、母が亡くなった通夜の席での心遣いに涙がこみ上げてきた。

 素顔の北の湖理事長は、素朴で温かい人だった。

 理事長時代は、日本相撲協会に常勤だったため、毎日、午前中には両国国技館へ出勤していた。08年9月の辞任後は、それがなくなり再び北の湖部屋で朝稽古後に弟子とちゃんこを囲んでいた。同席させていただいた時、相撲の話はもちろん、最近、起きたニュースなど様々な話題を親方が時折、冗談を交えながらまさに冗舌に弟子たちへ話していた。

 そして、穏やかな笑みをたたえながらこう話した。

 「オレは、弟子とこうやって飯を食っている時が一番、楽しいんだよ。料亭とかあんな堅苦しいとこは嫌いなんだ。小さな皿に料理がちょこんと乗っているなんて、あんなのはいけない。こうやって鍋をすくって大勢で食べるのが一番、うまいんだ。理事長の時は、できなかったから、今は毎日がうれしいんだよ」。

 あの時の笑顔が忘れられない。

 2012年2月に理事長に復帰した時、繰り返しこう話した。「相撲は何と言ってもこの国の伝統文化なんです。先輩が培ってきたものをどう後世に伝えるか。私は、ここを重視したい」。本来は、素朴な性格。だからこそ、公益財団法人への移行を果たすまでの重圧は、いかばかりだっただろうか。「憎らしいほど強い」と評され、横綱として責任を果たしてきた北の湖理事長でなければ、公益化への道は切り開くことができなかった。公益財団法人の実現は、歴代の理事長の中でも群を抜く功績だ。

 「土俵の真ん中にオレがいる」。そう自らに言い聞かせ横綱とし責任を果たしてきた。病に冒されながらも亡くなる前日まで本場所に出勤し理事長としての責任を果たした。2015年11月20日に千秋楽を迎えた62年の生涯。土俵にささげた命。18日に就任した八角新理事長は言った。「(北の湖理事長の)おかみさんから『ぶれずに頑張ればいい』と理事長がおっしゃっていたと伺った。遺言だと思って肝に銘じて、ぶれずに頑張っていきたい」。昭和の大横綱の記憶と言葉は今、未来の国技を支える礎になった。(終わり)

さよなら北の湖さん
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