わたしたちの周りには、アイコンが溢れている。
あなたのスマートフォンにはアイコンが沢山並んでいるし、普段はそのアイコンを意識することもなく自然に操作しているだろう。
「アイコンは、初めに比喩として作られる。しかし、長く人の目に触れて成熟すると、それは慣用句になる。」
アイコンについて、初めて上記の言葉を聞いた時には感動したものだ。
例えば、GUIの事例としてよく議題に上がる「フロッピーディスク」アイコン。
ご存知のとおり、フロッピーディスクアイコンは多くの場合「保存」を意味している。
フロッピーディスクなんて、今時の子どもたちは、まず使ったことがないはずだ。
それにも関わらず、彼らは「フロッピーディスク=保存」であると認識し、使いこなしている。
これは、フロッピーディスクのあの形状が、保存を意味しているという認識が文化として根付いたためだ。
初めは、データの保存というコンピュータの概念をうまく表現するために、日常で親しまれているフロッピーディスクのビジュアルを用いることが理にかなっていた。
しかし今では、フロッピーディスクのあの形状が「保存」を意味しているという文化へと進化したのだ。
このような事を思うと、アイコンの奥深さを感じる。
アイコンは直訳すると「象徴」となるが、これはわたしたちが普段使っている言葉にも通じるものがある。
例えば、漢字の「火」や「木」の成り立ちは、実際の火や木の様子から連想されて落とし込まれたものだ。
もし、わたしたちが漢字を使わない言語圏に生まれていて、「火」という漢字を見せられたとしよう。
相手から「この形は、fireを意味しているんだよ!」と言われても、「いやいやいや、どこがやねん!」と思うのではないだろうか。
しかし、わたしたちは今日のように「火」というこの文字の形状を、「fire」を表すものであると認識している。
それは、わたしたちが初等教育で教えられることで共通認識として定着するからだ。
「火」という形状が「fire」を表せているかどうかは問題ではない。
社会生活の中では、「火」という形状が、あの「fire」なのだという共通認識を持ち意思疎通に使えることが大切なのだ。
そう考えると、フロッピーディスクのアイコンが20年後も使われ続けていたとしても、不思議ではないと思わないだろうか?
日々技術が進歩し新しい概念が生まれる度に、人々はそれを言語化しようと試みる。
今や、誰もが日常的に言語をデザインする時代がやってきた。
あなたが何気なくデザインしたアイコンが、後世まで残り文化になるかもしれない。
そう考えれば、ロマンがあるとは思わないだろうか。
P.S.
このあたりの話題に興味のある方は、下記の書籍も読んでみてほしい。
アイコンも含めて、UXの本質に触れることができる。