ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール

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ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールヴァン・クライバーンこくさいピアノコンクール、The Van Cliburn International Piano Competition)は、アメリカで開催される国際ピアノコンクール

特徴[編集]

  • チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者ヴァン・クライバーンを祝して、1962年より原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース
  • 設立当時、世界最高額の優勝賞金を提供することでチャイコフスキー国際コンクールに負けない国際コンクールを目指した。フォートワースは富裕層が多数住んでいる都市で、高額な資金提供が可能であった。当時ピアノ教師だったランクフォード夫人が運営していたが、その後石油資産の相続人マーサ・ハイダー夫人に代わり、ハイダー夫人はダラスとフォートワースの上流社会をまとめて多数のスポンサーを獲得、このコンクールを破格の規模にまで大きくして商業主義のスタイルをコンクール運営に持ち込んだ。その後、運営は指揮者アルトゥール・ロジンスキの息子、リチャード・ロジンスキが引き継いでいる。
  • 録音はコンテスタントの質を保証せず、生で聞くのが一番とされていた当時、優勝者には第一回当初から賞金の他コンサート契約が多数含まれていた。クライバーン国際が最も契約の数が多い、ということで話題を集めていた。そのため優勝者は多数のコンサートを続けていくうちに消耗させられて演奏家として大成しない、とまで言われた。近年、この膨大なコンサートは以前に比べて数を減らされているが、依然として優勝後数年間のツアー契約[1]がついている。現在はCD録音やiTunesで高音質のプレイをいつでも聞くことができるようになったことに伴い、「契約は流行らなくなった(キム・デジン)」。近年は宣伝のため、Harmonia Mundi USAが優勝者・入賞者記念CDをリリースしている。優勝後にメジャーデビューできるかどうかは、本人の腕にかかっており、クライバーン財団はそこまで面倒は見ていない[2]
  • 中村紘子は「『優勝賞品』とした与えられたおびただしい数のコンサートを一年以上にもわたって続けされられていくうちに、かえって消耗し切って燃えかすのようになってしまうのでしょうか」と論じた[3]。このため、居心地の良いアメリカに住み着く受賞者もみられる。中村紘子著『コンクールでお会いしましょう』で述べられたいくつかの問題点は、解消の方向へ向かっているにも関わらず、「このコンクールで優勝するとメジャーレーベルデビューできない」というジンクスが依然としてある。そのジンクスを破ったのはラドゥ・ルプーのみで、彼は優勝後にコンサートを全てキャンセルし再び勉強のためモスクワに戻った。[4]優勝者ではなく、入賞者や予選落ちのピアニストのほうがメジャーに成長した[5]例もある。
  • コンクール開催に際し、日本人としてはじめて室内楽セミファイナル共演依頼が掛かったのは東京カルテットであり、審美眼の高さが伺える。第13回大会(2009年)では、辻井伸行が日本人として初めてヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで金賞を受賞し、話題を呼んだ。また、第2位以下も国際コンクールの覇者が軒並み揃う、激戦であった。2017年度にはブレンターノ弦楽四重奏団が常駐し、決勝でロマン派の室内楽が要求される異例の規約である[6]

課題曲[編集]

2017年[編集]

かつては「多すぎる」と恐れられていたヴァン・クライバーンコンクールの2017年の課題曲は次の通り[7]。大規模に改定され、第二予選が復活している。
  • 第一予選
    • 45分フリー
  • 第二予選
  • セミファイナル
    • 60分フリー・モーツァルトの協奏曲
  • ファイナル
    • ロマン派のピアノ五重奏・任意の協奏曲を一曲

補遺[編集]

  • コンテスタントは分数制限さえ守れば何を弾いてもよい。ぎりぎりいっぱいに弾く必要はないが、通常は40分以上または55分以上は演奏されるようである。新曲課題曲コンペは2017年度で永遠に廃止され、依頼した人物に委嘱される。かつての「任意の協奏曲を二曲」・「コンサートツアー」という極限的なノルマは、諸般の事情で課せられなくなった。しかし、これと同数のノルマを要求されるコンクールは2017年時点で一切存在せず、シドニー国際ピアノコンクールリーズ国際ピアノコンクールカザグランデ国際ピアノコンクールの課題曲すら凌いでいる。
  • 他の大きな国際コンクールとの相違点は、「練習曲を選ぶ必要がない点」である。にもかかわらず、練習曲の全曲でプログラミングを構成するコンテスタントもおり、加えて難易度の高いプログラミングを好むヴィルトゥオーゾ志向のコンテスタントが他の国際コンクールに比べて多い。コブリンはラフマニノフの音の絵、ホロデンコは超絶技巧練習曲集の全曲で挑戦して優勝し、その模様がCDになった。
  • 課題一覧

優勝者一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 契約は必ずしも有名なホールばかりとは限らず、地方のホールにまで及ぶ。この為、このコンクールでピアノ業界を子供のころに知り、コンクール挑戦を目指す若者が必ず現れるというシステムになっている。
  2. ^ 即契約という人物もいる(ベアトリチェ・ラナ)が、CDリリースすらままならない受賞者もいる。
  3. ^ NHK人間講座2003年4月~5月期「国際コンクールの光と影」
  4. ^ 当時ソビエト連邦は演奏家に全く自由を与えておらず、国家の命令であったという説もある。
  5. ^ スカラ座デビューを果たしたジェフリー・スワン、メジャーレーベルデビューを果たしたミシェル・ダルベルト、プロコフィエフ全集を完結させたフレデリック・チウほか
  6. ^ 決勝で室内楽が要求される国際ピアノコンクールは稀で、このほかにはカザグランデ国際ピアノコンクールしかない。
  7. ^ オーディションを突破する必要があるが、予選の曲と被ってもよい

参考文献[編集]

  • 吉原真里『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールーー市民が育む芸術イヴェント』(アルテスパブリッシング2010年
  • Bernard Holland (1989-06-13). "After the Cliburn: A Career Still to Be Built". New York Times.
  • Bernard Holland (1989-03-27). "Van Cliburn: Man Behind the Contest". New York Times.
  • Christopher Kelly (2013-05-18). "With Cliburn Gone, Competition Tries to Adjust". New York Times.
  • Bernard Holland (2013-05-27). "Tensions on Eve of Cliburn Contest". New York Times.
  • Benjamin Ivry (2009-06-10). "What Was the Jury Thinking?". Wall Street Journal.
  • Stephen Lehmann, Marion Faber. Rudolf Serkin: A Life — Oxford University Press US, 2003. — P. 144.
  • Сам пианист настаивает на таком написании его имени на русском языке. См. Е. Белжеларский Дядя Ваня (Интервью с Ваном Клиберном) // Итоги. — 5.10.2009. — № 41. — С. 50-52.
  • Horowitz, Joseph (1990). The Ivory Trade: Music and the Business of Music at the Van Cliburn International Piano Competition (1 ed.). Summit Books.

外部リンク[編集]

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