以下、受け取り方によっては不快に感じさせてしまったり、
誤解を招いてしまうような表現もあるかもしれません。
僕自身、自分の心に嘘をついて生きることをしたくないという気持ちと、
微力ながらも困っている人のお役に立ちたいという想いからの行動であること
ご理解いただけると幸いです。
まわりに病気で苦しんでいる人がいたら、
僕をご紹介いただけないでしょうか。
私事ですが、2008年に友人をガンで亡くして以来、
僕自身が心に誓ったことがあります。
話をするのが1ヶ月遅れたために、
助かるはずの人が死ぬことがあります。
一ヶ月で進行するガンの増殖は完全に生死を分けます。
何でもっと早く言ってくれなかったの・・・って、
もう言いたくないし、
僕がちゃんと伝えていないことで、
間に合わなかった・・・というのはもう絶対に嫌です。
こんな話をすると、僕がガンの特効薬をもっているのか?
と思われてしまいますが、
それはYesであり、Noでもあります。
ガンから生還した人に共通することを調べてみると、
病気によって自分の生き方を変えることができた人が生還しているそうです。
なぜ病気になったのか本人が気づき生き方を改める機会をえたのでしょう。
しかしながら、その答を人からもらうことはできないでしょう。
なので、どんな答も本人が気づくことであって僕が与えることはできません。
しかし、少なくとも現代医学が生活習慣病を治せないのは、
医者も公言していることです。
僕は、順天堂大学で予防医学という観点から健康科学を学んだあと、
医療の仕組み、薬理の仕組み、保険の仕組みなど、
既存の経済が中心となった資本主義社会に乗っかっている
物質偏重主義の現代社会の歪みが見えてきました。
そして、この10年、僕たちがどのようなライフスタイルを実現することで
100年先の地球が豊かさに満ち溢れるのかを探求し続けてきました。
そうやって生きてきたせいで、良いのか悪いのかわかりませんが、
たくさんの社会通念から逸脱した現実を目の当たりにしてきました。
僕の妻は、ベーチェット病という不治の病から生還した人です。
妻が入院していたUCLAの世界最先端の医療に治せないベーチェット病を
スピリチャルヒーラーが治しました。
また、フルボ酸という物質が、
様々な病気を治す事例をたくさん見てきました。
フルボ酸は、地球上のすべての動植物が帰る先であり、
すべての動植物が命が始まるところです。
生命原理の根源です。
ガンなどから生還した体験談が紹介されている健康食品の多くは、
まだほとんど知られていませんがフルボ酸の働きに帰結します。
このような話をすると、様々な誤解を受ける可能性があるため、
いままで、あまり口にすることはありませんでした。
でも3.11以来、多くの人がそうであったように、
僕の中でも生き方を見直す機会となりました。
なんで、病で苦しむ人に僕が会いたいと思っているのか?
僕が何をしてあげたいのか?
僕が解決策を提供するなどということではありません。
ただ、皆さんよりも少しだけ違った視点で
医療と健康を探求してきた知識と経験があり、
そのちょっとした視点の違いから、
ご本人や家族が希望や喜びを見出す
お手伝いができるかもしれない、というだけです。
もし、あなたのお知り合いに何らかの病に苦しんでいる方がいらっしゃって、
あなたがその方に対して何か助けになってあげたいと思っていらっしゃるとしたら、
僕にご一報いただくことは可能でしょうか?
そのような方がいらっしゃった場合には、
その方に僕を会わせるかどうかの判断を、あなたにしていただくために、
一度、お話させていただく機会を持たせていただきたいと思います。
お問い合わせはこちらから
最後に、2008年に私の友人が亡くなったとき、
友人のご両親を訪ねた際に書いた日記を以下に貼り付けます。
以上のような考えにいたった経緯など知っていただけたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうござました。
佐々キング(佐々木)
・・・・・・・・・・・・・・
「壮絶な最期を聞かされて」
今年6月、彼は死んだ。
僕がアメリカに来て、
最初に仲良くなった彼が突然ガンで死んだ。
彼に会いに行くため、北海道の彼の実家を訪ねた。
ご両親に挨拶し、お母さんから最後の彼の死に様を聞かされた。
実際にガンになった人間にとって、
今の医学の世界はどのように見えるのだろうか?
医者を信頼しすべてを任せ、三大治療(手術、放射線、抗がん剤)と共にガンと闘う人。
ガンについて徹底的に自分で調べ、
現代医学の矛盾に気がつき第3の道を探す人。
少なくとも、インターネット発達で
様々な情報にアクセスできるこの時代、
氾濫する大量の情報の中から真実を見出すなんて、
僕たちは本当に出来るのだろうか。
病気になった本人にとって、
何を信じたらよいのかわからない混沌とした世界。
彼もその迷いの中にいたのだということを、
お母さんの話から聞かされた。
彼のお母さんの話を聴いている間、
突然、鳴るはずのないオルゴールが鳴り始めた。
「あれ?」と不思議そうに
オルゴールのある戸棚を振り返るご両親。
すぐに鳴り止み、気にも留めず、ご両親が話し始めると、
またオルゴールが鳴り始める。
「来てるな彼」僕は確信した。
今回、彼の実家には必ず行こうと思っていた。
彼がガンで闘病生活を送っていることを
今年5月に本人から来た長いメールで知って、
僕はフルボ酸を北海道に送った。
すぐに送ればよかったのに、僕はぐずぐずしていた。
彼の元にフルボ酸が届いたときには、もう彼は逝った後だった。
間に合わなかった。
「かなりやばい。アメリカから気を送ってくれ」
たった1行のメールが僕が彼と交わした最後の言葉だった。
「ガン克服して、世界中のガンで苦しんでる人を励ましに行こうぜ、
約束だからな。俺と一緒に行くんだからな」
僕はこんな約束を彼としたけど、
彼にとって励みとなったのだろうか。
彼のお父さんがこんなことを話してくれた。
「あるとき、ほとんど意識がない状態にもかかわらず、
突然、『彼と約束があるんだ、彼と約束が』そう言って、
ベッドから起き上がろうとしてね。彼って誰のことなんだろうか?」
僕はすぐに、僕との約束だとわかった。
でも、約束のこと、ご両親には言えなかった。
「佐々木さん来てくれて、本当に良かった。
でも、なんかこうやって息子のこと尋ねてきてくれる人、
佐々木さんで最後のような気がして。なんかそんな気がしてね。
寂しいな。」
お母さんの言葉が、重く僕の心に今も残っている。
その日、朝、静岡の実家を出発し、函館に夜の7時頃着いた。
一泊して、朝7時に札幌に向けて出発。10時半到着。
午後1時までのほんの2時間あまりの訪問だった。
帰りの電車がやけに長く感じた。
死。 生。
生きる喜び。そして感謝。
15日間の短い日本滞在だったけど、
これほど濃密な時間をすごしたのは、初めてかもしれない。
・・・・・・・・・・・・
ありがとうございました。
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