無視されたシェールオイルの躍進
2013年10月に初めて米国の鉄道貨物とパイプラインによるシェールオイルの米国メキシコ湾岸地域への大量輸送が可能となり、米国シェール革命は始まった。
単に安い原油が出てくるようになったのでは無い。米国の精製マージンが急速に改善したことで、米国の石油精製業者は世界の他の国々に対して圧倒的な競争優位に立った。
米国産原油は輸出が原則禁止されているため、原油から精製された製品として世界市場に輸出された。日本企業は信越化学工業のようなごく一部の企業だけが米国に大規模な生産拠点をもち、その恩恵にあずかっている。
米国では革命、でも欧州ではシェール危機
米国の石油精製品輸出が20%強も急拡大したため、不利な条件に置かれた欧州の石油精製業者は米国シェール革命の影響を最初に被ることとなった。
欧州でもシェールを採掘する動きはあるが、厳しい環境規制や米国ほどの好条件(シェール採掘には大量の水が必要)が揃わずなかなか進んでいない。
そのため欧州ではシェールガス・オイルは機会(革命)ではなく、シェール危機とい見られている。
なぜ、シェール革命のインパクトは過小評価されてきたか
シェール革命が、原油安をもたらすことについて騒がれたのは、2014年に実際に原油価格が暴落してからだ。なぜ、原油は高値を維持できていたのか。そして崩れは理由はなんなのか。
その原因は以下の要素が挙げられている。
シェールの技術革新余地がまだ十分に理解されていなかった
シェールガス・オイルは言うまでも無く若い技術だ。そのため、技術革新の余地が大きい。しかし、それは広く市場に知れ渡っては来なかった。
短期および長期の需要見通しが良好と見られていた
シェールガス・オイルがどんなにでても、新興国の躍進があれば、供給増を上回る需要増が起きると思われていた。しかし実際に起きたのは中国の減速である。それによって原油の消費量が伸び続けるというストーリーには疑問符が付いている。
地政学的リスクが懸念されていた
OPEC原油はリビアの供給が途絶し、イランの供給途絶も懸念されていた。そのため、伝統的な産油国の供給源が予想されていたためシェールの躍進は重視されなかった。実際には、米国とイランの歴史的な和解が進む中で、イスラム国の問題はあるものの、少なくとも地政学的リスクはコントロール可能な問題とみられてきている。
2014年初めに明らかになったシェールオイルの正確な規模
シェールガス・オイルの正確な規模が分かったのは2014年からと言われている。
2013年半ばに行われたパーミアン地域のシェール層の探査と最新技術での実験により、シェールの鉱区面積が当初考えられていた規模の2倍で、シェール層からはるかに大量の石油が抽出可能であることが明らかになった。これを機に、シェールは伝統的なエネルギーに対する(数多くの)競合する技術の一つから、最有力技術へと変貌した。
単に資源基盤が予想をはるかに超える規模だっただけでなく、技術革新により石油生産を危険性が格段に低い鉱業や製造業に近いものに変えた。空井戸を掘るようなことはなく、しかもシェール技術は従来、変動費がわずかで資本集約度が極端に高いエネルギー生産を、鉱業のように資本集約度がより低く、変動費中心の構造に転換させた。
さらには、石油生産は高速周期で減少率が高くなる、つまり、ほとんどリードタイムなしで素早く投資に応じて増産できるが、投資が減少すれば生産量が急減する。結果として、エネルギー生産は従来よりも予測可能となり、より柔軟かつ資本集約度が低くなっている。
サウジアラビアとの競合
シェールガス自身が主要因となって原油価格は急落している。もはや、採算の悪い鉱区は閉鎖するしか無い状況だ。
これまでは深海油田やオイルサンドなど効率の悪い採掘技術と競うだけで良かったが、良質な油田を抱えるサウジアラビアがシェール産業をターゲットに原油価格の引き下げを目指している以上、業界に求められるハードルは上がっている。
シェールガス・オイルがとてつもない埋蔵量を誇り、米国が原油の輸入国から輸出国に転じようとするなかで、これまでに無かった次元の競争状況(opecの価格決定力の喪失)が生まれているとみられている。