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しいたげられたしいたけ2

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謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー(中国編その6)

エッセイ

連番「その13」通算は前回の追記で3つずれて第16回目です。

わけあってコピペではなくオリジナルの文章に一部手を入れました。当時の会員のハンドルを削除するなどしています。

 01893/01893 CXX02375 わっと 中国のヒーロー6・体の一部分に特徴がある

( 3) --/--/-- --:--

 例によって、名前に体の一部分の名称が含まれるものも含みます。何が「例によって」なのかというと、発言#1866『日本のヒーロー(終)動物に関係がある』でも「名前の中に動物の文字があるものも含めます」と言ったから、という蛇足的注(^^;。
 懲りずにさらにうがった蛇足的解釈を付け加えると、「体の一部」というのは、中国人のトラウマ~食人~を暗示していると解釈できるような気もします。

( 周 )文王・姫昌 …「胸に四乳あり」すなわち副乳の持ち主だったの
           でしょうか?「食人」については発言#1882参
           照。
(春秋)斉の桓公  …易牙(えきが)という料理人は、桓公に取り入るた
           めに自分の子供を蒸し焼きにして食膳に供したと
           いいます。
(春秋)晋の文公  …本名「重耳」。駢脅(へんきょう)といって、あば
           ら骨が一枚の板のようにくっついて見える体格だ
           ったといいます。従臣の介子推は腿の肉を切って
           重耳に食べさせたと言います。
(春秋)孔子    …孔は「あな」(ex.鼻孔、耳孔)。
( 秦 )始皇帝     …魏の出身で請われて秦の将軍になった尉繚という
           人は「鷲鳥(しちょう=鷹)の膺(むね)、豺(さ
           い=やまいぬ)の声、虎狼の心の持ち主」と形容し
           ています。

( 漢 )高祖・劉邦   …黒子。えっと、72個だったか、これは本人によ
           れば「竜王の子」の証なのだそうです。
(三国)蜀先主・劉備…耳が長かったという話は芥川「鼻」にまで出てき
           ます。あと手が膝まであった、とか。
( 唐 )三蔵法師玄奘 …『西遊記』では、坊主の肉を食うと何千年だか何
           万年だか長生きできる、という妖怪から次々に狙
           われます。
( 宋 )呼保義宋江   …梁山泊には、旅人にしびれ薬を盛って饅頭にして
           しまうというとんでもねぇ酒屋までが、同志とし
           て迎えられます(^^;
( 明 )太祖・朱元璋  …出家の経験があるからかなのかどうなのか、
           「禿」とか「光」とかいう文字を弾圧したといい
           ます。
(近代)毛沢東   …「毛」。晩年は不自由したようですが…(^^;シツレイ!

 発言#1866というのは「その7」、#1882は「中国編その3」です。

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「中国編その3」に、nagaichi さんから次のようなコメントをいただきました。 

謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー(中国編その3) - しいたげられたしいたけ2

隋末のガチ食人鬼の朱粲は同時代人に相当憎まれてるし、唐の張巡も人肉を食ったことが非難の種なわけで、食人が許されてるわけではないんですよ。エンターテインメントとしてエキセントリックなほうが面白いわけで。

2015/12/15 01:06

b.hatena.ne.jp

ご指摘ありがとうございました。まことにごもっとも。偏見を助長するような書き方をすべきでなかったと反省します。

日本でだって、戦国時代に秀吉が行った「鳥取の飢〔かつ〕え殺し」や、戦時中の武田泰淳ひかりごけ (新潮文庫)』や大岡昇平野火 (新潮文庫)』のモデルとなったような極限状態の下では「人肉を食べた」という記録がいくらでもあるのですが、それを「日本人は人肉を食べる」と一般化されたら、たまったものではないですよね。

 マンガ『キングダム』が秦の側から戦国史を描いたとき、とりわけのちに秦王となりさらに始皇帝となる嬴政〔えいせい〕を主人公の一人に設定した時、「そう言えば何でそういう物語がなかったんだ?」と、むしろ意外なくらいに感じました。ないことはないのでしょうが、『キングダム』並みにメジャーなものは、すぐには思い浮かびません。 

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

三国志』の曹操は、吉川栄治の有名な「『三国志』の前半の主人公は曹操、後半の主人公は諸葛亮」という言葉があり、それを受けてか『蒼天航路』という人気マンガが1990年代にすでに登場しているのですが(今、気づいたのですが『蒼天航路』の完結が2005年、『キングダム』の連載開始が2006年なので、入れ替わりですね)。

のちの始皇帝こと嬴政〔えいせい〕の生涯をたどると、敵国・趙の人質の子としての出生、長平の戦い後の自国軍による包囲下にある邯鄲からの危機一髪での脱出、何人抜きだかわからない秦王即位、実父との説もある宰相・呂不韋や実母との骨肉の争いと勝利・粛清、六国を次々と滅ぼしての天下統一…と、これほどドラマチックな人生を送った人物は、そうあるものではありません。

また「法度、衡石(はかり)、丈尺(ものさし)を一にし、車は軌を同じくし、書は文字を同じくす」という政策は、統一中国を築く上で不可欠であり、大いに評価されるべきでしょう。

しかしお定まりの後継争いが原因で秦帝国が短命に終わったため、次王朝の漢に仕えた司馬遷が、前王朝のことをよく書けるはずがなかったという事情も、歴史を眺めるとしばしば出てくることです。

ちなみに中国歴代王朝において「まあこれなら後継争いは起きないだろうな」というルールが確立したのは、なんと最後の王朝である清代のことで、宮崎市定雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)』によると、玉座の上に掲げられた扁額の後ろに次帝の名を記した紙片を忍ばせておいて、先帝が崩御したときに初めて開封する、それまで先帝は気に入らなければいつ書き換えてもいい、というものです。たったこれだけのことが2000年間実行できなかったというのも、皇帝制、専制君主制の欠陥の一つかも知れません。

話を戻して、始皇帝を主人公とする物語が誕生しにくい理由の一つに、始皇帝を敵役として描くことがあまりに魅力的だという事情があるかも知れないと思っています。ダース・ベイダーみたいなものです。『刺客列伝』に登場する、始皇帝を狙う刺客たちの、なんと魅力的なことか。

六国の一つ燕国の荊軻〔けいか〕という刺客が、燕の太子の命を受け始皇帝の暗殺を試みる経緯の概要は、以下の通りです。

荊軻始皇帝に接近するため、手土産として燕より秦に割譲する督充〔とくこう〕という土地の地図を用意します。督充というのは現在の北京近郊にある肥沃の地だそうです。さらに、秦から燕に亡命していた樊於期〔はんおき〕という将軍の首級を求めます。燕の太子は、追い詰められて自国を頼ってきた人間を殺すことはできないと断りますが、荊軻は樊将軍を、あなたの首を持参すれば必ず秦王は自分に面会するだろうと直接説得します。秦に残った家族を皆殺しにされている樊将軍は、それが自分にできる唯一の復讐の手段なら、と自刎するのです。さらに「徐夫人〔じょふじん〕の匕首〔ひしゅ〕(=あいくち)」と呼ばれる鋭利な短刀を求め、毛ほどの傷をつければ即死するという猛毒を塗り、さきの地図に巻き込みます。

そして秦国を訪れ始皇帝との面会を果たした荊軻始皇帝を襲うシーンは、陳舜臣中国の歴史(二) (講談社文庫)』からの孫引きになりますが、『史記』の文章を直接引用したいと思います。

 ――秦王〔しんおう〕、図(督充の地図)を発〔ひら〕く。図窮〔きわ〕まって匕首〔ひしゅ〕見〔あら〕わる。因〔よ〕って左手に秦王の袖を把〔と〕り、而して右手に匕首を持ちて之を揕〔さ〕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自〔みずか〕ら引いて起つ。袖絶つ。剣を抜く。剣長し。其の室(鞘〔さや〕)を操〔と〕る。惶急〔こうきゅう〕(火急の際)にして、剣堅〔かた〕し。故に立〔ただ〕ちに抜〔ぬ〕く可〔べ〕からず。荊軻、秦王を逐〔お〕う。秦王、柱を環〔めぐ〕りて走る。……

 (上掲書P225)

ちなみに古いマンガファンには懐かしい本宮ひろ志『大ぼら一代』のラストは、成功と失敗の違いこそあれ荊軻伝のパクリなんです。

秦に滅ぼされた韓の大臣の子で、のちに劉邦の参謀となる張良が、力士を雇い始皇帝を狙って鉄槌を投擲させたエピソードも興味深いのですが、少し長くなったので別の機会に書きたいと思います。

え、李信? 誰それ(ぉぃ