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2015.08.24
北菱鹿島炭鉱跡(夕張市)~最終章
さてさて高校野球も終わりまして、滞っていたブログも少し始めましょう
それにしても仙台育英惜しかった~、東北地区の優勝またしても成らず、残念!
仙台育英(宮城)は東北でも名門校で知られ、いわゆる野球留学生が多いのではと思われがちですが、今年はベンチ入りメンバーの殆どが地元宮城県出身者、自身も応援してましたが冷静に見れば東海大相模が一枚上でした。
今回は、北菱鹿島炭鉱跡の最終章、錆びた遺構を発見したのでさっそく調査してみた。
それにしても仙台育英惜しかった~、東北地区の優勝またしても成らず、残念!
仙台育英(宮城)は東北でも名門校で知られ、いわゆる野球留学生が多いのではと思われがちですが、今年はベンチ入りメンバーの殆どが地元宮城県出身者、自身も応援してましたが冷静に見れば東海大相模が一枚上でした。
今回は、北菱鹿島炭鉱跡の最終章、錆びた遺構を発見したのでさっそく調査してみた。
画像では分かりにくいのですが、これは封鎖された坑口だと思われます。
ベルトコンベアーで、坑道から石炭が運ばれたようですね。 軌道跡も残っており鹿島炭鉱を語る貴重な存在のようです。
周囲には遺構や建物跡が無く、取り残された様に佇んでました。
眼下には、かつての栄枯盛衰を見てきた夕張川が大蛇のように流れ、よく見ると橋脚跡らしきモノも見えた。
2mほどのボタ山が積まれ、眺めは非常によい
この日は、某会社の営業車が1台やってきて、ドライバーが昼寝をしていた。
なるほど幹線道路からは見えないので、外回りでサボる(失礼)、時間つぶしには良いかもしれない
かつての鹿島地区は、平成26年に竣工したシューパロダムにより殆どが水没したが、この辺は免れたようだ。
帰路時、道路沿いには遺構が残っていた。貯水槽のようなモノだろうか
グルリと一周した形で車へと到着、ここは意外に知られていないかもしれない
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