あっすごい。
お願いします。
スタジオに入ってきたのは嵐の二宮和也さん。
この日を楽しみにしていたそうですが一体何が始まるんでしょうか。
やって来たのは歌手で俳優の美輪明宏さん。
きらびやかで圧倒的なパフォーマンス。
まさに…そしてもう一人は映画界の巨匠山田洋次監督。
今夜この豪華な3人のトークが初めて実現しました。
ふだんは嵐のメンバーとして活躍する二宮さん。
よ〜いはい!母さんいってきます!いってらっしゃい。
お〜い待ってくれね!今回のトークのきっかけは今年二宮さんが出演した映画でした。
長崎の原爆をテーマにした山田監督の最新作。
うわっ!
(どよめく声)おはよう町子です。
・
(伸子)は〜い。
私黒木華も二宮さんの恋人役で出演しました。
卵2つももろったとよ。
舞台は70年前。
山田監督は自らも体験した戦争の時代の暮らしや社会状況を丁寧に描いていきました。
でも私たちの世代にとって戦争の時代は遠い歴史の話。
学校で教わった教科書の中だけの世界です。
「戦争はいけないものです。
こんなの二度と起こしてはならない悲劇なんです」って言われたところで…何か待て待てと。
知ろうともしないし手だてがないし気力もないんだよね。
映画をきっかけにあの時代をより深く知りたいと思った二宮さん。
今回それが実現しました。
そういう気持ちも同じように強かったんじゃないですか?私たち色は禁止されてたんですよ戦時中は。
着るもの?色が。
全部禁止。
かなり彼は魅力的にしかも分かりやすい長崎弁をしゃべってると思いますよ。
アクセントの微妙なね。
そうですよね。
うまくつかんでくれたよ君はね。
よかった…。
2人から次々に飛び出したのは教科書にも全く書かれていない驚きのエピソード。
皆さんも一緒に聞いてみませんか?私たちの未来のために。
ちょうど1年前。
今回のトークのきっかけになった映画の製作発表が行われました。
主演の吉永小百合さん。
原爆で息子を失う母親を演じます。
その息子役が二宮和也さん。
私は二宮さんの恋人役で出演しました。
これが83本目の作品となる山田洋次監督。
人生でほとんど最後の映画だと強い思いを語っていました。
少年時代長崎で被爆した美輪明宏さん。
その経験が山田監督の映画作りに大きな影響を与えました。
映画「母と暮せば」。
あの辺に見えたとですよ。
キノコ雲の。
舞台は原爆から3年後の長崎。
人間のすっことじゃなか。
原爆で命を落とした息子が亡霊となって母親のもとへ現れます。
うちは生きてるのが申し訳ないの。
私が演じた息子の恋人。
生き残った事で自分を責め続けている女性です。
お前はもうこの世の人じゃなかやろ。
母と子の愛情。
そして人々の暮らしに刻まれた原爆の深い傷を見つめた作品です。
(浩二)嫌だ。
僕は死んどらん。
映画の時代を実際に生きてきた84歳の山田監督と80歳の美輪さん。
どんな話が飛び出すんでしょうか。
よろしくお願いします。
お手柔らかに。
ハハハッ!もう監督撮られて何年ですか?一番最初から数えて。
もう半世紀。
50…50。
やっぱり大変な作業ですか?それとも楽しい作業なんですか?結果として楽しいからやってるんでしょうね。
まあそうですよね。
だけどどんな仕事だってそうじゃないの?とてもつらかったり嫌だったり苦しかったりするじゃないの。
でもそのそういう事を経て何か出来上がった時にまあしかも封切られて上映した時にああやったなっていう感じが充足感があるとすればそれを当てにしてまた次作るっていう事になるわね。
それがやっぱり映画の善しあしであるとか。
何でもそうじゃないでしょうかね。
登ってる時は苦しくてもう二度と登るものかと思うんだけどそしてまた下りてくるとまた恋しくなって楽しさばかりを思い出してそしてまた登っていくみたいなね。
でも絵を描くんだって小説書くんだって芝居を作るんだってそういう感じってありますでしょう?はい。
それが分かっちゃうとやっぱり苦しいっていうのが分かっていても続けて…。
半ば中毒になるんですね。
こういう商売は。
そう思いになりません?そうですね。
だから山田さんも中毒でいらっしゃると。
そうそう。
お兄ちゃん?山田監督の代表作シリーズ48本を数える「男はつらいよ」。
お兄ちゃん!さくら!映画の舞台といえば飾・柴又。
同じ飾出身の二宮さんにとって山田監督は神様みたいな人。
今回映画に出るのは本当に夢のような話だったそうです。
美輪さん芸歴は?もっとあるでしょう。
64年ですから昭和26年からですね。
いやすごいなあ。
それでギャラ頂いたのがプロとしての最初の仕事ですから。
進駐軍なんですね。
「進駐軍」って言いません?70年前戦争に負けた日本を占領していたのがアメリカなどの進駐軍。
美輪さんがデビューしたのは占領が続いていた1951年の事でした。
今では愛と美のカリスマと呼ばれる美輪さん。
当時は進駐軍のキャンプでアメリカ兵を相手に歌っていたそうです。
あの時代にいろんな音楽家が出てるんだよね。
進駐軍のジャズっていう時代があって。
そうね秋吉敏子とか中村八大とか。
そこからなんですね。
みんなそこから出たの。
クレージーキャッツなんかもねあそこから出てきて。
そうなんですか?じゃそこから始まってる。
キャンプのとこから。
アメリカの音楽って事だけども。
僕らもそうですけど戦争を知らない世代とか若い人たちがだんだん大人になっていく時代になってきたじゃないですか今。
そういう時に監督なんかは今回この70年っていう年にこの映画を選んだわけじゃないですか。
それはやっぱり…。
一番根元のとこには僕はこれ「母と暮せば」はね母と息子の話だなっていうふうにピンときた。
そういう映画を作ろうと思ったって事はこの何て言うかなほんとに自分のおなかから生まれてこうして大きくなっていくんだからね。
この愛情を丁寧に描きたいなと。
それはつまり息子が戦争で殺されてしまったって事によってより強く出ていくんじゃないかってそれは。
その悲しみを描く事がつまり親子の愛情を描く事になるんじゃないかって事にもなる。
それを通して今度はじゃなぜ子どもは息子は死んじゃったのかと言えばそれはその背景に戦争ってものがあるんだっていう。
でこの国はそういう70年前にそういう長い歴史の中でも際立ってこの20世紀ってのはね日本人が忘れちゃいけない時代だって事を。
そのためにはちゃんとお母さんと子どもの情愛っていうものを丁寧にきちんと正確に描かなきゃいけない。
それが第一にあったね。
ちょっと美輪さんに見てもらいたいですね。
そうね。
是非。
かなり彼は魅力的にしかも分かりやすい長崎弁をしゃべってると思いますよ。
アクセントの微妙なね。
そうですよね。
うまくつかんでくれたよ君はね。
よかった…。
僕の中では結構今回の役っていうのはもう監督のちっちゃい頃なんだろうなって思ったんです。
なるほどね。
初めて聞いたよ。
やっぱこうお母さんとの思い出だったりとか。
そうか。
お母さんとの向き合い方っていうのはやっぱ何かどうしたらいいのかなあ。
それを考えた時にあっこれは多分監督がちっちゃい頃の思い出も絶対的に多分に入ってるんだって思ってからは…。
そう解釈したわけ?そうなんです。
それからはずっと遠くから監督見ながらああいうこういう触り方なんだなとかっていう。
確かに僕もよく笑う少年であり人を笑わせるのが好きな少年だったかもしれないね。
確かにそれはそうだな。
それからはすごい楽しくなって。
もちろん内容は内容なんですけどこの監督のちっちゃい頃を独自に探っていくというか。
そうか。
1931年生まれの山田監督。
中国の東北部・旧満州で少年時代を過ごしました。
日本が戦争に負けたあと家族は着の身着のままで命からがら帰国したといいます。
貧しくて食べ物がなかった時代の記憶を撮影中私たちによく語ってくれました。
実際に体験した人だからこそ語れる当時の話。
まだまだ私たちが知らないエピソードがたくさんありそうです。
私たちは色は禁止されてたんですよ戦時中は。
着るもの?色が。
色が駄目なの。
明るいきれいな色は。
全部禁止。
駄目なんだ。
だから男は国民服。
女はどぶねずみ色のもんぺ。
あとはうちの母なんて上海の服装学院で学んだんで洋裁全部作れてたの。
それできれいなイブニングみたいなねワンピース着て乳母車押してたら警察に呼ばれて…それでお手伝いさん呼んで目の前で着替えさせられて。
そういう事を平気でしたんだ当時の警察はね。
そうだったの。
音楽も流行歌聴いてるでしょ。
チクられちゃうんですよ。
密告されちゃうの。
…なんていうのとかね。
…なんていうのを聴いてる。
そうすると「あそこは不謹慎だ」っていうんで隣組から密告されて。
退廃的だっていうんだね。
美は軟弱である国策に反する。
だから一切文化は駄目だったの。
そういう時代ですよ日本は。
じゃほんとに娯楽とかがほんとにもうそのつどそのつど止められて。
間違いなく…。
悪だったの。
だって敵性用語も使っちゃならないっていうの。
それはすごいな。
「バイオリン」を何と言ったと思います?「『バイオリン』はいけない」って言うんですよ。
「じゃ何と言ったらいいんですか」って言ったら…でもすごい長くなっちゃうんですねいろんなのが。
軍歌以外は歌っちゃならない。
そういうものばっかり。
そんな歌ばっかりでしたね。
ええそういう歌ばっかり。
あとは駄目。
そうなの。
そういう時代だったんですもんねでもね。
すごい時代でしょ。
すごい時代。
どう思います?考えられないですよ。
いやまあ考えようがないんですよ。
いろんな国からのそういう文化が入ってきて生まれてきてる僕らからすると。
確かに今からは考えられない時代です。
私と二宮さんが今回演じる事になった70年前の若者たち。
どんな思いで過ごしていたのか想像もつきません。
かっこいいですよ。
町子がね?
(伸子)かわいい先生よ。
映画で二宮さん演じる浩二は明るい性格の青年として描かれています。
教室にあの子がおるだけでぱぁ〜っと明るうなって子どもたちはみんなさあ勉強すっぞ〜って気分になるよきっと!音楽が好きで恋もしている普通の若者。
そうした日常の暮らしが次第に戦争にむしばまれていきます。
え?町子は好きな人おっと?おる。
誰?実は浩二という役にはモデルがいました。
23歳の若さで戦死した詩人・竹内浩三です。
竹内には映画監督になりたいという夢もありました。
戦時中映画の専門学校に通っていた竹内。
しかし若く健康な男性は次々と戦地に送られていきました。
「戦死とはあわれなものだ。
ふるさとやこいびとの姿がふいに消えてしまう。
それがあわれだ」。
そう詩に詠んだ竹内。
(砲声)映画で描かれた70年前。
私たちと変わらない若者たちが戦争で次々と命を奪われた時代でした。
僕が頂いた浩二っていう役は竹内浩三さんっていう方がモデルになって肉がついていくんですけど。
まあ僕もこの人の出ているものしか読めてはないんですけどそこからユーモアみたいなものももちろんあったんですけど。
最初に竹内浩三って僕が言ったのはこの子はとにかく笑う事が好きで人を笑わせるのが大好きで自分でも漫画描いたり何かする。
そういう意味で竹内浩三とね…モデルになって。
つまりこれね出征してからの写真だけども軍服着ても何となくほらユーモラスな雰囲気が。
こういう兵隊ってあまりいないですよね。
だからこの兵隊の軍服着ても彼は彼の個性を奪えないっていうかなこのいたずら好きなねひょうきんな。
僕この写真とても僕好きなんですけども。
こういうきっと青年だったんだろうとしきりに思ってね。
優しさですね。
そうですね。
やっぱり長崎が中心になるお話が映画化されるっていうのはやっぱり特別な思いというのはおありですか?そりゃありますよ。
原爆のあとにね小学校の校庭という…いっぱい小学校がありますでしょ。
校庭という校庭はね死体がずら〜っと…死体置き場だったんですよ焼け死んだ方たちのね。
それがずら〜っと並んでて。
それで焼け残ったうちの木材を積み上げてそこへ戸板に乗せた死体を放り込んでね焼いていくんですね。
でその時に親子の死体はね引き離せないぐらいにね自分は焼け死んでも子どもは助けたいっていうんで上に覆いかぶさっておなかの下にしっかり抱き込んで。
あれを思い出すとね…。
さっさと警防団の人たちがねそれを掘り起こしたり。
…なんておっしゃっててね。
そういう形の死骸が多かったんですってね。
親がかぶさっているというね。
そうです。
そういうのがいっぱいあったんですよ。
70年前日本に2つの原子爆弾が落とされました。
そして8月9日。
もう一つの原子爆弾が落とされたのが長崎です。
長崎ではその年だけでおよそ7万4,000人が亡くなりました。
負傷した人は7万5,000人を超え原爆によって壊滅的な被害を受けました。
長崎出身の美輪さん。
繁華街にあった自宅では両親がカフェを営んでいました。
美輪さんが10歳の時。
自宅で被爆しました。
その時の話を直接聞くのは今回が初めてです。
でそれで学校で貼り出されますでしょ。
遠くから引いて見るという。
でそれで出来上がって引いて見て。
そのお宅で?はい。
で2階だったんですけども一面が端から端までが全部ガラス張りだったんです。
うちはねガラス戸で。
すごくいい天気だったんですよ。
でもねいい天気なのにいきなりマグネシウムを100万個ぐらいたいたようなねピカッと光ったんですよ。
ピカッと光って「あれ?こんないい天気に雷…」と思うか思わないか一瞬その一瞬の時に…シーンとなった途端に今度は世界中の音を全部集めたような「ドッバーン!」と。
あんな大きな音ってこの世にないですよね。
それでブワーッとなって。
で目の前のガラスが一瞬になくなるんです。
割れるんじゃなくてピーッと飛ぶんですね。
飛んでいくんですか。
溶けるとも違うんだ。
飛ぶんですよ。
飛んだんだろうな。
あの…爆風でさく裂したみたいになって。
だからあれものすごい力ですね。
ええ。
馬が倒れてるんですよ馬車引きの。
ドタッと。
そしてその馬車引きのおじさんみたいなのがねあの…フライパンで豆を煎るとピュッピュッピュッピュッ跳び上がるじゃないですか跳ねるみたいな。
ああいうふうになって…。
けいれんして跳び上がってんですよピンピンピンピン。
人間が…そのおじさんが?そのおじさんみたいな人がね。
もうおじさんに見えないんですよ全部ボロボロになってるから。
真っ赤…。
死ぬ直前だったんでしょうねきっとね。
そうでしょうね。
ただれちゃってるんだ。
あまりそれを…何も見ないようにして逃げて。
でそれでまあいろんな事がありましたけどね。
もう地獄でしたよ。
いわゆるその…日本っていうところがやっぱり唯一原爆が落ちた国でもあるわけじゃないですか。
その一つの都市の話ですけどその監督が思う原爆核。
でそう。
だからそこまでほんとは考えてほしいよね。
その事を含めてもちろん戦争の悲惨さというのもさんざん言う事たくさんあるけどもそれを含めてねそうか原爆が落ちるってのは一人の市民にとってそういう事なんだ。
しかも一人の市民たって美輪さんはともかく辛うじて生き残ってる人だ。
一発で死んじゃった人が何十万何万もいるわけなんだけども。
僕は随分この脚本を書くにあたっていろんな被爆者の語ってる書き残したものも読んだしそれから実際被爆者に会っていろんな話聞いたけども美輪さんの話を聞いてるとものすごく力強くイメージが伝わってくるっていう事はねそれはねやっぱり美輪さんが表現者だからだなと思うんだよね。
だからほんとに美輪さん以上に怖い体験をした人はそれはいるだろうけどもその人が的確にその時の怖い状況を伝えられるかどうかってそれはまた別なんだな。
そういう人って意外にものを言わなくなったりするじゃないの。
あるいはもう記憶がほとんどなかったとか。
表現する手だてがね。
そうそうそうそう。
美輪さんは表現者だからそれをこう正確に力強くちゃんと教えてくれるわけじゃない。
それは表現者の役割だろうと思うんだよね。
そういう事をこうつまり…例えば戦争について「それはこういう事なんだ」って事をいろんな角度からいろんな形で伝えるって事は僕たち表現者の大きな役割なんだなって事を今度の仕事を通して思ったね。
私が演じた女性が原爆の体験を語る場面。
友達が亡くなっていった様子をどう表現すればいいのか…。
はいもう一回お願いします。
よ〜い…はい!睦子さんも立石さんも工場の天井が落ちて…。
はい。
天井が落ちる。
こうだよ。
山田監督は何度もテストを繰り返し当時の状況を想像する事を求めました。
想像するのがとても難しくてでも一番伝えなければいけない事でした。
本番テストいこう。
はい本番テストいこう。
いきますよ。
いくよ!はいまいります。
よ〜い…はい!8月9日睦子さんも立石さんも工場の天井が落ちて動けなくなって助けて助けてと言いながら火に焼かれて死んでしもうたの。
いわゆる戦後70年っていうのが今年に当たるわけじゃないですか。
そういう経験をして。
で一応山田さんもそういう戦争という事を経験した後に…。
僕もしてるよ。
山田さんは私より3つか4つ上。
僕は中学1年でしたからね。
じゃああの…竹やりの練習させられた方ですか?そうですね。
向こうは原爆つくってんですよね。
そうそうこっちは竹やりで。
私たちは竹やり作ってたの。
すごいよなあ。
向こうは火炎放射器バズーカ砲ですよ。
そしたらねある日ねなぎなたを捨てて「おいっちにいさんし」変な事やってんですよみんな。
「あれ何やってんのかしら?」って言ったらね「敵兵が上陸した時に操を守るための敵兵の金玉の握り潰し方です」。
そういうのをやってたんだ。
真面目な顔でね。
野蛮でしょう?知性のかけらもないんです。
それを真面目にやってるんですね。
真面目にやってたんですよ。
それぐらいのね知性だったんですよ。
いかにねつまり開発途上国だったかという事ですよ日本が。
美輪さんの代表作「ヨイトマケの唄」。
世代を超えて愛されている母と子の深い絆を歌った歌です。
戦時中まだ少年だった美輪さん。
そのころ見たある母と子の姿が今も目に焼きついて離れないといいます。
うちのカフェの店でねカウンターの中にいてまあお掃除や何かもやるしお給仕もするしシェーカーも振るしっていうボーイさんが4〜5人いたんですよ。
でそして何人か出征した時にサンちゃんだけとってもかわいがってくれてたのね。
「サンちゃん」って言うんですか?「サンちゃん」って言うんですよ。
それでサンちゃんが出征するっていうんで…。
もうどんどんどんどん若い人が戦争に連れていかれた。
そういう時代だったんだなあ。
で駅へね長崎駅へみんなで送りに行ったの。
で田舎の人も来てて。
その中にお母さんもお兄さんたちと来てて。
でこんなちっちゃいね。
お母さん。
小さい背の曲がったお母さんで。
それで来てる人たちに「ありがとうございます」。
みんな一応「万歳」なんて言いましたか。
おじぎして挨拶してて。
でいよいよ出る時になってでタラップのとこにサンちゃんがこうやって立ってたわけですよ。
で私たち「勝って来るぞと勇ましく」って歌った。
それで万歳三唱です。
「ばんざ〜いばんざ〜いばんざ〜い」って終わったところで汽笛が鳴ってそれで煙が出てでゆっくりこうシュッシュッシュッと…出かかった時にその後ろの方でこうやってたお母さんがいきなり!どこにあんな力があったんだろうと思うくらいに私たちをバーッと突き飛ばしちゃって…。
もう形相変わってね突き飛ばしちゃってね。
でいきなりサンちゃんの足元にこうやってしがみついたの。
しがみついたんですか。
動いてんですよねでも汽車はね。
もう動きかけてんですよ。
昔の汽車だからゆっくり…。
動きながらだな歩きながらだな。
そう。
でとにかくしがみついちゃったんですよこんなんなって。
で倒れ込んで。
そうしたらね憲兵みたいな軍属が立ってるわけ何人か。
それが「貴様〜」って言ってそれでいきなり来ちゃってそのお母さんの襟首つかんでそしてバーンって「非国民!」って言って突き飛ばしちゃったの。
そしたら鉄柱が駅にホームにあるじゃないですか。
あれで悪い事に頭ぶつけちゃったらしくて。
で振り返った時には血が流れてんのダーッと。
でそしたら私やばいと思ってサンちゃんの顔ふっと見たらね…サンちゃんも汽車でどんどん向こうに遠ざかりつつ。
向こうにこういうふうにやって行ってるんだけども…。
その顔がねあの目は一生忘れられませんよ。
すごい目してんの。
だってそうでしょう。
生まれてこの方育ててもらってるんですよ。
一番最後に見た母親の顔が…。
もう二度と会えないだろう。
ねえ。
突き飛ばされてねで「非国民!」って言ってね。
かわいそうにね。
…って言われちゃったんですよ。
この世の最後に見た母親の姿がね血だらけになってねそういうののしられた姿を見ながら出征していってで戦死したんですよ。
戦死したんですかサンちゃんは。
それでしばらくたってからお兄さんが…お母さんはみえなかったんですけどお兄さんがうちへね挨拶にみえて。
かわいそうでしたよ。
ええ。
その一つだって戦争は許せないですよね。
でしょう。
そういうものがいっぱいあったんですよ。
何百万もあったんですよ。
私はねもうそういうのをいっぱい目撃してきましたからね。
だから私はもう…。
日本各地でそれが…。
それが戦争なんだよね。
…あったって事でしょう?そうなの。
(玉音放送)今から70年前の1945年8月15日戦争が終わりました。
日本人だけで310万人を超える人たちが亡くなりました。
戦争の焼け跡に立ち2人の少年は何を感じていたんでしょうか。
あの…日本は戦争に負けない国だって事になってたのよ。
フフフフ…。
そう。
神風が来て神様が助けてくれる。
考えたら相当ばかな事をね僕たちは信じてた。
ところがほら負けたという事になっちゃったじゃない。
それでだから…それは何かやっぱ信じられなかったんですか?信じられないっていうか負けるなんて事があるのか。
いずれ軍人の学校に入って戦死するんだと俺も。
このお国のためにね。
そうは思ってるけども何か怖いなという変な意気地のない気持ちもどこかにあったんだけども…あのほっとした感じは何だろうと思うね。
戦後のあの時代の生活はとてもつらかったけどもこれから良くなる一方じゃないかと思ってた。
配給も少しずつ少しずつ回復していくしね。
それから…そういう事もものすごく当時の日本人はみんな「うわ〜すごい」と思ってたわけだよね。
それから空襲でビルがみんな崩れてしまってるから何か空も広いっていうかな。
でまだ公害もないから青くてね。
何かそんな雰囲気の日本の中でこれからきっと良くなる。
しかも民主主義というまだよく分からないけども新しいアメリカのアメリカの新しいシステムでこの国は変わっていくんだと。
今まで戦争していた相手のシステムを学んでね。
何て言うのかなこの…。
食べ物も求めたけども同時に何て言うんですかいい音楽を聴きたいとか…。
そう!いい映画を見たいというそういう気持ちも同じように強かったんじゃないですか?だからね…ところがアメリカのものがどっと入ってきたの。
エルビス・プレスリー辺りからアメリカ文化になってきたわけ。
どっとそうなるんですね急に。
全てが。
そうそう。
監督はそういう思いはありましたか?ただもう普通にいい音楽いい映画を見たいっていうふうに思っている少年…。
まあそうだねあの…あれは1948年。
ちょうどこの映画の頃じゃないかな。
山口県の僕のいた田舎に大きいホールが残ってたんだね。
大体全てのホールはみんな空襲で壊れたんだけどその田舎にホールが残っててそこでねオペラを「椿姫」を上演するって事があって。
僕中学生だったけどねもうそれは大変な事だったね。
町を挙げての大騒ぎで。
オペラが来る。
高いしね。
バーッと特別な人だけが買ってしまって…。
僕たちはみんな自転車に乗ってその晩公会堂の周りにいて周りでね…あの…そんな時代だったね。
とにかくそのあの…それはその中にもちろんアメリカのジャズもありクラシックもあり。
それはきっと…おなかがすいてるんだけども着るものがなくて寒いんだけども。
そんな時代だったような気がするね。
良くなっていく。
うん。
良くなっていく事だけっていうかなもうこれ以上悪くはならないっていうかな。
それは今の君たちの時代と随分違うと思うよ。
今はとっても不安が多いでしょ。
多い。
どうなるだろうと思ってんじゃないの。
うん。
どこをつっついてもいろんなこうつまり…先行きが不透明とよく言うけどもね。
随分違いますね今はねそういう意味じゃね。
つらい時代ですよね。
私たちが生きる今の時代。
山田監督が言うように将来への不安が多くて希望が持ちにくい時代だと思います。
就職の事格差の問題高齢化する社会。
身近な心配ばかりでなかなか戦争の事を考える機会はありません。
僕なんかはそういう体験がないわけじゃないですか。
監督が書かれたやつであったりとか作品でしか触れる事がやっぱりないわけじゃないですか。
それでもこんな機会もないわけで普通の人だったら。
まだお話を聞けてる方だと思うんですけど。
そういう人たちにやっぱりこう…今何を感じてもらいたいのかなあとお二人は。
例えば戦争っていうものについて地上にず〜っと戦争が例えば中近東なんかしょっちゅう戦争してるわね。
民族紛争を含めてね。
なぜなくならないんだろうかっていう事。
人間はほんとに賢くなっているのだろうか昔に比べてね。
きな臭いんだ今。
ねっ。
そうね。
まあ巡ってんだな。
もう足元まで忍び寄ってんのひたひたと。
それに気付いてないの。
そう。
波打ち際にいるんですよ。
もう。
そう。
もう足がぬれかけてるの砂浜で。
やっぱり戦争ってのはどんなに大きな罪悪かって事は繰り返し僕たちはそれほど感じてない若者に対して伝えていかなきゃいけないと思うのね。
何かやっぱり僕らってどうしても歴史で授業でページめくって書いてある事っていう考えなんだけど。
分かります。
…っていうのは私が1935年昭和10年生まれでしょ。
それより70年前っていったら明治なんですよ。
日露戦争の頃の感じですかね。
日露戦争より前ぐらいです。
もっと前か。
ちょうど幕末の頃ですよね。
幕末の頃になるんだ。
そうか美輪さんから70年…。
昔は時間がゆっくり流れてたからだから私たちが小さい頃も…。
薩長の西郷隆盛が攻めていった時のその時の歌がまだね残ってたんですもん。
まだ明治維新か。
そう。
すごいですよね。
だから何かそういう事を…。
それでしょう?そう。
ほんとにそう。
それがやっぱ分からないからみんな。
で今聞いててこれ歴史の話じゃないんだなっていう。
昔話であってちゃんとこう昔話として聞くと…。
そうそう。
歴史っていうのはそういう事を含めてあると考えた方がいいんじゃないかしらね。
単に歴史「千何百何十年何があった」じゃなくて…そうそうそうそうそうなんです。
それをちゃんとね学びとらないといけないですね。
撮影現場で繰り返し山田監督が口にした言葉があります。
「70年前を生きた人たちの喜びや悲しみそして痛みを懸命に想像する事が大事なんだ」。
あの…そんなふうにいつも僕は思いますね。
今の若者とかを見ていてっていうのも変だけど何を感じ取る…。
もし言いたい事が…とかいろいろあると思うんですけど。
でもね例えばスポーツ界でも錦織君とか羽生君が出てきた。
それで浅田真央ちゃん。
世界的に技術を持っていながら謙虚で親孝行で言葉遣いもちゃんとしてて品が良くて仲間とはとても仲が良くて対戦相手の悪口を決して言わない。
言わないですね。
そういう事を…。
白井健三君なんてまだ若いけどまた出てきたでしょう。
それで女優さんや俳優さんでもあなたたちも含めてね…。
いやいや…。
正統派の若い子たちも出てきてるわけですよ。
だから私は「ああ日本もまんざら捨てたもんじゃないな」と思ってるわけ。
ほんとにそう思いたいですね。
そうおっしゃるとほんとにねほっとするな。
だからそういう事で自信を持っていいと思うの。
(スタッフ)すみません…あらあしたまでしゃべるんじゃなかったの?
(笑い)本日はありがとうございました。
あの2人はちゃんとその事柄に要は戦争という事を経てそれをちゃんと自分の中で消化して昔の話としてああやって語れる。
昔話としてこう…お話できるっていうのはすごい貴重だなと思う。
すごい…「ああ昔話だったんだ」ってよりこうリアルにというか昔の話に色がつき始めたなという感じが今日お話をさせてもらって聞かせてもらって思ったのが正直なところでしたね。
モノクロだった戦争の時代が色づき始めたと語った二宮さん。
遠い歴史をリアルに感じるためにあなたも一歩踏み出してみませんか。
「未来のために」。
2015/12/18(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
山田洋次×美輪明宏×二宮和也 未来のために[字]
豪華な3人のトークが実現する。映画界の巨匠・山田洋次。愛と美のカリスマ・美輪明宏。絶大な人気を誇る嵐の二宮和也。未来のための貴重な「話」が詰まった50分間だ。
詳細情報
番組内容
年の瀬、豪華な3人のトークが実現する。映画界の巨匠・山田洋次。愛と美のカリスマ・美輪明宏。絶大な人気を誇る嵐の二宮和也。きっかけは山田の最新作だ。長崎の原爆をテーマにした映画に出演した二宮と被爆者として山田の相談にのった美輪。意気投合した3人が変幻自在のトークを繰り広げる。日本の戦中・戦後を見つめてきた2人に、二宮がどうしても聞きたかったコト。教科書では分からない“あの時代”が伝わる50分だ。
出演者
【出演】二宮和也,山田洋次,美輪明宏,【語り】黒木華
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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