「闇のキャンディーズ」問題で問われなかったかに見えたこと
昨日のエントリーを書いたあと、ちょっとためらいの気持ちが残った。というか、あえて書かない部分があった。書かなくてもわかる人もいるかもしれないが、とも少しは思ったが、まあそういう期待どころか、実際には書くといっそう混乱を招きそうにも思えた。まあ、だからお前なんかブログ書くなと言われるわけでもあるが、さて。
しかしエントリーを改めてその部分を簡単に書くと、「闇のキャンディーズ」さんも佐野研二郎氏と同様の意味あいで(参照)「詰め腹」だったのではないかと思っていたのだった。
率直なところまだためらう気持ちはあるが(その理由はたぶん今回はあえて書かないつもりだが)、それでも想定通りの誤解がぞろぞろと自分に向けられてくるようでもあり、しかしだからといって書いても理解が進むわけではないだろうとは思う。くだくだ、と。でも、少し書いておこう。
まず、簡単な疑問を一つ。
「闇のキャンディーズ」さんは「新潟日報」で結果的に懲罰を受けることになったのだが、その懲罰規定は何だったか?
愚問のように聞こえるかもしれないが、私は当然気になっていた。懲罰規定がないところで恣意的に懲罰を行ってはならないと考えるからだ。
答えは新潟日報が記していた。「元部長、無期限懲戒休職に」(参照)である。
新潟日報社は26日、インターネットの投稿サイト「ツイッター」上で新潟市の弁護士高島章氏を中傷するなどの書き込みをした坂本秀樹元上越支社報道部長(53)=25日付で同部長職を解き経営管理本部付=を懲戒休職(無給・無期限)処分とした。
新潟日報社は元部長の書き込みについて、過去のものも含めて内容や経緯などを詳しく調査してきた。
調査結果では、元部長は2011(平成23)年3月ごろから社に届け出ることなく匿名で投稿を始めた。13年ごろからツイッター上での論争の中などで、人権侵害や差別につながるような内容を、著しく品位を欠いた表現で繰り返し投稿していた。
桑山稔・取締役経営管理本部長の話 極めて不適切な行為であり、不快な思いをされた関係者の皆さまに深くおわび申し上げます。新潟日報社ではインターネット上への書き込みに当たっては、個人としての投稿などの場合でも会社への届け出を求め、品位を欠く書き込みを禁止する社内規定を設けて指導してきました。今後は会員制交流サイト(SNS)などの運用基準や指導体制をさらに強化するとともに、全社員を対象とした研修を早急に開催するなどして社員教育を徹底します。
これで理解できるだろうか。
そう、私にはさっぱり理解できないのであった。
規定は2つ読み取れる。①個人としての投稿などの場合でも会社への届け出を求める、②品位を欠く書き込みを禁止する、の2つである。
一番目の規定は曖昧ではあるが、これが通用するのは、私の理解では2つの条件がある。①会社との労働契約による職務専念義務や守秘義務に反する従業員の行為を会社は禁止できる、②業務時間内での投稿は禁止できる、の2つである。
逆に言えば、その2つの条件がなければ、新潟日報の規定は無効である。ではどうだったのか? 「闇のキャンディーズ」さんに秘守義務違反はあったか? 業務時間内での投稿であったか? しかし、新潟日報の釈明を見ると、そうした部分には記述はなく、そもそも関心が向けてないように読める。
次に、2点目の規制である「品位を欠く書き込み」はどうかである。これは今回の事例では自明であるかのように思えるだろう? が、そこが実は難しい。
まず、前提を整理しておきたいのだが、「闇のキャンディーズ」事件にはこうした点から見れば、2つの局面があった。①高島弁護士との関係の問題、②新潟日報記者としての問題である。前者の問題はここでは扱わないし、そもそもこれは、高島弁護士と「闇のキャンディーズ」さんの二人の閉じた問題である(もちろん、それに波及する水俣病問題はあるにせよ)。そして私なら懲罰に結びつくような行動は取らなかったかもしれないなという話は昨日書いた。
なので、ここでの焦点は新潟日報記者としての「品位を欠く書き込み」になる。
改めて問うのだが、「品位を欠く書き込み」とはどのような規定なのだろうか。例えば、「昨晩掘られて今朝、ケツの穴が痛くて泣いちゃいましたよ」とかいうのは、著しく品性を欠く書き込みだし、私のようにダジャレの連発ツイートをするブロガーも著しく品性を欠いている。しかしそれで厳格な懲罰が必要だとは思えない。実際のところ、「闇のキャンディーズ」さんも今回の事態では、酒に酔ったうえでのことだと釈明したが、酒で免責されるような品位であると理解していた。
どういうことか。簡単にいえば、新潟日報は「品性」を借りて、曖昧な権力を行使した可能性はあるだろうと疑っている。
では曖昧ではなくするにはどうしたらよいのか? これは簡単である。この事件について、社内で行った調査の内情について、社内規定と付きあわせて調査班によるレポートを提出すればよいのである。社内でできないといなら、第三者なりあるいは、新潟日報を批判的に見つめる役割の人が語ればよいのである。
が、それが見つからなかった。
存在しないのではないかとも思う。そう思う理由がある。実はすでに新潟日報には「ソーシャル編集委員」が存在しているのだが、その方の寄稿にまったくそうした観点が見られないのである(参照)。
このあたりから、新潟日報の対応はかなりおかしいのではないかと思う。そして、それが解明されなければ、「闇のキャンディーズ」さんも「詰め腹」ではないかという疑問は強く残る。
それに関連してそれ以上に深刻な疑問が「新潟日報」には残っている。
「闇のキャンディーズ」さんは「新潟日報上越支社報道部長」として報道されているが、その要職にあるということは、これまでの新潟日報の報道に、彼による問題が関係していなかったかが再度吟味される必要があるのではないか?
ここは理解されにくいと思うので、補足する。
「品性を欠いている」という内容が、個人的な性癖といったごく個人的なことであれば、新潟日報という報道社として公的な問題とは言えない。公的な問題となるためには、公的な市民社会に「品性を欠いている」ことが明白でなければならない。そして、それが明白であるなら、この行為はむしろ、ツイッターに限定されず、むしろ業務のなかに紛れ込んでいる可能性を疑うべきだろう。新潟日報が社として調査するのであれば、むしろ、その部分が中心になるべきだろう。
だが、そうした動向はまったく見られないのである。
このことに私がこだわっているのは、やはり「詰め腹」疑惑があるからだ。本当に「闇のキャンディーズ」さんは新潟日報において、社内に知られず孤立して一人たんたんと「品性を欠いてい」たのだろうか?
あまりここでは詳細に扱わないが、売り言葉に買い言葉といった冗談の一種であったのかもしれないが、「闇のキャンディーズ」さんの過去ツイートを見ると、「品性を欠いている」ことよりも、政治活動について日当なり資金を得ていたことをほのめかす話をしていたことのほうが重大であると思える。
問題点がわかりにくい人もいると思うので、比喩的に言うのだが、これが日本のようにのんきな国でなければ、「闇のキャンディーズ」さんのこのような行動は他国スパイの疑惑があって当然だろう。もちろん、そうほのめかしたいわけではないが、とりあえず本人の発言はあった。一般的にジャーナリストの政治活動について裏から暗黙の資金が流れていたとしたら、そのほうがはるかに新潟日報にとって危機的な問題であるはずだ。その疑惑があるなら、釈明にかなりはっきりとした調査報告が必要になるだろう。
まあ、そう思った。
そう思う人は、私の視野の範囲ではいかなかったようにも思っていた。なので、私も黙っていようかなとも思っていた。
| 固定リンク
「時事」カテゴリの記事
- 「闇のキャンディーズ」問題で問われなかったかに見えたこと(2015.12.18)
- 同志社大学長選の村田晃嗣氏落選で「もや」っと思ったこと(2015.12.16)
- ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題(2015.12.15)
- 焦点化と非焦点化(2015.11.02)
- シリア難民の子どもの遺体がトルコの浜辺に漂着した写真が引き起こした報道について(2015.09.06)
コメント