親日との批判を受けないための
“韓国的なバランス”の解決か
これは親日との批判を誰も受けない形で解決する、韓国的な知恵なのかもしれない。
韓国において、現時点で加藤前支局長に実刑判決を下すことを喜ぶ者はいないであろう。起訴した時点では、大統領自身それを望んでいたという噂があったが、現在は日本との関係の改善に努力している時である。加藤前支局長に対する実刑判決は、日本国内の反発と、韓国異質論を高めるだけであり、関係改善の障害になる。今回の判決公判にも日本の記者が殺到し、韓国の記者はそれよりだいぶ遅れてきたようである。それだけ日本において関心の高かった判決である。
セウォル号事件の当時は、朴大統領の事故対応に対し、国内の批判が高まり、支持率が29%まで低迷していた。そして、加藤前支局長の記事は、朴大統領が事件当時、不適切な行動をとっていたとの印象を与えかねず、許せないものであったであろう。しかし、現在は国定教科書問題(注)で支持率の低下が見られるとしても、40%台である。記事の悪影響は既になくなっている。さらに加藤前支局長を起訴し、裁判に処したことにはマスメディアを中心に国際的な批判がある。
他方、加藤前支局長を裁判所が無罪にすることは、これまでの韓国政府の対応を全面否定しかねず、加藤氏の記事を快く思わない人々から厳しく糾弾される恐れもあった。また、記事の信憑性について認めたような印象を与えたくもない。できれば判決自体を避け、産経側の反省と謝罪を取り付けて、恩を売る形で収めたかったと考えても不思議ではないだろう。
判決を3週間遅らせたのは、国際的な事例を研究するためとしているが、実際には、その間に双方が受けられる案で取引し、宣告猶予としようとしたのではないか、と憶測することは不見識であろうか(マスコミ関係者もそのような噂があると述べている)。
しかし、産経新聞側はこれに応じなかった。産経新聞にしてみれば、あくまでも報道の自由の原則は曲げられず、韓国側の取引に応じ、自らの非を認めることはできないと考えたのであろう。
(注)現在の韓国の教科書は検定制度を取っているが、従来の教科書には、朝鮮戦争は北朝鮮が仕掛けたものであることを認めないなど北朝鮮寄りの記述をし、事実誤認を修正しないなど、思想的偏向があることが問題とされてきた。しかし、こうした状況を是正するためとはいえ、国定教科書としたことで、朴槿恵大統領が父である朴正熙大統領の独裁政治を正当化しようとする意図であるとの疑念が広がっている。