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 絵を描くことは芸術行為なのか、宗教行為なのか。同じ《蝋燭(ろうそく)》というタイトルで十数点並んだ高島野十郎(1890~1975年)の油彩画を見ていて、ふとそんな疑問が湧いた。展示されているのは、福岡県立美術館(福岡市)で開かれている「没後40年 高島野十郎展」。生涯の画業を追う中で、蝋燭の作品だけを集めた一室が設けられている。これまでに野十郎の《蝋燭》を一点だけ見ることはあったが、一箇所でこれほどたくさん目にしたのは初めてだ。

《蝋燭》(1912~26年、油彩、板、福岡県立美術館蔵)

 蝋燭には「神秘的」という言葉が似つかわしい。まぶしすぎず温かみを感じさせる。炎は空気の少しの動きでも揺らぐので常に変化を続け、長く見つめていても飽きない。時間が経つと白い蝋の部分が溶けてだんだん短くなっていくことが人間の寿命を思わせる。西洋の教会でも日本の寺院でも燭台をよく見かけるのは、実用的な目的のほかに場にふさわしいという理由もあるのだろう。

 野十郎は、宗教を強く意識した画家だった。同館の西本匡伸副館長は、この展覧会の図録に掲載した論考「生命と宗教と芸術が織りなす連環の輪」で、野十郎が若い頃から仏教に強い感心を持っていたことに言及している。蓮を近景に、寺院にあるような塔を遠景に配した《蓮華》という作品を福岡県の旧制中学に通っていた10代の頃描き、33歳の頃の作品《りんごを手にした自画像》では袈裟を着た自分の姿を画面に登場させているのだ。

《りんごを手にした自画像》(1923年、油彩、カンバス、福岡県立美術館蔵)

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