堀江貴文(ホリエモン)さんの障害者差別発言? 騒動があったのは1週間くらい前のことのようですね。
私は昨日この騒動を知ったので、もしかしたらもうこの話題はちょっと遅れているのかもしれないのですが、一応「障害」持ちの私なりに感じたことを、ここに書き留めておこうと思います。
堀江貴文(ホリエモン)さんの障害者差別発言(?)をご存知ない方は、下記をご覧ください。
要は、障害者に限らず、生産効率が悪い人は無理に働かなくていい、社会全体の生産性を余計に下げるだけだから、ということを仰りたいようです。
私はこのご意見に概ね賛成します。
「仕事」を「重い荷物」に置き換えて考えてみてはどうか
もう一度マンガ風の画像を貼ります。
上のマンガ風画像で言いたかったことはいくつかあるのですが、まず、
世間では「仕事」=何かすごいことのように扱われすぎているのではないか、ということです。
しかし、「仕事」を「重い荷物運び」くらいに考えてみたらどうでしょうか。
仕事も重い荷物運びも、できる人がやったらいい……という風に思えてきませんでしょうか。
重い荷物運びを力持ちの人がやってくれるというなら、力の弱い人たちは助かります。
仕事もそれと同じようなものではないでしょうか。
「力持ち」も「仕事が出来る」も、それぞれただの一能力にすぎないというか。
「私は重い荷物が持てない」と嘆く人はあまりいなさそうですが、こと仕事となると何故か「私は仕事ができない」といって人間的にダメであるかのように感じてしまう人が多い気がします。
逆に言うと、「仕事ができる人は偉い」みたいな風潮というか。
でも「重いものが持てる」からといって別に「偉い」ってことはないと思います。持ってくれたら「ありがたい」とはなりますが。
「餅は餅屋」という感じで、仕事も荷物運びも出来る人に任せたらいいのではないでしょうか。
しかし重い荷物を「私だって持てる!」と頑張りたがる人がいる
私なんかは、もし重い荷物を持っていたとして、その時男性に
「重そうだね。オレが運んであげるよ、その方が早いし」
と言われたら、
「ホントですか? ありがとうございます~」
と即お任せしてしまうと思います。
しかし世の中には、 「ゆっくりでもいいから、私も重い荷物を運んで、少しでも人の役に立ちたいんだ!」 という考えの方もいらっしゃるようです。
でも、力が弱い人は、荷物運びでなくて、他に何か向いていることがあるのではないでしょうか。
人の役に立つって、別に荷物運びじゃなくても仕事じゃなくても出来ると思うのです。
ネットにおもしろ動画やおもしろ画像をあげたりだとか、ブログパーツを作ったりだとか、リクエストを受けて絵を描くだとか、自分も楽しくできて、人の役に立つことって、きっとあると思います。
普通を目指さなくてもいいのでは
それと、人の役に立つ、というのとまた違って、
「自分も普通になりたい」
と思ってしまう方もいるのかもしれません。
そういう方には、別に普通じゃなくてもいいのでは、と言いたいです。
普通でない=普通よりも劣っている、できそこない、欠陥、一人前ではない、ではなくて、ただ単に
「普通とは違う」
という風に思えばいいのではないでしょうか。
「頑張っている」=「美徳」という風潮
でも自分も皆に頑張っていると思われたい、という方もいるかもしれません。
仕事=辛いこと、でも頑張って乗り越えることで人間として成長できる……みたいな風潮がなぜかありますよね。これもどうかと。
これで得をするのって、ブラック会社の社長くらいじゃないでしょうか。
こういう教訓みたいな感じのものって、どうも一握りの人間が得をするためだけに広まっている気がします。
ストレスをためて頑張って仕事をする、のではなくて、向いている人が楽しく仕事をした方が捗るんじゃないでしょうか。
でも何かしら仕事をしないと食べていけないから……
なので、ホリエモンさんはベーシック・インカム制度の導入を提唱しているのでしょう。
その上で、
更にお金儲けしたい人はすればいいし、
最低限の収入で、お金には繋がらないけど自分がやりたいことを極めるという人がいてもいい、
やりたいことがなければノンビリ暮らせばいい、
と仰りたいのだと思います。
これはすごくいいですよね。
何かにチャレンジして失敗しても最低限の生活は保障されるので、新しいことをやってみようと思う人が増えそうです。
そして疲れたらちょっと休む、お小遣いが欲しくなったらちょっと働いてイヤになったらまた休む……などということもできる訳です。
趣味を生きがいにしてもいいし、仕事を生きがいにしてもいいし、別に生きがいなんかなくてただ生きている、というのも許される社会ということです。
このようなことが実現されれば、お金にならない芸術だとかスポーツの分野が面白い方向に発展していくのではないでしょうか。
また、「働かなくちゃいけない」とイヤイヤ働く人がいなくなるのですから、社会全体が明るくなると思いますし、人生は楽しい、生まれてきてよかった、と思う人も増えるのではないでしょうか。
ホリエモンさんはツンデレなのかもしれない
マンガだとよく「口は悪いけれど根は優しい」みたいなタイプのキャラクターが出てきますよね。
お会いしたことがないので実際はどうだか知りませんが、ホリエモンさんもそういう方なのでは……と勝手なイメージを抱いています。
効率を求めるあまりなのか、ものの言い方がストレートすぎてとてもきつく感じられる時もありますが、
「でも根は優しいツンデレキャラなのでは……」
という目で見てみると、ちょっとだけ萌えてきませんでしょうか。
世間の大人って、言い方だとか服装だとかをものすごく重要視しますよね。
話の内容だとか、人間性だとかより、まずは外見。
「言い方や服装に人間性が表れるのだ」と言われれば、ある程度はそういうこともあるかもしれません。
しかし、必ずしも絶対にそう、とまでは言い切れないのではないでしょうか。
ホリエモンさんはそういう風潮がおかしい、と苛立っているのではないかと思います。
言い方ではない、外見ではない、本質を掴んでくれ、と。
本当は誰も回りくどいビジネス会話なんかしたくないし、堅苦しいスーツだって着たくないはずだろうと。
いやならやめればいいだけなのに、何故皆続けるのだろうと。
それで意固地になって、余計に辛辣な言葉をチョイスしてしまうのかもしれません。
結論
大人だからこうしなきゃ、ああしなきゃ、とかではなくて、みんなが自分の好きなことをやりたいようにやれて、面白おかしく暮らせる社会になればいいなと思います。
犬ではなく猫っぽく、個々人が思い思いに生きられる社会。
それと、役立たずでも肩身が狭くない社会。
肩肘張って生きなくてもいい、ありのままでいいんだよ、クズはクズのままでいいじゃない、クズにはクズの良さがあるよ、という。
最後に、月並みですが……
みんなちがって、みんないい 金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥とすずと
」より