落ちながら戦う人を久々に見ました。
と言う訳で、今回はとある科学の超電磁砲S。
まさか春上衿衣さんが再登場するとは夢にも思ってもみなかった。
OP見る限りは、どうやら初春飾利さんと同室するようで、今後の展開に期待です。

今後と言えば、矢鱈とアクション性の高いOP、なんと、生きて動くフレ
ンダを拝むことができます。
後は、背景がまたもや美麗になった。学園の図書館なんて一体どれだけの手間がかかってるのか分からない。あの図書館、ざっと30万冊ほどはありそうな大きさです。



どうです、昨今の図書館作画技術はこれほどまでに向上いたしました。
ついでに。
誰っすかこの美少女は・・・

と言う訳で、今回はとある科学の超電磁砲S。
まさか春上衿衣さんが再登場するとは夢にも思ってもみなかった。
OP見る限りは、どうやら初春飾利さんと同室するようで、今後の展開に期待です。
今後と言えば、矢鱈とアクション性の高いOP、なんと、生きて動くフレ
ンダを拝むことができます。
後は、背景がまたもや美麗になった。学園の図書館なんて一体どれだけの手間がかかってるのか分からない。あの図書館、ざっと30万冊ほどはありそうな大きさです。
どうです、昨今の図書館作画技術はこれほどまでに向上いたしました。
ついでに。
誰っすかこの美少女は・・・
さて、まずはこれをご覧ください。
なんのひねりもない、ただの単なるズームアウトです。これは今のところ、二次元的な合成の方法でしかできません。これを本当に撮影するには、すげぇレンズを積んだすげぇカメラが必要です。ついでに、カメラを宇宙空間に置かねばなりません。
これは、つなぎ目無しのシームレスな合成です。一昔前は、このようなズームは不可能で、その繋いであるところは不出来なので、見せられないものとしてごまかされています。例えば、このように。
最初の数秒に注意して見てみてください。先の動画と構図は全く同じですが、不自然な点が一か所ありますね。肝心のところが雲で隠されている。これが手書きの限界でしょう。バカでかいセル画にバカでかい絵を書けば、なんとなく出来そうな気もします。が、とかく、これが一昔前のズームなのです。技術的に描けぬところがある。それが、ズームアウトの虚点です。
いくら二次元と言えども描けぬ部分がある。
二次元だからこそ、描けぬ場所がある。
これが、今日のポイントです。

* * *
では。
こちらの二つをご覧ください。


上はご存じの通り、Steins;Gateの第5話のBパート。ダルのミッションコンプリート・セカンド、SERNへのハッキングが成功するところ。
下は言うまでも無いでしょう。
ここのところ、二つとも同じようなズームアウトを使ってます。そして、同じような虚点がある。
最初のシュタゲの方が分かりやすいですね。PCを映しているカメラがズームアップの過程でダルをすり抜けている。そして彼を映すために、画面が一瞬だけ真っ黒になる。アニメじゃないと出来ないようなカメラワークで、そして、だからこそ虚点が出てくる。真っ黒になるところ、それがその描けぬ部分なのでしょう。
それでは、美琴の方は。

ヘリのフロントにある、ウィンドウピラー。それがそうです。
わたしはちょっとヘリには詳しくないので、この柱を何と言うのかは知りませんが、きっとウィンドウピラーとかセンターピラーとかフロントピラーとか、それに類する言葉でしょう。
ここでは、カメラがヘリの内部からそのピラーをすり抜けて(あるいはテレポートしつつ)、ズームアウトの構図を描いています。しかしここではその時に画面が真っ黒になったりはしない。そのウィンドウピラーの内部たる真っ黒画面を描いたりはしていない。いきなりカメラが外部に飛ぶ。そうすると暗転の一瞬がなくなり、場面がよりスムースに繋がる。日本独自のリミテッドなアニメにより、カメラがそのウィンドウピラーを通り抜ける瞬間は意図的にオミットされています。そのフレームは、わざと飛ばしているはずなのです。コマ送りにすると、よーく分かります。
さらに、アニメではカメラは仮想的なものなので、それがレンズによるズームアウト/ズームインなのか、それともカメラ自体が近づいているのか、それはどちらでもよいのです。そのようなズーム効果が得られればいい。
また、アニメでのカメラは実体をもちませんので、いろいろとすり抜けることができる。透過できる。ワープできる。テレポートできる。そして、そのすり抜ける瞬間の場面こそ、今のアニメでは描けぬ部分、つまりは虚点なのでしょう。
* * *
さて、皆さんお待ちかねの蛇足のコーナーです。

めまいショット。
ズームイン/ズームアウトと来れば、これを挙げない訳にはいきませんね。これをさらに詳しく語らねば、カメラワークの説明には画竜点睛を欠きます。画像は、第一期の後半のチャイルドエラー編、美琴がテレスティーナの正体に気付くところ。
Dolly zoom。Vertigo Effect。ヒッチコック「めまい (Vertigo)」(1958)で使われた技法です。これこそ百聞は一見に如かず、今度はさっそく見てみましょう。
背景だけがズームアップされているように見える。これがかの有名な Dolly zoom です。
「めまい」本編では、冒頭のビルと、教会の鐘楼でのショット。そして、技術的観点からか、あるいは映像効果の観点からか、とても短い。そして何よりも、垂直の動きしかしていない、人物がいない。こういうところがよく知られているものとは違う。
まさに眩暈を催す場面に使われます。これまで信じてきたものがウソだったとか、認識を根底から覆されたとか、衝撃的な隠された事実を知ってしまったとか。そして、その人にとっては同時に世界がグニャリと歪んでしまいます。その感情的なことを、実際に見えるようにしたのが、この1958年の「めまい」なのです。ゆうに半世紀を経た手法です。
ニコ動のアイマス動画でもひっそりと使われていたりもします。42秒あたり、「死ね」と同時にサムダウンしているところ。3Dだとラクでしょう。背景のオブジェクトをズラすだけ。ついでに背景など魚眼系統のフィルタで歪ませれば、お手軽にめまいショットの出来上がり。
こういうものもあります。ネットは広大ですね。

さらに有名な、「ジョーズ」でのその場面。地平線が吸い込まれてゆく、見事なカメラワーク。このあと、人が喰われます。

京アニkanonの21話でも登場。表情が深刻になってゆくところも併せるのが、このズームでのお約束のようです。ついでに、グチャグチャになったケーキは暗喩です。

並べてみましょうか。
やはり美琴も、相当に深刻な顔をしてます。
・・・このように、カメラワークだけでも映像は何かを伝えてくるのです。
* * *
さらについでに、ヒッチコックの「白い恐怖」からも、一枚。

FPSのような構図。アニメではどうと言うことのない画面です。が、これはカメラを通した実写です。決定的におかしいところがありますね。
ピントです。
銃と女性の両方にピントが合っている。これ、異常なことです。
試してみましょうか。昨今は技術の進歩によってこれを簡単に試すことができるようになりました。ケータイです。では、お手持ちの携帯電話かスマホで、この構図の通りに、自分の手と2〜3メートル先を同時に写してみてください。どうでしょうか。出来ましたか?その時、自分の手にピントが合っていれば、2〜3メートル先の画面にはピントが合わずにぼやけてしまいます。
このように、普通のカメラでは「白い恐怖」のようなピントの合わせ方は、物理的に不可能なのです。ありえないのです。しかし、あり得るからこそフィルムに収められている。そして、この映画には合成は一切使われてはいない。つまりは、そこには何かしらのトリック/テクニックがある。

アニメではどうでしょうか。先のアニメの20話。今ではいろいろとツールを使って、わざとピントをズラしている。そういう風に見えるように、ボカしている。そうすると、いかにも実写かのような効果が得られる。多分に、カメラや人の目という原初のカメラを意識しています。

3DCG使いまくり&合成バリバリの実写アクション映画でも、銃と背景の両方にピントを合わせることがある。そういう光景を映像にせねばならない場面、つまりは「DOOM」の終盤、first person sequenceと呼ばれている箇所です。このFPの映像がなけりゃあ、この映画はDOOMじゃないです、もっと他のB級アクションか何かだったでしょう。

ついでに、ここのピントも見てみましょう。21話。墓石、木、そしてビル、その全てにピントがあっている。そこまで細かくピントを考えてるアニメで、こういうミスのようなことがあるのか・・・とはならないでしょう。おそらくは、ミスではないです。意図的です。墓石=ビル群の同一視のための、カメラ的・光学的な演出です。被写界深度を深くすると、このように見えます。やけに描き込みのリアリティがあるものの、ピントのおかげでこの世では無い場所に見える箇所、それがこのカットです。
* * *
で。
まとめますと。



不穏な感じには、セオリー通りにDolly Zoomを。


ありえないほどアッパーで愉快痛快な場面には、こちらのアニメ専用ズームを。
それぞれ使い分けてみると、グッと画面が締まります。
* * *
にしても超電磁砲さん、街中でヘリ吹っ飛ばしもいいンすかね?

* * *
もうひとつ。


まるで別人じゃあないっスか!
〈了〉
なんのひねりもない、ただの単なるズームアウトです。これは今のところ、二次元的な合成の方法でしかできません。これを本当に撮影するには、すげぇレンズを積んだすげぇカメラが必要です。ついでに、カメラを宇宙空間に置かねばなりません。
これは、つなぎ目無しのシームレスな合成です。一昔前は、このようなズームは不可能で、その繋いであるところは不出来なので、見せられないものとしてごまかされています。例えば、このように。
最初の数秒に注意して見てみてください。先の動画と構図は全く同じですが、不自然な点が一か所ありますね。肝心のところが雲で隠されている。これが手書きの限界でしょう。バカでかいセル画にバカでかい絵を書けば、なんとなく出来そうな気もします。が、とかく、これが一昔前のズームなのです。技術的に描けぬところがある。それが、ズームアウトの虚点です。
いくら二次元と言えども描けぬ部分がある。
二次元だからこそ、描けぬ場所がある。
これが、今日のポイントです。
* * *
では。
こちらの二つをご覧ください。
上はご存じの通り、Steins;Gateの第5話のBパート。ダルのミッションコンプリート・セカンド、SERNへのハッキングが成功するところ。
下は言うまでも無いでしょう。
ここのところ、二つとも同じようなズームアウトを使ってます。そして、同じような虚点がある。
最初のシュタゲの方が分かりやすいですね。PCを映しているカメラがズームアップの過程でダルをすり抜けている。そして彼を映すために、画面が一瞬だけ真っ黒になる。アニメじゃないと出来ないようなカメラワークで、そして、だからこそ虚点が出てくる。真っ黒になるところ、それがその描けぬ部分なのでしょう。
それでは、美琴の方は。
ヘリのフロントにある、ウィンドウピラー。それがそうです。
わたしはちょっとヘリには詳しくないので、この柱を何と言うのかは知りませんが、きっとウィンドウピラーとかセンターピラーとかフロントピラーとか、それに類する言葉でしょう。
ここでは、カメラがヘリの内部からそのピラーをすり抜けて(あるいはテレポートしつつ)、ズームアウトの構図を描いています。しかしここではその時に画面が真っ黒になったりはしない。そのウィンドウピラーの内部たる真っ黒画面を描いたりはしていない。いきなりカメラが外部に飛ぶ。そうすると暗転の一瞬がなくなり、場面がよりスムースに繋がる。日本独自のリミテッドなアニメにより、カメラがそのウィンドウピラーを通り抜ける瞬間は意図的にオミットされています。そのフレームは、わざと飛ばしているはずなのです。コマ送りにすると、よーく分かります。
さらに、アニメではカメラは仮想的なものなので、それがレンズによるズームアウト/ズームインなのか、それともカメラ自体が近づいているのか、それはどちらでもよいのです。そのようなズーム効果が得られればいい。
また、アニメでのカメラは実体をもちませんので、いろいろとすり抜けることができる。透過できる。ワープできる。テレポートできる。そして、そのすり抜ける瞬間の場面こそ、今のアニメでは描けぬ部分、つまりは虚点なのでしょう。
* * *
さて、皆さんお待ちかねの蛇足のコーナーです。
めまいショット。
ズームイン/ズームアウトと来れば、これを挙げない訳にはいきませんね。これをさらに詳しく語らねば、カメラワークの説明には画竜点睛を欠きます。画像は、第一期の後半のチャイルドエラー編、美琴がテレスティーナの正体に気付くところ。
Dolly zoom。Vertigo Effect。ヒッチコック「めまい (Vertigo)」(1958)で使われた技法です。これこそ百聞は一見に如かず、今度はさっそく見てみましょう。
背景だけがズームアップされているように見える。これがかの有名な Dolly zoom です。
「めまい」本編では、冒頭のビルと、教会の鐘楼でのショット。そして、技術的観点からか、あるいは映像効果の観点からか、とても短い。そして何よりも、垂直の動きしかしていない、人物がいない。こういうところがよく知られているものとは違う。
まさに眩暈を催す場面に使われます。これまで信じてきたものがウソだったとか、認識を根底から覆されたとか、衝撃的な隠された事実を知ってしまったとか。そして、その人にとっては同時に世界がグニャリと歪んでしまいます。その感情的なことを、実際に見えるようにしたのが、この1958年の「めまい」なのです。ゆうに半世紀を経た手法です。
ニコ動のアイマス動画でもひっそりと使われていたりもします。42秒あたり、「死ね」と同時にサムダウンしているところ。3Dだとラクでしょう。背景のオブジェクトをズラすだけ。ついでに背景など魚眼系統のフィルタで歪ませれば、お手軽にめまいショットの出来上がり。
こういうものもあります。ネットは広大ですね。
さらに有名な、「ジョーズ」でのその場面。地平線が吸い込まれてゆく、見事なカメラワーク。このあと、人が喰われます。
京アニkanonの21話でも登場。表情が深刻になってゆくところも併せるのが、このズームでのお約束のようです。ついでに、グチャグチャになったケーキは暗喩です。
並べてみましょうか。
やはり美琴も、相当に深刻な顔をしてます。
・・・このように、カメラワークだけでも映像は何かを伝えてくるのです。
* * *
さらについでに、ヒッチコックの「白い恐怖」からも、一枚。
FPSのような構図。アニメではどうと言うことのない画面です。が、これはカメラを通した実写です。決定的におかしいところがありますね。
ピントです。
銃と女性の両方にピントが合っている。これ、異常なことです。
試してみましょうか。昨今は技術の進歩によってこれを簡単に試すことができるようになりました。ケータイです。では、お手持ちの携帯電話かスマホで、この構図の通りに、自分の手と2〜3メートル先を同時に写してみてください。どうでしょうか。出来ましたか?その時、自分の手にピントが合っていれば、2〜3メートル先の画面にはピントが合わずにぼやけてしまいます。
このように、普通のカメラでは「白い恐怖」のようなピントの合わせ方は、物理的に不可能なのです。ありえないのです。しかし、あり得るからこそフィルムに収められている。そして、この映画には合成は一切使われてはいない。つまりは、そこには何かしらのトリック/テクニックがある。
アニメではどうでしょうか。先のアニメの20話。今ではいろいろとツールを使って、わざとピントをズラしている。そういう風に見えるように、ボカしている。そうすると、いかにも実写かのような効果が得られる。多分に、カメラや人の目という原初のカメラを意識しています。
3DCG使いまくり&合成バリバリの実写アクション映画でも、銃と背景の両方にピントを合わせることがある。そういう光景を映像にせねばならない場面、つまりは「DOOM」の終盤、first person sequenceと呼ばれている箇所です。このFPの映像がなけりゃあ、この映画はDOOMじゃないです、もっと他のB級アクションか何かだったでしょう。
ついでに、ここのピントも見てみましょう。21話。墓石、木、そしてビル、その全てにピントがあっている。そこまで細かくピントを考えてるアニメで、こういうミスのようなことがあるのか・・・とはならないでしょう。おそらくは、ミスではないです。意図的です。墓石=ビル群の同一視のための、カメラ的・光学的な演出です。被写界深度を深くすると、このように見えます。やけに描き込みのリアリティがあるものの、ピントのおかげでこの世では無い場所に見える箇所、それがこのカットです。
* * *
で。
まとめますと。
不穏な感じには、セオリー通りにDolly Zoomを。
ありえないほどアッパーで愉快痛快な場面には、こちらのアニメ専用ズームを。
それぞれ使い分けてみると、グッと画面が締まります。
* * *
にしても超電磁砲さん、街中でヘリ吹っ飛ばしもいいンすかね?
* * *
もうひとつ。
まるで別人じゃあないっスか!
〈了〉