市民団体の告発があったとはいえ、検察がこの問題を起訴まで引っ張っていったことで口実を与えてしまった面もある。検察は告発があれば捜査しなければならない。しかし、この事件は単なる名誉毀損ではなかった。言論の自由に関する問題や外交問題に飛び火する余地が少なからずあった。予想通り、虚偽報道そのものよりも加藤前支局長を処罰するかどうかや韓日対立ばかりが取りざたされた。その揚げ句に昨日の一審判決までもが「記事は不適切な点があるが、言論の自由の保護領域に含まれる」として無罪を言い渡した。得たものはなく、失ったものばかりが多い「愚かな起訴」だった。
これで加藤前支局長と産経新聞は無罪判決を後ろ盾に「言論の自由の闘士」の看板を掲げるだろう。しかし、裁判所が無罪判決を下したのは報道が事実だからではない。「ひぼうの意図は認められない」という判決に過ぎないのだ。裁判所はすでに裁判途中で虚偽報道であることを明らかにし、加藤前支局長自身も「異議を申し立てる考えはない」と述べていた。この事例は、低俗な報道には法という物差しで測るよりも公論の場で実体が明らかになるようにした方が得策だという教訓を残した。そうでなければ最初から無視するべきだ。そうしていたら加藤前支局長は絶対に言論の自由をうんぬんできなかっただろう。