「汗は他人にかかせ、手柄は自分で取る」 権力感情に酔いしれる菅直人に学ぶ 「首相としてやってはいけないこと」マックス・ヴェーバーも呆れるしかない

2011年07月18日(月) 田崎 史郎
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「形式的にはたいした地位にない職業政治家でも、自分はいま他人を動かしているのだ、彼らに対する権力にあずかっているのだという意識、とりわけ、歴史的な重大事件の神経繊維の1本をこの手で握っているのだという感情によって、日常生活の枠を超えてしまった一種の昂揚した気分になれるものである」

 菅は市民運動家から日本の最高権力者の地位に上り詰めた。そして、東日本大震災、原発事故という未曾有の災害に直面した。その対策の「神経繊維」の1本を握っているという高揚感をヴェーバーは「権力感情」と呼ぶ。

 菅は退陣表明後もこの「権力感情」に酔っているに違いないしかし、3つの資質を持っているのだろうか。

 「責任感はなきに等しい」

 これほどの非難を浴びながら、なおも続投しているのだから「情熱」はあるのだろう。だが、「判断力」はかなり低い。

 巨大地震と津波によって、福島第一原子力発電所で非常電源を喪失した3月11日午後、菅は首相官邸執務室に集まった原子力安全委員会委員長の班目春樹、東電幹部を前に怒鳴り散らした。

「どうして非常電源が落ちたんだ!」「津波をかぶったからです」「そんなことは分かっている。津波をかぶったぐらいでどうして非常電源が落ちるんだ!」「……」「どうして説明できないんだ!」

 通常、大事故に遭遇した場合、その事故を所与の条件として、被害の拡大を防ぐために対策を練る。しかし、菅は所与の条件が起こった理由を問いただした。

 その後の海水注入問題でも、菅があまりに厳しく問いただしたがゆえに、班目がついつい「(再臨界の)可能性はゼロではない」と発言してしまったというのが真相だ。政府部内では、班目の発言のブレを問う声があるが、班目がしどろもどろになるほどに追い詰めた菅の責任も重い。

 同書は判断力を維持するために、「精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。『距離を失ってしまうこと』はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の1つである」と説いている。菅はこの大罪を、首相執務室に閉じこもっていた3月11日から約1週間、犯していたのである。

 

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