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永井均
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永井均
@hitoshinagai1
帰納的に考えても、これまで死んだのはすべて他者だ。私が死んだことは世界始まって以来まだ一度もない。だから…。しかし、もっと根本的な問題は、現世のこの不可思議な構造を認める限り私は死ねないのではないかという問題で、これはたぶん真実。どこかで死後の世界的な世界観を予め持ち込まないと。
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1 day 14 hrs ago
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永井均
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死後の世界は、その名の通り私はもう死んでいるので、すべてが客観的・科学的に説明できる平板でのっぺりした世界だろう。神秘的で不可思議なあり方をしているのはむしろ現世だ。すると、私の死とは優れて死後の世界的な概念であるはずなのに、私はこの世で死ぬことができるのか、という疑問が湧く。
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1 day 14 hrs ago
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永井均
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歴史的制約だからやむをえないとはいえ、仏教哲学は基本的に観念論なのだが「超越論的観念論」という発想を知らないことが議論を致命的に幼稚なものにしていると感じる。同じことだが「志向性」という概念を知らないことも。誰かにアップデートしてもらいたいものだ。
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2 days ago
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永井均
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ところで私は「ヴィパッサナー実践」の真似事をしているがアビダルマを含めて(原始)仏教の教義に殆ど価値を見いだせない。存在論も認識論も平板で知的水準の低い議論が多い。仏陀自身も世界観を語るとつまらぬことを言う。それしか知らない人にしか説得力がないだろう
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2 days ago
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永井均
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出版社がくれたので『ブッダの実践心理学』シリーズを読んできたが、煩瑣で退屈な部分が多いが最後の第8巻はなかなか面白い。「ヴィパッサナー実践をすると、生きることの本当の姿がバレます。……無価値であると発見します」(50頁)。「…生きることが無価値であると発見します」(51頁)とか。
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2 days ago
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永井均
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職業としての哲学においての成功なんか狙っても(「ても」というより「たら」だが)面白くないのではなかろうか。では何が面白いか。成功の基準を自分の内部に持つことか。たしかに、職業としての小説における成功を狙っている作家の小説なんか読みたくはないが。そういう問題でもないような気がする。
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8 days ago
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永井均
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故坂井秀寿氏『哲学探究』の序文には「哲学という男の職業」という言葉があり「この職業において成功したいと思う」という言葉が続く。三十数年前に読んだとき仰天したのは「男の」のというよりは「職業」と「成功」だった。尊敬すべき哲学者だったが、この感性は「誤謬」であると最近とくに強く感じる
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8 days ago
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他人の書いた本を深く読むのは、他の問いの存在を、それが他の問いであるということを、深くを知るためだろう。
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13 days ago
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永井均
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他人の書いた定評のある立派な本をどんなにしっかり読んだって、自分の問いに対する答えは書かれていない。これが冷厳な真実。
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14 days ago
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永井均
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前にも書いたが、〈私〉こそが無我である、というまったくあたりまえのことを言うと、驚く人が多い。まったくあたりまえのことなのだから、みんなじつは前提にはしているのだが、仏陀とか道元とかでも、このことを明晰に知ってはいない。
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17 days ago
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永井均
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市販されている雑誌なのかどうか知りませんが、親鸞仏教センターが出している『あんじゃり』の30号に、「自己ぎりの自己、とその蔓(つる)」という文章を書きました。内山興正の「自己ぎりの自己」についてですが、それにことよせて私自身の考えの一端を述べています。
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17 days ago
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永井均
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明日も私が生きていて意識があるだろうから(あるいは生きていて意識がある限りは)という答えのほうがよい答えか。
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17 days ago
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永井均
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11月30日になるとは、11月30日が今になるという意味なのだから、11月30日が今でない可能性は考えられない、という答え方に意味はあるか?
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18 days ago
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器楽演奏家と違って、一般に歌手の命は短い。私は60歳を過ぎてから以前より遥かに歌が上手くなったが、そういう歌手は他に見たことがない。
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21 days ago
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永井均
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私がコンサートに行ったことがある唯一の演歌歌手。しかし、なぜ今ごろになって? 現在でも日本一歌が上手い歌手だと私は思っている(なぜかあまり知られていないが)が、率直に言って、ちょっと機を逸した感じがしないでもない。十年前ぐらいが全盛期だったから。
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21 days ago
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永井均
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島津亜矢が紅白歌合戦に出場する!
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21 days ago
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永井均
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「これには「死ねば無になれるのに、なぜわざわざ修行なんかして永遠の存在の流れから解脱しようとなんかしなければならないのか」も付け加えることができるかもしれない」というコメントを先程のThe Third Manさんからのリツイートにつけるつもりで忘れていました。
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22 days ago
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永井均
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前にデザインの時にも言ったように、学術論文のように引用注・参照注をつけることにしたらと思う。そして、引用や参照が多い方がよいという風習を確立したらどうだろう。少なくとも私の好みの曲がたくさんできあがると思う。
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22 days ago
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永井均
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365日の紙飛行機
https://t.co/IgYgelfCAV
の冒頭部分は水色の街のパクリだともいわれていますが、私はもともと水色の街
https://t.co/4BJdD0fTVU
が好きなのでこの曲も好きです。作曲はこのようにコラージュでやってよいことにすべきだという意見です。
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22 days ago
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永井均
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ここで問題にしていることとは関係ないが、カントが「日和った」というハイデガーの批判は、ご当人が現象学のレベルにいることを露呈しているだけ、というのが私の評価。『純粋理性批判』は第二版の方が格段に優れていると私は思う。
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25 days ago
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永井均
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ハイデガーのほうは、カントは途中で「日和った」とあからさまに批判しているわけが、もしカントが読んだら反論するであろうが同時に鋭く褒められたとも感じるに違いない。(注 :「日和る」自己保身のために妥協的な方針に後退する。もと左翼学生運動用語。)
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27 days ago
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永井均
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無理にでも人を貶したいと思うのは、それによって相対的に自分を高めて守るためだろうが、褒める場合にもその種の要因は介在しうる。だから、むしろ褒めないでただ深く理解するだけの方が正しく褒めたことになるわけだ。ハイデガーやストローソンのカント本がその例かな
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27 days ago
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永井均
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人は無理にでも人を貶したいという欲求を持ちがちだが、無理にでも人を褒めたいという欲求はそれほどは持たないということか。結果、褒める場合のほうが無理なく(正しく)褒めがちになる、ということ。私は百%誤解に基づいて褒めそやされた経験があるけど。
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28 days ago
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永井均
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「関連するレポート」とは、E、F、G、の3人のレポート。これらと5章のみんなでの議論だけ読んでいただければ十分です。
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28 days ago
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永井均
@hitoshinagai1
私は『転校生とブラックジャック』という本を出していて、これは名著だと思うのだが、難点は題名にもなっている「転校生とブラックジャック」という章が要らないこと。1章2章も別の問題だし、終章も入試でよく使われるが関係ないので、結局、5章(と関連するレポートの章)だけでよかったんだ!
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28 days ago
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