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【問い直す戦争 70年目の視点】

強いられた徹底抗戦 太平洋戦争研究会・平塚柾緒氏

平塚柾緒氏

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 東京新聞は太平洋戦争末期、日本兵約一万人がほぼ全滅したパラオ共和国・ペリリュー島での戦闘について、フリー記者らでつくる「太平洋戦争研究会」代表の平塚柾緒(まさお)氏(77)に聞きました。平塚氏は「敗戦が決定的となり、それまで以上の徹底抗戦が強いられた。日本軍の戦術の転換点で、悲惨な戦いがその後の硫黄島や沖縄に引き継がれた」と分析。生還者が極めて少ないため、体験が十分に語り継がれていないと指摘しました。

 ペリリュー島では一九四四年九〜十一月に米軍が上陸、攻撃し、日本の守備隊約一万人がほぼ全滅しました。生還者は四百人ほどで、このうち朝鮮人労働者を除くと日本兵はわずか二百人程度でした。

 平塚氏は「直前の七月にサイパン島、八月にグアム島がそれぞれ約三週間で陥落し、衝撃を受けた軍部は持久戦を指示した」と説明。「武器や食糧が尽きる中、洞窟にこもって極限のゲリラ戦を二カ月半続けた」と振り返りました。

 天皇、皇后両陛下が今月八、九日にパラオを初訪問されることについて「昭和天皇がペリリュー島の守備隊に十一回もご嘉賞(かしょう)(おほめの言葉)を送っている。昭和天皇と戦争との関係を踏まえつつ、両陛下が慰霊や平和の祈りをささげたいということではないか」と話しました。

(左)日本兵の慰霊碑「みたま」。地元民らの十字架の墓と並ぶように立つ=3月2日、パラオ・ペリリュー島で (伊藤遼撮影)

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