昭和期の日本による中国侵略について、東京新聞は駿河台大学の井上久士教授(64)=中国近現代史=に聞きました。日中戦争開始五年前の一九三二年、旧満州(中国東北部)で、日本軍が多数の中国人を殺害した平頂山(へいちょうざん)事件について「南京事件など、その後の残虐行為の原点というべき事件」と指摘。日本は事件を隠し、関係者も処分しませんでしたが、「処罰していれば、その後の歯止めになりえた」と述べました。
平頂山事件の発端は三二年九月十五日、撫順(ぶじゅん)市郊外の炭鉱で、職員ら日本人五人が中国人ゲリラの襲撃で殺されたことでした。日本軍は翌十六日、ゲリラの進入経路にあった平頂山村の住民らがゲリラと通じていたとして、多数を殺害。死者は日本軍関係者によると七百〜八百人、中国側の発表で三千人とされました。
井上氏は中国人生存者が東京地裁に起こした損害賠償請求訴訟で、二〇〇四年に研究者として証人を務めました。地裁と二審の東京高裁は賠償を棄却しましたが、虐殺の事実は認定。この判断は〇六年に最高裁で確定しました。井上氏は「日本は不都合な歴史も直視するべきだ。加害を認めることで、原爆など日本の被害も世界に伝わるのではないか」と述べました。