「石を運ぶ人」の寓話
「石を運ぶ人」の寓話を聞かれたことはありますか?
少しバリエーションがあるようですが・・・、こんな話です。
・・・・・・・・・
旅人が石を運んでいる人をみかけ、「何をしているのか?」と尋ねました。
すると、「俺は、石を運んでいるんだ」と疲れた様子で答えました。
しばらくすると、また石を運んでいる人がいます。旅人は同じく尋ねました。
「あそこに大きなピラミッドを建てるために、石を運んでいるんだ」とたんたんと答えました。
さらに見ると、また石を運んでいる人が。
「お前にはわからないだろうな。俺は、エジプトの歴史を創っているんだ」と誇らしげに答えました。
・・・・・・・・・
この話は、同じ仕事をするにも、
・その目的を把握できているか
さらに
・目的を達成する意味を分かっているか
によって、人の仕事のやりがいが変わり、人の気持ちも変わる、さらには、仕事の品質も向上する、といったことを伝える比喩として、語られています。
物足りないんですけど・・・
たとえ話としては、あまりにも「ネタ」過ぎるというか、少々、失笑してしまいますね。
さて、この話、だいたい、これで話し手が「ドヤ顔」をして終わってしまうんですよ。
話としては、「まあ、そうだよね」とは思いますが・・・。
でも、物足りないと思いませんか?
実際問題、この話を聞いただけで、いつもこの考え方を持てるか?と聞かれたら、全面的に「YES」とはならないですよね。
仕事の目的は理解した
その目的の意味も理解している
自分がやるべきことも分かっている
・・・でも、「仕事のやりがい」を感じられない
こういうことが、多々あると思うのです。
多分、そんな指摘を受けたから、あるいは、話し手が「ベタ過ぎて話すのは恥ずかしいなぁ」と思ったのでしょう。
石垣バージョンとして、
石を運んでいる<<お城の石垣を作っている<<<家族を守る石垣を作っている
という風に変化したものもあります。
再度、仕事のやりがいについて
以前、仕事のやりがいについて記しました。
ポイントは、
「自分の仕事には価値があり、それは他者への役立ちとなっている」
ということを自己認識できるかどうかにある
ということです。
ここでの「仕事の価値」は、上の仕事の目的と意味の理解と同義であり、「役立ち」とは、自分がやるべきことと、ほぼ同じでしょう。
では、何が違うのか?
それは、「他者」という存在を認識しているかどうか、そして、自分との距離感が近いのか遠いのか、だと思います。
上で書いた寓話、ピラミッド版と石垣版の決定的違いは、「他者」そのものにあると思っています。
ピラミッド版では、「他者」という存在がありません。
(3番目にファラオのために・・・というのが入るバージョンはありますが)
「歴史を創る」といったって、自分の存在とあまりにもかけ離れていますので、とてもじゃないけど、過酷な労働に耐え続ける動機にはなりませんよね。
一方、石垣版。
こちらでは、「家族」という大切な存在があり、その「命を守る」という大変強力な思いがあります。そりゃあもう、がんばりますよね。
ということで、仕事のやりがいは近くにいる存在、その人への思い、これがあるのかないのかがとても重要だと思っているのです。
まとめ
仕事のやりがいに直結している「他者への役立ち」。
これは、他者から自分の仕事を認めてもらい、褒められたり、感謝されることによって認識されます。
この他者は、自分と近ければ近いほど、思いが強ければ強いほど、影響は強くなるのです。
仕事や家事をこなしているご主人や奥さん、勉強や部活に一生懸命取り組んでいるお子さん、これまで自分を育ててくれた親御さん、職場で頑張っている同僚、仲良くしている友人たち・・・。
あなたと関わりのある人たちを認め、共感し、褒め、感謝する。
それが、あなたの周囲の人にとって、仕事に限らず「生きるやりがい」につながるものと思います。
そして、何より「あなた自身」を認め、褒め、自分に感謝してみませんか。
さて、間もなくクリスマスです。
ご自身への「ご褒美」は、もう準備できましたでしょうか?
最後まで読んでいただいた、あなたに感謝します。