核と人類取材センター・田井中雅人
2015年12月17日13時50分
米国の原爆開発「マンハッタン計画」の関連3施設が先月、国立歴史公園に指定された。この動きに対して、健康被害を受けたと訴える周辺住民らが「核開発の犠牲者の歴史も伝えるべきだ」と主張。原爆が使われた広島・長崎や原発事故があった福島、水爆実験が実施されたマーシャル諸島などとの連帯を視野に入れた「ヒバク博物館」を米国内に造るためのNPOを設立した。
■既存の博物館「称賛ばかり」
計画関連3施設の一つ、米ワシントン州ハンフォード。そこの技術者の娘で、法律家のトリシャ・プリティキンさん(65)らがNPO「コア」(CORE:Consequences of Radiation Exposure=放射線被曝(ひばく)がもたらすもの)を設立した。
「米国内の既存の核関連博物館は称賛ばかり。核開発の犠牲者の物語を切り捨てている」。プリティキンさんらはこう訴え、日本からの来訪者も多い米西海岸の同州シアトルに新たな博物館を建設するため、寄付や資料の提供をウェブサイトで呼びかけている。
ハンフォードでは1945年、ニューメキシコ州での世界初の核実験や長崎に投下された原爆「ファットマン」のプルトニウムが生産された。戦後も、旧ソ連との核開発競争の主戦場として長崎原爆約7千発分の兵器用プルトニウムが造られた。
86年に住民らの情報公開請求で米エネルギー省が公開した1万9千ページに及ぶ機密文書によると、49年12月の「グリーン・ラン実験」では740テラベクレルのキセノン133、287テラベクレルのヨウ素131が放出された。冷戦期も様々な放射性物質によって周辺の大気、地下水、土壌、川が汚染された。生産停止後の89年から除染作業を続けているが、地中の177個のタンクに貯蔵する大量の高レベル放射性廃液は処理施設の設計上の問題などで1滴も処理できておらず、老朽化したタンクから地中に漏れ続けている。
90年代以降、がんや甲状腺障害などの症状を抱える「風下住民(ダウンウィンダーズ)」ら約5千人が事業請負会社を提訴し、プリティキンさんも原告に。だが放射能と被害との因果関係が認められず、多くの人は結審前に亡くなった。両親が甲状腺がんなどで死亡し、自身も10代後半から頭痛や胃腸障害などの症状に悩まされ、甲状腺の除去手術もしたプリティキンさんは「次は自分が死ぬ番かもしれないと思いながら声を上げ続けている」と言う。
プリティキンさんと共にNPOを立ち上げた農家のトム・ベイリーさん(68)も子どもの頃から様々な病気を抱え、18歳の時に無精子症だとわかった。家族や親戚もがんで死亡。流産や奇形児、がん、白血病が多発した近所一帯を「死の1マイル」として米国内外メディアを通じて告発した。
日本映画「ヒバクシャ~世界の終わりに」(03年、鎌仲ひとみ監督)にも出演し、広島・長崎での原水爆禁止世界大会にも参加(01・11年)した。「米国では理解されないが、核兵器であれ原発であれ、人類とは共存できない。これをよく知る日本の皆さんと一緒に博物館をつくりたい」と呼びかける。
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朝日新聞国際報道部
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